第三十五話 残された者
黄金色の髪を無造作に束ね、束ねた髪からこぼれたひと房の髪を面倒そうに後ろに追いやると、エヴェリーナは全員に流れるように見回すと、ぷっと吹き出した。
「何を呆けている? ああ、茶をご所望か? やれやれ、高貴な連中ときたらこれだから面倒だ」
乱雑に積み上がった書類を、バサバサと下に落として強引に押しのけテーブルの上を空けると、パチリと指を打ち鳴らした。テーブルの上にお茶が注がれたティーカップが現れたが、奇妙な香りが漂う。
「腐っているようだな。まあ良いか。とりあえず掛けてはどうだ?」
≪ちょ……キャラが強烈過ぎて、息できなくなったかと思ったぜ……!≫
リダが震える声を発し、リーディアは椅子に腰掛けながらチラリとリヒャルトへと視線を向けた。
リヒャルトは白い顔でエヴェリーナから視線を逸らし、何やら物思いに耽っているようだった。
——エヴェリーナ王妃陛下って、リヒャルト様と、その……。アレシュ様のお母様、ですわよね?
≪まあ、そうらしいが……≫
ダヴィットがコホン、と咳払いをした。
「皆様をここへお連れするまでが私の任でしたので、先に休ませて頂きます」
そう言ってすっと頭を下げると、エヴェリーナは「ああ、ご苦労だった」と声を掛けた。
ダヴィットが無表情のまま、「破天荒もほどほどに。嫌われますよ」と言い残して去って行った。
しんと静まりかえる。
アレシュはというと、最初のうちこそエヴェリーナの姿に驚いていたようだったが、いつも通りの苛ついた様子で腕を組み、散らかった室内を不愉快そうに見つめていた。
ミハルはリヒャルトの様子を探りながらも、エヴェリーナにどこか親しみを持ったような眼差しを向けており、この困惑した空気の中最初に口火を切ったのは、彼だった。
「母上。お初にお目にかかります。私はミハル・ジェハーク。庶子ですが、父……」
「ああ、みなまで言うな。全て存じている。イルジナの子だろう? お前の母は私の友人だったのだ。早くに亡くなり残念に思っているよ」
ミハルはアメジストの瞳を見開き、僅かに眉を下げた。
「……私の実母を、ご存知なのですね?」
「ああ。美しく聡明な人だった。だが、残念だ。人は死ねばそれで全てが無駄になってしまう。残された者にだけ、悲しみという痛みが蓄積されていく。死とは罪だ。そうだろう? リーディア」
エヴェリーナに見つめられ、リーディアは俯いた。
「……お母様の事を、仰っているの?」
エヴェリーナは頷くと、フと鼻を鳴らした。
「お前の母、私の妹であるロザーリアも短命だったな。残された気分はどうだ? 死という罪を背負わされた気分は?」
ズキリ、とリーディアの胸が痛んだ。脳裏に黒一色で染め上げられた公爵邸の様子が浮かび、怯えた様に震える。
——わたくしは、お母様の『死という罪』を、背負っているのかしら……?
≪なんだ? いつもはこういうとき雄弁な野郎が黙ってやがるな。おい、リヒャルトのおっさん! なんか言ったらどうなんだ!?≫
「……母上。いや、魔塔主殿」
アレシュがうんざりした様に声を放った。
「生き死に以前に、あんたは逃げた。残された者の気持ちなんか、あんたには理解できないはずだけれど? リーディアの心を抉り、傷つけて楽しむような悪趣味はやめろよ、虫唾が走る」
エヴェリーナは声を上げて笑うと、「アレシュ王太子殿下、我が息子よ」と言ってブルートパーズの瞳を向けた。
「勘違いするな。『逃げた』のではない。『捨てた』のだ」
リヒャルトの手が、僅かに震えた。エヴェリーナが更に言葉を続けた。
「不要なものはそうするに限る」
≪この野郎っ!!≫
ガタリと、音を立ててリーディアが立ち上がった。
首に下げた十字架が揺れ、鈴の音の様な音が発せられる。
「お捨てになったのでしたら、二度と関わるべきではなかったはずですわ!!」
握りしめた拳が震えている。狩猟大会でアレシュが言った言葉が、リーディアの中でこだました。
『王太子の婚姻は義務でしかない。“愛”だなんていう不確かな感情で決まる事じゃないよ』
「わたくしはお母様を失いましたが、このように傷つけられはしませんでしたもの!! あんまりですわ!!」
エヴェリーナが面白そうにリーディアへと視線を向けた。リーディアは言葉を詰まらせながら更に続けた。
「王太子殿下に謝ってくださいな!!」
『そんなもの、虫唾が走るだけだ』
——アレシュ様は、一体どれほどに傷ついていたのかしら。愛を信じられなくなって当然ですわ。それなのに、わたくしは彼に“愛”を強要していたのね……。
なんて、身勝手だったのかしら!!
