第十五話 もう、独りじゃない
ベニーシェク公爵邸はお茶会の準備が整い、花の香りで満たされていた。
青や白を基調とした、アレシュをイメージしたものを用意するというのは、毎回の恒例となっており、邸宅中に飾られた花々は、花びら一枚落ちていることさえ許されず、使用人達は常に床を監視しなければならなかった。
勿論、『どうせ今回も来ないだろうに、無駄な事を』と皆考えていたわけだが。
リーディアはまだデビュタント前ではあるが、この日ばかりは気合を入れ、大人びたアイボリーに、淡いサファイアブルーのオーガンジーを重ねたドレスに身を包んでいた。
絹糸のように輝く金色の髪には、ドレスと同じサファイアブルーのリボンをあしらい、耳には銀色のピアスが揺れていた。
「あら、このテーブルクロス、張りが足りないわ。もっとピンと張ったものと交換して頂戴。このリボンの結び方が少し雑よ。やり直して頂戴」
リーディアが忙しそうにあれこれと注文をつけ、その度に使用人達は「はい、お嬢様」と従順に対応した。
——おかしいわね。今まではこんな事を言わなくても完璧に仕上げてくれていたのに。
≪たるんでんじゃねぇか? ケツを蹴り飛ばしてやったらいい≫
リーディアはクスクスと笑うと、「リダったら」と言って肩を竦めた。
銀製のペンダントウォッチを見つめ、手を叩いて使用人達に合図する。
「もう直ぐ殿下がいらっしゃる時間よ。お出迎えの準備をしなくては」
使用人達が正門へと集まると、リーディアは応接間の椅子に腰かけた。そわそわとしながらアレシュの乗った馬車が到着することを祈る様に待ち続けた。
≪どうせ来ねぇって。もうお約束だろ? そして、プライドが毎回粉々に砕け散るんだ≫
壁に掛けられた装飾鏡の中で、リダが腕を組んで言い放った。
リーディアは立ち上がると、鏡へと近づいて寂しげに俯いた。
「……やっぱり、来てはくださらないのかしら」
≪未来のあんたである、あたしが言ってんだぜ?≫
リダは不貞腐れた様に唇を尖らせた。
≪どれだけ、恥を掻いたと思ってんだ……≫
震える声でリダが言った。沈黙に胸を痛めて、リーディアは「ごめんなさい」と小さく言った。
「わたくしがこうして意地を張れば、リダの心の傷を抉ってしまうのね」
≪あたしだけじゃない。あんただって傷つく≫
リーディアは微笑むと、鏡に触れた。リダも手を当てて、指先が鏡越しに触れ合う。
「ごめんなさい、リダ」
鏡の中のリダが首を左右に振った。
≪あたしこそ、ごめん≫
リーディアは困った様に微笑んだ。リダもはにかむ様に微笑む。
≪あのさ、使用人達の態度の事なんだけど……≫
鏡の中のリダがため息を吐いた。
≪多分、狩猟大会での噂を耳にしたせいだと思う。あんたの不貞を疑ってんだ。だから、それもごめん……≫
リーディアは首を左右に振った。
「謝る必要なんか無いわ。間違った事なんてしていないのだもの。アレシュ様がご無事だったのだから、それでいいの」
≪でも、寂しいだろう? ただでさえ優しくもない連中が、余計にあんな風に≫
「わたくしは大丈夫ですわ。だって、リダが居てくれますもの」
≪……うん。あたしも平気さ。あんたが居てくれるから≫
「≪もう、独りじゃない≫」
ドアを叩く音が聞こえ、二人はパッと同時に視線を向けた。
「お嬢様、王室の馬車が正門を通過されました。間もなくご到着されます」
視線を鏡の中のリダへと向けて、二人は向き合うと眉を下げて微笑んだ。
「今行きますわ!」
◇◇
四頭の馬に引かれた馬車がゆっくりと公爵邸の前へと近づいて来た。敷かれたカーペットの左右には使用人達が列を作って控え、玄関扉の前にリーディアは緊張した面持ちで立っていた。
馬車が停まり、フットマンがドアを開けた。よく手入れされた革靴が馬車のステップを踏む様子を、リーディアはじっと見つめた。
太陽の光に照らされて艶やかな黒髪の男性が降り立つと、アメジストの瞳を向けてすまなそうに微笑んだ。
深い紫色のジャケットには銀色の刺繍が施されており、胸にはヘリオトロープの花が控え目に差されていた。漆黒の柔らかな髪は、ヘリオトロープと同じ淡い紫色のリボンで束ねられている。
リーディアは僅かに微笑み、すっと膝を折った。
≪アレシュの奴、ミハルを代役に立てやがったのか≫
——構いませんわ。ミハル様が来て下さって、わたくしは嬉しいもの。お見舞いで頂いたお花や、香油のお礼をお伝えしたかったのですもの。
≪やば……ミハル、めちゃくちゃかっこいい。抱き着きてぇ……≫
——絶対お止めになって!?
