第十話 僕は、飾り扱いされるつもりなんかない
横たわらせた馬の腹部に身を預け、二人は背を向け合い一枚の馬着を分け合いながら暖を取っていた。
心臓が口から出そうな程に緊張のピークに達しているリーディアは、吐き気すら込み上げてきた。
≪いい雰囲気じゃねぇか。良かったな?≫
——全然良くありませんわ! お願いだから茶化さず黙っていて頂戴!
涙を溢れさせるリーディアに、リダはうんざりとした。
≪あー……はいはい。邪魔者は黙っていますよっと≫
「もぞもぞ動くな。温かい空気が逃げて寒い」
アレシュの声に、ドキリとして「は、はい! 殿下っ! ご、ごめんあそばせ!?」と上ずった声を上げた。
アレシュが鼻で笑い、馬着が揺れた。
「君って本当によくわからないな」
「よ、よくわからないとはどのあたりがですの?」
「従順なのか、それとも反抗的なのか」
ドキリとリーディアの心臓が強く鼓動した。
——突然何かされたりなんて、しませんわよね……?
≪さあて。でも、アレシュだって男だぜ?≫
リダの言葉に心停止しそうになりながら、リーディアは震える唇を必死になって動かした。
「ど……ど、どういう意味ですの!?」
「さあ? ただ、妙な警戒はする必要ないとだけは言っておくよ。正直この状況は不愉快でしかない」
アレシュは身体の向きを仰向けにすると深呼吸した。揺れる馬着から彼の動きを感じ取りながら、リーディアは唇を噛みしめた。
「目ざわりなくらいに星が輝いているね。バカにでもされている気分さ」
チラリと、リーディアはアレシュが見上げる空へと視線を向けた。
夜空を埋め尽くさんばかりに瞬く星々に、思わず身体を仰向けへと変えた。
チラチラと揺れる炎の明かりが煩わしくさえ感じる。
川のせせらぎがゆっくりと心を落ち着かせ、リーディアは「美しいわ」と吐息を吐く様に呟いた。
「……美しい、か。不思議なものだね。大勢に囲まれながら感じる孤独と、こうして自然の中で感じる孤独とは全く違うんだからさ。人の世界は、醜過ぎる」
リーディアの脳裏に、母の葬儀の様子が浮かび上がり、思わず唇を噛みしめた。
「……けれど。自然の中は、意外と騒がしいですわ」
「なるほど、確かにそうだね。ただ、この騒がしさは不快ではないよ」
風が頬を撫で、ふわりとベルガモットの香りがリーディアの鼻をくすぐる。
あっと僅かに声を上げてリーディアは馬着の中でごそごそとポーチをまさぐった。純白のハンカチを取り出して、涙目で見つめる。
「良かった、落としてしまわなくて!」
「ハンカチ? 別に珍しいものでも無さそうだけれど」
そう言って見つめたアレシュの瞳に、刺繍が映りこんだ。
『半月に絡みつく棘』の刺繍だ。
「……そんなもの、まだ持っていたのか」
リーディアは恐る恐るアレシュに問いかけた。
「あの、確認したいのですけれど、返せとは仰いませんわよね?」
「いや、要らない」
即答したアレシュに違和感を覚えながらも、リーディアは大切そうにぎゅっとハンカチを握りしめた。
「美しい刺繍ですわ」
「そう? 僕とミハルそれぞれに陛下から与えられた印章さ」
アレシュはそう言って、溜息を吐きながら夜空を見上げた。
「どんなに美しくたって、ただの飾りに過ぎない」
「それでも、美しいですわ。美しくなければ飾りになりませんもの」
「僕は、飾り扱いされるつもりなんかないね」
リーディアは身体をアレシュの方へと向けると、ラピスラズリの瞳を細めた。
「ハンカチの刺繍のお話ですのに、どうなさったの?」
サラリと、リーディアの絹糸の様な金髪が白くか細い首筋へと零れた。焚火の光が瞳に反射し、桜色の唇が微笑みを浮かべている。
「でも、もしも殿下をモチーフにしたお人形なんかがあったのでしたら、わたくしは買占めましてよ?」
眠気でぼんやりとしているリーディアの吐息が吹きかかる。
ごくり、と息を呑み、アレシュは目を逸らした。
「くだらないね! そんな呪いのようなアイテムなんか、気味が悪い!」
長い睫毛揺らし、リーディアは微睡みながら呟いた。
「それでも、わたくしにとっては大切な宝物ですの。殿下、ご無事で本当に良かったですわ。わたくし、『リダ』に感謝しなければ……」
すぅっと寝息を立てて、リーディアの前髪が揺れ、白い額が露わとなった。
「妙だな。何故彼女はハンカチの事を覚えているんだ……? それに、『リダ』とは……?」
アレシュはそう呟いて、彼女の肩に馬着を掛け直してやった。
◇◇◇◇
微かに白んで行く空の下、朝霧に包まれて微睡むアレシュの耳に大地に響く蹄の振動が伝わった。
「兄上! どちらにおいでですか!!」
叫ぶミハルの声を聞き、うんざりとしながら視線を向けた。
一頭の立派な白馬が真っ先にアレシュの前へと駆けつけて、馬上からアメジストの瞳を見開いて絶句するミハルの姿を認めた。
シ、と唇に人差し指を押し当てて、アレシュはリーディアを隠すように抱いて、静かに声を放った。
「静かに。彼女は僕を救ったが為に疲れ果てているんだ。人目に晒されては気の毒だ。情けと思って見ないでやってくれるとありがたいね」
呼吸を止めてしまったかのように微動だにしないミハルに、アレシュは眉を寄せた。
「……ミハル?」
ハッとして、ミハルは馬を反転させると森の方へと向かい、共にアレシュを捜索していた騎士達を集めた。
話し声に気づいてリーディアは瞳を開き、さっと青ざめた。
——殿方と二人きりで一夜を過ごしたと噂になれば、わたくしは……!
