第三十六話 必要とされた者
魔塔の中腹あたりで自動階段が止まると、エヴェリーナがパチリと指を打ち鳴らした。壁が再び左右に開き、薄暗い自動階段の部屋に眩い光が差し込む。
「それで? 王太子殿下は何故もっと魔塔を利用しなかったのだ? 一度でも魔法師を利用すれば、その後も頼ろうとするのが世の常だと思うが」
エヴェリーナの言葉に、アレシュは面倒そうに視線を逸らした。
「……陛下の目があるのにか? 王族という立場、教会の血、魔塔の血。どれか一つでも欠けたら転落するってのに、どれもこれもが危ういんだぞ。それに、あんたに頼る気もないね」
——やっぱり、アレシュ様はリヒャルト様とエヴェリーナ王妃陛下のご子息なのですわね。
エヴェリーナはフと鼻を鳴らすと、舐めるようにアレシュを見つめた。
「お前、気味が悪いくらいにリヒャルトと瓜二つに育ったな。その計算高くて陰鬱な様子までそっくりだ」
「魔塔主殿に似なくて良かったとホッとしているくらいさ。それより、さっさとしてくれないか。さっきも言った通り、ここにはリーディアの件で来たんだ。リヒャルトも何故か彼女のことはお気に入りらしいからね」
エヴェリーナはアレシュから視線を外し、リーディアを見つめた。
「お気に入り、ねぇ。それはどうだろうか」
≪んだと!? 喧嘩売ってんのか!?≫
——リダ! 黙ってて頂戴!
「えーと、四六号と、一九一号と、四二〇号」
エヴェリーナ手を叩きながら言うと、男性三名が返事をして側へと駆けて来た。胸に番号が書かれたプレートを下げている。
アレシュにはその三名の顔に見覚えがあった。確かにリーディアに魔術を掛ける依頼をした時に、魔塔から派遣された魔法師に違いなかった。
エヴェリーナが両腕を組むと、真っ赤に塗られた唇を横に引いた。
「さてと。まず私は謝らなかければならない。すまなかったね、アレシュ王太子殿下。お前の依頼を少しばかり利用させて貰ったのだ」
突然のエヴェリーナの謝罪に、アレシュは眉を寄せた。だが、エヴェリーナはお構いなしに続けた。
「魔塔とは、本来『世界の観測者・記録者』としての役割を持っているのだが……」
三名の魔法師を小さな指揮棒で指すと、肩を竦めた。
「今回は少々難解な事をしたのでね。ああ、番号が飛び飛びなのは気にしないでくれ。空き番に人が割り当てられるシステムなのでね。つまりは、何が言いたいかというと、繊細な術の使用中、ミスを犯した」
そう言って、四二〇のプレートを胸に下げた男をタクトの先で指した。
「彼は花粉症でね。どうやら術を唱える最中、くしゃみを何度かしてしまったらしい。リーディアと未来の彼女、二人の人格を残す必要があったからね。人格が切り替わる条件は、本来アレシュとの接触。——例えば口づけあたりにするつもりだったのだが、術式の一節が欠けてしまってね」
——口づけ!? そ、そんなの、無理に決まっていますわ!!
カッとリーディアが顔を赤らめ、ミハルが眉を寄せた。
「待ってください。では、未来のリーディア。『リダ』が召喚されたのは、予定通りだったということですか?」
エヴェリーナがパチパチと手を叩いた。
「ご名答! なんだ、お前、いいね! 魔塔に来るかい? 歓迎するよ」
「いえ。遠慮しておきます……」
エヴェリーナが強引にミハルの腕に自らの腕を絡めると、グイグイと引いて室内へと歩を進めた。
「先ほど私は魔塔の仕事が『世界の観測者・記録者』であると言ったが、それと同時に均衡を保つ為の『調整者』でもあるのだよ。どういうことかと言うと、つまり……」
アレシュがうんざりしたように肩をすくめると、言い放った。
「『リダ』は、世界の均衡を保つ為に必要な存在だった、というわけか?」
≪!!!!≫
エヴェリーナはニコリと微笑むと、ミハルから腕を離し、リーディアを覗き込んだ。
「そう、『リダ』。お前は本物の聖女。救世主なのだよ」
リーディアの中で、リダが静かに言葉を発した。
≪……あたしは、勝手に呼び出されて≫
エヴェリーナが頷いた。
「そう、辛かっただろう。すまなかった」
≪……≫
「さぞかし孤独だったことだろう」
≪……失敗しちまうし、リーディアにとっても、周りの皆にとっても厄介者なんだろうって!!≫
「そうではないよ、必要だから呼んだのだ。お前にしかできない事がある。その為に犠牲になって貰わなければならなかった」
≪あたしは……!! ここに、居てもいいのか……?≫
リダの言葉に感化され、リーディアの瞳からボロボロと涙が零れ落ちた。
エヴェリーナが微笑む。
「私は、魔塔主として。『リダ』、お前の存在を全面的に認め、全面的にお前に協力することを誓う。この決定は、教会からの一切の干渉を受けない」
