第十一話 僕の権限なんか、この程度のものか
アレシュに抱かれたまま馬に揺られ、リーディアは今更ながらに体中の痛みを感じた。
——リダが無茶するから、死ぬほど体中が痛いわ。
≪そりゃ筋肉痛だ。あんた、気づかなかっただけで運動神経抜群なんだぜ? 才能の塊だとミハルによく褒められたもんだ≫
ミハルと聞いて、リーディアは溜息を洩らした。
——さっきは、なんだかミハル様に悪い事をしてしまった気がしますわ。
≪あんたが気にすることじゃないさ。兄弟の問題だろ?≫
押し黙ったまま馬を進める重苦しい空気に、リーディアは溜息をついた。
——あんなに怒るアレシュ様を、初めて見ましたわ。
≪……ああ、あたしも初めて見たよ。あいつなりに、色々悩みを抱えてるんだろうな。でもだからといってあたしやミハルにした仕打ちは赦せない≫
視線を後方へと向けると、俯いたまま着いてくるミハルの様子が見えた。
チラチラと差し込む木漏れ日に艶やかな黒髪が照らし出され、寂しげに伏せるアメジストの瞳が彼の美しさを際立てている。
≪ミハル、やっぱり最高だな≫
——アレシュ様の方が素敵ですわ。
「……あいつが気になるのか?」
アレシュに声をかけられて、リーディアは慌てて首を左右に振った。その様子を見て、不思議そうに小首を傾げる。
「不可解だ。どうも合わない」
「何がですの?」
「さて……」
アレシュはニコリと少年のような笑みを向けた後、馬の速度を落とした。
「ミハル」
「……はい、兄上」
「さっきはすまなかったね。どうかしていたみたいだ」
銀髪をサラサラと揺らしながら、アレシュが爽やかに言った。
「いえ、私こそすみませんでした。自分の身分を弁えず、兄上に進言するなど不遜な行為でした」
——あの、わたくし、この状況どうしていれば宜しいんですの?
≪さあ……? 寝たふりでもしとけば?≫
アレシュはチラリとリーディアに視線を向けた。気まずそうにしている様子に片眉を吊り上げる。
「そういえば、思い出したのだけれど」
やけに明るい様子でアレシュが言葉を放った。
「彼女はどうも、君に気があるようだよ、ミハル」
ミハルとリーディアは目を見交わし、動揺した様子でアレシュを見た。
「昏倒から目覚めた時、僕の事を『ミハル』と呼んだからね。そうだろう? リーディア」
——リダのバカっ!!
≪いや、無意識だったし……。つーか、ミハルを好きなのは本当だし……≫
リーディアは泣きそうになりながら、必死になって答えた。
「わ……わたくし、覚えていませんわ」
涙ぐむリーディアに、ミハルは頷いて答えた。
「恐らく兄上の聞き間違いでしょう。……恐らくは」
「そうだろうか? 僕は耳が良い方だけれどね」
そして、アレシュは思い出した様に「ああ」と言葉を続けた。
「王城のロビーでも抱き合っていただろう? あれを目にした使用人は少なくない。僕の見間違いだけでは済まないと思うのだけれど?」
≪こいつ、何がしたいんだ……?≫
楽しげに笑うアレシュを、リダはリーディアの目を通しながら見つめゾッとした。
唇を噛みしめるリーディアの様子を見て、ミハルがため息をつく。
「兄上、冗談が過ぎます。リーディア嬢のお気持ちをお察しください。以前ご説明申し上げたではありませんか。あれは事故だったのだと。兄上に冷たくされ、彼女は動揺していたのです」
ミハルは悲しげに眉を寄せ、アメジストの瞳を伏せた。
「リーディア嬢が愛していらっしゃるのは、兄上です……」
アレシュは少年のような無邪気な笑みを浮かべた。
「別に、彼女が誰を愛していようと僕にとってはどうでもいい話だけれどね。王太子の婚姻は義務でしかない。『愛』だなんていう不確かな感情で決まる事じゃないよ」
ミハルに一瞥するとアレシュは「そんなもの、虫唾が走るだけだ」と言って馬を進めた。
「殿下、お待ちしておりました」
数名の近衛騎士が合流すると、道案内を始めた。呆然としているリーディアに構わず、アレシュが何やら指示を出している。
「承知致しました」
「頼んだよ。備えとはいえ、割と急いでいるからね」
先導している騎士に続くと、木々が開け、王室の純白の天幕が眩いばかりの光を放って出迎えた。
瞬間、賑わっていたはずの会場がシンと静まり返り、貴族達は無言のまま王太子一行を見つめた後、さっと左右に分かれて天幕へと続く道を作った。
——お待ちになって、公爵邸へ行くのではなくて……?
