第四十七話 私は汝を再び所有する
「……頭が痛くなってきた」
アレシュの言葉にその場に居た全員が同意した。
ベニーシェク公爵といい、エヴェリーナといい、魔塔主という席に座る為には変人という資質が必要なのではないかと疑いたくなるほどに、常軌を逸している。
たった今、あっさりと父親との別れを余儀なくされたリーディアは、呆然としながら頬を濡らした涙の処遇に困り果てていた。
「……つまり、お父様はご無事、ということなのかしら?」
リヒャルトは溜息を吐くと、「公爵にはしてやられた気分です」と言って緋色のビレッタのずれを整える様に、白い手袋を嵌めた両手で頭を押えた。
恐らく頭痛がするのだろう……。
「魔塔に逃げ込まれては、異端者であろうとも教会は関与できません。無論、魔塔側も全ての者を受け入れるわけではありませんが、公爵は元魔塔主。恐らくはエヴェリーナもそういったことを見越していたのでしょう」
ミハルは苦笑いを浮かべた。
あの魔塔主の部屋の惨状を思えば、公爵のように淡々と業務をこなす機械仕掛けの人形のような存在は必要不可欠なのかもしれない。
つまり、エヴェリーナは必要な人材を強制的に魔塔に引き戻そうと、謀っていた可能性がある。
『ミハル殿下、無理にとは言わないが、もしも興味があるのなら魔塔はお前を歓迎するよ』
あの時、もしもエヴェリーナの誘いにミハルが乗っていたのなら、その役目はミハルになっていた可能性も、なきにしもあらずだ。
リヒャルトはスッと手を伸ばし、リーディアを迎え入れるように招いた。
「リーディア、そのような無防備な姿を晒したままではなりません。ミハル殿下の側ではなく、こちらへ来なさい」
「はい。リヒャルト様」
素直にリヒャルトの側に向かった彼女に、緋色のケープを外して掛けてやった。
「さあ、もう安心なさい。貴女を包むのは、私の絶望と同じ色。これを纏っている間だけは、貴女は私の腕の中にいるのですよ」
そして小さな十字架のペンダントを取り出し、まるで神の祝福を授けるかの様に口づけをした後、「汝の魂も、呼吸も、すべて私が所有するということです」と言って、ふわりとリーディアを包み込むようにして、その首に掛けてやった。
『Ego te possideo(私は汝を所有する)』
その言葉が刻まれた十字架のペンダントをつけ、リーディアは嬉しそうに「リヒャルト様、ありがとうございます」と瞳を潤ませる姿を、アレシュとミハルは苛立ちながら見つめていた。
「それで? その小箱の中身は一体何なのさ? もったいぶってもいい事なんか無いし、さっさと開けたら?」
アレシュに促されて、リーディアは「そうですわね!」と言って小箱を取り出すと、パカリと開けた。
「……」
パタン。
無言で閉じたリーディアに、アレシュは片眉を吊り上げて手を差し出した。
小箱を受け取ったアレシュは開いた後、直ぐに閉じた。そしてミハルへと手渡して、ミハルもまた同様に開いた後に瞬時に閉じた。
不思議そうに小首を傾げたリヒャルトに、ミハルは「猊下にはお見せできません!」と首を左右に振った。
アレシュが堪らずに喚いた。
「あの下種女!! 一体何を考えているんだっ!?」
「あの、わたくしこれが何なのかはよくわからないのですが、とりあえずカビが生えているということだけは分かりますわ」
「分からなくていいんです! いえ、分かったら困ります!」
ミハルが慌ててフォローを入れたが、リーディアはミハルの手にある小箱をじっと見つめた。
「カビを取れば、食べられるのかしら……?」
「こんなものを食べてはいけません!!」
ミハルはリーディアの視線から外すように、箱をさっと自分の背へと隠した。
それを、リヒャルトがひょいと取り上げる。
「一体何を隠し立てしているのです?」
リーディアは心配そうに言った。
「リヒャルト様、カビが生えているのでお手を汚してしまいますわ!」
ミハルがハッとしたように言う。
「お待ちください! 手というよりもお目汚しに!」
アレシュが苛立ったように鼻を鳴らした。
「見たければ見たらいいじゃないか。めんどくさい。乾燥させた雄鹿の睾丸だよ。説明の札までしっかりと入っていた。つまりは精力剤さ。カビが生えているけれどね!」
「それは、なんですの?」
小首を傾げたリーディアの後ろで、リヒャルトがピシリと固まった。
「……」
リヒャルトは目を背けたまま無言でミハルへと小箱を返すと、手をパンパンと払い、黒いカソックに擦りつけ、離れたところで背を向けて項垂れた。
耳が赤くなっている。
アレシュとミハルはリヒャルトのその様子を見つめて『この人は存外ウブなんだな』と、不憫に思った。
「……さてと、その小箱が使い物にならないということは解ったわけだけれど。これで生存技術的無能者が四人になった。どうしたものか」
『やあやあ、諸君! やっと開けてくれたようだね。開けてくれぬ限り魔術が発動しないのでな、待ちくたびれてしまったぞ。プレゼントは気に入って頂けたか?』
突如辺りに響き渡ったエヴェリーナの声に、その場に居た全員がうんざりとした。
「悪趣味が過ぎるね!! 頭がおかしいんじゃないのか!? 教会は魔塔に関与できないかもしれないが、王室は黙っちゃいないからな!」
アレシュが怒鳴りつけると、エヴェリーナの声は咳払いをした。
『あー、これは一方的に私が話すだけの魔術なのでね、残念ながらこちら側には聞こえないのだよ』
「絶対聞こえているだろう!?」
『ふぅむ、聞こえぬな』
「……狂人め! 歳のせいか!?」
『私は三十八歳だ。殺すぞ』
アレシュは深いため息を吐くと、チラリとリヒャルトに視線を送った。
「あんたさ、本当にあんなのが好きだったの?」
「……私が愛するのは主のみです」
リヒャルトがさらりと答えると、『つれないじゃないか、リック』とエヴェリーナが言ったが完全に無視して、リーディアに微笑みを向けた。
ミハルは溜息をつくと、「雨が上がりましたね」と外を見つめながら言った。
「薬草集めを再開致します。数日持ちこたえれば、川の水も引き騎士達の助けも来るでしょう」
『その必要は無いよ。その小箱は魔道具だからね』
エヴェリーナの言葉と同時に、ぐらりと視界が歪んだ——。
◇◇◇◇
優雅に水の流れる音がする。
アレシュは全身から水を滴らせながら、周囲を見回した。ケホケホと咳き込むリーディアの姿に、呆然と座ったまま動かないミハル。そして、額に手を当てて激しい頭痛に顔をしかめているリヒャルトの姿があった。
空は雲一つない快晴で、鳥たちのさえずりが聞こえ、蝶が舞っている。
白亜の大理石で作られた天使の像が、あどけない表情を浮かべて見つめる様子に苛立ち、アレシュはその顔面を掴んで立ち上がった。
大聖堂の鐘楼から、鐘の音が鳴り響く。
忌々しい程に豪奢な枢機卿館が目の前に聳え立ち、自分達のいる場所が王都の枢機卿館の噴水の中であるという現実をこれでもかという程に突きつけられた。
「あの女……! 絶対に許さないぞ!! こんな所に強制的に転送するだなんてっ!!」
アレシュの叫びが虚しく大聖堂の鐘の音に掻き消された。
鐘の音が、まるで嘲笑うエヴェリーナの声であるかのようにすら感じた。




