第二十一話 必要とされる場所
ぐすっと鼻をすすった後、リダは何度か瞬きをして目の前で引きつった表情を浮かべる男を見つめた。
「んな露骨に嫌がるんじゃねぇよ。傷つくだろ?」
リダはそう言った後、つっと視線を移して、アレシュの隣で全く状況についていけていないミハルへと狙いを定めた。
≪リダ、まさか……!≫
ぱっと駆け寄りミハルに抱き着くと、リダは彼の温もりを味わいながら、すぅっと息を吸い込んだ。
「最高! それに、良い匂い!!」
≪やめてぇ——ッ!!≫
「あの……えーと?」
顔を真っ赤にしながらミハルは動揺し、隣でギラリと殺気の籠った視線を向けるアレシュを見て、悲鳴を上げそうになりながら、そっとリダの両肩に触れた。
「お、落ち着いてください。リーディア嬢……いえ、聖女様。いけません、貴女の御身は主のものなのですから、異性との接触は……」
「固ぇこと言うなって、誰も見てやしねぇんだから」
「いえ、兄上がいらっしゃいますよ……?」
アレシュは頬にくっきりと青筋を浮かべながら、静かに凄みを利かせた声色で言った。
「最高にどうでも良くなってきたんだけれど?」
≪リダ、お願いだから大人しくして!! 誰かに見られたら大変よ!≫
リーディアに叱られて、リダは面倒そうに唇を尖らせた。
「折角ミハルといちゃいちゃできると思ったのに……」
「いちゃいちゃ……? 少々、お待ちください」
ミハルはリダから数歩離れると、項垂れる様にしてしゃがみ込んだ。
「すみません。全く状況が理解できずについていけないのですが、兄上は状況を理解しているご様子。簡単で構いませんので、私に……」
「二人いるんだよ」
さらりと言い切って、アレシュは苛立ったように眉を寄せた。
「リーディアの中には、現在の彼女と未来の彼女、二つの人格が存在している。くしゃみをきっかけに主人格が入れ替わるらしい。わかった?」
「……?」
「おー、あんたあたしが未来のリーディアだってよく解ったな!? リダって呼んでくれたらいいぜ?」
アレシュは舌打ちすると、「声が大きいんだよ、君は」と言ってため息をついた。
「リダ、と言ったか。どうやら未来の彼女はミハルにぞっこんらしい」
ミハルは呆然としたあと、ふと片手で口を押さえてリダへと視線を向けた。顔色が悪い。リダが心配そうに覗き込んだ。
「ん? どうした?」
「……未来の、リーディア嬢? 私はもしや、何か過ちを……?」
「過ち?」
「兄上の婚約者である貴女に……!」
「それは違う」
リダはきっぱりと言い切ると、溜息をついた。
「過ちって言うなら、あたしの方。狩猟大会で深手を負ったアレシュから、あたしは逃げたんだ。ミハル、あんたはずっとあたしの側にいて支えてくれた。あんたは何も悪くないよ」
その言葉を聞いて、アレシュはすぅっとサファイアブルーの瞳を細めた。両腕を組み、考え込むように人差し指をトントンと動かす。
「……はぁ。なるほどね。なんとなく分かった。つまり君は、それを知っていたからあの時僕を助けに来たってワケか。それで、君が居た未来のミハルは、王太子へと繰り上がるのを恐れ、王城を出た。君たち、僕を馬鹿にし過ぎじゃないの?」
ミハルは「私は何も……!」と、首を左右に振り、リダは感嘆の声を洩らした。
「流石鬼畜王子だな。天才か? これだけの情報でそこまで分かるだなんて、普通じゃねぇよ」
≪アレシュ様すごいわ!≫
「いいから、君は少し黙れ。異端審問にでも掛けられたら一巻の終わりなんだからね。全く、厄介な事になったものだよ。想定外過ぎるったらない」
アレシュは溜息をついた後、チラリとリダに視線を向けた。
「とにかく、いつまでもこうしてもたもたして居られない。聖女のお披露目会に主役がいつまでも不在というのはまずいからね」
リダは「えー……」と、不満気に唇を尖らせた。
