第二十七話 温もりの檻
魘されながら、リーディアは瞳を開けた。
何度も繰り返し夢の中で、自分が死の宣告を下した瞬間と必死に慈悲を乞うベニーシェク公爵家のバトラーが現れる。
『ああ、聖女様!! リーディアお嬢様!! どうかご慈悲を!! ベニーシェク公爵邸に仕えたこの私をお忘れですか!!』
——わたくしは、一体どうすることが正しかったのかしら……?
激しい頭痛がリーディアを襲う。朦朧とし、自分が寝ているのか起きているのかすらよく分からなくなっていた。
「聖女様」
突然声を掛けられて、リーディアは驚いて瞳を上げた。そこには無表情のシスターが立っており、つい「キャ!」と小さく悲鳴をあげた。
ドキドキと鼓動する胸を押さえ、失礼だっただろうかと反省しながら、リーディアはシスターを見つめた。
「あの……ずっとついていてくださったのかしら?」
「はい。監視するようにと枢機卿猊下が仰せでございましたので」
——監視……?
眉を寄せたリーディアに、シスターは無表情のまま手際よくハーブティーの準備をした。
「聖女様が目覚め次第、お茶をお出しするようにとのことでしたので」
——わたくしを気遣ってくださったのかしら。
「枢機卿猊下はどちらにいらっしゃるんですの?」
シスターが淹れたハーブティーを一口飲みながら聞くと、彼女は僅かに小首を傾げただけで速やかに部屋から出て行った。
ポツンと、慣れない部屋に一人取り残された気分になって、リーディアは溜息をついた。
ズキズキと痛む額を押えつつ、室内に視線を走らせてベッドから降りると、鏡台の前へと腰かけた。
鏡の中に、無言のまま寂しげな瞳を向けるリダの姿が映りこむ。
「リダ、あのね。わたく……」
≪取り返しのつかない事になっちまったな≫
リダの言葉に、リーディアは口を閉ざした。
≪どうしてなんだ、リーディア。あんたは肝心な時にあたしの言葉に耳を傾けず、破滅への道に突き進んじまう!≫
「わたくし、だって……」
ポロポロと、リーディアの瞳から涙が零れ落ちた。
「わたくしだって、分からないわ!! でも、愛されたいの!! 誰かに側に居て欲しいの! 寂しくて堪らないんですもの!!」
泣きじゃくりながら、リーディアは取り乱した様に言葉を続けた。
ラピスラズリの瞳がゆらゆらと揺れ、絹糸の様な金髪を両手で掻き乱す。
「アレシュ様はどう思ったかしら? わたくしが、人を殺したのですもの。ベニーシェク公爵家のバトラーの命を、わたくしが摘み取ってしまった!! こんな、こんな、悪魔のような女なんか、アレシュ様はもう二度と……!!」
≪あいつの事なんかどうだっていい!!≫
リダは怒鳴りつけるようにそう言うと、眉を寄せた。
≪リーディア、聞いて。あんたは、『愛』を知らない≫
——……え?
