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第二十八話 最後の一針

 王城へと向かう馬車の中で、リーディアは隣に座るリヒャルトを見つめた。


 緋色のケープに零れる、輝く様な銀髪。形の良い唇。すっと通った鼻筋。長い銀色の睫毛に縁取られた、サファイアブルーの瞳。きりりとした眉……。


——リヒャルト様は、本当に主の御使いに相応しく、お美しい方ですわ……。


 うっとりと見惚れながらそう考えて、昨夜触れた彼の腕や肩の温もりを思い出し、頬を染めた。


「リーディア、外をごらんなさい。皆が聖女の姿を一目見ようと求め、集まっていますよ。手を振っておあげなさい。彼等にも、主より恩寵を賜る権利があるのですから」


 外には沢山の人々が集まり、口々に祈りの言葉やリヒャルトへの敬意を示した言葉を投げかけている。


 枢機卿館から王城は目と鼻の先である為、広場をゆっくりと一周し、教会の威厳を見せつける。

 リヒャルトの乗る馬車は王城のものよりも豪華で、そのパレードは国王よりも権威があるのだと知らしめているようにも思えた。


「……皆さまが追い求めているのは、わたくしではなくリヒャルト様のお姿ですわ」


「謙遜することはありませんよ。皆は……」


「くしゅんっ!」


「……主が汝を祝福されますように」


 リヒャルトは困ったように笑みを浮かべてハンカチを差し出した。


「あー、ミルラの匂いで鼻が曲がりそうだぜ」


 ハンカチを受け取らずに、リダは自分の服の袖口でごしごしと鼻を擦ると、リヒャルトを見つめた。


「ったく、あたしはあんたなんか……くしゅんっ!」


「……健やかに。リーディア、聖女の衣服をそのように汚してはなりませんよ」


 リーディアは顔を真っ赤にすると、慌てて自分のハンカチを取り出して鼻にあてた。


「申し訳ございません、リヒャルト様! わたくし、つい……!」


 リヒャルトは口を噤み、リーディアをじっとサファイアブルーの瞳で見つめた。


——もう! リダったら! はしたない真似は止して頂戴っ!!


≪チッ。そいつに物申してやる絶好の機会だったってのに≫


——絶対にお止めになって!? これはわたくしの身体ですのよ!? リダがなんと言おうと、わたくしにとってはリヒャルト様のみが救いなんですものっ!!


「……リーディア、私は王城で諮問会議に出席します。貴女は出陣する軍の旗に、戦勝祈願の刺繍を入れてください。最後の一針を、聖女の手で行うのです」


「はい。リヒャルト様のご期待に添える様、頑張ります」


 馬車が到着すると、侍従が扉を開けてステップを置いた。


「さあ、リーディア。顔をお上げなさい。皆が私達の到着を待っていますよ」


 そう声を掛けて、ふわりと甘い香りを漂わせながらリヒャルトが先に降りた。


 リーディアがリヒャルトの後に続いて馬車から降りると、王城の騎士や侍従達から称える声が上がった。


——わたくし、どうして称えられているのかしら……?


 リヒャルトがニコリと微笑み、リーディアを促す様に城門を潜った。


「枢機卿猊下、および聖女様。主のご加護と共にある入城を、陛下は心待ちにしておられました」


 深く腰を折り、王城の従者が出迎えた。その傍らに、漆黒の髪を肩口で一つに結わえた男が、温厚そうな笑みを浮かべ立っており、優雅に頭を垂れた。


「枢機卿猊下、ようこそお越しくださいました。聖女リーディア様も、ようこそ」


 リーディアは、ミハルのその姿をラピスラズリの瞳で見つめた。枢機卿館での会話から数日程しか経っていないというのに、懐かしくすら思った。


 リヒャルトがさらりと言葉を放った。


「ミハル殿下。本日の諮問会議の議題は、隣国トロッケン鎮圧のための『先遣隊派遣』と、その指揮官に命じられたアレシュ殿下の最終確認で間違いありませんね?」


——……え? アレシュ様が、隣国の……? じゃあ、戦勝祈願というのは……。


「はい。お間違いありません、枢機卿猊下」


「主の平和のために、王太子が自らその身を戦場へと捧げる決断を下された。なんと尊く、勇気ある『自己犠牲』でしょう」


 淀みなく告げるリヒャルトの声には、どこか棘があった。

 ミハルは優しく微笑むと、「枢機卿猊下」と、僅かにため息を吐いた。彼のアメジストの瞳に、鋭く刺すような光を感じた。


「王太子の出兵は、陛下が命じられたことです。もしや、私をお疑いですか?」


≪!!!!≫


 リーディアの中で、リダが悲鳴にならない声を上げた。


——リダ? どうなさったの?


