8. 猫と朝食②
中途半端なところで切り上げてしまったので、エピソードを少し追加しました。
盛大に文句をつけながら、ソフィアの手から逃れようとじたばたするフクだったが、上下からしっかり抑え込まれただけでなく、自身の文鳥サイズが仇となり脱出することができない。
「わたくしには見えないのだけれど…ソフィアちゃんは何をしているのかしら?」
「フク殿で遊んで…いや、一緒に戯れています。多分」
ミランダの問いにアルノルトが言葉を選びながら答える。
「羨ましい。わたくしもアンヌお姉さまのユキヒョウとじゃれてみたい…」
『オレもニノンみたいな美猫といちゃついてみたい♡』
『未来永劫、徹頭徹尾、お断りよ!』
ミランダの呟きに割り込むように、どさくさに紛れてニノンに擦り寄ろうとしたブルーノだが、勢いよく振り上げられた彼女の太い尻尾を顔にまともに受けて、そのまま後ろに倒れこむ。
『オレ様の高貴な顔に何しやがる!』
『今すぐ毛皮を剝いでやっても構わないのよ?』
立ち上がりかけたブルーノの首の上から、これまた太い前足をぐっと押し付けて倒し、ニノンがその美しい薄緑色の瞳に剣呑な光を宿す。
『公爵家に逆らう気かよ!』
『お前は貴族でも何でもないでしょう。何を勘違いしているの?精霊の世界に人間の貴賤は当てはまらないのよ?ワタシより格下の若輩者の分際で偉そうなことをほざくなんて、この世から消されたいのかしら?』
ニノンに鼻で笑われ、ブルーノが恥辱に震えるのが見て取れる。
フクによると、アルノルト様のラグドール猫のリュカもブルーノより格が上らしいが、普段から泰然と構えていて、我関せずのところもあるため、おそらくブルーノが威張り散らしていても、今までは何の問題も起きなかったと思われる。
「…喧嘩を売る相手を間違えたわね」
『ニノンもザカライアも高位の精霊で、その霊力も格もブルーノと比べものにならないのだが』
「そうであれば尚更、自分の立ち位置を自覚するべきじゃない?」
『たまに居るのだ。加護を与えた人間の身分制度をそのまま自分に当てはめて威張り散らす愚か者が』
もがくのを止めたフクが、ソフィアが力を抜いた隙にするりと肩へと移動し、不機嫌そうに言い捨てる。
なるほど。カレンのトラ猫のデボラと同列のおバカさんということね。
自分を客観視できないおマヌケさんは、今後のことも考えて、ニノンに懲らしめてもらったほうがいいかしら?
『お前こそ偉そうにするなよ!』
『偉そうではなく偉いのよ。当たり前でしょう?フク様に続く霊格を持つのは、ザカライアとワタシだけなのだから』
『なんだよ、ババアかよ!愛想を良くして損した!』
『…やはり破滅したいようね』
ニノンの顔がもはや獲物を前にした猛獣である。
ダメだ。あれは本気でヤル気だ。
『フク様、(ヤっちまう)お許しを』
『…ほどほどにな』
『な、何をする気だ!』
「ちょっとした教育的指導よ」
「うるさい、チビ!お前は黙っていろ!」
ブルーノが八つ当たりのようにソフィアを威嚇する。
こいつ。昨日もわたしを脅すように睨みを利かせていたけれど、態度が悪すぎる。(チビって言った!)
あのときはいきなり威嚇されて、フクもわたしも怖気づいてしまったけれど、ニノンにあっさり押し倒されるくらい弱いなんて、へなちょこもいいところだわ。(チビって言った!!)
仕返しにニノンに混じって全身の毛をガタガタに刈り上げてあげようかしら。(チビって言った!!!)
「そこのブタ猫!コイツより偉いんだろ!止めろよ!」
『ニノン。消し炭にしてやれ』
『お任せください!』
フクの承諾を得たニノンが、嬉々としてブルーノの後ろ首をガブリと咥え、引きずるように何処かへ行ってしまった。
遠くからブルーノがギャーギャー叫んでいるのが聞こえるが、あれだけ元気があれば、ニノンから繰り出されるアレコレに耐えられるだろう。(ぜひご自慢の高貴な顔とやらをギタギタにして欲しい)
「ソフィア嬢、教育的指導とは?ブルーノ達は何処へ消えたのだ?」
一部始終を目撃したアルノルトだが、彼らの会話が聞こえなかったため、戸惑いながらソフィアに問う。
「ニノンに無礼を働きフクに暴言を吐いたブルーノを、(物理的および精神的に)完膚なきまでに叩きのめしに行っただけです」
それが何か?とソフィアがこてんと小首をかしげる。
上位の精霊が下位の精霊を指導するのに何の問題が?
