第三十四話 私は汝を所有する
翌朝早く、ふくよかなシスターがなにやら恐縮したように縮こまっている姿を見かけ、リダは小首を傾げた。
リヒャルトが笑みを浮かべながら静かに言葉を放つ。
「では、シスター。貴女は後程教皇庁より届く書簡に従うよう、お願い致します。本日をもってこの修道院の全権は、南方の教会へと託される事となりました」
ダヴィットが無表情のまま言葉を発した。
「早馬にて既に近隣の町へ連絡済みです。医師と看護人、それに薬と清潔な寝具も、本日中に届くことでしょう。公爵家からの寄付額と帳簿上の収支の食い違いについては、猊下付きの書記官達がすでに確認しております。大変残念ですよ」
リダは二人の会話を耳にして、ポカンとした。
——なんだ、おっさん共、仕事をちゃんとしてるじゃねぇか。
≪リヒャルト様もお父様も、憐れな子供たちを見捨てるような方ではありませんのね!≫
感激するリーディアの声に、リダは鼻を鳴らした。
——子供たちが救われたのはいいが、あたしはまだ信用できねぇよ。
顔を背け、馬車の方へと向かいながら、リダは溜息をついた。
「リーディア」
リヒャルトに声を掛けられて、リダは馬車に乗り込む足を止めた。
——なんだよ。昨日といい今日といい、早朝の出発が続いてこっちは堪らねぇんだが。
不満げにリヒャルトを見つめるリダに、彼はニコリと微笑んだ。
アレシュとミハルが僅かに警戒し、その様子を注視した。ダヴィットは我関せずといった具合でさっさと馬車に乗り込んでしまった。
緋色のケープに漆黒のカソックを揺らし、リヒャルトがリダのすぐそばへと歩み寄ると、すっと両腕でリダの頭を包み込んだ。
「!!!!」
甘い穏やかなミルラの香りと共に、リダの頬に緋色のケープが触れる。
思わず見上げると、彼は銀色の長い睫毛の奥から輝くサファイアブルーの瞳を細め、リダを見つめた。
シャラリと耳に心地の良い金属音が響き、首筋に僅かな重みを感じ、リヒャルトがリダから離れた。
「昨日は聖女の務めをよく頑張ったようですね。こちらはその労いの品です。主もきっとお喜びになっておられるはずです」
リダの胸に十字架のペンダントが揺れる。プラチナの土台の四端にはレッドダイヤモンドが埋め込まれ、リヒャルトが纏う緋色を彷彿させる。中央には深い藍色のサファイアが埋め込まれており、リヒャルトの瞳を思わせ、リダは思わず顔を背けた。
——クソ!! 不覚にもちょっとドキっとしちまった! なんなんだよ、こいつの色気は!?
「……感謝致します。猊下」
ボソリと小さく言うと、リヒャルトは満足げに微笑んだ。
≪絶対大事にしてね! 無くしてはダメよ!?≫
リーディアの言葉を聞きながら、リダは今すぐ引き千切って朝日に向かって放り投げたい衝動を必死に抑え込んだ。
「早く乗りなよ。後がつかえてるんだけど?」
苛立ったようにアレシュが言い、リダはハッとして馬車へと乗り込んだ。
「随分と聖女様に肩入れするじゃないか。知らなかったよ、あんたが随分と幼い娘に懸想する趣味だったなんてね」
アレシュの突っ込みに、リヒャルトは首を左右に振った。
「その様な下品な言葉を口にしては、主が悲しみますよ、殿下」
プイと顔を背けてアレシュが馬車へと乗り込み、ミハルは温厚そうな笑みをリヒャルトへと向けた。
「騎士達の目もあります故、行動にはお気をつけ願いますよ猊下」
リヒャルトは肩をすくめると、サファイアブルーの瞳をミハルへと向けた。
「見られて困る様な事など、何一つございませんよ、殿下」
リヒャルトが後方の馬車に乗り込んだと同時に、ゆっくりと一行が進みだす。
揺れる馬車の中でリダが盛大に欠伸をした。
「王子様方、昨日はめちゃんこ助かった。ご協力感謝するぜ」
アレシュが呆れたように眉を寄せる。
「……君さ、早くクシャミしなよ」
「え? 何? あんたリーディアに早く出て来て欲しいのか? あたしじゃ不満だって?」
「騒がしいのが嫌なんだよ。またミハルに抱き着かれても目障りだしね」
アレシュの発言にミハルは僅かに身を退き、リダは豪快に笑った。
「ああ、それはもうしない! 大丈夫大丈夫!」
リダは先ほどリヒャルトから掛けられた十字架のペンダントトップを摘み、ジロジロと吟味した。
「……これ、高く売れるかな?」
吹き出しそうになったのを堪えて、アレシュは咳払いで誤魔化した。
リダは瞳を細めて十字架を見つめ、「裏に何か書いてある」と言って、前に座るミハルの服の袖口を引っ張った。
「ミハル、ちょっとこれ読んでみてくれよ。馬車の揺れが酷くてよく見えねぇんだ。呪いかなんか書いてねぇか? あのおっさん、相当やべぇから心配なんだ」
