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第三十九話 祈りからの解放

 魔塔の食堂はいたってシンプルな部屋で、王城や枢機卿館のような装飾も無ければ、内装も白や灰色のモノトーンで統一されていた。


 その中で、リヒャルトの緋色のケープは随分と目立つわけだが、リーディアはそれよりも、魔塔主の部屋で一瞬だけ見せた彼の戸惑いが気になり、リヒャルトについ視線を向けてしまう。


 彼は食事前の祈りを捧げる為に、優雅に、だが鋭く十字を切った。


 枢機卿の存在により、普段は主への祈りを捧げない魔塔の者達もそれに従い、口を噤んだ。


「ベネディクトゥス・ドミヌス・デウス……」


 祈りの言葉を唱えるリヒャルトの声が、食堂に響き渡る。


 リヒャルトの前にだけ緋色の布が敷かれ、荷馬車から持ち込んだのであろう紋章入りの銀の皿とカトラリーが置かれており、そこだけがこの魔塔で唯一の、神聖な祭壇であるように見えた。


 食前の祈りを終え、着席すると、様々な料理が運ばれてきた。


「口に入れても問題ないのか?」


 アレシュの鋭い突っ込みに、リーディアは不安げに皿の上を見つめた。だが、ふわりと香る匂いといい、見た目といい食欲をそそることは確かだった。


≪食ってダメだったら吐き出せばいいじゃねぇか≫


 エヴェリーナに視線を向けると、流石は王妃というべきか。完璧な所作で……しかし食べる速さは尋常ではなく、皆が躊躇している間に一皿目を瞬く間に平らげていた。マナーとしては完全に不合格だろう。


「ああ、すまないね。私は普段、食堂で食事を摂ることはないのだ。いつも何かをしながら食べる癖がついているのだよ」


「それだから書類がベタベタになるんだよ」


 アレシュが不愉快そうに言い、ミハルはチラリと隣に座るリーディアに視線を向けた。僅かに躊躇した後に、口へ運んで飲み込み、間をおいてから再びリーディアへと視線を向ける。


「リーディア。一応食べられそうです」


≪ミハル、お前第二王子なのに毒見してんのかよ!?≫


 エヴェリーナが声を上げて笑い、「毒など入っていないよ。この面子の誰が死んでも厄介だからね!」と言って、運ばれて来た二皿目の料理を頬張りつつ、嚥下の際に一瞬だけ顔を顰めた。


 アレシュがエヴェリーナの首筋についた痕を見て、その視線をリヒャルトへと向けた。だが、リヒャルトがアレシュの視線に気づいて微笑むと、アレシュは不愉快そうに目を逸らした。


 エヴェリーナの右隣では、ダヴィットが静かに、淡々と食事を進めている。相変わらず無表情である為、一切の感情が読み取れない。


 リーディアはそっと料理を切り分けて、正面に座るリヒャルトへと視線を向けた。彼は目が合うとニコリと微笑み返していたが、料理には一切手を付けず、連れて来た侍従が焼いたパンと持ち込んだワインのみを口にしていた。

 魔塔で用意された料理には、一切手を付けようとしない。


 それを見てリーディアも食器を置き、手を膝の上へと戻した。


「リーディア」


 エヴェリーナがニヤニヤとしながら声を掛けた。


「優しい第二王子、ミハル殿下に『アーン』でもして貰ったらどうだ?」


≪ちょっ!!≫


 ミハルの料理を切るナイフがギィと不快な音を発した。

 アレシュが咳き込み、リヒャルトが僅かにピクリと眉を動かした。ダヴィットは我関せずといった具合で食事を進めている。


「わ、わたくし。自分で食べられますわ!」


 顔を真っ赤にしながらそう言ったリーディアを見て、エヴェリーナは豪快に笑った。


「ちっとも進んでいない様だったから気になったのだ。ひょっとして、普段はリックに食べさせて貰っていたのではないかと思ってね」


 シン……と室内が静まり返り、ミハル、アレシュ、そしてダヴィットがリヒャルトへと視線を向けた。


 リヒャルトはワインの入った銀杯をコトリとテーブルに置くと、「そんなはずがないでしょう」と言ってリーディアを見つめた。


——リヒャルト様から『あーん』……?