僅かに小首を傾げ、リーディアは震える唇を動かした。
「何を言っているの? わたくしは、アレシュ様を愛していますわ」
≪それは『どうして』なんだ? あいつの『どこに惹かれた』んだ?≫
——アレシュ様の、どこに……? サラサラの銀髪に、サファイアブルーの瞳が素敵で……。
寒気を感じ、リーディアは両肩を押えた。
「理由が、必要なものなのかしら? そんなに、大事な事かしら?」
鏡の中で、リダは首を左右に振った。
≪あたしがミハルを愛しているのは、あたしを助けて寄り添ってくれて、大切にしてくれて、彼もあたしを愛してくれたからだ!! 『人を好きになるのに理由なんかない』だなんて、綺麗事を言ってるんじゃねぇよ!! あんたはただ、自分の側に居てくれる『家族』っていう縛りが欲しいだけだ!! そんなものは愛情とは言わない。ただの『依存』だ!!≫
リダの言葉を脳内で反芻しながら、リーディアは小さく零れる様に言った。
「……わたくしの、アレシュ様への想いは。『愛』ではないの……?」
鏡の中で、リダが頷いた。
≪そうだよ、リーディア。だから、あいつにどう思われたって気にする必要なんかない。それ以上、自分を責める必要はない。あたしが側にいる。そうだろ?≫
「リダ……。貴女は、ずっとわたくしの側に……」
≪ああ、そうだよ。『愛』ってのは、温かいんだ。あたしは、ミハルに抱きしめられて、温もりを感じて、最高に『幸せ』だった……!≫
リーディアは震える手を伸ばし、鏡の中に居るリダに触れた。
——冷たいわ……。
冷えた指先をさっと引っ込めると、俯いた。
気温はさほど低いわけでもないというのに、凍えそうなほどに寒く感じた。
カタリ、と音を立てて、リーディアは席を立った。シスターに着替えさせられていたようで、薄着のまま肩掛けだけを羽織った。
廊下に出て、パタパタと駆ける。
≪おい、何をする気なんだ、リーディア。戻れ!≫
灯りが落とされた廊下は、普段よりもひとけが少なかった。
階段を上ると、リヒャルトの部屋を守る騎士達と目が合った。泣きそうになって一歩下がるリーディアを見つめたまま、騎士達が道を空けて扉へと促す様なしぐさをした。
ゆっくりと歩を進めていく。
ドキドキと鼓動する心臓に呼応するかのように、肩で呼吸しながら扉に触れようとすると、えんじ色のストールをつけた侍従がさっと現れた。
彼は無表情のままリーディアに向かって手の平を向けて待つようにと指示をすると、一人で奥の部屋へと入っていった。
「猊下、仰せの通り『神の子』がお目覚めになり、光を求めに参られました。お通ししてもよろしいでしょうか」
「……思いのほか早い目覚めでしたね。お入りなさい、リーディア。汝を拒む壁など、この館にはどこにもないのです」
えんじ色のストールを揺らし、侍従がリーディアに向かって深く頭を垂れた。
「猊下がお待ちです。その『迷い』をすべて、あのお方に委ねなさい」
侍従が奥の間の扉を開くと、甘いミルラの香りがリーディアを包み込んだ。
リーディアの背後で、扉を閉じる音が聞こえる。
緋色のガウンを羽織ったリヒャルトは、銀髪を肩から垂らし、片手に持っていた書物からサファイアブルーの瞳をリーディアへと向けた。
細かな装飾が施された長椅子のひじ掛けにもたれたまま、ニコリと優しく微笑む。
テーブルの上には赤い血のようなワインが注がれたグラスが置かれており、燭台の光を反射していた。
ため息をつき、リヒャルトが言葉を発した。
「……驚きましたよ、リーディア。主の伴侶たる聖女が、夜気に肌を晒して彷徨うなど」
俯いて肩掛けをぎゅっと引き寄せるリーディアに、リヒャルトは白い手袋をつけた手を差し伸べた。
「震えているようですね。さあ、こちらへ。ここでは、誰も貴女を穢すことはできません」
ふらりと覚束ない足取りで、リーディアはリヒャルトの左隣へと腰掛けた。彼は頷いて微笑んだ後、再び書物へと視線を落として、テーブルの上に置かれたワイングラスへと手を伸ばした。
ガウンの隙間から覗く厚い胸板から、リーディアは思わず視線を逸らす。
ワインを一口飲み、再びテーブルへとグラスを戻す彼の手をじっと見つめた。
——リヒャルト様のところに来ても、その御身は主のもの。不浄なわたくしには、触れることなど許されないのだわ。
凍えそうな程に冷え切ったわたくしの心は、ずっと冷たいまま……。
俯いて唇を噛みしめるリーディアに、リヒャルトはふっと笑って声を掛けた。
「主は貴女に『耐えよ』と仰るでしょうが、この部屋の主である私は、少しばかり貴女に甘いようです」
顔を上げたリーディアに、リヒャルトはチラリと自分の左肩に視線を向けた。
「私の熱が恋しいのなら、少しだけ触れることを赦しましょう」
優しく微笑むリヒャルトに陶酔するかのように、冷えた指先を伸ばした。彼ならば、どんなにか穢れ切った自分でも、浄化してくれるはずだ、と。
≪そいつに触れるな!!≫
リダの声に驚き、リーディアはピタリと手を止めた。
リヒャルトが眉を下げ、透明感のある低く落ち着いた声で諭す様に言った。
「どうしましたか? 赦されたいのでしょう。ならば、迷う必要はありません。貴女を苛むものごと、私が受け止めて差し上げます」
——わたくしを苛むもの……?