≪嘘だろう……? こんなの、晒し者以外のなにものでもない!!≫
アレシュも意外だったようで、小さく舌打ちをした。
怯え切ったリーディアを抱く腕が、僅かに引き寄せられる。
「僕の権限なんか、この程度のものか」と呟いて、アレシュは馬から降りると、怯えているリーディアへと手を貸した。
王室の天幕へと歩を進めて行くと、王の傍らに立つ男の存在に気づき、アレシュはピタリと足を止めた。
ひゅ、と息が喉を通る音が、隣を歩くリーディアの耳にも聞こえた。
込み上げる吐き気を必死に抑え込む。
「枢機卿……猊下……」
震える唇を動かし、アレシュが言った。
緋色のケープを羽織り、その下には漆黒のカソックを着込んだ男が、穏やかな笑みを口元に浮かべてアレシュを見つめた。
長い銀髪を後ろで束ね、アレシュによく似たサファイアブルーの瞳をしたその男は、王弟にしてこの国の枢機卿、リヒャルト・ジェハークだった。
宰相であるダヴィットと共に、リヒャルトは王の傍らに立ち、狩猟大会の会場とは思えない程の神聖な空気を齎していた。
「ミハル、こちらへ来い」
王が座ったまま手の一つも動かさずにそう言った。
アレシュが深呼吸をし促す視線を向けると、ミハルは頷いて歩を進めた。
貴族達が見守る中、国王がダヴィットに耳打ちをし、コホンと咳払いをした。
「アレシュ殿下、貴賓席へ下がる様にと陛下が仰せでございます」
ダヴィットの言葉に、ハ……とアレシュは乾いた笑いを洩らした。
「いいえ。僕も立ち会います。それくらいは赦していただけないでしょうか」
アレシュの言葉を聞き、リヒャルトがニコリと少年のような笑みを浮かべた。
「神の慈悲と私の権限において、立ち会いを赦しましょう」
僅かに間を開けて、リヒャルトは値踏みするようにアレシュを見つめた。
「ただし、アレシュ殿下。あなたがそこに居るのは陛下のお許しではなく、私の祈りがここに繋ぎ止めているのだという事を忘れてはなりません」
「……ご慈悲に感謝致します、枢機卿猊下」
ニコリと微笑み一歩進み出ようとして、服の裾が引かれて振り返ると、リーディアが縋るようにアレシュの服を握っていた。
「不敬だよ」
パッと振り払い、歩を進める。
リーディアは振り払われた指先の痛みが痺れとなって残り、身動きがとれずにそのままの体勢で取り残された。
皆の注目を浴びて歩きながら、ミハルがアレシュへ小声で話しかける。
「兄上、なんとか乗り切ってください。リーディア嬢をお守りできるのは兄上だけです。兄上に発言の許可が下りないのであれば、私が代わりに進言いたします」
ニコリとアレシュは少年のような笑みを浮かべた。
「僕が彼女を庇う理由がどこにあるのだろうか。その答えがなかなか出なくてね」
「……え?」
ピタリと足を止めたミハルに「早く行きなよ、煩わしい」と促した。
国王を中心に、傍らには宰相ダヴィットと枢機卿リヒャルトが席につき、ミハルもその中へと加わった。そして、一段下の椅子にアレシュが腰掛ける。
周囲には貴族達が集まり、物珍しそうにリーディアに注目するという、公開処刑の場が整った。
馬着を纏い、切り裂いたスカートを隠す為に腰へと巻いた王太子のコートという出で立ちは、汚らわしい魔女という烙印を押すには十分過ぎる。
立ち尽くすリーディアに、リヒャルトが透き通った声で言い放った。
「静粛に。これより聖なる教会の名に於いて、『不浄』についての査問を始めましょう。陛下、そしてベニーシェク公爵。この場は人の掟ではなく、神の慈悲によって導かれるべきです」
そして、聖人の如く神々しい笑みを口元に浮かべ、サファイアブルーの瞳を細めた。
「リーディア・ベニーシェク。貴方には王太子を誑かし、不道徳な夜へと誘い込んだ罪が問われています」
どよめく貴族達に取り囲まれ、刺す様な視線を一身に浴びながら、リーディアはたった独り、絶望を味わった。




