第二十四話 花言葉と白い手袋
リヒャルトは昼食の時もリーディアの為に時間を空け、同席した。
シスターによる聖読に耳を傾けながら、朝食とは打って変わり、胸やけしそうな程の料理を静かに口に運ぶ。
リヒャルトの元を何人もの侍従が忙しなく訪れ、耳打ちによる報告を受けたり指示を出したりと多忙な様子だったが、リーディアは一人ではないという事だけでも十分に嬉しかった。
侍従の言葉に耳を傾けながら、リーディアを見つめるリヒャルトの視線に緊張しながらも、目が合う度に微笑んだ。
≪あのイケオジ、ちゃんと報告頭に入ってんのか? あんたの事をエロい目で見てばっかりいるじゃねぇか≫
——リダ、失礼ですわ! リヒャルト様は見守ってくださっているのですもの。
リヒャルトがすっと手を上げて、侍従の耳打ちを中断した。サファイアブルーの瞳をリーディアへと向けて、ニコリと微笑む。
「午前中はオランジュリーを見学していたそうですね」
≪げ。なんで知ってんだ!?≫
「……あ。いけませんでしたか?」
申し訳なさそうに言ったリーディアに、リヒャルトは小さく首を左右に振った。
「まさか。貴女が気に入ったかどうかは気になりますが」
「勿論、素敵なところでした! 見た事のない異国の果物の木や花々が沢山あって、一日中居ても飽きませんわ」
興奮気味に言うリーディアを微笑ましそうに見つめながら、リヒャルトは白い手袋を着けた手をテーブルの上でそっと組んだ。
「いつでも足を運ぶと良いですよ。聖女の訪れは草木も喜ぶことでしょうから。とはいえ、あの場所はコレクションのようなものですから、見慣れぬものばかりでしょう。お望みの花があれば部屋に用意させますが、希望はありますか?」
『花』と聞き、リーディアの脳裏に浮かんだのは、アレシュの名で公爵邸に届いた豪華な花束だった。
「……白のリシアンサスと、ピンクのラナンキュラスを」
≪あたしはヘリオトロープかな! ミハルに良く似合ってた!≫
そっと視線を落として「ヘリオトロープもあると嬉しいですわ」とリーディアは言った。
「白のリシアンサス……。花言葉は、『永遠の愛』ですか」
——え……?
「ピンクのラナンキュラスは、『飾らない美しさ』でしたね」
リヒャルトの言葉を聞き、リーディアの心臓が強く鼓動した。
脳裏に、アレシュが苛立った様にサファイアブルーの瞳を細め、ふいと顔を背ける姿が浮かんだ。
≪リーディア、あれはアレシュ本人が選んで贈ったとは思えないだろう?≫
——……そう、ですわ。アレシュ様がご自分で選んでくださるはずは無いもの。
「ヘリオトロープは、『献身的な愛』。但し、あの花には別名があるのをご存知ですか?」
首を左右に振ったリーディアに、リヒャルトは小さく頷いた。
「『愛の薬草』、または『神の薬草』です。古い神話では水の精が太陽神へ恋をし、見つめ続けたまま花へと姿を変えたと言われていますね」
漆黒の髪を揺らし、温厚そうな笑みをいつも浮かべているミハル。甘く濃厚な香りのヘリオトロープの香りが、リヒャルトのミルラの香りに混じって香ったような気がした。
「あの……」
リーディアは僅かに唇を開いて言った。
「枢機卿猊下、やっぱりお花は無くても大丈夫ですわ。オランジュリーのもので十分過ぎますもの」
寂しげに瞳を伏せるリーディアを、リヒャルトがサファイアブルーの瞳を向けてじっと見つめていた。
◇◇
荘厳且つ豪華な枢機卿館は、主であるリヒャルトの気質のせいか、塵一つ見当たらない。
リーディアは緋色のカーペットの上を歩きながら、壁に掲げてある絵画を眺めたり、色ガラスで細かく装飾の施されたステンドグラスを見上げながら散策を楽しんでいた。
≪でっけぇ家だなおい。公爵家のタウンハウスをいくつくっつけたら追いつくんだ?≫
——一日では見て回れないくらいの広さですわね。この廊下も、一体どこまで続いているのかしら。王城よりも広いのではなくて?
すれ違う人々も公爵邸の比ではなかったが、驚く程静寂に包まれており、皆リーディアを『聖女』であると認識しているからか、或いはリヒャルトからの指示なのか、恭しげに頭を垂れた。
圧巻の蔵書数を誇る図書室を見学していると、窓から射し込む日差しを見つめ、リーディアは誘われる様に近づいた。
「くしゅんっ!」
≪あっ!!≫
ふぅ……と、溜息を一つつき、リダは鼻の下を擦った。
ニヤリと笑う。
≪……リダ? おかしなことは考えてませんわよね?≫
震える声で言ったリーディアに、リダはへらへらと笑って返した。
——こんなクソつまらねぇ本だらけのとこなんか見てたって仕方ねぇ。あいつの私室に行こうぜ? きっと怪しいモンの宝庫だ!
