第四十四話 不要な存在
全身の痛みに苛まれながら、リダはうっすらと瞳を開けた。
いつの間にか外は闇に包まれ、暖炉の炎のみが室内に明かりを齎してくれていた。壊れた家具が薪としてくべられている。
吹き荒れる雨音から、激しい嵐が牙を剥いて襲い掛かっているのだと分かり、崩れかけたこの礼拝堂が持もちこたえてくれることを願った。
引き裂かれたボロボロのシャツを肩に掛けたミハルが、自分に背を向けて座っている。
シャツの隙間から、彼の身体についた痛々しい痣と擦り傷が見え、傷口から血が滲んでいた。
「……ミハル、あんた怪我をしているじゃねぇか!」
声を掛けると、ミハルは背を向けたまま「問題ありません」と言って口を噤んだ。
リダは慌てて起き上がると、掛けられていたミハルのコートが滑り落ち、ズキリと体中が痛んだ。悲鳴を上げそうになったが、自分の手足に巻かれている包帯に気づき、唇を噛みしめた。
「あたしの手当はしてくれたのに、自分のはしないのか?」
「少し手首を捻ってしまいましたので」
「なら、あたしが手伝……」
「触れないでください!」
ピシャリと言い放つと、ミハルはうんざりしたようにため息を吐いた。
「……貴女には、触れて欲しくなどありません」
リダは眉を寄せ、ミハルの背を見つめた。
「あたしには……? それって、どういう意味だ?」
再び、ミハルは深いため息を吐いた。
「断りもなしに王族の身体に触れる事は、許されない行為ですよ」
苛立って、リダは小さく舌打ちした。
「説明になってねぇよ。あんたは今、あたしには触れて欲しくないと言ったんだ。誰なら許すんだ?」
≪……リダ、ミハル様を責めるのは良く無いわ。手当してくださったのに≫
「あんたは黙ってろ!!」
リダは声を出してリーディアに怒鳴りつけると、ミハルの背を睨みつけた。
「言えよ。誰ならいいんだ?」
ミハルが僅かに肩を揺らして笑った。
「分かっているから、そのように怒っているのでしょう? 過去の自分に負けて悔しいのですか?」
「え……?」
絶句するリダに、ミハルは溜息交じりに言葉を続けた。
「私は未来の私に負けたのです。貴女も同じ気分を味わうべきです。いえ、負けたのではありません。私は『リダ』、貴女を認めません。例えその存在を魔塔が保護し、教会が赦したのだとしても、王室は赦しません」
リダは立ち上がると、吐き捨てるように言った。
「勝手な事言いやがって! あんたは第二王子だ! 王族の権限なんて……」
「リーディアにとって、貴女の存在は危険過ぎます」
リダの胸がズキリと痛んだ。体中のキズがズキズキと疼く。
「……な、なんだと? どういう意味だよ、も……もう一回言って……」
「貴女が出て来なければ、リーディアはそんな風に怪我をせず済んだかもしれないのですから。彼女はただのか弱い女性です。本来ならば守られるべき立場の方だというのに、貴女はその身をそうやって直ぐに危険に晒します」
≪……ミハル様≫
「ふざけんな! あたしはあんたを救ってやったんだぞ!!」
「リーディアのその身を傷つけてまで、私は救われたいと思いません」
「なんだと!?」
「私は、リーディアを救いたいのです。リーディアだけを!」
暖炉の中で、パチリと木が爆ぜる音が聞こえた。
じりじりと、体中が痛む。薄汚れた下着姿。ボサボサとなった髪。
リダは自分の有様を見て、困惑した。
ミハルが苦しげに、震える声を発した。
「……私の愛する彼女にはただ、何の不安もないところで笑っていて欲しいのです!」
そう言って振り向くと、アメジストの瞳をリダへ真っ直ぐに向けて言い放った。
「その為には、貴女の存在は不要です!」
「!!!!」
リダの心臓が激しく鼓動した。
指先が震え、目が泳ぐ。
——ミハルに、嫌われた……。
≪り、リダ。待って頂戴。このミハル様は、貴女が好きな未来のミハル様とは違うのでしょう?≫
——ミハルに、要らないって言われた……。
≪リダ!!≫
——ミハルに……要らないって……!! 嘘だ。そんなの、嫌だ……!!
脳内に悲鳴が鳴り響いた。
リーディアは耳を塞ぎたくてもどうすることもできず、リダの戦慄を受け入れるしかなかった。
≪リダ! お願い、落ち着いて頂戴!! お願いよ、リダ!!≫
必死にリーディアが呼びかけたが、リダは悲鳴を上げたまま答えなかった。耳鳴りにも似た凄まじい悲鳴が、警鐘のように脳内を激しく打ち鳴らし、リーディアは飲み込まれるような感覚に陥った。
——
———
—————リダ……?
ピタリと静まり返った脳内に、リーディアは眉を寄せた。
痛む両手をそっと動かして、自分の頭に触れた。
周囲を見回して、稲光に小さく悲鳴を上げる。
——リダ?
空白に虚しく声が吸い込まれていく。
「……ミハル殿下」
震える唇を動かして、リーディアは言った。
「リダが……いなくなってしまったわ……」
つ、と涙を流すリーディアを、ミハルが眉を寄せて見つめた。
「ミハル殿下が、リダを傷つけてしまったから!」
「リーディア……?」
「リダが、居なくなってしまったわ……!!」
ボロボロと涙を零すリーディアを、ミハルは優しく抱きしめた。
リーディアは声を上げて泣きじゃくり、ミハルの胸を叩いた。
「酷いわ! ミハル殿下!! リダを返して頂戴!! わたくしは、リダに救われていたというのに!!」
ミハルはリーディアを抱きしめながら首を左右に振った。
「違います、リーディア! 彼女は貴女の救いになどなりません!」
「リダが居てくれたから、わたくしは独りぼっちにならずに済んだのに!」
「私が側に居ます!! 貴女をお守りします!!」
——リダ!! お願い、帰って来て!! 何処にも行かないで!! お願いよ、リダ!!
ミハルに抱かれながら泣き喚いて、リーディアは心の中でリダが占めていた場所に穴があき、それがあまりにも大きく、不安に駆られ虚無に怯えた。
「リダ!! わたくしを独りぼっちにしないで頂戴!!」
「リーディア。私を見てください。落ち着いて」
ミハルがリーディアの頬にそっと触れた。
「大丈夫ですから。不安になる必要などありません。どうか落ち着いてください」
リーディアの涙を優しく拭い、ミハルは微笑んだ。
「リダは、貴女にとってまやかしの安息に過ぎません」
泣きじゃくり、震えるリーディアを落ち着かせる為に、ミハルは優しく声を掛けた。
「リヒャルト枢機卿猊下の側も、貴女にとって本当の居場所ではありません。必ず私が貴女を救い出します。側に居ます。貴女を守ると誓います」
瞳を閉じても、絶え間なく涙が零れ落ちる。
あまりにも痛々しいその姿に、ミハルはズキリと胸を痛めた。
「どうか、私を見てください。貴女を救う為ならば全てを擲っても構いません」
罪だと分かりつつも、彼女の痛々しいその涙を止めたい、とミハルは祈った。
「……愛しています。リーディア」
すっと、リーディアの顎に手をかけて唇を近づけた。




