第三十話 本物の王子
王城から、城門前に停められた馬車へと向かう道は、重苦しく一歩一歩が苦痛に感じた。
リヒャルトはアドルフと少し話してから向かうとの言伝があり、リーディアは先に馬車で待つ事となった。
先導するアレシュの背を見つめながら、溜息を吐いた。
面倒そうにしつつも、威厳あるピンと伸びた背筋と堂々とした振る舞いは、彼が不義の子であり、偽の王太子であるというその話自体が虚偽ではないかと思えてならない。
太陽の光を反射して輝く銀髪がさらさらと揺れ、藍色のジャケットがよく映えていた。
「……倒れたと聞いたけれど。身体は大丈夫なのか?」
アレシュの言葉に、リーディアはドキリとした。突然鼓動が激しくなり、慌ててした返事は声が裏返った。
「問題ございませんわ!」
——ひょっとして、心配してくださったのかしら……?
「あいつに何かされたの?」
先導するアレシュの後ろで慌てて首を左右に振り、リーディアは溜息を吐いた。
「……リヒャルト様は、お優しいですわ」
アレシュがうんざりした様に大きくため息を吐き、リーディアは驚いて僅かに身を退いた。
「君、あいつを名前で呼んでるの?」
カッと顔を赤らめて、リーディアは慌てて言葉を吐いた。
「普段はそうではなくて! あの! 二人きりの時だけは良いとお許しいただきましたの!! でも、今は相応しくありませんでしたわね!!」
「ふーん。別にどうでもいいけれどね。君は自分から望んであいつの元に行ったんだし」
リーディアは歩きながら俯いた。
——けれど、わたくしの居場所はアレシュ様の隣ではなかったのですもの。
暫く無言で歩いた後、アレシュはポツリと言った。
「あのベニーシェク公爵家のバトラーのことだけれど……」
ピタリと、リーディアが足を止めた。
二人の間に距離が開き、アレシュが気づいて足を止め、振り返った。小刻みに身体を震わせて、怯え切っているリーディアを見て、面倒そうにため息をつく。
「……あのさ? 僕は君に触れることができない。いや、僕だけではなく全世界の男が聖女様には触れられない。けれど、それを望んだのは君だろう? 自分の足で立って歩くしかないんだから、早く馬車に乗りなよ」
視線を外し、アレシュは更に言葉を続けた。
「あいつは、これからもあらゆる毒を君に与えるだろう。君はそれに耐え続けなきゃならないんだからね」
——そうですわ。わたくしが、リヒャルト様の側に居る事を選んだのだもの。
肩で呼吸しながら、リーディアはふらつきを必死にこらえて、一歩一歩進んだ。
震える手で馬車の縁を掴み、乗り込む。
暗い車内に開け放たれた扉の前で、アレシュは彼女を見送る様に見上げていた。
——わたくしは、一人でも大丈夫。今までもずっとそうだったのだもの。きっと耐えられるわ。
バン!! と、アレシュが馬車の縁へと手を掛けた衝撃で馬車が揺れた。
アレシュは車内へと身を乗り出すと、サファイアブルーの瞳をリーディアに向けて言った。
「……ベニーシェク公爵家のバトラーは、金を渡して逃がした。家族と共に隣国で暮らしているよ」
それだけ告げると、アレシュは馬車から離れて深く頭を下げた。
彼の輝く銀髪が、何よりも気高く崇高に見えて、見惚れる程に美しい。
「……聖女様。主のご加護と共に、道中の無事を祈っております」
そう言い残して踵を返し、王城へと戻っていくアレシュの背を、リーディアは潤んだ瞳で見つめた。
——アレシュ様が、彼を……。わたくしの罪の心を、お救いくださったの……?
教会の決定に従わなかった事が発覚したのなら、どんな仕打ちが待ち受けているか知れないというのに!!
リーディアの頬を涙が伝う。
——アレシュ様を、死地へと送り込むわけにはいかないわ。けれど、そしたらミハル様が……! わたくしは、一体どうすれば……。
緋色の聖衣を揺らし、リヒャルトが馬車へと乗り込んだ。
車内が甘いミルラの香りに包まれる。
リヒャルトは扉の前に立つ漆黒の髪の男に対し、ニコリとわざとらしく微笑みかけた。
「見送りはここまでで結構ですよ。第二王子殿下」
ミハルは温厚そうに笑みを浮かべると、「では、聖女様に別れのご挨拶を」と言って馬車に近づいた。
「貴女が審判を下すその日まで、私は貴女に相応しい『本物の王子』としてあり続けると約束します。どうかお身体に気を付けて。……枢機卿猊下、どうか聖女様を大切に。私にとっても、彼女はかけがえのない『光』なのですから」
ミハルのアメジストの瞳から熱を感じる。リーディアはぎゅっと拳を握り締めて、ミハルへと声を掛けた。
「ミハル殿下も、ご無理をされませんよう」
ゆっくりと馬車が動き出し、見送るミハルの姿から遠ざかる。リヒャルトがカーテンを閉じると、王城の正門を抜けた馬車は沿道に集まった人々からの歓声に包まれた。
リヒャルトの姿を一目見ようと群がる群衆に気にも留めず、アレシュと同じサファイアブルーの瞳をリーディアに向けて、彼はニコリと微笑んだ。
「大変有意義な一日を過ごしたようですね。頬に涙の跡が残っていますよ」
差し出されたハンカチを、お礼を言って受け取ると、リヒャルトは上品に笑った。
「今度は袖口で拭かないのですね」
「あの時は! ちょっと……」
慌てて誤魔化したリーディアの前で、彼は緋色のビレッタを外すと、隣の席に放り投げるように置いた。
サラリと長い銀髪を掻き上げる様子を見つめながら、リーディアはふと考えた。
——リヒャルト様はお歳よりもお若く見えるけれど、三十六歳、ですわよね。
「……リーディア、あまりそう見つめられては。確かにここには他の目はありませんが」
カッと顔を赤らめて「申し訳ございません! リヒャルト様!!」と言って慌てて目を逸らした。
リヒャルトは笑みを浮かべた後、サファイアブルーの瞳を細めてリーディアを見つめた。
「これからは忙しくなりますよ。どちらが『先遣隊の指揮官』として相応しいかを、貴女が見極めなければならないのですから」
「……わたくしには、荷が重すぎますわ」
「主がお答えくださいますよ、と言いたいところですが。ビレッタを外したこの私の言葉は、説得力に欠けますね」
僅かに肩を竦めてみせたリヒャルトに、リーディアは瞳を丸くした。
「意外でしたか? この馬車でのひと時くらい、主はお許しくださることでしょう」
そして、いつもはキッチリと閉じているカソックの首元のボタンを一つ外して、ふぅとため息を吐いた。
「この服は、どうにも常に首を絞められているような感覚になります」
煩わしそうに首元を気にするリヒャルトの姿が、先ほど煩わしそうにリーディアを先導してくれたアレシュとあまりによく似ていて、リーディアはつい声を上げて笑ってしまった。
「声を上げて笑ったのですから、貴女も共犯者ですからね? この事は秘密です」
揺れる馬車の中、甘く穏やかなミルラの香りに包まれながら、二人は枢機卿館までの短い道のりを穏やかに過ごした。