アレシュの視線が、一瞬だけリーディアへと向けられたが、リーディアはそれに気づくことなく言葉を続けた。
「貴女に、人を傷つけていい理由なんか無いはずですわっ!!」
——リヒャルト様も傷ついたはずですわ。あの方の深い心の傷は、わたくしには到底計り知れないけれど。それでも……!
いつも堂々たる姿を群衆の前に見せつけるリヒャルトは、それでいて孤独に見えていた。リーディアには寄り添うように与えてくれる優しさを、彼自身は受け取る事を拒んでいるように見えてならないのだ。
——まるで、受け取ることで傷つく事を恐れているかのように……!
「リヒャルト様にも、謝ってくださいな!!」
リヒャルトが僅かに指先を動かした。
ミハルは頷くと、エヴェリーナを見つめた。
「……私の実母が貴女でなくて良かったと、心から思いました。無責任な上に、人を傷つける事を何とも思わないとは。王妃が貴女であるということが、残念でなりません」
エヴェリーナは愉快そうに喉を鳴らすと、リヒャルトとアレシュへと視線を向けた。
「だ、そうだよ。私はお前たちに謝罪した方が良いのか? お前たちはそれを望むか?」
リヒャルトは何も答えずに押し黙り、アレシュが小さく舌打ちした。
「煩い。気安く話しかけるな。さっさとこんな茶番は終わらせてくれ。今日はリーディアの件で来たのであって、あんたに会えることなど期待していなかった」
エヴェリーナは片眉をつんと吊り上げると、興味深そうに口元を歪めた。
「……お前、私が魔塔主であることを知っていたのか?」
「魔塔に居るだろうとは思っていたけれど、まさか魔塔主だとは思っていなかったさ。何の繋がりもない僕の言う事を、魔法師達がやけに聞くからね、おかしいと思ったらそういうことか」
エヴェリーナは不敵な笑みを浮かべると、テーブルの上に置かれているティーカップを手に取った。
「良いだろう、リーディアの件については当日に対応した魔法師達も交えた方が正確に分かるはずだ。階下に向かおうではないか」
リヒャルトが俯いたまま言った。
「エヴァ、私はここで待たせて頂きます。魔塔が関与していたと分かった以上、リーディアの中に住まう者について、枢機卿の私に対処する権利はありませんから」
胸に下げたロザリオをぎゅっと握りしめたリヒャルトを、エヴェリーナは片眉を吊り上げて見つめた。
「構わないよ、リック。私達のことについては、後でゆっくり話をしようか」
ズ……と、お茶を一口飲み、エヴェリーナは吹き出した。
≪あー。それ腐ってるヤツじゃねぇか……≫
リダが残念そうに声を発し、リーディアはゾッとして眉を寄せた。
◇◇
階下へと続く階段が、来たときと同じようにすぅっと動いていく。
リヒャルトを残した最上階の扉もまた自動的に閉じて、アレシュは光が消えていくのを見上げて僅かに舌打ちをした。
「リーディア、寒くはありませんか?」
ミハルが心配そうに声を掛けて、リーディアが「平気ですわ」と微笑んだ。エヴェリーナが僅かに振り向いてブルートパーズの瞳を向ける。
「ミハル殿下は随分とお優しいのだな。それに比べてアレシュ殿下、お前はそれでいいのか? リーディアがミハル殿下に取られてしまうぞ?」
アレシュはツンと片眉を吊り上げると、顔を背けた。
「それより、自分のお腹の調子でも心配した方がいいんじゃないの?」
エヴェリーナは声を上げて笑うと「あの程度で腹を壊しているようでは、今頃私は死んでいる」と言って、調子外れの鼻歌を歌い始めた。
≪この人、一体今まで何喰って生きてきたんだ?≫
——エヴェリーナ王妃陛下、計り知れない方ですわ……。
≪部屋もめちゃんこ汚かったしな……。腐ってなくてもあのお茶は飲めねぇよ。なんか油浮いてたし≫
——リヒャルト様は潔癖そうですのに、あの部屋に残って大丈夫なのかしら?
≪あのイケオジ、今頃悲鳴あげてるかもしれねーぜ? この王妃サマに比べりゃ、あいつの方がマトモに見えるんだから不思議だな≫
エヴェリーナがリーディアを突然覗き込み、リーディアは悲鳴を上げそうになって後ずさり、階段の段差にぶつかって転びそうになった。
「おっと! 大丈夫ですか?」
ミハルが慌てて支えて事なきを得て、ホッと胸をなでおろしたのも束の間、エヴェリーナがフと鼻を鳴らした。
「私の悪口を言うのは大概にしろ。聞こえているぞ」
≪げ!! マジ!?≫
「ああ、『マジ』だ」
ゾッとして、リーディアは思わず両手で口を押えた。だが、自分の口を押えたところで、リダの声が止まるはずもない。
≪……クソババ≫
「殺すぞ? お前。私はまだ三十八歳だ」
——やめてぇ!!
アレシュとミハルにはリダの言葉は聞こえなかったが、何となく何を言ったのかは理解できたので、何も聞かないでおいた。