小神であるフクの許諾も得ているのに何を言っているのでしょうか?
「…ニノンとやらは、そこの侍女の猫だと聞いた」
「その通りです」
「ブルーノは姉上の猫だ」
「存じております」
「子爵家の猫が公爵家の猫に物申すのか?」
「ただの猫ではなく精霊です。精霊の序列は霊力と霊格で決まるのです。加護を与えている人間の上下関係や優劣は関係ありません」
むしろ礼儀が欠けているのはブルーノのほうである。
フクは小神で、神としての格は低いが精霊より上位に属する。
本人の意思で猫の姿になっているだけで、実際は神殿に祀られ、精霊のみならず人々から畏敬の念を抱かれる存在なのである。
ソフィアと軽口をたたき合っているため、気安い相手だと誤解されがちだが、ひとたびフクが本気になれば、公国や精霊すべてが一瞬で消え去ってもおかしくない。
ブタ猫発言にかなり怒り心頭で、今も「誰がブタだ!クソガキが!」とソフィアの耳元でブツブツ言っているフクだが、ブルーノは精霊としてはまだ若く、(ニノンの教育的指導の下)これから改心することを踏まえて、目こぼししているだけである。
「ブルーノが公爵家の猫だからと、家格の低い人間に加護を与えている精霊も人間の階級制度に倣うべきだとおっしゃるのであれば、精霊を統べる小神のフクが、若輩のブルーノに頭を垂れねばなりません。そのような人間の理屈が精霊に通用すると思いますか?小神や精霊が人間の勝手な言い分に従わなければならない道理などございません」
「別の見方をすれば、わたくし達人間は精霊の序列に則るようにはなっていません。もし精霊に合わせるのであれば、伯爵家子女のわたくしに公爵家後継のミランダ様が従属することになるのですよ?そのような事態をお望みですか?精霊に加護を与えていただいている身でこれ以上不遜なことを言い募る気ですか?」
「違う!そのような意味で言ったのではない!」
怒りや呆れをにじませて問いただすソフィアに、アルノルトが慌てて否定する。
「違うのだが、その、わたしの言い方が悪かった。そうではなくて、いくら姉上に慕われていても、アンヌという侍女は子爵令嬢なのだろう?たとえ精霊同士の諍いでも、公爵家の姉上に不敬を働いたと見做されれば、侍女もソフィア嬢も困ると思ったのだ。誓約書にはソフィア嬢の不敬は問わないとあるが、侍女は含まれていないのだろう?」
必死に言い募るアルノルトの言葉に、ソフィアが目を丸くする。
「…私の物言いは偉ぶって聞こえるし、言葉も足りないと姉上に注意されていたのに、また失敗してソフィア嬢の気分を害してしまった。フク殿や精霊猫を人間に合わせようなどと思っていない。ただ精霊の世界とどう異なるのかわからないため、ソフィア嬢の大切な者に咎めがあってはと心配になり確認したかっただけだ。紛らわし言い方になってすまない」
これで伝わっただろうか?と、不安気な表情でアルノルトが眉を下げる。
どうやら「子爵家の分際で公爵家に何をする!」という意味ではなく、アンヌの身を案じて忠告しようとしてくれたらしい。
「…精霊猫は他の方には見えませんし、会話も聞こえませんから、わたくしやアンヌ、アルノルト様が明らかにしない限り、ブルーノ達のやり取りはミランダ様にも使用人にも伝わらないと思うのですが」
「あ…」
暗に秘密にできると言ってみると、今気付いたと言わんばかりにアルノルトがうろたえる。
日常的に精霊猫が見えるアルノルトにしてみれば、目の前で等身大のクロヒョウとユキヒョウがお互いに牙を剥き出し争っている姿を見て、かなり焦ったことだろう。会話が聞こえなければ尚更だ。
しかも人間と精霊の世界の違いなど、ソフィアとてフクが居なければ知り得なかったことなのだから、精霊猫同士のいざこざとはいえ、ミランダに対してアンヌが無礼を働いた形になるのではと、アルノルトが気を揉むのも当然である。
「私達だけなら良いが、屋敷内には使用人が多数居て来客も多いから、見られたら大変だと思って…そうだな、普通は視えないのだったな」
最後は自分に言い聞かせるように、アルノルトがぽつりと独りごちる。
その小さな呟きを拾った途端、アルノルトの気遣いがすとんと胸に落ちた。
ミランダやアルノルトの側近だけでなく、公爵夫妻やミランダの夫君の側仕えも公爵家に勤めている。
彼らすべてがソフィアに好意的で、次期公爵のミランダへの不敬を許容するとは限らない。
誓約書は正式なものであり有効だが、それを笠に着て無礼に振る舞うのとはまた別の問題である。
