第2話:沈黙の野営と、ふかし芋の憂鬱
日が落ちた荒野は、昼間の焦けるような熱気が嘘のように冷え込む。
乾燥した風が枯れ草をカサカサと揺らす音と
パチパチと不規則に爆ぜる焚き火の音だけが
どこまでも続く荒涼とした大地に響いていた。
その火を囲むようにして丸太に腰掛けたアルフレッドは
まるで親の仇、或いはかつて自身に刃を向けた
敵対者でも見るかのような鋭い目で、自らの手元を睨みつけていた。
彼の手にあるのは、拳ほどの大きさをした赤茶色の塊。
何の味付けもされていない、ただの『ふかし芋』である。
アルフレッドは無言のまま、引き金に掛け続けてきた太い指で
ちまちまと薄い芋の皮を剥いた。
……かつての彼であれば、このような夜の野営では
滴る脂で焚き火の炎を天高く跳ね上がらせるほどの分厚い干し肉を
豪快に炙り、喉が焼け焦げるほどきつい度数のバーボンを
浴びるように飲んでいたはずだ……だが、今は違う。
彼の脳裏には、この旅を始める原因と成った
出発前、娘から突きつけられた『健康診断の絶望的な数値』と
彼女の涙ながらの(そして烈火の如き)説教が焼き付いている。
アルフレッドは無言のまま、太い指でちまちまと芋の皮を剥いた。
かつての彼であれば、このような夜の野営では
滴る脂で焚き火の炎を跳ね上がらせるほどの分厚い干し肉を焼き
きつい酒を浴びるように飲んでいたはずだ……だが、今は違う。
(……油は血管を詰まらせる。塩分は寿命を確実に縮める。
娘の言う通りだ、我慢しろ俺……この不格好な炭水化物の塊だけが
今の俺を救う唯一の糧だ……!)
心の中で念仏のように唱えながら、パサパサに乾いた芋を一口かじる。
味がない……いや、芋本来の微かな甘みはあるのだろうが
何十年も塩とスパイスとジャンクフードで焼け焦げた彼の鈍感な舌には
ひたすらに『虚無』の味がした。
咀嚼するたびに口内の水分を根こそぎ持っていかれ
たまらず生ぬるい水で強引に胃の奥へと流し込む。
一方、その斜め向かいではカルメンとブラッドが
アルフレッドの精神を削り取るような実に美味そうな匂いをさせていた。
「いやぁ、やっぱ外で焼く肉は最高だな!
なぁ、カルメン。この滴る脂たまんねえぜ!」
「そうね。この特製スパイス、よく効いててお酒が無限に進むわぁ~っ♪
ほぉらっ!……もう一杯っ♪」
ジュージューと暴力的な音を立てて焼ける肉の脂の匂いと
甘ったるく芳醇なラム酒の香りが、夜風に乗って
アルフレッドの鼻腔を容赦なく責め立てる。
彼の太い眉がピクリと動き、無意識のうちに視線がコートの懐
『冷たい銀色のスキットル』へと向かった。
(ほんの少しだけなら……舌を湿らせる程度なら……)
そう葛藤した瞬間だった。
「あ、ダメよ? アル」
カルメンが肉をかじりながら、ビシッと指を差してきた。
「あんた、これから組織を根絶やしにするっていう
凄まじくデカい仕事に向かうんでしょ?
そんな時に酒なんかで感覚鈍らせたら一瞬で命取りよ?
あたしらはサポート役だから多少はいいけどね?」
「し、仕事? ……あ、いやそうだった!