「あたし、ミハルと一緒に居たい……」
「これ以上ややこしくするな」
アレシュはピシャリと言い放った後、リダに向かってガラスの小瓶を放り投げた。パシリと受け取って見つめると、灰色の粉末が入っている様子が見て取れた。
「なにこれ?」
「ホワイトペッパーだよ。さっさとそれでリーディアになったら? リヒャルトの居る聖女のお披露目会で、お茶会のようにボロを出してみなよ。それこそあっという間にギロチン行きさ」
リダはゾッとしてすぐさま小瓶の蓋を開けると、すっと吸い込んだ。
「くしゅんっ!!」
「戻ったかい?」
「くしゅんっ!!」
「……」
続けざまにくしゃみをして苦笑いを浮かべるリダを見て、アレシュは苛立ったように舌打ちをした。
◇◇
何度目かのくしゃみでようやく表へと戻ったリーディアが、王太子と第二王子と共に広間へと足を踏み入れると、談笑中だったリヒャルトはサファイアブルーの瞳を向けてニコリと微笑んだ。
リヒャルトの視線を追い、皆が三人に注目すると、わっと拍手が沸き起こった。
「聖女様!」
「我らが光!」
アレシュはお得意の王太子スマイルを振りまき、ミハルは複雑な心境を押し殺しつつ笑みを浮かべた。
皆が希望の光を見つめるような視線を、リーディアへと向ける。
——『聖女』って、一体何なのかしら……?
リーディアはそう考えながらも、自分を必要としている者達がこれほども多く存在しているのだという事実に、心が温まった。
お茶会でのアレシュとの会話が脳裏にこだまする。
『わたくしがお慕いしているのは、アレシュ様ですもの!!』
『止めろ! 二度と口にするな!!』
『どれほどにお怒りを買おうとも、わたくしは……!!』
『やめろと言っているんだ!!』
——明らかな拒絶……。アレシュ様は、わたくしがお側に居る事を毛嫌いしておいでですわ。
リーディアの視線の先には、柔らかく微笑むリヒャルトが立っており、白い手袋をつけた手が差し伸べられた。
——わたくしは、ここに居れば寂しくないのではないかしら? ここなら、必要とされるのではないかしら……?
≪……おい?≫
リダが困惑した様に声を洩らした。
——ここにいれば、皆わたくしを受け入れてくださるのではないかしら……?
≪待て、それは……!≫
「アレシュ王太子殿下、ミハル第二王子殿下」
リーディアは振り返り、二人にニコリと微笑んだ。
「わたくしは、『聖女』として枢機卿猊下ご指導のもと、主にお仕えいたしますわ。ですから、わたくしの事はどうぞお忘れになってください」
そう言い残すと、リーディアは駆けだしたい衝動を抑えながらリヒャルトの元へと向かった。
リヒャルトの白い手袋を付けた手は、リーディアの肩にぎりぎりのところで触れず、迎え入れるように自分の側へと誘導した。
「殿下とはお話しできましたか?」
リーディアが「はい、枢機卿猊下」と返事をすると、リヒャルトは優しく微笑んだ。
取り残されたようにアレシュとミハルはリーディアの様子を見つめる。
彼女のラピスラズリの瞳とリヒャルトのサファイアブルーの視線が交わる様子に、アレシュは胸の内にざらついた感情が広がり眉を寄せた。
「やってくれるじゃないか。まさか彼女に『宣戦布告』されるとはね」
「一体、どうして……」
ミハルは悲しげにアメジストの瞳を細めた。
お茶会で、アレシュが馬車から降りた瞬間の、リーディアの表情が脳裏から離れない。彼女は頬を紅潮させ、ラピスラズリの瞳を潤ませて、感極まった様にアレシュを見つめていた。
ああ、それほどまでに兄のことを愛しているのか、とミハルの心がズキリと痛んだのだ。
——それなのに、何故……?
披露会の会場内には、豪勢な料理が並べられていたが、その匂いに混じって不愉快なミルラの香りが鼻に纏わりついた。




