第四十一話 嵐のような人
魔塔の食堂に集まった面々は、簡単に食前の祈りを終えた。
リヒャルトの前には昨晩同様に緋色の布が敷かれ、紋章が刻印された銀の皿にパンが乗せられている。
エヴェリーナは朝から上機嫌な様子で、ニヤニヤとしながらリーディアに視線を向けた。
「リーディア、昨夜はよく眠れたか? 折角私が用意した部屋を使わずに、あの目が痛くなるような緋色の天幕で過ごしたのだろう?」
リーディアは真っ赤に充血した目を伏せて、微笑んだ。
「……はい。お心遣い頂き、感謝致しますわ」
——リヒャルト様、アレシュ様、ミハル様と同じ天幕ですのよ? 寝れると思いまして!?
≪あー……。衝立や仕切りがあるとはいえ、熟睡できるはずねぇよな≫
エヴェリーナはパンをちぎって口に運びながら、ミハルへと視線を向けた。ミハルはその視線を受けて、ビクリと僅かに身体を震わせた。
「ミハル殿下、部屋は気に入っていただけただろうか? 薬学に明るいと聞いて、特別に用意させた部屋だ」
「あの……」
ガチャン! と食器を鳴らし、アレシュがテーブルに拳を叩きつけて、エヴェリーナを睨みつけた。
「嫌がらせも大概にしなよ。腹立たしいったらないっ。分かっていてやっているくせに!」
エヴェリーナは豪快に笑うと、アレシュをイタチ目で見つめながら言った。
「王太子殿下はお気に召さなかったのか! 残念だよ、今朝はあの恰好でここに訪れてくれることを期待したのだが」
「……ミハル、僕は今君が無性に羨ましいよ。こんな女の血を引いていると思うだけで虫唾が走る。体中の全ての血を抜き取りたいくらいだ!」
ミハルが「あ……アレシュ、それでは死んでしまいますが……」と寝不足の瞳をしぱしぱと瞬きさせながら言った。
「例えで言ったんだっ!」
黙々と食事を進めていたベニーシェク公爵が、ふと思い出したように顔をリヒャルトへと向けた。
「枢機卿猊下、昨晩は部屋をお譲り頂き助かりました」
≪……!?≫
リヒャルトは「お気になさらず」と小さく言い、昨晩の疲れが残っているのか、チビチビと銀杯を傾けた。
公爵はサラリと言葉を続ける。
「私に宛がわれた部屋は呪い文字が七色に輝いており、眩しくて眠れませんでしたので、おかげで熟睡できました」
「……お父様、あのお部屋でお眠りになられたんですの?」
リーディアはハートと薔薇に埋め尽くされた『ウッフン部屋』を思い出し、その中で平然と眠る父の姿を思い浮かべて血の気が引いた。
「薔薇の匂いで少し嗅覚が麻痺しましたが、それ以外は気になりませんでしたよ」
≪……メンタルつえー。つーか、何だよ、七色に光る呪い文字って≫
「そうだ、忘れるところだった」
パチリ、とエヴェリーナが指を打ち鳴らすと、リーディアの前に手のひらに収まりそうな小箱が現れた。
「聖女様への贈り物だ。私は所用で見送りに立ち会えぬのでな、今のうちに渡しておくとしよう。『もう限界だ』と思ったら開けるがいい」
「あ、ありがとうございます。エヴェリーナ王妃陛下」
コホン、と咳払いをしてリヒャルトが訝しげに小箱を見つめた。
「リーディアは魔塔の保護下になったとはいえ、教会の聖女としての役割が消えたわけではありません。禍々しいものを贈られては困るのですが」
エヴェリーナはナプキンで口を拭くと、「そうやって心意気を無下にするな」と言いながら席を立った。
「では、私はこれで失礼するよ。道中気を付けて。いつかまたどこかで会うこともあるだろう。それまで皆、息災でな」
別れの挨拶など不要とも言いたげな様子で、エヴェリーナは颯爽と食堂の扉へと向かって、ふと思い出したように振り向いた。
「ミハル殿下、無理にとは言わないが、もしも興味があるのなら魔塔はお前を歓迎するよ。ではな」
それだけ言い残し、彼女は部屋から出て行った。
シンと静まり返った室内で、アレシュがポツリと呟いた。
「……嵐の様な人だな」
その言葉に、皆心の中で同意した。
◇◇◇◇
どんよりと曇った空の下、風が次第に強まり、大粒の雨がポツリポツリと零れ落ちてきた。
リーディアはエヴェリーナから貰った小箱を大事そうに見つめており、アレシュが眉を寄せた。
「……開けないの?」
「エヴェリーナ王妃陛下は、『もう限界だ』と思ったら開けなさいと仰いましたもの」
アレシュは肩をすくめ、うんざりしたように言った。
「何がどう限界なのか、さっぱり分からないな。あの人の事だから、どうせマトモなものじゃないとは思うけれどね」
≪どうせ嫌がらせの品なんじゃねぇの? 窓から捨てちまえよ≫
——それはできませんわ。でも、開けるのには勇気が要りますわね。慎重に判断して、皆と相談しながら開けた方が良さそうですわ。
リーディアはそう考えて聖衣のポケットの中へとしまい込んだ。
降り注ぐ雨が次第に激しくなり、馬車の屋根に音が響く。
外へと視線を向けると、濡れそぼった騎士達が沈黙しながら任務に当たっており、リーディアは眉を寄せた。
≪……寒そうだなぁ。嫌な事思い出しちまったぜ≫
リーディアが水風呂の冷たさを思い出してゾッとしていると、アレシュがチラリと視線を向けた。
「君さ、昨夜あいつと何かあったの?」
その問いかけにキョトンとし、リーディアは小首を傾げた。
「リヒャルト様とですの? 何かとは、何ですの?」
「僕らが天幕に入ったら、あからさまにホッとしたような顔をしていた。それに、普段のあいつならあのまま受け入れたりなんかしなかったはずだからね。僕が行く前、あいつと何を話していたのさ?」
——リヒャルト様が、アレシュ様たちがいらっしゃって、ホッとされて……?