流石は伝説の殺し屋だぜ。本番前はアルコールを一滴も入れず
己の肉体と精神を徹底して律するってわけだ。
どんな敵が待ち受けていようと、最高のパフォーマンスを出す。
そのためのストイックな食事! ……シビれるねぇ!」
ブラッドも大袈裟に頷きながら、口元から滴る肉の脂をワイルドに拭う。
アルフレッドは「チッ」と舌打ちをし
名残惜しそうにスキットルから手を離した。
(こいつら、俺がストイックに任務に備えてるって勘違いしたままか。
……まあいい。娘に孫を抱かせてもらうため
これが健康作りの一環だなんて
殺し屋としての面子が立たねえからな……説明する手間が省けた)
彼は自分が『娘に命じられた健康管理』をしている事が
二人には微塵もバレていないと思っていた。しかし実際のところ
カルメンとブラッドの二人は、アルフレッドの愛娘から――
『お父さんが隠れてお酒やお肉に手を出さないように
上手いこと理由をつけて止めてくださいねっ♪
万が一バレたら、ボーナスは無しですからね!』
――と、たっぷりの報酬を提示され
監視任務についているのだ。
二人の大袈裟なセリフも、血の気の多い
伝説の殺し屋のプライドを傷つけることなく
巧妙に食事制限をさせるための高度な心理的テクニックである。
一方、そんな高度な情報戦が繰り広げられているとは
夢にも思っていないアルフレッドは
再び虚無の表情で残りのふかし芋を胃に流し込み、味気ない食事を終えた。
「……見張りの前半は俺がやる。
お前らはさっさと寝てろ。肉の匂いが鼻について敵の接近に気付けねえ」
ぶっきらぼうにそう告げると、アルフレッドは焚き火のそばに座り直し
ホルスターから愛用の魔改造リボルバーを取り出した。
炎に照らされ、真鍮と黒鉄のパーツが鈍い光を放つ。
歯車と冷却パイプが複雑に絡み合った、無骨極まりない機構
ボロ布で銃身を丁寧に磨き上げながら
彼はいつもの『健康的な』儀式を行う。
胸ポケットから太い葉巻を取り出し、だが。火は点けず
ただ口に咥えるだけ……そして銀色のスキットルを取り出し
親指で弾くように蓋を開け、最高級バーボンの芳醇な香りを
肺の奥深くまで吸い込み……一滴も飲まずに、静かに蓋を閉じる。
(ふぅ……これも全ては
娘の家に転がり込み、新しい孫の顔を見るまでだ。
あの静かで平和な住宅街でシチューを食いながら暮らすためだ……!)
葉巻を咥えたまま、静かに銃のシリンダーを回す。
カチャ、カチャという小気味良い金属音が、冷たい夜気に溶けていく。
だが……そのささやかな平穏の時間は長くは続かなかった。
ふと、アルフレッドの鋭い視線が
焚き火の光が届かない闇の奥――数十キロは離れているであろう
岩山の稜線へと向けられた。
長年の修羅場を潜り抜けてきた戦士としての直感が
風の音に混じる微かな大気の震えを、明確な『殺気』として捉えていたのだ。
「……ブラッド、カルメン。起きろ」
アルフレッドが地を這うような低い声で呼びかけると
毛布に包まって熟睡していたはずの二人も
即座に武器を手に取り無音で身を起こした……日常のドタバタはともかく
この辺りのプロ意識は裏社会で名を馳せただけあり、流石と言える。
「どうしたの? アル。敵?」
「……臭うだろう、カルメン。
乾燥した風に混じって、火薬と焦げた機械油の臭いが運ばれてくる。
それだけじゃ無え……遥か遠距離から
俺たちをジッと『覗いている』卑劣な奴までいやがる」
アルフレッドは火のついていない葉巻をギリッと噛み締め
カチャリとリボルバーの撃鉄を起こした。
「味気ねえふかし芋だけじゃあどうにも腹の虫が治まらねえ。
どころか余計に胃酸が出てイライラしてくる。
……まぁ良い、食後の運動の時間だ」
肩をゴキリと回し、口から深く白い息を吐き出すアルフレッド。
そんな彼の研ぎ澄まされた視線の先では……暗闇の奥
遥か遠くの高台からこちらを狙う『スナイパー』の
冷たいスコープの十字が
アルフレッドの眉間をピタリと捉えていた――




