第三十七話 兄弟の誓い
私達は、仲の良い兄弟であったと思う。
『白銀の王子』と呼ばれ、私達兄弟の銀髪を皆が褒め称えた。見目も良かった事から、王国中の年頃の貴族女性の、憧れの的だった。
私よりも五歳年上の兄は剣術にも明るく、馬術に於いても右に出る者がいないという程に優れており、王太子としての威厳を十二分に保っていたし、私自身も憧れていた。
「アドルフ王太子殿下は、お身体も強く健やかですな。それに比べ、弟君であらせられるリヒャルト第二王子殿下はお身体があまり丈夫ではございません」
大臣達が言う言葉は聞き慣れていた。
その通りだったし、私自身気にするどころか、単純に『兄上はご立派である』と尊敬するだけのことだった。
それに、私は剣術や馬術よりも……。
「リヒャルト。また本を読んでいるのか。其方は本当に、本の虫だな」
剣術の稽古帰りのアドルフはよくそう言って揶揄った。私はその度にいつも微笑んだ。
「私は、兄上のお力に添えるよう、こうして知識を詰め込んでいるのです」
「力添え?」
「はい。良い参謀となれればと思うのです」
アドルフの顔が、僅かに強張った事を強く記憶している。
私は知らなかったのだ。大臣達が、私の知識や剣術、馬術の才能を、影で誉めそやしていたことを……。
「……そうか。リヒャルト。今夜少し一緒に出掛けないか?」
「どちらへ行かれるのです?」
アドルフは不愉快そうにアメジストの瞳を歪めた。
「場所は、秘密だよ」
「勿論、兄上とならば何処へでも行きますが。何か準備をしておいた方が良いものがあるのでしょうか?」
「……いいや。何もない。何も……な」
その日の夜は天候が悪化し、嵐となった。
私達がもう使われなくなった塔へ忍び込む物音は、吹き荒れる雨風に掻き消され、誰にも気づかれなかった。
暗闇のなか、心許ないランプの明かりを頼りに、十歳の私は探検をしているような気分になった。アドルフは強い勇者。私はさながらそれに付き従う神官か何かといったところだろうか。
私にとって、兄はいつだって英雄だったのだから。
瓦礫を越え、足元を確かめながら雨漏りのする屋内へと足を踏み入れて行く。
「少し、寒いな」
アドルフはそう言って、持ってきた袋から数本の薪を出し、崩れかけた暖炉の中に置くと、ランプの火種を使い、炎を灯した。
パチリと爆ぜる炎を見つめ、大冒険中の野宿でもしているような気分になり、私は楽しくてアドルフに微笑みかけた。
金属の擦れる音を発して、アドルフが暖炉の中に鉄の棒を放り込んだ。
私にはそれが何だったのかは分からなかったけれど、新しい冒険の小道具を見る様な気分で、じっとそれを見つめた。
アドルフも笑っていた。
私達は、本当に仲の良い兄弟だったから、全く違和感など無かった……。
「なあ、リヒャルト。『誓い』を知っているか?」
アドルフのその言葉に、私は力強く頷いた。
「騎士の誓いや、結婚、忠誠。沢山ありますね」
「兄弟の誓いはどうだ?」
私は瞳を輝かせた。
「それは、どういったものなのですか? 教えてください、兄上!」
アドルフはニコリと微笑んだ。
「勿論、いいよ。それじゃあ、上着を脱いで。そうだな、そのシャツも邪魔だな」
言われる通りに、私はシャツを脱ぎ、半裸となった。
そうか、儀式の間、寒くないようにアドルフは暖炉に火をつけてくれたのだろう。
金属の擦れる音を発して、アドルフが暖炉の中から鉄の棒を引きずり出した。その先端には丸い印章のようなものがついていて、暖炉の炎で熱されたそれは、赤々と光っていた。
私の顔は、一瞬にして青ざめた。逃げようとした私の身体を、逞しいアドルフはいとも簡単に押さえつけた。少年の頃の五歳差というものは、抗いようの無い暴力でしかない。
左手の親指の付け根に焼き印を押し付けられ、私は悲鳴を上げた。
肉が焼け、強烈な痛みに悶え、涙を流しながら訴えた。
「止めてください!! 兄上!!」
「黙れ!! お前は、俺の奴隷だ!! 王位など絶対にお前に譲るものか!!」
「『そんなもの』は、欲しくなどありません!!」
悲鳴を上げ、泣きじゃくる私の右肩に、アドルフは焼き印を押し付けた。
「『そんなもの』だと!? 俺にとって何よりも大事なものを、貴様は『そんなもの』呼ばわりするのか!! 反逆は許さん!! 一生、お前は俺の影として生きるのだ!!」
兄が私の上に馬乗りになり、悲鳴を上げようにも息を吸い込むことすらできずに、私は昏倒した。
◇◇
あれから五年後、父である国王は、随分と早くに亡くなった。
虚ろな心で国葬に参列し、兄の戴冠式もただの儀式を傍観しているだけで、悲しみも祝福する気持ちも何も無かった。
アドルフにはエヴェリーナという王妃が居た。黄金色の髪にブルートパーズの瞳をした美しい女性だった。
彼女は私よりも二歳程年上だったので、当時は十七歳だった。なかなか子宝に恵まれないと嘆いていて、アドルフもそれを随分と気にしていた。