エヴェリーナがリダの存在を認めるかのように手を叩き、魔法師の数名も手を叩いた。
アレシュが一瞬だけ微笑み、直ぐに顔を背けた。涙を流すリーディアから顔を背けたまま、アレシュが言った。
「腑に落ちないな。それなら早くにリダを救うべきだったんじゃないのか? それに、随分と勝手すぎると思うんだけれど。本当に魔塔が一丸となって行った事なのか、疑問だね」
その言葉に、エヴェリーナは鼻を鳴らした。
「魔塔のルールについて事細かに説明する事などできない。だが鋭い質問であることは確かだよ。少なくとも、お前が私の息子であったからこそ、依頼を利用する事が出来たのだ」
「……厄介だな」
涙を流すリーディアの両肩を、エヴェリーナが優しく叩いた。
「……それと、リーディア。ダヴィットは全てを知っていたはずだ。だが、魔塔を離れた者は、魔塔内で知り得た情報を利用して動く事は、禁忌とされている。あまり憎まないでやってくれ……とは言わない! 一度はぶん殴ってもバチは当たらない。無口で不器用なあの男に、喝を入れてやるが良い」
「わたくしは、憎んだことなどありませんわ……!」
唇を噛みしめ、抑え込もうとしても涙がボロボロと零れ落ちる。
「わたくしは……ただ……寂しかっただけですわ」
エヴェリーナはリーディアを困った様に見つめた。
「お前の母が、ロザーリアが生きていれば、こんなことにはならなかっただろう。だから、死とは罪なのだよ」
◇◇◇◇
すぅっと、扉が左右に開き、魔塔主の部屋にエヴェリーナが戻って来た。
「待たせてすまない。今日はリック、お前も泊まってゆくのだろう? 極上のワインを用意させよう」
リヒャルトは椅子に腰掛けたまま両手を組み、それを額に付けてため息を吐いた。
「……兄上は。……アドルフは貴女の居場所を知っていて、私に隠していたのですか?」
その言葉に、エヴェリーナはつまらなそうに肩を竦めた。
「まあな。お前の全てを奪おうとあの男は躍起になっているからね。だが、ここに居るのは私の意志だ」
深いため息を吐き、リヒャルトはサファイアブルーの瞳を細めた。
「……どれほど貴女を探したと思っているのですか? 毎日、何年も、死者の名簿全てに目を通し、似た名があればその地に赴いていたのですよ」
ため息をつき、エヴェリーナが椅子へと腰掛けた。
「私は王妃の座から逃げた時、既に教会から破門されている。つまりは教会の力が及ばない場所だということくらい、お前にも予想はついたはずだが?」
「それでも、探さずにはいられませんでした」
エヴェリーナはじっとリヒャルトを見つめた。
サラリとした美しい銀髪。伏せた長い銀色の睫毛。すっと通った鼻筋。言葉を発するたびに聞き惚れてしまう声。
——この男に愛されたのならば、どれほどよかっただろうか。
「……それほどまでして探さねばならぬ程、私を憎んでいるのか?」
「いいえ。愛しているのです」
エヴェリーナが声を上げて笑った。
「お前は、その美しい唇で嘘ばかりを言う!!」
リヒャルトが顔を上げ、サファイアブルーの瞳を細めて、エヴェリーナをゾクリとするほどに冷たい目で見つめた。
「……私のこの唇も、この身も、そして魂すらも主のものですよ」
凍り付く程の冷笑を浮かべて言うリヒャルトに、フとエヴェリーナは鼻を鳴らした。
「恐ろしい男だよ、全く」
寂しげに眉を下げ、首を左右に振る。
「お前が愛したのは、イルジナだけだ。私を探していたのは、自分の管理下に置きたかっただけに過ぎぬのだろう? 愛されてもいないというのに、お前の傍にいるなど真っ平だ。私は縛られるのが苦手なのだよ」
リヒャルトはスッと足を組みなおした。緋色のケープの上から、彼の銀髪がさらりと零れる。
「私は悲劇を好みません。『愛』など、所詮はまやかしに過ぎませんよ。そんなものは存在しません。私は今まで散々見て来たのです。『愛』を誓い、叫んでおきながらも簡単に捨ててしまう者達を」
エヴェリーナは痛みを感じながら、首を左右に振った。
「私に愛を語り、神の愛を信じてやまない聖職者であるはずのお前が、それを言うのか」
「……ここは教会が関与できない、神に見放された地ですから」
さらりと言ったリヒャルトに、エヴェリーナは眉を寄せた。
「開き直るのも大概にしろ。つまりお前は誰の事も愛していないのだろう?」
プツリ、とリヒャルトは手首のボタンを外し、絹の手袋を外した。左手の親指の付け根に刻まれた焼き印が痛々しく見えて、エヴェリーナは眉を寄せた。
「愛情と憎しみは似ているのですよ」
リヒャルトはそう言うと、静かに昔の話を語り始めた。