リーディアの脳裏に、悲鳴を上げながら命乞いをするベニーシェク公爵家のバトラーの姿が浮かんだ。
悲鳴を上げそうになり、縋りつく様に冷えた指先でリヒャルトの腕に触れた。
——温かいわ……。
じんわりと、瞳が潤む。
——わたくし、今までにこうして誰かの温もりを、感じた事などあったかしら?
リヒャルトの肩に頬を寄せ、瞳を閉じた。
——誰からも愛されなかったわたくしが、リヒャルト様からはこうして愛されている。リヒャルト様が愛してくださるのなら、わたくしも、この方を愛せるはずですわ。
≪……リーディア。違う。それは救いじゃない。愛なんかじゃない! その温もりだって『依存』だ≫
——でもね、リダ。とても温かいわ。とても、『幸せ』を感じますの。アレシュ様も、そして貴女も、冷たいのですもの……。
甘い香りと温もりを味わいながら、安心が眠気を誘い、すぅっと眠りについた。
◇◇◇◇
扉をノックする音に、アレシュは書類を書く手を止めずにため息をついた。
「第一騎士団所属、チェスラフにございます。拝謁をお許しください」
——チェスラフ……? ああ、あいつか。
入室を許可すると、騎士が部屋に入るなり深く頭を垂れて押し黙り、苛立った様にアレシュは視線を向けた。
「……何? 黙られても困るんだけど。君は確か、宣告式で僕から命令を受けた騎士だろう?」
騎士は、「は!」と畏まったように言った後、どこか怯えている様に声を放った。
「処刑前に薬により昏倒させた罪人について、地下牢にて意識を取り戻しました。枢機卿猊下は『世俗の法に従え』と仰せです。殿下のご指示を仰ぎたく……」
アレシュは舌打ちをすると、眉を寄せた。
「あのさ? それくらい言われなくても察してくれよ。僕は君に『あの男を殺すな』と指示したんだ。地下牢で死んだ囚人の顔を適当に潰して、あの男とすり替えたらいいじゃないか。教会側には地下牢内で死んだとでも伝えておけばいいさ」
「ですが、教会の……」
「教会に怯えて生きるのと、地下牢へ放り込まれるのと、どちらがいいのさ?」
ピシャリと言い放つと、アレシュはうんざりした様に鼻で笑い、再び書類を書き進めた。
「さっさと出て行けよ。目障りだ」
「は、ではこちらを……」
騎士は姿勢を正すと、数歩前へと進み出てすっと羊皮紙を両手で掲げた。
王の印璽が押されている。
眉を寄せアレシュは立ち上がると、奪い取るようにそれを受け取り、騎士は深く頭を下げて執務室から出て行った。
苛立ちながら文字を目でなぞる。
「……『トロッケン鎮圧のため、アレシュ王太子を国境守備先遣軍・総大将に任ずる』だって?」
アレシュは机の上に叩きつける様に『征討任命勅書』を置いた。握りしめた手が震える。
「陛下は、それほどまでにミハルを王太子にしたいのか!!」
揺れる燭台の炎が羊皮紙を不気味なまでに照らし、呪いの文字が描かれているかのようだった。




