第二十話 宣戦布告
大聖堂の隣に聳え立つ枢機卿館には、聖女叙任式に参列した者達が集まり、聖女となったリーディアの『お披露目会』が開催されていた。
枢機卿館は王城のような装飾に満ち溢れた華やかさは無いものの、重厚な木の質感や分厚いカーテン、枢機卿のみが着用を赦される緋色を主としたカーペットや垂れ幕が、厳かな圧迫感を漂わせていた。
純白の聖衣に身を包んだリーディアは、リヒャルトにエスコートされながら、館のロビーへと足を踏み入れた。
——舞踏会ではないけれど、わたくし、こういった社交の場に参加するのは初めてですわ。緊張して心臓がおかしくなってしまいそう!
隣に立ち、リーディアをエスコートするリヒャルトは、流石は王弟と思わせる、紳士的で完璧な振る舞いだった。
枢機卿であるという理由からか、一切触れる事も無く優雅に先導し、時折アレシュと同じサファイアブルーの瞳を細めて優しい笑みを向ける。
≪あの枢機卿、なんつーか……。完璧過ぎて逆に胡散臭いっていうか≫
——リダったら、考えすぎよ。猊下は、とても素敵な方だわ。わたくしをこうして受け入れてくださった、唯一の方ですもの。
≪……おいおい、アレシュに似てるからって惚れてんじゃねぇぞ?≫
——惚れてなんかいませんわ! ただ、それほど警戒する必要は無いのではなくて?
そう言いながら、チラリとリーディアはリヒャルトに視線を向けた。束ねた長い銀髪がさらりと揺れ、すらりとした長身の彼の体格はがっしりとしており、大人の男性らしい力強さが見て取れた。
——リダの言うとおり、アレシュ様に本当に似ていらっしゃるわ。
≪ミハルは母親似なのか、王様にはあんまり似てねぇよな。唯一瞳の色だけが似てるってところか?≫
「如何いたしましたか?」
リヒャルトが少し困った様に眉を下げた。
「あまりそう見つめられては、あらぬ疑いを掛けられかねません」
リーディアは慌てて目を逸らすと、「失礼致しました、枢機卿猊下!」と言って恥ずかしそうに頬を染めた。
ひそひそと、周囲から声が漏れ聞こえる。
「枢機卿猊下、今日も麗しいお姿ですこと」
「あのような小娘がどうして枢機卿猊下のお側に?」
「ああ、枢機卿猊下に、私の迷える魂をお救い頂きたいわ!」
≪わー……≫
——おモテになるのね……。
≪確かに今は色気むんむんだけど、十年もすりゃハゲるかもしれねぇし?≫
——まあ! リダったら不敬だわ! アレシュ様はハゲたりなんかしませんものっ!
≪あいつ、アレシュじゃねぇし……≫
——それに、ハゲたってわたくしの愛は変わりませんわ!
≪あたしだって、ミハルがハゲたって愛は変わらねぇよっ!!≫
リヒャルトがピタリと足を止めた。リーディアは危うくぶつかりそうになって、慌てて立ち止まった。振り返ったリヒャルトは、人差し指をすっと唇に押し当てて微笑んだ。
目の前には重厚な扉があり、リダと心の中で言い合っているうちにロビーを抜けて来たのだと気づいた。
「広間へと向かう前に、こちらへどうぞ」
従僕が恭しげに扉を開いた。
リヒャルトにエスコートされリーディアも室内へと足を踏み入れると、そこで待っていた二人の青年と目が合った。
リヒャルトが静かに言葉を発する。
「殿下、主の慈悲により、我が王国に新たな光がもたらされました。さあ、この清らかな聖女の瞳に、貴方の忠誠を映しなさい」
サラリとした銀髪を揺らし、アレシュがリーディアに向けて深く頭を下げる。その傍らで、束ねた漆黒の髪を肩に垂らしたミハルも深く頭を下げていた。
リーディアが膝を折ろうとした時、リヒャルトが小さく囁いた。
「貴女は聖女なのですよ。神の選ばれし伴侶が、人の子に膝を折る必要などありません」
そして、すっと揃えた指先で、アレシュの隣に居るミハルを示した。
「ミハル殿下。聖女の『最初のご加護』を、是非殿下に」
アレシュが僅かに唇を噛む様子が、リーディアの目に映った。
ミハルは戸惑いつつ、静かに言葉を絞り出した。
「聖女様。この度は……」
そこで言葉を切ると、ぎゅっと拳を握り締めた。
「……この度は、おめでとう……ございます。貴方の健やかさこそが私の……いえ、皆の願いです」
苦しそうに唇を動かしながら、やっとの思いでそう言い終えたミハルを、リーディアは悲しげに見つめた。
「ミハル殿下。お茶会での粗相、本当に申し訳ございませんでした。ですが、わたくしは殿下のお陰で楽しい思い出を持つ事が出来ましたわ。あの公爵邸で、唯一の、良い思い出なのです。感謝しておりますわ。ミハル殿下の歩まれる道に、主のご加護がありますよう、お祈りいたします」
そして、リーディアがアレシュへと視線を向けた瞬間、すっと目の前にリヒャルトが掌を差し出し、視線を誘導するように動かした。
「さあ、広間へ参りましょう。聖女のご加護を待つ者達で溢れ返っております故、今日は忙しいのですから」
——え……? でも……。
リーディアはアレシュへと視線を戻そうとしたが、リヒャルトが自らの身体で遮って、進むようにと促した。
何も言えず、リーディアはリヒャルトのエスコートに従うしかなかった。
「……枢機卿猊下」
アレシュが震える様に言葉を吐き、リヒャルトが僅かに振り返った。
ニコリと少年のような笑みを浮かべ、アレシュはサファイアブルーの瞳でリヒャルトを見つめた。
「僕の姿が見えなかったようだから、声を掛けてあげたんだけれど。目が悪くなったの?」
≪こいつ、正気か!?≫
リヒャルトが小さくため息を吐いた。
「アレシュ王太子殿下。聖女の御前である事をお忘れですか?」
唖然とするリーディアの前で、アレシュは肩を竦めた。
「聖女、ねぇ……。聖女叙任式を行ったのは僕も勿論見ていたよ。けれど、僕と彼女の婚約はまだ解消していない」
——え……?