 リヒャルトがミハルを見据えたまま、笑みを浮かべた表情を一切崩さずに、小さく言った。


「……成程、報告通りの様ですね。面白いですよ」


 ミハルはサラリと漆黒の髪を揺らし、深く頭を下げた。


「枢機卿猊下、今回の諮問会議に、私は出席いたしません。故に、聖女様のエスコートを担う栄誉を賜りたく存じます」


 リヒャルトは僅かにリーディアに視線を向けた後、ミハルを見つめて微笑んだ。


「良いでしょう。主より仰せつかった聖女の務めに、誠心誠意尽くしなさい」


 リヒャルトは振り返ると、寂しげに眉を下げた。


「では、聖女様。私は諮問会議へと行ってまいります故、後はミハル殿下よりエスコートを受けてください。頼みましたよ。主の御心が、常に汝の影と共にありますように」


「……はい。枢機卿猊下の仰せのままに」


 深く膝を折ったリーディアの前を、衣擦れの音を鳴らし、銀髪をさらりと靡かせながらリヒャルトが去って行った。


 チラリとミハルへと視線を向けると、彼は眉を下げて嬉しそうに笑みを浮かべた。


「ご健在でしたか? リーディア嬢。いえ、聖女様とお呼びしなければなりませんね」

「今まで通りで結構ですわ。それより、アレシュ殿下が出兵されるんですの? 何故? 彼は王太子ですのに……」


 ミハルは人差し指をそっと自分の唇に押し当てると、「後で話しましょう。ここは人目が多いですから」と言って、さっと手の平を差し出して歩くようにと促した。


 王城の廊下を歩きながらミハルはすまなそうに言った。


「清らかなる聖女の御身には触れられない為、手や腕を差し出してのエスコートができず、申し訳ございません」


 リーディアはミハルの腕に視線を向けた後、小さく首を左右に振った。


「……わたくしが選んだ道ですもの。あの日、王太子殿下はそうならないようにと考えてくださっていたのに」


 恭しげに首を垂れる侍従達を横目に、ミハルは小さくため息をついた。唇を噛み、僅かに歩く速度が上がる。

 足がもつれそうになったリーディアを見て、ミハルはハッとしたように速度を緩めた。


「……すみません。早くリーディア嬢と二人きりになりたくて、気持ちが焦ってしまった様です」


——わたくしと、二人きりに?


 リーディアはドキリとして、『いいえ、ミハル様はお優しいからそのように言っただけですわ』と考え直した。


——リダ。貴女の大好きなミハル様と一緒だというのに、どうして黙っているのかしら? いつもはあんなに大騒ぎしていますのに。


 リーディアは高鳴った胸を誤魔化そうと脳内で声を掛けたが、リダは沈黙を続けていた。


 重厚な扉の前へと辿り着くと、侍従が恭しげにミハルとリーディアに深く頭を垂れて、扉を開いた。その奥にある二重扉も開き、二人が室内へと足を踏み入れると、侍従は重苦しい音を立てて扉を閉じた。


「ここは、陛下専用の祈祷室です。王族以外の者が足を踏み入れる事は許されません。リーディア嬢は、勿論聖女様ですから例外ですが」


 ミハルは品良く胸に手を当てて頭を下げ、祭壇の前へと置かれている軍旗へと促した。


 窓から射し込む心許ない光が、金糸で縁どられた軍旗を照らし出し、リーディアは歩を進めてその前へと立った。


「……ミハル殿下。教えてくださらないかしら。王太子殿下が、一体どうして戦地へと赴く事になったというの?」


 震える声を発したリーディアに、ミハルはそっと近づくと、背後からリーディアの手を取った。


「まずは聖女としての役目を全うしてしまいましょう。兄上が戦地にて使う大切な軍旗です。貴女の手で、心を込めて最後の一針を刺し、送り出して差し上げましょう」


 そう言って、ミハルはもう片方の手を、優しくリーディアの左肩へ添えた。リーディアはミハルに包み込まれながら、抗う事ができずに震える指先で軍旗へと針を刺し、金糸をシュッと引いた。


 甘い、ヘリオトロープの香りがリーディアに纏わりつく様だった。

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