第三十三話 汚れた包帯
≪き……気まずいなんてモンじゃない≫
脳内で響いたリダの言葉に、リーディアも激しく同意した。
魔塔へと向かう道中、馬車に揺られながら目の前に座る二人の王子に、緊張で全身が強張り、少しも気を抜く事ができない。
後方に続く馬車には、リヒャルトとベニーシェク公爵が乗っており、周囲は百名近い護衛の騎士団で固められている。
王城の騎士団と教会側の聖騎士団とが牽制しあう、さながら動く要塞のようだった。
≪後ろの馬車でもおっさん達二人、気まずくやってんのかな?≫
——あのお父様が仲良く談笑するはずがありませんもの。わたくし、てっきりリヒャルト様と同じ馬車になると思っていましたのに。
≪一人が一番気楽でいいな……≫
「リーディア」
優しい笑みを向け、ミハルが僅かに身を乗り出して、案ずるようなアメジストの瞳を向けて声を掛けた。
「その後、体調は如何ですか? 少し窶れたようにも見えますが」
≪ああ、あんたのせいでもあるがな?≫
「ご心配頂きありがとうございます、ミハル殿下。わたくしは平気ですわ。リヒャルトさ……枢機卿猊下が良くしてくださいますもの」
ミハルの片耳に、金で縁どられたラピスラズリの石が揺れている。柔らかそうな漆黒の髪は肩で緩く結ばれ、紫色の細いリボンがよく似合っていた。
アレシュはつまらなそうに窓の外へと視線を向け、時折瞳を閉じてため息をつき、落ち着かなそうに膝を揺らしたりと、居心地の悪さを隠そうともしていなかった。
胸に輝くサファイアのタイピンは、お茶会のときにも着けていたことを思い出し、リーディアは声を掛けた。
「王太子殿下のそのタイピン。よく似合っていて素敵ですわ」
アレシュはチラリとサファイアブルーの瞳をリーディアへと向けた後、直ぐに逸らした。窓の外を眺めながら、僅かに頬を染める。
「……これは、別に」
「そういえば、アレシュはそのタイピンを気に入ってよく付けていますね」
ミハルの言葉に、アレシュはピクリと片眉を吊り上げた。
「……君は、さっきから彼女をリーディアと呼んだり、僕を名前で呼んだり、あからさまじゃないか」
「はい。もう遠慮するのはやめましたので」
ムッとしたようにサファイアブルーの瞳を細めた後、アレシュはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「……僕は昔からピアスを開けることを禁じられているんだ。恐らくリヒャルトがそうさせているんだろう。聖職者にとって禁忌だからね」
≪突然何を言い出すんだ? こいつ……≫
アレシュはチラリとリーディアへと視線を向けた。彼の銀髪がさらりと揺れ、優雅に足を組み直す。
「だから、結婚式の前日、君が『贈呈の儀』で僕に贈ってくれたピアスは、タイピンに作り替えさせたんだよ」
≪……ちょ!≫
——え……!
リーディアの顔が真っ赤に染まった。
アレシュはミハルへと視線を向けると、「だから、割と気に入っている」と言って顔を背けた。
シン……と、馬車内が静まり返る。
≪気まずっ!!≫
——わたくしが贈ったピアスを、あのようにして身に付けてくださっていたのね! 捨てられてしまったのかと思っておりましたのにっ!
≪おいおいおい! でもこいつ、結婚式すっぽかして逃げる様なクズ野郎だぜ!? 絆されるんじゃねぇぞ!?≫
——でも、それでもとても嬉しいわ!