身を乗り出してリダに顔を近づけて、ミハルは十字架の後ろを覗き込んだ。
≪キャー!! ミハル様、近いですわっ!! リダ、そんな事をしては駄目よっ!! 早く離れてっ!!≫
アメジストの瞳を細め、ミハルは眉を寄せた。甘いヘリオトロープの香りがリダを包む。
やはりいい匂いだな、とリダは十字架を見つめるミハルの横顔をじっと盗み見た。
「……ラテン語ですね。Ego te possideo『私は汝を所有する』」
「やっぱり呪いじゃねぇかっ!!」
ガタン! と馬車が揺れ、身を乗り出していたミハルがバランスを崩し、リダの膝に手をついた。
≪$%☆&!!≫
「す、すみません!!」
慌てて手を離し、飛び退く勢いでのけ反り、ミハルは背後の壁に後頭部を打ちつけて悶絶した。
「あちゃ……大丈夫か? なんか、ごめん……」
困ったように頬を掻くリダに、アレシュはうんざりした様にため息をついた。
「全く、先が思いやられるよ……」
リダの中でリーディアが悲鳴を上げていたが、リダは素知らぬ顔で煩わしそうにペンダントのチェーンを引っ張った。
馬車が揺れる度、十字架と鎖が触れ合い、鈴にもにた小さな金属音が鳴り、耳障りに感じた。
◇◇◇◇
馬車に揺られ、三日目を迎えた昼。
潮風が香る大地へと降り立った一行は、聳え立つ灰色の無機質な巨塔の中へとダヴィットの案内で吸い込まれていった。
魔塔に所属している魔法師達は、白糸で縁どられた灰色のローブを身に纏っており、訪れた客達相手に一切の興味を示す事なく、皆忙しなく気難しそうな顔つきをしていた。
この中にダヴィットが紛れ込んでいても、全くの違和感がないなと、リーディアは密かに思って、先導する父の背を見つめた。
「枢機卿猊下も、こちらへ訪れるのは初でしたね」
ダヴィットの言葉に、リヒャルトがニコリと微笑んだ。
「ここは教会の権威が及ばない、神に見放された地ですから」
「……そうでしょう、ここでは一切の祈りが通じません」
リーディアは少し心細くなってリヒャルトを見上げた。
「心配要りません。私達が信じる限り、主は例え私達が何処へ迷い込もうとも、見つけ出しお守りくださることでしょう」
サファイアブルーの瞳を細めて微笑む彼の様子にホッとして、リーディアは寄り添う様に歩いた。
ダヴィットの案内で訪れた広い研究室の中には、沢山の書物や古い品々が置かれており、魔法師達が熱心に研究をしている様子が伺い知れた。
「ここは禁忌の管理場所です。教会が没収した数々の品を研究対象とし、管理・中和をしています」
ダヴィットはサラリと説明をすると、「こちらへ」と言って螺旋階段へと促した。
コツリコツリと石造りの室内に足音が反響する。魔塔内は異様な程に無臭で、沢山の古い物が置かれているというのにと、リーディアは不思議に思った。外で感じた潮の匂いも、この中では一切感じない。
扉を開き、霞む程に遥かに続く螺旋階段の間へと足を踏み入れて、先導しながらダヴィットが言った。
「最上階まで上りましょう。現在の魔塔主がお待ちです」
≪まじか。これ、全部登るのか!? しんどいだろう!≫
リダが喚いた時、ダヴィットが立ち止まった。彼はラピスラズリの瞳を向けて全員が階段に乗ったことを確認すると、パチリと指を打ち鳴らした。
すぅっと階段が動き出し、ゆっくりと上階へと運んで行く。
≪なんだこれ、めちゃんこ便利じゃねぇか! 枢機卿館にもあればいいのに!≫
——リダ、魔塔の技術が教会側にあったらいけないと思うわ。
アレシュは珍しくどこか期待でもしている様な瞳で周囲を眺めており、ミハルも戸惑いつつも初めて目にする魔塔の技術を興味深そうに見つめていた。
「さて、到着致しました」
ダヴィットが再びパチリと指を打ち鳴らすと、何の飾り気も無い無機質な壁がすぅっと左右に開き、眩い光が視界一杯に広がった。
リーディアが思わず怯む。
だが、先導するダヴィットは光に臆する事なく室内へと足を踏み入れ、皆がそれに続いた。
大きなガラス窓がいくつもあり、外の光を取り入れているその部屋は、思ったよりも乱雑に書物が散らばっており、床にも書き損じの丸めた紙がいくつか転がっている。
部屋の主は恐らく整理整頓を苦手としていることがうかがえた。
「ああ、もう来たのか。意外と早かったではないか」
凛とした声が響いた。
リヒャルトが足を止め、僅かに息を呑んだ。
部屋の主が緩やかなウェーブのかかった黄金色の髪を揺らし、ブルートパーズの瞳を細めて不敵な笑みを浮かべた。
灰色のローブを揺らし、胸元にはエメラルドグリーンの石が揺れている。
「皆、遠い所よく来た。私が現魔塔主、エヴェリーナ・ジェハークだ。歓迎するよ」
彼女はそう言って、ほんの少しだけ頭を下げた。