「簡単に子供ができる魔術でもあれば良いのに」
エヴェリーナはそんな事を言いながらも、深く悩んでいたようだった。
「リヒャルト殿下。貴方は城のどの大臣よりも聡明なのだと聞いた。何か良い案は無いだろうか」
「そんなこと、私に言われても困ります」
婚約者もいない私にとっては、随分と困る質問だった。けれど、エヴェリーナが切実だったことはよく分かった。
つまりは、アドルフが困っているということだ。
私は書物で得た知識を生かし、不妊治療に効く薬草を手に入れようと試みたが、王族が直接そういったものを手配したとなると外聞が悪い。
下手をすれば悪い噂が流れかねないと心配し、こっそりと王都の薬屋に足を運ぶ事にした。
当然、王都でも外れにある様な小さな店でなければならない。誰の目があるか分かったものではないからだ。
とにかく、アドルフの役に立たなければならない、と私は必死だったのだ。
古びたドアを押し開くと、カラカラと呼び鈴が鳴り、店の奥から一人の女性が現れた。艶やかな黒髪の女性で、この国には珍しい髪色だった為、私は彼女の姿に暫く見惚れ、その場に立ち尽くしてしまった。
「……そんなにこの黒髪が珍しい? ジロジロと見て、失礼なお客さんね」
ハッとして、私は思わず目を逸らし、オロオロとしながら唇を動かした。
「いえ……あまりに、お美しい髪だったものですから」
彼女はアメジストの瞳を見開いてパチパチと長い睫毛を揺らして瞬きをし、柔らかに微笑んだ。
「私の髪色を褒めてくれたのは、この国に来て貴方が最初だわ。どうもありがとう」
——それが、イルジナ・キセラーと私の出会いだった。
彼女は私よりも二歳程年上であったが、博識で、王室図書室にも無い様な異国の知識を私に教えてくれた。様々な草花の話。言葉、歌。どれもが新鮮で、彼女の魅力に取り憑かれるまでに殆ど時間を要さなかった。
例え、大量の知識と引き換えに彼女が求める事が、人肌であったのだとしても。
私自身、心から彼女を愛していた。いや、必要としていた。十五歳という若さでありながら、真剣に悩み、毎日頭の中が彼女の事ばかりで、自分は馬鹿になってしまったのではないかと思えるくらいに夢中だったのだ。
「……リック」
ランプの光に瞳を揺らしながら、イルジナは熱を帯びた声を発した。
「私、子供が出来たみたいなの」
その言葉を聞いた時、私は青ざめた。恐らくその表情は、イルジナを絶望させたに違いなかったが、そんなことを気にできない程に、私は混乱していたのだ。
——兄上に、まだお子が出来ていないのに……。
アドルフの耳に入ったが最後、イルジナは殺されることだろう。
暫くの間、私はイルジナの元を訪れる事を止め、じっと息をひそめていた。
——お願いです、神よ。どうか兄上にお子が授かりますように。イルジナの存在が、兄上にバレませんように。
どうか。
お願いです……。
私の心配も他所に、イルジナは元気な赤子を生み落とした。名を『ミハル』と名付けた。
高揚していた。この世に、私の血を受け継いだ子が生を受けたのだから、嬉しくないはずがなかった。
だからこそ、気を抜いてしまったのだ。いつもは誰かが後をついて来ても撒けるようにと、尾行を巻くための入り組んだ通路を通るというのに、その日はミハルの為に用意した大量の荷物を持っていた。
気を抜いていた。後悔してもしきれない。
いずれはバレていたかもしれないけれど、それでもやはり、あの日の事は忘れられない。
意気揚々と王城へと戻った私を、アドルフが自室へと呼んだのだ。
普段、自室に人を招き入れる事など無かったアドルフが、一体どうしたのだろうかとあの時疑問に思えば良かった。
いや、疑問に思ったところで、無意味なことだ。抗う事などできはしないのだから。
暗い室内へと招き入れられた私は、頭痛がする程に燻された薬品の匂いに眉を寄せた。
「リヒャルト」
「はい、兄上」
「庶子を儲けたそうだな」
言葉が……。
出なかった……。
呼吸も苦しくなり、助けを求めるかのように周囲を見渡した。
暗い室内の椅子に腰掛ける兄の他に、もう一つの人影がある事に、私はその時初めて気が付いた。
彼女はベッドに腰かけて、獲物を見るようなブルートパーズの瞳で私を見つめていた。
「王の血は正妃から生まれるべきだ。お前の役目は解っているな?」
アドルフの言葉が、熱した鎖の様に私に絡みついた。
◇◇
エヴェリーナが産んだ子は、私にあまりにも良く似過ぎていた。王家の偽りを守るための口封じとして、私はアドルフの命令により教会へと送り込まれた。
聖職者に子がいると知られれば、その者は異端者として厳罰に処される。私には子供など居てはいけない、と口を噤むしか無いのだから。
私に課せられた檻は、私の全てを奪う兄にとって、どれほど好都合だったか知れない。
身体に刻まれた焼き印も、子の存在もひた隠しにしながら生きることを余儀なくされたのだから。
——それでも、この憎しみの熱が消えることはない……。




