第十六話 聖銘の託宣
お茶会の席は静寂に包まれていた。
アレシュとミハルはリーディアがいつまで経ってもお茶を淹れ始めないので、押し黙ったまま身動きが取れずにいた。
≪リダ、早くお茶を淹れなくては! 貴女は今、お茶会の女主人ですのよ!?≫
「あ! ご、ごめんっ!!」
リダが慌てて立ち上がった。カチャカチャと慌ただしく音を発しながら、慣れない手つきでお茶を淹れる。
≪立ち上がる必要は無くてよ!?≫
——仕方ねぇだろ!? お茶会なんて誰も来たためし無かったし、社交界デビュー前で一度も出席したことだって無かった。それに、二年も傭兵達とつるんでたんだ。令嬢だと悟られないように振る舞わなきゃで、こんな作法なんか忘れるために必死だったっつーの!!
リダが手を震わせ、盛大に零しながらお茶を淹れる様を、アレシュとミハル、そしてベニーシェク公爵家の使用人達は目を点にしながら見守った。
テーブルクロスの上には茶葉が散らばり、どうやればそれほどに零れるのだと我が目を疑いたくなるほどの大惨事となっている。
≪リダ、お願いだから落ち着いて頂戴っ!!≫
——ええと、ええと!! ミハルがよくハーブティーを淹れてくれたんだけど! 傭兵達と回し飲みして……!
≪回し飲み!?≫
慌ただしくティーソーサーを持ち、パタパタと駆けてアレシュの前へと出すと、ケーキスタンドから菓子や軽食をむんずと手で取り、山盛りに皿の上に置いた。
≪そうじゃないわ、そうじゃなくて!! ああもう、滅茶苦茶よっ!!≫
リダはパニック状態になっており、リーディアが上げる悲鳴が全く耳に入っていない。
「……リーディア。僕はそんなに大食ではないのだけれど」
「大丈夫、やればできる。男だろ!? よし、次っ!」
≪お茶を運ぶのはバトラーの仕事よ!!≫
——あ、そうか! でもミハルだけバトラーに宜しくって言えねぇし!
リダはわたわたと歩き、ティーカップを持って今度はミハルの前へと差し出した。ミハルはどうフォローしたものかと悩みに悩み、「独創的なおもてなしですね」と苦し紛れに呟いた。
≪リダ!! お願いだからお止めになってっ!! 早く席について、アレシュ様に声を掛けて!≫
「こ、声って!? ああ! そうか!!」
リダは承知したと言わんばかりに頷くと、ぐっとカップを握り締めた。
「えーと、か、乾杯!!」
≪違いますわぁ――ッ!!≫
脳内でリーディアが絶叫する。
——え? 違う!? あ、そうかっ!! ミハルの茶菓子が無いな!
リダは再び立ち上がると、ミハルの側に駆け寄りケーキスタンドから軽食を取ろうと手を伸ばした。
ガチャン!! と、けたたましい音が鳴り響く。
リダのドレスの袖がティーカップに当たり、カップが倒れ、注がれていたお茶がミハルの衣服を汚した。
「わあっ!! ご、ごめんっ!!」
「いえ、私の事は良いのです。それより……」
ミハルはじっと熱さに耐えて、心配そうにリダを見つめた。
使用人達が大慌てでナプキンを差し出し、リダはそれを奪い取ると、ミハルの服を必死になって拭いた。
「ホント、ごめん。熱いよな!? 早く脱いだ方がいい!」
ミハルは困惑しながら首を左右に振った。
「いえ、そういうわけには……」
リダが強引にミハルのコートを引っ張り、ミハルは動揺して顔を赤らめた。
「リーディア嬢、その……!」
「火傷してたらどうすんだよ! 早く……」
ダン!! と、テーブルが強く叩かれ、同時にテーブルの上に置かれている食器類がガチャリと音を発した。
アレシュが腕を組み、サファイアブルーの瞳をすぅっと細めてリダを睨みつけた。
騒然としていた会場内が一瞬のうちに静まり返る。
「……随分と見苦しい真似をしてくれるじゃないか。リーディア、君はミハルから離れろ。使用人達、何をぼんやり見ている。ミハルを連れて全員退室しろ。王室の馬車に着替えの一つくらい用意があるはずだよ」
使用人の一人が「はい、直ちに!」と言い、ミハルを案内した。