≪お止めになって——ッ!!≫
リダはキョロキョロと辺りを見回し、図書室の机の上からこれ幸いとばかりにペーパーナイフを拝借した。
廊下へと出て軽い足取りでカーペットの上を歩き、頭を垂れる侍従たちにも上機嫌で手を振って答える。
——ああいう偉そうな奴はきっと高い所が好きだろうから、私室は最上階だろうな。
脳内に響き渡るリーディアの悲鳴をガン無視し、リダは意気揚々と階段を駆け上った。
最上階まで上り切ると、銀色の甲冑を着込んだ見張りの騎士達の姿を認めて、「あっ!」と足を止めた。
≪引き返して、リダ!! お願いだからリヒャルト様を怒らせるような事は止めて頂戴っ!≫
——あいつの変態っぷりを暴く絶好の機会なんだぜ? そう簡単に諦められるかよ!
パッと踵を返して階段を一階下まで降りると、ひとけの無さそうな部屋を選んで素早く室内へと入り込んだ。
パタパタと駆けて窓を開けると、バルコニーに出て上を見上げた。
「あの部屋か」
上階にひときわ豪華なステンドグラスを嵌め込んだ窓があり、リダはそこがリヒャルトの私室であると踏んだ。
≪何をする気です……のっ!?≫
リーディアが言い終わらないうちにリダはトンと飛んで、バルコニーの縁の上へと昇った。風が下から吹きつけてリダの頬を撫で、絹糸の様な髪を舞い上がらせる。
≪キャ——ッ!!≫
壁の飾りを掴み、体重移動を繰り返しながら登っていく。
ガーゴイルの装飾の頭をむんずと掴んだ時、手が滑ってガクリとバランスを崩した。
「あっ!」
≪#$%&!!≫
危機一髪で石壁の溝に手を引っ掛け、落下を免れた。
指先が震える。
何とか登り切り、リヒャルトの私室と思しき部屋のバルコニーへと到着すると、図書室で手に入れたペーパーナイフを窓の隙間へと差し込み、内側のかんぬきを外した。
するりと室内へと身を滑らせて、安堵のため息をつきながら震える両手をプラプラと振った。
——明日はまた全身筋肉痛だろうなぁ……。あんたさ、もうちょっと身体を鍛えようぜ? 両手がビリビリ痙攣してら。
≪鍛える必要なんか無いでしょう! リダ、リヒャルト様に気づかれる前に早く戻って!!≫
リダは鼻につく甘ったるいミルラの匂いに顔を顰めながら、辺りを物色した。
広い室内は思ったよりもシンプルで、豪華な個人用の祭壇などがあるかと思いきや意外な程に信仰に関する物が置かれていなかった。
窓際には燻された様な濃い色の執筆机が置かれており、筆記具が綺麗に整頓され、書類の類はしまわれているのか見当たらなかった。
ベルベットのカーテンで四方を仕切られた天蓋付きのベッドも、一見豪華に見えて支柱には一切の装飾がされていない。
≪公爵邸のわたくしの部屋の方が豪華なくらいですわね……≫
——うーん……。部屋間違えたか?
部屋の奥にある扉を見つけ、リダはそっと開いた。
そこはどうやら衣裳部屋のようで、リヒャルトが普段身に纏っているカソックやケープが、漆黒のものから緋色のものまでずらりと掛けられていた。
——あいつの部屋で間違い無さそうだな。毎日毎日似た様な服ばっかり着て、飽きねぇのかな?
奥には冷たい光を反射する巨大な鏡が置かれており、漆黒の黒檀製のフレームは一切の装飾が施されていなかった。
不安気なリーディアの姿が映る。
≪リダ、もう帰りましょうよ。お願い……≫
「もうちょっとだけ。何かあいつの弱味になるような……」
すっとチェストを開いたリダは、ゾクリと背筋が凍りついた。
そこには、何百双もの手袋が、異様なほど整然と収められていた。
「……おいおい、いくら何でも多すぎじゃねぇか?」
ゾッとしながらそう呟いて視線を逸らすと、そこには額装された小さな肖像画が、数枚押し込まれていた。
指を滑らせて引き出してみると、輝く銀髪にサファイアブルーの瞳をした青年が描かれていた。
——……アレシュ? それにしては、随分と古そうな……。
扉が開く音がした。
リダはハッとして、慌てて肖像画を押し戻し、チェストを閉めると、何着も並ぶカソックの間へ身を滑り込ませた。
足音が近づいてくる。
ドキドキと鼓動する心臓の音に耳を澄ませていると、着替え室の扉がガチャリと開いた。




