第三話 大嫌いと愛してる
ハア……ハア……!
「追え!! 国中の騎士を総動員させよ!!」
ハア……ハア……ハア……!
「なんとしてでも捕まえるのだ。裏切り者の第二王子ミハルと、その片棒を担いだ悪女リーディア・ベニーシェクを!!」
燃え盛る炎の中、リーディアはミハルに手を引かれ駆け抜けた。
「リダ、大丈夫ですか? 足が痛いのならば……」
「あたしは平気。ミハル、あんたこそ怪我をしてるのに」
ミハルの左肩に血が滲み、首筋が赤く染まっている。
痛々しい姿であるにもかかわらず、ミハルは「大丈夫ですよ」と言って優しく微笑んだ。
「リダと一緒ならば、地獄であろうとも構いません」
「バカな事言わないでよ。絶対に生き残ってやるんだから! まずはアレシュの追手から逃げ切らないと」
足音が聞こえ、ミハルは咄嗟にリーディアの手を引きよせて、建物の陰に身を潜めた。
「居たか!?」
「いや、こっちの方に逃げたと聞いたのだが」
「探せ!」
騎士達の会話を、息を押し殺しながら聞き耳を立てた。
どくん、どくんとミハルの鼓動が聞こえる。こんな状況だというのに、優しく抱く逞しい腕の中が心地よい。
見上げたリーディアを、ミハルはアメジストの瞳を細めて愛しそうに見つめた。
「貴方の側に居られるというだけで、私はこの生を神に感謝してしまうのです」
「ミハル……」
口づけを交わす二人を、燃え盛る炎が赤々と照らしていた。
◇◇◇◇
「もうっ!! 一体どうしてくれますの!?」
王城に向かう馬車の中で、リーディアはそう言って頬を膨らませた。
「貴方が変な夢を見せるせいで、寝坊してしまったわ!」
≪そんな事言ったって……≫
リダの声はどこか恥ずかしそうだったが、リーディアも顔を真っ赤にした。
——わたくしはアレシュ様を愛しているというのに、あんな、ミハル様と口づけする夢を見るだなんてっ!!
思い出して、思わずボン!! と頭から湯気を出し、リーディアは両頬に手を当てて顔を冷やした。
≪あのさ? 考えも全部筒抜けだから、照れるの止めてくれる? こっちが気恥ずかしい≫
「なっ!? 人の心の声を聞かないでくださいなっ!!」
馬車の中で大独り言大会を繰り広げるリーディアに、御者は不思議に思って小窓の方を振り返った。
御者と目が合い、リーディアは慌てて小窓の目隠しを閉じた。
コホン、と咳払いをして、素知らぬ顔で窓の外へと視線を向ける。
——つまり、わたくしの考えも全部……?
≪筒抜け。アレシュを讃える妄想も全部な≫
——!!!!!!
≪いちいち驚かないでよ。響いて気味が悪いっ!≫
リーディアは泣きそうになりながら、外の風景を見つめた。木々や町並みがゆったりと流れているものの、実のところちっとも視界に入っていない。
——リダは、ミハル様の事が好きだから、わたくしとアレシュ様の仲を引き裂こうとしているのね……。
お会いした時に入れ替わってしまったら、わたくしは成すすべもないわ。そんなの酷すぎる。
リダに筒抜けであると分かってはいても、考えるなというのは無理な話だ。唇を噛みしめるリーディアに、リダは何も言えずに押し黙った。
ウィシュテンバーグ王国の王都はいつも賑わっているはずだというのに、心なしか物寂しく、どんよりと暗くさえ見える。
燦々と降り注ぐ太陽の光すら、ちっとも明るく見えなかった。
「リーディア、待ちわびていたよ」
王城に到着するや否や、アレシュがにこやかな笑みで出迎えた。
アレシュの婚約者として王太子妃教育を受ける為、王城に通う事は数多くあったわけだが、今まで一度として彼が出迎えた事など無かった。
リーディアは感極まって悲鳴を上げたくなったが、リダが慌てた声で怒鳴りつけた。
≪止めろって! あいつはあんたの様子を伺いに来たんだぞ! わかってんのか!?≫
——様子……? わたくしを心配してくださったの!?
≪ばかっ! そうじゃねぇったら! 『確認』だとか言って、聞かれた事忘れたのかよ!?≫
——確認……?