だが、ミハルは馬車から一歩脇にずれて足を止めた。
——どうしたのかしら?
≪さあ? 何やってんだ、ミハルのやつ。使用人達が痺れ切らしちまうぜ?≫
シン、と静まり返り、お辞儀をする使用人達とカーテシーをするリーディアは、じっと耐えた。
ミハルがコホン、と咳払いをした。
馬車の中から、白い手袋を嵌めた手が伸びて、縁を掴んだ。サラリと輝く銀髪を揺らし、サファイアブルーの瞳を伏せた男が地面へと降り立つ。
濃紺のジャケットに銀の刺繍が施されており、サファイアのタイピンが輝いている。
≪……まじか≫
——…………!
リーディアは更に深く膝を折り、頭を下げた。
ドキドキと胸が痛い程に強く鼓動する。
「お……王太子殿下、並びにミハル殿下。本日はお忙しい中、わたくし共の……」
「いつまでそうしているのさ。さっさと案内したらどう?」
アレシュがぶっきらぼうに言って、リーディアの口上を遮った。
≪だったら待たせてねぇでとっとと降りてくりゃいいのに≫
リダの突っ込みにリーディアが吹き出しそうになるのを堪えていると、ミハルがすまなそうに笑みを浮かべて言った。
「お招きいただきありがとうございます、リーディア嬢。素晴らしいお出迎えを感謝いたします」
不機嫌そうにアレシュが腕を差し出した。
リーディアは戸惑いながら、その腕に指先を添えた。
初めてのアレシュのエスコートに指先が震える。躓きそうになり、使用人達の視線の中、リーディアは唇を噛みしめた。
ミハルが見かねて声を掛ける。
「兄上、リーディア嬢が病み上がりであることはご存知でしょう?」
後方を歩くミハルに「煩いな、わかってるよ」と苛立った様に答えて、すっとリーディアの指の上にアレシュが手を添えた。
「全く、まともに歩くこともできないのか」
その手の温もりと、ふわりとしたベルガモットの香りに、リーディアは頬を染めた。
使用人達が僅かに驚いて、目配せをし合う。
≪気安く触ってんじゃねぇと言いたいところだが。おーおー、使用人共の驚いた面。こいつは気分が良い≫
王室のフットマンが青いリボンが掛けられた箱を、公爵家のバトラーへと手渡すと、更に使用人達がざわめいた。
アレシュがチラリとサファイアブルーの瞳を向けて、「大したものじゃないから、気にする必要なんかない」と言い、ミハルが笑った。
「兄上は、贈り物を選ぶのに随分と悩まれていたのですよ」
「ミハル、余計な事を言わなくていいよ」
ムッとした様に唇をへの字に曲げると、アレシュは「だから嫌だったんだ」とブツブツと言った。
「ミハルが自分で選べって言うから仕方なくさ。流石に手ぶらで来るわけにはいかなかったしね」
「王太子殿下……わたくし、今日ほど嬉しい日はございませんわ……!」
リーディアが瞳を潤ませ、アレシュはギョッとして助けを求める様に振り向いてミハルに視線を向けた。
ミハルは苦笑いを浮かべながら、首を左右に小さく振り、リーディアのドレスを褒める様にと視線を送ったが、残念ながらアレシュには伝わらなかった。
戸惑いながら公爵邸の廊下を歩くアレシュの後ろを、ミハルは黙ってついて行った。
だが、公爵邸の使用人達のリーディアに対する視線は、明らかに変わった。
廊下を歩く姿を誇らしげに見送り、『今日のお茶会はベニーシェク公爵家の名誉に掛けて、必ず成功させよう』と誓い合ったのだった。
リーディアに案内され、アレシュが席に着いた。落ち着かない様子で口をへの字に曲げて仏頂面をしており、リーディアは静々と自分の席へと向かって行く。
ミハルが気まずそうにしながらも、黙って居られずにリーディアの席に向かい、控えていたバトラーを断って自ら彼女の椅子を引いた。
「リーディア嬢。本日の装い、華やかでお美しく大変良くお似合いです。兄上は少々緊張しておいでなのです。どうか無礼をお許しください」
その様子を、アレシュがサファイアブルーの瞳を見開き、ポカンとして見つめた。
≪……ぶはっ!!≫
リダが吹き出し、リーディアは顔を真っ赤にした。
「お褒め頂きありがとうございます。ミハル殿下……」
リーディアがそっと席に掛けると、ミハルからヘリオトロープの香りがふわりと漂い、リーディアの鼻をくすぐった。
「くしゅん!!」
「お大事に、リーディア嬢」
ミハルの言葉を聞きながら、リダは青ざめた。