 リーディアはフト想像した。脳内美化されたリヒャルトが薔薇を口に咥え、くるくると回転している。


≪あんた、それ止めろって!! 前にアレシュでも同じ想像しただろ!?≫


「何だ? 一体何を想像したのだ?」


 エヴェリーナがリダの声を聞き取り、面白そうに声を掛けた。


≪薔薇咥えてくるくる踊るんだっ!!≫


「ブハっ!!」


 エヴェリーナが吹き出した。そして左隣に座るリヒャルトの肩をバンバンと叩くと、笑いながら言った。


「お前、薔薇を口に咥えて踊ったのか? 面白そうだ、やってみせろ」


「踊ってませんわ!! わたくしの勝手な想像ですのっ!」


 茹でタコの様に顔を真っ赤にしながら突っ込みを入れたリーディアに、リヒャルトは僅かに引き攣った笑みを向けた。


「……リーディア、後で少し話しましょうか」


 リーディアはしょんぼりとして「はい。枢機卿猊下」と返事をした。


 やがて食事が終わり、給仕係が静かに皿を下げ始めると、リーディアは膝の上のナプキンをぎゅっと握った。



◇◇



 リヒャルトに宛がわれた部屋の扉を開け、リーディアは絶句した。


 ハート型に切り抜いた色付きの紙や布で部屋中に飾り立てられており、真っ赤な天蓋付きベッドの上には薔薇の花びらが撒き散らされ、むせ返る程の薔薇の香りが暴力的にリーディアの嗅覚を乗っ取った。


≪……これ、完全にエヴェリーナの嫌がらせじゃねぇか……?≫


——リヒャルト様のお姿が見えませんわね。どちらへ行かれたのかしら……?


≪いや、居られねぇだろコレ!?≫


 足を踏み入れる事が出来ず、扉を開け放ったまま呆然としていると、その様子を廊下で目にしたミハルが声を掛けた。


「どうしたのです? リーディア……」


 ミハルも部屋の惨状を目にし、絶句した。

 手に持っていた書物をゴトリと取り落としても、しばらく、金縛りにでもかかってしまったかのように身動きが取れず、二人はただただその室内を見つめていた。


 コホン、と背後から咳払いが聞こえ、錆びついてしまったように動きの悪い首をぐぐっと動かして振り返った。


 リヒャルトが立っており、うんざりしたようにため息を吐いた。


「……私はその部屋を使用しません。それと、リーディア、貴女はどうやら私と同室にされているようです。侍従に言って、外に天幕を用意させましたから、そこで話しましょう」


——リヒャルト様と、同室!?


≪あのクソババ、この部屋であんたとリヒャルトのおっさんに何させようとしてんだ!? ベッドが一つしかねぇだろうが!!≫


 戸惑いながら頬を染め、瞳を潤ませるリーディアに、リヒャルトは労わるように瞳を細めた。


「ご心配には及びません。天幕内に貴女の寝所を区分けするように指示してあります。魔塔に貴女を一人で置く事はできませんので」


 チラリとミハルへと視線を向けると、リヒャルトはニコリと微笑んだ。


「気に入ったのならば、ミハル殿下が使用しても良いですよ」

「いえ! 遠慮します!!」


≪……つーか、この部屋で寝てる姿は誰だろうと不気味だっつーの≫


 ミハルは床に落とした本を拾い上げると、「良い夜を、枢機卿猊下」と言って深く頭を下げ、言葉を続けた。


「ですが、今宵は長旅の疲れもあることでしょうから、祈りを早めに切り上げ、彼女を解放して差し上げてください。明日もまた、馬車に揺られることになるのですから」


 リヒャルトは笑みを向けながらミハルに「主の平安が貴方と共に」と言った後、白い手袋をはめた手で、リーディアを促した。


 リヒャルトの緋色のケープに吸い込まれる様に、リーディアが歩を進める。


 ミハルは二人の後ろ姿を見送りながら、唇を噛みしめた。

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