と考えて、リーディアの脳裏にアレシュの言った言葉が浮かんだ。
『リーディア、君は僕のことをどう想ってる?』
——あ……。
僅かに息を呑んで自分を落ち着かせると、チラリとラピスラズリの瞳でアレシュを見つめた。
「殿下にお出迎え頂けるだなんて、驚きましたわ」
「たまにはいいかと思ってね」
アレシュはさっと手を差し伸べてエスコートを申し出ながら、「それで、君は今日も変わらず、僕を『大嫌い』かい?」と問いかけた。
「……」
リーディアはアレシュの手を見つめながら、唇を僅かに動かした。
「……だい、きらい、ですわ」
その答えを聞くと、アレシュはホッとした様にため息をついた。
「そうか、それは良かった」
差し出していた手をパッと引っ込めると、「それじゃあ、僕のエスコートは不要だね」と言って踵を返し、「勉強、頑張って」と言い残して上機嫌で戻って行った。
王城の正門前にぽつんと取り残されたまま、リーディアは俯いた。唇を噛みしめて、ぎゅっと拳を握り締める。
≪……なあ≫
リダがそっと声を掛けた。
だが、リーディアはくるりと振り向いて、馬車の方へと戻ろうとした。
その途端、すぐ後ろに立っていた誰かの胸板へ顔面をぶつけ、リーディアは涙目で見上げた。
「すみません、リーディア嬢。お怪我は?」
王国では珍しい、柔らかそうな黒髪を肩でまとめ上げた男が、気遣う様にアメジストの瞳を細めてリーディアを見つめた。
≪ミハルっ!!!!!!≫
リーディアの脳内でリダが叫ぶ声が強く響いた。
≪ああ! どれだけあんたに逢いたかったことか!! ミハル、生きてるんだね、怪我していないんだ!!≫
「……リーディア嬢?」
≪愛してる、ミハル!! あんただけをっ!!≫
顔を押えたまま、リーディアは立ち尽くした。
今朝見た夢と、リダの強い言葉が脳内で共鳴し、身動きが取れないままミハルを見上げる。
「もしや、どこかお怪我を?」
心配そうに見つめる彼の眼差しが痛い。
「まずは座りましょう。歩けますか? よろしければお運び致しますが……」
「触らないでくださいな!!」
ミハルの手を弾くと、リーディアはラピスラズリの瞳からポロポロと大粒の涙を零した。
弾かれた手が、ほんの一瞬だけ宙に残ったが、ミハルはそれを何事もなかったように下ろした。
「貴方なんか、大嫌いですわっ!!」
吐き捨てるようにそう叫んで、リーディアはミハルを突き飛ばした。そして馬車に向かって駆けようとすると、足がもつれてつんのめり石畳に膝をついた。
——もう、最低っ! 踏んだり蹴ったりですわっ!!
≪当然の報いだろう!? ミハルに大嫌いだなんて言うな! 謝れっ!≫
——なんですって!? リダが先にアレシュ様に『大嫌い』と言ったのではなくて!?
≪あいつはクソ野郎だからいいんだっ!!≫
——よくありませんわ!
リーディアは石畳に座り込んだままフルフルと身体を震わせると、大声で怒鳴った。
「絶対にっ!! 謝ってなんかやりませんわよっ!?」
「……ふ、はは!」
顔を上げると、ミハルがいつもの色気のある顔を崩し、屈託のない笑顔を覗かせながら手を差し伸べていた。
「リーディア嬢」
ミハルは一瞬言い淀んでから言葉を続けた。
「……兄上と、喧嘩でもされたのですか? 私で良ければ愚痴くらい聞きますよ。これでも頑丈ですから、当たって頂いても構いません。まずは、この手を取って頂けますか?」
「あ……」
リーディアは急に恥ずかしくなって顔を赤らめると、ミハルの手を借りて立ち上がった。
彼はリーディアの手を優しく引いて、手や膝に怪我がないか目を走らせた後に、笑みを向けた。
「どこか痛むところはありませんか?」
「大丈夫、ですわ……」
≪こっちは心が砕け散りそうなくらい痛えんだが?≫
リダの言葉をガン無視し、リーディアはプイとミハルから顔を背けた。
アレシュが立ち去った方向へと視線を向け、無意識のうちに彼の姿を追い求める。
「兄上は恐らく執務室でしょう。ここ最近は大量の書類に追われていますので、苛々しているのかもしれません」
ミハルは低く落ち着いた声でそう言った。
「わたくし……アレシュ様に嫌われるような事を、何かしてしまったのかしら」
≪ハンカチ、借りパクしたからじゃね?≫
——だから、あれは返さなくていいとアレシュ様が仰ったのっ!! 未来のわたくしなら、ご存知でしょう!?
ミハルは優しく微笑むと「リーディア嬢のせいではありませんよ」とゆっくりと首を左右に振った。
彼の香水だろうか、ふわりと甘い花の蜜の様な香りがリーディアの鼻をくすぐった。
「っくしゅん!」
くしゃみをした瞬間、リーディアの視界がぐらりと揺れた。意識が身体の奥へと引き込まれ、自分の意思とは関係なく瞼が閉じる。
≪おかしいわ。一体どうしたのかしら……?≫
「風邪ですか? 今日は大事を取って、王太子妃教育は欠席された方が良いのでは? 教育係には私からお伝えしておきましょう」
鼻を押えていた手が、リーディアの意思とは関係なく下ろされる。身体の主導権を握ったリダは、ミハルをじっと見つめた。
「リーディア嬢?」
ラピスラズリの瞳を潤ませる彼女を、ミハルは怪訝そうに見つめた。
「ミハルっ!!」
悲鳴の様にそう叫んで、ミハルに抱き着いた。