ゾロゾロとその後に皆が続き、バタンと会場の扉が閉じられる。
リダは力が抜けたようにその場へへたり込んだ。
リダの中で、リーディアがしくしくと泣き出した。
——ああ、ごめん。リーディア。あたし、そんなつもりじゃ……。ごめん。本当にごめん。悲しませるつもりなんか無かったのに。
アレシュは席を立つと、床に座り込んでいるリダの前へとつかつかと歩み寄った。
サファイアブルーの冷たい瞳を向け、うんざりしたように眉を寄せる。
「ごめん。あたし、ほんとに。ちょっと焦っちゃって……! そう、あんたが来てくれたから嬉しくて舞い上がっちまったんだ!!」
はぁ……と、アレシュがため息を吐いた。リダは唇を噛みしめて俯くと、再び「ごめん……」と謝った。
「正直に答えてくれるかい?」
アレシュの問いかけに、リダは頷いた。
「どうも君は僕ではなくミハルを想っている様に見受けられるのだけれど。どうかな?」
リダのラピスラズリの瞳が左右に揺れた。
長い沈黙が走る。
零れたお茶が、テーブルクロスを伝ってぽたり、ぽたりと床へと零れ落ちた。
そして、静かに頷いた。
アレシュが少年の様に無邪気な笑みを浮かべた。
全てが茶番だと言いたげに、さっと肩を竦める。
「……くしゅんっ!」
彼女のくしゃみを無視し、アレシュがすっと目を逸らして、溜息を吐いた。
しくしくと、リーディアがすすり泣く。
面倒そうに銀色の髪を掻き上げて、アレシュは眉を寄せた。
「別に君が誰を好きだろうと構わないよ。だからいちいち泣かないでくれ。言っただろう、王太子の婚姻は義務でしかないって。『愛』だなんていう不確かな感情なんか、虫唾が走るだけさ」
「……違いますわ」
リーディアは涙を零しながら、アレシュを見上げた。
「わたくしがお慕いしているのは、アレシュ様ですもの!!」
「止めろ! 二度と口にするな!!」
「どれほどにお怒りを買おうとも、わたくしは……!!」
「やめろと言っているんだ!!」
怒鳴りつけた後、アレシュはハッとして眉を寄せた。
ラピスラズリの瞳に涙をたっぷりと溜めているリーディアを見下ろして、不快そうに僅かに身を引いた。
沈黙の後、ポツリと言う。
「お前、まさか……二人居るのか?」
「!!!!」
「待て、何も言うな。そうか……僕はどうかしていた。何故今まで気づかなかった」
アレシュがぶつぶつと呟く様に言葉を並べた。
「そう考えてみれば全ての辻褄が合うじゃないか。何がきっかけなのかは分からないけれど、でも……いや、待て……」
言葉を止めると、すっとサファイアブルーの瞳をリーディアへと向けた。
「……『くしゃみ』か?」
「わたくしは……」
突如、広間の扉が開け放たれた。
驚いてアレシュが視線を向けると、リーディアと同じラピスラズリの瞳をした男が事務的ながら無礼な態度でツカツカと室内へと入って来た。
背後にはミハルの姿が認められる。
公爵はアレシュの前で僅かに首をもたげた。
「茶会の最中に失礼をいたします、殿下。ですが、こちらは王室の法よりも優先されるべき事柄でございます故、ご容赦を」
「何事だ。無礼にも程があるだろう!」
アレシュが声を荒げようとも、公爵は眉一つ動かさずに視線をリーディアへと向け、すっと封書を突きつけた。
骨白の封筒に、凝固した血の様な封蠟が刻印されている。
それを見た瞬間、アレシュは吐き気が込み上げた。
ふわりと鼻につく薬のような忌まわしいミルラの香りが漂う。
リダが脳内で悲鳴を上げた。
≪そんな、まさか……! あんたにまで届くなんて!!≫
「リーディア、直ちに立ちなさい。これは『聖女』として召し上げて頂くという大変名誉ある『聖銘の託宣』なのです」
リーディアは呆然としながら父の顔を見つめた。その後ろで、アメジストの瞳を見開いて絶望しているミハルを見て、視線をすっと動かしてアレシュへと向けた。
アレシュは手を小刻みに震わせ、青ざめたまま立ち尽くしていた。