青ざめたリーディアを見て、アレシュは僅かに眉を寄せた。
「おはよう。けれど、まだ眠っていてくれるかい? 面倒な事になっているからね」
「困りますわ。わたくし……!」
「騒ぐな、煩わしい。僕だって厄介な事になるのはご免なんだ」
震えるリーディアにため息をつくと、「この場は僕がなんとかするから」と言って、アレシュは馬着をしっかりとリーディアに巻き付けて隠す様にし、立ち上がり簡単に衣服を整え森の中へと入って行った。
「皆、聞け。全ては僕の軽率さが招いたことだ。今朝この場で見聞きしたことを口外すれば、王太子である僕への反逆とみなし、直々に処刑する。解ったね?」
リーディアは馬着に包まり、震えながらアレシュの言葉を聞いていた。
「殿下、お怪我は?」
「無い、と言いたいところだけれど。体中が痛いかな」
「直ぐに侍医を呼びましょう」
——侍医は駄目っ! 男性ですもの! そんなことになれば、醜聞が広まりわたくしは全てが終わってしまうわっ!
「……いいや、不要だ。谷へ滑落してしまってね。明るくなるまで待っていただけさ。馬は無事に見つけたから自力で戻れる。さあ、皆陛下に報告に行け」
馬が駆け戻る蹄の音が聞こえる。
リーディアは馬着を頭まですっぽりと被って震えており、アレシュが側に来た事に気づかなかった。
「リーディア、戻ろうか。これ以上面倒な事にならないうちにね」
ビクリとしたリーディアの背を、煩わしそうにアレシュは眺めた。
「僕は君以上に妙な噂が立つのが望ましくない。悪い様にはしないさ。借りは返さないと後味も悪いからね」
「兄上……」
馬から降りて近づいてきたミハルに、アレシュはため息をついて睨みつけた。
「戻れと言ったはずだけれど?」
「ですが、彼女を運ぶのには私の馬の方が……」
明らかにミハルが連れている白馬の方が体躯も大きく力強かった。それも当然だ、ミハルに与えられたのは本来ならば『王太子に与えられるはずの馬』なのだから。
「事態は急を要します。リーディア嬢をこちらへ」
「……僕の婚約者を、弟の馬に乗せろと?」
「今は目を瞑ってください。それ以上に優先しなければならない事があるのですから」
アレシュはぎゅっと拳を握り締めた。
「黙れ!! 僕を愚弄するなっ!! 今は目を瞑れだと? 今は!?」
ミハルに与えられた印章、『太陽と鎖』の刺繍が施された馬具が、アレシュの目に残酷なまでにつきつけられた。
ミハルは僅かに怯んで、「愚弄してなど……」と首を左右に振った。
「勘違いするな、お前は第二王子であり、僕の弟だ!!」
唇を噛みしめ、ミハルはアメジストの瞳でアレシュを見つめた。
「兄上の意地で彼女を危険に晒すおつもりですか!? 一刻も早く侍医に診せるべきです!! 彼女は私がお運び致します!!」
「煩いっ!! お前こそどうかしている! 男の侍医に診せて淑女としての誇りを潰す気か!! 彼女はこのまま公爵家に連れていく!」
馬着に包み込んだまま、アレシュはリーディアを抱き上げた。
眉を寄せ、ミハルは「兄上は間違っておいでです!」と叫んだ。
「誇りよりも、彼女の命の方がずっと大切なはずです!!」
「お前には分からない!! 生まれた時から混じり物で誇りなんか無かったお前にはね!! 命などいくらでも代替えが効くのだと、感じたことが無いだろう!! お前に、屈辱を味わい誇りを潰され続ける苦しみが理解できるはずがない!! 人の中で味わう孤独を、お前が理解できるものか!!」
「……っ」
声を押し殺して泣くリーディアに、二人はハッとして言葉を止めた。
「……すみません、リーディア嬢。貴方を怖がらせるつもりは」
縋りつく様に、リーディアがアレシュの服をぎゅっと握った。
ミハルはそれを見て唇を噛みしめ、睨みつけるアレシュに小さく頷いた。