コホン、とミハルは咳払いをすると、優しい笑みをリーディアへと向けた。
「リーディア、その純白の聖女の聖衣も似合っていますが、貴女にはもっと別のドレスの方が良くお似合いになると思うのです。社交界デビュー前ではありますが、審判の日の晩餐会には、少しくらい華やかな出で立ちでも良いのではと」
「え……ええ! リヒャルト様がお許しくださったわ。でも、どのようなデザインなのかは、わたくし存じておりませんの……リヒャルト様が、ご用意くださると仰って……」
そう言って頬を染めるリーディアに、アレシュは一瞬だけ視線を向けて、不愉快そうに背けた。
——どのような衣装を選んでくださるのかしら。
≪だから、すっげーエロイやつだったらどうすんだ?≫
ミハルが優しく微笑んだ。
「私からも、何か贈り物をさせて頂きたいと思うのです。無論、貴女の美しさには、どのような宝石も敵わぬでしょうけれど」
≪クソでけぇダイヤでも強請ってやれよ≫
リーディアはリダの言葉にくすくすと笑った。
「わたくしは、もう何も要りませんわ。リヒャルト様のお側で一生を遂げると、誓いましたもの」
リーディアの発言で馬車内の空気がピシリと凍り付いた。
≪……気まずっ!!≫
リダはリーディアの中で『絶対くしゃみすんなよ!?』と、祈った。
◇◇
魔塔までの旅の道中、宿泊先として修道院へと身を寄せる事となった。大規模な建物で、孤児院も併設されており、リヒャルトの指示でリーディアは聖女としての務めを果たす事となった。
床板は軋み、壁もところどころ剥がれ落ちており、孤児院で働くシスター達の衣服も薄汚れており、環境はお世辞にもいいとは言えなかった。
「ベニーシェク公爵家からは、毎年多大な寄付を頂いており、大変助かっております」
孤児院を案内しながら、ふくよかなシスターが言った。彼女が歩く度に、床がミシミシと激しく軋む。
リーディアとアレシュ、ミハルの三名はふくよかなシスターの後ろを歩きながら、床が抜けるのではとハラハラしながらも、賑やかな子供達の声に耳を傾けていた。
「丁度今、賛美歌の練習中なのです。枢機卿猊下より、こちらを聖女様にお渡しするようにと仰せつかっております」
そう言うと、ふくよかなシスターは大きめの瓶をリーディアへと手渡した。中で揺れる液体からは、苦味のあるハーブの匂いがリーディアの鼻をくすぐった。
「っくしゅん!」
リーディアがくしゃみをした瞬間、後ろを歩いていたアレシュとミハルがピタリと足を止めた。
「両殿下、如何なさいましたか?」
ふくよかなシスターが怪訝そうに小首を傾げた。アレシュとミハルは一瞬互いの視線を合わせた後、直ぐに逸らして首を左右に振り、歩を進めた。
「……賛美歌の練習に加わる事のできない子等が数多く居ます。病に苦しむ彼等に、神のご慈悲をお与えください、聖女様。……まあ、できればのお話しですが」
「慈悲? これを飲ませればいいのか? クソ不味そうだな」
リダの言葉にふくよかなシスターは振り向いたが、小ばかにしたような笑みを浮かべ、歩を止めずに進んだ。
「そちらは飲ませるものではございません。彼等の荒れ果てた肌に塗る薬でございますよ」
「あ、なるほど」
巨大な扉の前で足を止め、「こちらです」と言うと、ふくよかなシスターは軋んだ音を響かせながら扉を開けた。
むせ返る程の薬品の匂いと、饐えた寝具の臭いとが混ざり合った不快な悪臭が、なだれこむようにリダ達を包み込んだ。
病に苦しみ、すすり泣く子供達がベッドの上や床の上に寝転がされ、汚れ切った包帯が巻かれた身体を掻きむしる様子に、思わず目を逸らしたくなった。
ふくよかなシスターはチラリとリダに意地悪そうな視線を投げつけた。
「さあ、聖女様。あの子等をお救いになってくだ……」
シスターが言い終わる前に、リダは颯爽と室内へと足を踏み入れると、泣きじゃくっている子供の薄汚れた頭を撫でた。
「……今、こいつを塗ってやるから。シスター、替えの包帯を大量に持って来てくれ。ミハル、あんたは薬に詳しいだろう? ハーブ園から良さげなものを見繕って来て。アレシュ、あんたは……」
アレシュは苛立ったようにつかつかと室内へと入って来ると、傍らに置かれていた桶を取り、「僕に指図するな、水を汲んで来る」と言って部屋から出て行った。
◇◇◇◇
夕べの祈りの鐘が鳴った。リダ達は孤児院から呼び戻され、やむを得ず礼拝堂へと集まった。
澄んだ小鐘の音が鳴り響く。
燭台の炎が揺れる中、礼拝堂の祭壇に立つ凛としたリヒャルトの姿は美しかった。
背で揺れる長い銀髪が、緋色のケープの華やかな衣装の飾りであるかの様に思える。
修道院の石の壁に反響する彼の低く透き通った声は、その祈りの言葉で全ての不浄が浄化されるかの如く、清らかに聞こえた。
リダはその様子を特等席であるリヒャルトのすぐ側で見つめながら、小さくため息を漏らした。
参列するアレシュはリヒャルトから視線を外しており、ミハルとダヴィットは深く頭を下げて祈りを捧げていた。
——この偉そうな祈りで皆が勝手に救われてくれるってなら、世界中の人間が幸せになれるだろうに……。
唇を噛みしめて、それでも今はただ祈る事しかできないという虚しさに、リダはぎゅっと瞳を閉じた。
——あの部屋にはまだ、汚れた包帯を巻いた子供達が残っている……。