もちろんソフィアはそんなことをするつもりはないが、誓約書の存在を大っぴらにできない手前、人目に触れる場所での言動によっては、公爵家の面子を潰す恐れがあり、表面上の処罰が必要な事態が起きるかも知れないのだ。
「…考えが足りないのはわたしのほうね」
『気付いたか?』
「うん。視野がずいぶん狭くなっていたみたい」
『いちいち食って掛かるのは良くないぞ』
「そうね。ブルーノの態度がかなり気に障ったとはいえ、無関係のアルノルト様に礼を失していたわ」
アルノルトの意図が飲み込めなかった自分が情けない。
自分の勝手な思い込みで警戒して威嚇して、わたしこそ毛を逆立てた猫のようだ。
彼の思い遣りは判りにくいが、詰問する前にしっかり話を聞くべきだった。
昨日から不躾な態度でアルノルトに当たり散らして、これではまるで傲岸不遜なあの父親のようではないか。
項垂れるソフィアの頬にフクがそっと擦り寄る。
泣くのを我慢しているのをわかっているとでも言うように、小さな頭をぐりぐりと押し付けてくる。
『アンヌとイレーネ女史以外の人間は全て敵も同然で友人も居なかったからな。人付き合いが上手くいかないのは仕方があるまい』
「せめてアカデミーの中等部に行きたかったのに…」
『あのときのカレンの邪魔は露骨だったからな』
「フクが止めなかったら仕返ししていたわ」
『あれは止めて正解だ。カレンの頭を丸刈りにしようとしただろうが』
当時を思い出したのか、フクが呆れ返った顔になる。
じつはカレンの寝込みを狙って本懐を遂げようとしたのだが、アンヌとニノンを味方につけたフクに阻まれ、「ソフィアお嬢様。物理的な報復は綿密な計画を練らないとすぐに発覚します。自らの手を汚さないことも選択肢に入れなくては。今はその時期ではございません」などと不敵な笑みを見せるアンヌに思わず背筋が粟立って、速攻で諦めたのだ。うん。怖かった。
リュート公国のアカデミーは、高等部(十四歳~十六歳まで)と中等部(十一歳~十三歳)に分かれていて、貴族のみならず平民にも門戸が開かれている。
貴族家の多くは幼い頃から教育係や家庭教師を付けてマナーや教養を学ぶため、アカデミー入学は必須ではないが、授業内容と教授陣の質の高さ、定期試験の難易度の高さを考えると、アカデミー卒業という資格は何よりのステータスになるのだ。
また、友人を作り上下関係をしっかり学ぶことで、社交や情報収集のためにも、入学しておいたほうが後々家の利益になると考える貴族のほうが多い。
希望者は寮に入ることもできるため、ソフィアは是が非でも中等部からアカデミーに入学したかったのである。
しかしそこでイレーネ先生に教えを受けていることが裏目に出た。
イレーネ先生は前々大公の妹…つまり今の大公の大叔母に当たり、フェラン侯爵家に降嫁して三男一女をもうけ、長男が侯爵家を継いだ後に当時の校長に懇望されてアカデミーの教授に就任した経緯がある。
アンヌの紹介で約五年前にソフィア専任の教育係を引き受けてくれた際には、先生が大公爵家の血筋であることが、あの虚栄心の強い父親を説得する好材料になったのだが、アカデミー中等部の入学を願う際には、カレンの「義務ではないアカデミーに通学させるよりも、イレーネ先生の教授を延長してもらったほうが伯爵家にとって利益になる」との甘言に唆され、頑として認めてくれなかったのだ。
確かにイレーネ先生の指導は「アカデミー入学まで」との約束で、カッセルズ家でソフィアの教育係を務めていることは他言無用と契約書にきっちり定めたのだから、父親が周囲に言いふらすことはできないはずなのだが、「娘がアカデミーに在籍している」ことよりも「元大公女のイリーネ先生がカッセルズ家で教えている」ことのほうが父親の自尊心を満たすことを、カレンはよく知っていたのである。
ソフィアのやりたいことを嗅ぎ付け、それを潰すのが何より楽しみなカレンらしい姑息な手段だが、それに気付かなかったのが何よりも口惜しい。
イレーネ先生の最初の授業で、「自分も教わりたい」と無理やり乱入したはいいが、「礼儀のなっていない理解力の乏しい愚物には必要ない」と冷たくあしらわれたことのあるカレンが、その恨みを晴らさないわけがなかったのだ。
もちろんアンヌとイレーネ先生もカレンを警戒して、先に父親に根回しをして説得済みだったはずだったのだが、入学願書の提出当日に突然手のひらをひっくり返され、態度を急変させた父親を問い詰めようにも、執事のバリーにのらりくらりと面会を断られるため埒が明かなかった。