「それなのに、僕は彼女と会話することすら許されないだなんて、おかしいじゃないか」
アレシュは飄々とした様子でそう言い放つと、リヒャルトに無邪気な笑顔を向けた。
リヒャルトが困った様に眉を下げた。
「……宜しい。汝の望むままに、聖女の加護を受ける権利を与えましょう」
「加護なんか要らない。時間をくれと言っているんだ」
リヒャルトは片眉を吊り上げて、面白いものでも見ているような視線をアレシュへと向けた。
その試すような視線に違和感を覚えて、リーディアは不思議そうに見つめた。
アレシュは僅かに躊躇したが、笑顔を崩さずに言葉を放った。
「彼女と話す時間をくれ。勿論、ミハルも同席させる。頼むよ……『父上』」
ミハルが驚いてアメジストの瞳をアレシュへと向けた。だが、アレシュはしれっとした様子で言い直した。
「おっと。父と子の精霊の聖名に於いてだったね。間違えてしまったよ」
≪何言ってやがんだ? こいつ……≫
リーディアは困惑し、伺う様にリヒャルトへと視線を向けた。
彼は、サファイアブルーの瞳を細め、唇を横に引いて笑っていた。
その恍惚とした笑みに、リーディアはゾクリと背筋を凍らせたが、リヒャルトはすぐにいつもの穏やかな笑みへと戻し、小さく頷いた。
「認めましょう。汝の敬虔な願いに免じて」
そう言って、彼はリーディアに視線を向けた。
「では、私は先に広間へ参ります。後程またお会い致しましょう」
「はい。枢機卿猊下……」
緋色の祭服を揺らしながら、リヒャルトは優雅に踵を返した。その足取りはどこか機嫌が良さそうに思えて、リーディアは彼が去って行く様子を不思議そうに見送った。
室内がしんと静まり返る。
「兄上、あの……」
青ざめながら第一声を放ったのは、ミハルだった。アレシュはつまらなそうに肩を竦めると、側にあったソファにどっかりと腰を下ろした。
「やれやれ、腹が立ちすぎて疲れた」
そして、リーディアにサファイアブルーの瞳を向けると、ジャケットの中からすっと封書を取り出した。桜色のそれは、リーディアがアレシュへと宛ててしたためたものだ。
「特にこれ。一番腹が立った。大臣を脅してまで送りつけて寄越すだなんてね。一体どういうつもりなのか答えてくれないか?」
封書を床の上に投げ捨てると、アレシュは睨みつけた。
「検閲を免れる為には、あの方法しかなかったのですわ」
「それは解ってるさ、中身の話だよ」
リーディアはじんわりと瞳に涙を浮かべた。
「あの、わたくしは……ですから、殿下とはもう……」
「勝手にどこかへ行くことを赦すとでも思っているの?」
ドキリとして、リーディアはラピスラズリの瞳でアレシュを見つめた。
「言っておくけど、僕はリヒャルトが大嫌いだ」
「殿下、なんてことを仰るの!?」
リーディアが大慌てで悲鳴の様にそう言い、ミハルはぎょっとして周囲に視線を走らせた。
「あいつの思い通りになんかなって堪るか。だから、勘違いをするなよ、これは決して君を想ってどうこうと云うわけじゃない」
すっくとアレシュは立ち上がると、手紙を拾い、リーディアへと差し出した。
「これは返す。君は僕の婚約者だ。リヒャルトにくれてやる気はない」
リーディアの瞳に涙が溢れる。顔が真っ赤になり、慌てて火照った両頬を手で押さえた。
広間の方から奏でられる音楽が漏れ聞こえてくる。
「さあ、向かおうじゃないか。宣戦布告しにね」
「くしゅん!!」
リーディアのくしゃみが勇ましい宣言を遮り、アレシュの顔が強張った。