『リヒャルト様の熱は、わたくしを癒してくださったわ。わたくしの熱では、リヒャルト様を癒せないのかしら……』
『リヒャルト様、わたくしは……』
≪……ああ。あんたは気づいちゃいなかったが、あのおっさん、顔を強張らせて怯えていたように見えたぜ≫
リーディアの瞳が潤む。
——わたくし、リヒャルト様に嫌われてしまったのかしら……。
「ちょっと、なんで泣きそうな顔をするんだよ。何かされたの?」
苛立ったように問いかけたアレシュに、リーディアは首を左右に振った。
「わたくしが、リヒャルト様にしてしまったのかもしれませんわ!」
「「……!?」」
アレシュとミハルが同時に瞳を大きく見開いてリーディアを見つめた。
≪……おいおい、二人のお坊ちゃんが誤解しちまうって。よく解らねぇが、あのおっさんは人から奪うのは得意そうだが、愛情を与えられるのは苦手なんじゃねぇか?≫
——愛情を与えられるのが、苦手……?
≪親子そっくりじゃねぇか≫
ガタン! と、馬車が大きく揺れた。
アレシュが馬車の外へと視線を向け、ミハルが不安げに口を開いた。
「……この先は崖沿いの細道になっています。ぬかるむ前に、どこかへ避難した方が良さそうですね」
「このまま雨が降り続けていたらひとたまりもないぞ。リヒャルトからの指示はまだか? 聖騎士団はあいつの指示でしか動かない」
アレシュが振り返って後方の馬車の様子を窺った。
——その瞬間、辺りが白く染まったのと同時に凄まじい音が鳴り響いた。
リーディア達の乗る馬車の側に生えていた大木に落雷し、木の幹が真っ二つとなってあっという間に炎が上がった。
馬車を引く馬車馬も騎士たちの騎馬も驚き、一斉に暴れ出した。騎士たちが暴れる騎馬を御そうとしている間に、御者が制御できなくなり、急激に馬車の速度が上がった。
リヒャルト達の乗る後方の馬車を見る間に引き離していき、小さな石一つ踏み越えるだけでも大きく揺れた。
「キャアッ!!」
怯えて悲鳴を上げるリーディアを、ミハルが咄嗟に支える。
「失礼、今は触れる事をお許しください」
ヘリオトロープの甘く優しい香りに包まれて、リーディアがぎゅっとミハルの服に縋りつくと、鼻がむずむずとした。
「……くしゅんっ!」
身を乗り出して御者席の様子を伺ったアレシュが舌打ちした。
「かなりマズイ。御者がどうやら振り落とされたみたいだ」
暴走する馬車は雨の中激しく揺れ、いつ横転してもおかしくない状況だった。
「あたしに任せな!」
リダはそう言うと、身体を支えていたミハルを押しのけて馬車の扉を開けた。
「待て! 危……」
アレシュが止めるのも利かず、馬車の縁を掴むと、懸垂の要領で身体を引き上げ、くるりと屋根へ乗り上げた。
≪キャアッ!! 裾がっ!! 脚がっ!!≫
「んなこと気にしてる場合か!」
リダは屋根の上から御者席へと飛び降りると、御者台に引っ掛かっていた手綱を掴み、軽く引いて声を掛けた。
「よしよし、落ち着け。どうどう」
≪リダ、ちょっと待って頂戴。まずいわ!!≫
頭の中に響いたリーディアの悲鳴に、リダは前方に目を向け、ハッとして息を呑んだ。
「嘘だろ。崖じゃねぇかっ!!」
≪アレシュ様!! ミハル様!!≫
「ヤバイ!! 馬車から飛び降りろ!!」
リダが叫んだ瞬間、崖を避けようと馬が左へ急旋回した。馬車は勢いを殺せず、右の車輪が路肩から外れ、グラリと傾いた。
馬が激しく嘶く。
——ヤベ……
リダの身体は御者席から弾かれて、悲鳴を上げる暇もなく崖へと吸い込まれていった。