イレーネ先生が「これ以上教えることはない。あとはアカデミーで学びなさい」と自ら辞することで、ソフィアを入学させるように仕向けることもできたのだが、「これ以上教えても無駄だから、あとはアカデミーで何とかしろと見放された」などとわざと解釈を捻じ曲げたカレンが、意気揚々とソフィアの無能ぶりを周囲に広めるのが容易に想像できたため、中等部への入学は断念したのである。
しかし高等部への入学だけはソフィアも簡単には譲れない。
順当に中等部に入学していれば、高等部に通うカレンに無いこと無いことを吹聴され、学校生活が暗澹たるものになっていたかもしれない。
そのためソフィアは高等部入学までの期間を逆に好機ととらえ、イレーネ先生の愛のムチ(山積みの課題)時々アメ(高級燻製肉)に鍛えられ、ザカライアに何度もかじられながら、高等部の推薦入学試験の合格を目指して奮闘した。
基本的に保護者の同意があれば試験なしで高等部に入学できるのだが、裏を返せば同意がなければ入学できない。
父親を一切信用していないソフィアは、アカデミーの教授三名の推薦と、彼ら以外の教授連が出題する試験の九割以上の正解を必須とし、保護者と言えども勝手に取り消すことができない、公国が認めた特別待遇学生の推薦入学許可証を取得することに成功したのである。
ここまでは幸いまだ父親にもカレンにも知られていない。
特待生の優遇制度を利用すれば、学費や寮費のみならず、生活費や交際費も含めた学業や貴族としての体面を保つための費用をアカデミーがすべて負担してくれるため、無事に入学できれば、伯爵家の縛りから抜け出せる。
しかしまだ油断はできない。
本試験は冬に行われるため、そこを目指して猛勉強をしているふりをしているが、ソフィアの心身を傷つけることを厭わないカレンのことだ、特待生としてすでに合格していると知られた日には、どんな手段を使ってでも入学を阻止するだろう。
そのため入学までの間、イレーネ先生のフェラン侯爵家に匿ってもらうことも考えたが、そこまで頼ってしまうと姻戚でつながる四大公爵のギャロット家に取り込まれるおそれがある。
あそこの家系は利に聡く、例えイレーネ先生がフクのことを漏らさなかったとしても、イレーネ先生がそこまで擁護するソフィアに不審を抱き、その利用価値にいつ気付くかわからない。
それならばミランダが次期当主とすでに決定しているヴァイス家の歓心を得たほうが良いとのアンヌの助言を受け、茶会の場をこちらも利用させてもらったのである。
しかしその茶会の場で、泣き喚いた挙句寝落ちするなどの醜態を晒し、あまつさえ高位貴族のトップに失礼な物言いで噛みつくなど、本来であれば家門ごと処罰を受けても仕方がない行為であり、呑気に朝食を満喫している場合ではないのだが、それにもかかわらず、貴族社会を熟知しているはずのアンヌがソフィアの言動を止めることなく放置し、ミランダも勝手を許していたのは、偏にソフィアが自分で自分の行いを省みて、その結果どう対応するかを見たいからに他ならない。
ならばソフィアが取るべき行動は一つ。
まずは昨日の言動を謝罪し、「なかったこと」とさらりと流してもらっていた借りをきちんと返す。
貴族の貸し借りは重いのだ。借りっぱなしほど怖いものはない。
一度初期状態に戻し、改めてミランダおよびヴァイス家との縁を結び直すのが道理だろう。
アンヌがイレーネ先生の縁者ではなくミランダを選んだのは、多少ソフィアが失敗しても挽回できる余地を残すことができるからだ。
『やっと気付いたか?』
「…遅ればせながら」
『アンヌのお膳立てにも?』
「…今更ながら」
必死で知識を詰め込んだはいいが社会経験が乏しく、人付き合いも上手くできない、頭でっかちで小賢しい小娘の自覚はある。
だからこそ誠実に着実に縁を繋いでいくしかないのだということにも。
『ここがお前の出発点だぞ?』
「わかってる」
『機を逸しないで良かったな』
「うん」
『常日頃の我の言葉の重みも深く身に沁みただろう』
「それは記憶にないわ」
『おい!』
フクの肉球に勢いよく頬を押されたが、黙殺した。
お読みいただきありがとうございます。
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何卒よろしくお願いいたします。
※次回の投稿は、7月20日(月)20時の予定です。




