7. 猫と朝食①
暴力を連想する表現があります。
苦手な方は回避してください。
茶会の途中で眠ってしまったソフィアだが、陽が落ちそうになっても目覚めないため、肌寒くなってきたガゼボを離れ、屋敷内の客室に場所を移し、そのまま朝まで寝入ってしまった。
熟睡するソフィアをそのまま馬車に乗せて帰宅することも出来たのだが、公国の都市部の中心である中央区は宮殿にほど近いため、治安維持のため東西南北にある四つの門を決まった時間に閉める規則がある。
六つ目の鐘が鳴り終わるまでは通行可能なのだが、あのときはもう秋冬時間に切り替わっていたため、午後六時ではなく午後五時が閉門の時間だったはずだ。
特別な許可があれば七つ目の鐘(午後八時~九時)が鳴るまでであれば通してもらえるが、今回はその申請をしていないため、伯爵家と言えど門限を破るわけにはいかなかったのである。
公爵家の当主夫妻は先日の夜会の後始末と社交のため宮殿に詰めており、ミランダの夫君は子供達とともに実家の侯爵家に顔を出していると聞く。
そのため当主代理の後継のミランダがソフィア(+アンヌ)の宿泊の許可を出し、「迎えは不要。用事が済み次第帰宅させる」と伯爵家に連絡を入れてくれたのだが、問題は外泊の理由を(毛根絶滅絶賛希望対象の)父親のレイモンドにどう説明するかであった。
満腹になり泣き疲れて熟睡してしまったなどと言えるわけもなく、急に具合が悪くなり公爵家に世話になったというのがもっともらしいが、それを公にするのは適当ではない。
なぜならこのことを前例として、体調不良を前面に、公爵家に滞在を目論む者(特に若い令嬢)が今後でないとも限らないからだ。
一例でもそのような事が起きた場合、公爵家に迷惑を掛けたと、伯爵家の当主としてソフィアを処罰する口実を与えかねない。
例えミランダが厚意から引き留めたということにしても、公爵家を煩わせたことに変わりなく、帰宅が翌日になってしまった時点で、ソフィアは適切な言い訳を考えなくてはならなかった。
「だったらアルノルトと婚約すればいいのよ」
翌日の朝食の席で、突拍子もないことを言い出したのはミランダである。
ソフィアの前には、肉厚のステーキサンドの他に、様々な種類のグリルソーセージ、挽肉がぎっしり詰まったオムレツ、カリカリに焼いた厚切りベーコンを乗せたサラダなど、それとなく肉々しいメニューが並んでいる。
しかも手首を痛めているソフィアを慮ってか、片手または少ないカトラリーで食べられるものばかりなのも嬉しい。
配膳を取り仕切るミランダの侍女にちらりと目をやると、微かに頷いてくれたので、おそらく彼女の采配だろう。好感度が一気に爆上がりである。
「わたくしとの茶会でアルノルトがソフィアちゃんを見初めて、わたくしも気に入って強引に滞在を延長させたことにするのはどうかしら?」
一足先に食事を終えたミランダが、食後のコーヒーを口に話を進める。
今朝のミランダの装いは、秋麗に相応しく深みのある葡萄茶色のドレスで、朝日を受けて淑やかに笑む姿が目に眩しい。
「ミランダ様。それはいささか早急すぎるかと」
「そうですよ、姉上。無理があります」
壁際に控えるアンヌが思わず口を出すと、アルノルトが慌てたように否定する。
「いいじゃない。貴方だってソフィアちゃんに興味があるでしょう?」
「興味と好意は違います」
「なるほど。ソフィアお嬢様では物足りないと」
『ほう。我らに喧嘩を売るつもりか?いい度胸だな』
「なぜそうなるのですか!」
アルノルトに冷ややかな眼差しを向けるアンヌと、頭上で鼻息も荒く息巻くフクに対して、ソフィアはよくわからないと言った表情を浮かべる。
婚約?何それ?要らないし。肉のほうが大事だし。(ステーキサンドうまっ!)
「公爵家としては利があるわ。高位貴族のマナーと教養をしっかり身に着けていて、精霊猫が見えて会話ができる上に小神の加護も得ているなんて、アルノルトの相手として申し分ないわ」
「…本音は何です」
「だってソフィアちゃんがあなたと結婚したら、アンヌお姉さまといつでも会えるじゃないの!」
『ソフィアはついでか』
「率直すぎますよ、ミランダ様」
そんなことだろうと思ったけど。
呆れたように嘆息するアンヌを横目に、ソフィアは熟考する。
ミランダに誓約書を書いてもらい、公爵家の後援を得たも同然の今、わざわざアルノルトと婚約を結ぶ必要はない。
そこまでの結びつきは過剰であり、他の高位貴族の令嬢を差し置いて、しがない新興伯爵家の次女が四大公爵家と姻戚になるなど、厄介な未来しか見えない。
二人の前で泣き喚いて寝落ちしてしまうという非礼を働いたにも関わらず、それらに触れることなくむしろ大歓迎で自分(+フクとアンヌ)を受け入れてくれるのは有り難いし、二人のことも嫌いではないが、極力面倒ごとは避けたい。
第一、華やかさの欠片もない地味な容貌の自分では、はっきり言ってアルノルトに不釣り合いである。
未だに十一、二歳程度にしか見えない身体つきの自分を婚約者候補に押し出されて、アルノルトも迷惑ではないだろうか?
「アルノルト様はどうお考えなのですか?」
「私は結婚する気はない」
「わたくしもです」
気が合いますね、とソフィアがにっこり笑う。
「ソフィア嬢は私が相手なのは嫌なのか?」
「誰が相手でも嫌です。一生独身でいいです」
即答するソフィアに、アルノルトがなぜか傷付いたような顔をする。
「あの傲慢で驕慢な父親がわたくしにとっての良縁を考えているわけがありません。まずはあの高慢で我儘な姉を片付けるのが先でしょうが、そのうち碌でもない縁談が持ち込まれるに決まっています」
例えば、好色爺の後妻とか、変態令息の玩具とか、まっとうな家や令嬢であれば絶対に避けるだろう人物だったとしても、持参金なしで構わないと言われれば(もしくは金を積まれれば)、あの父親のことだから喜んで自分を差し出すだろう。(やはり早急に頭髪をどうにかしなければ気が済まない)
「だがいつか心から愛し合える相手と巡りあえるかもしれない」
「そうよ。ソフィアちゃん。わたくしと夫のランドルフとの愛に満ち溢れた出会いから語ってあげるわ」
「遠慮します。愛だの恋だの、巷のロマンス小説のような関係に欠片も興味はありません。そんなものでお腹は膨れません」
愛で肉は買えないのですよ、と真顔で答えるソフィアに、アルノルトの顔が思わず引きつる。
「…なかなか手強いわね」
『ソフィアは色気より食い気だからのう』
「アルノルトが不憫だわ」
「あれで自覚がないのですね」
「奥手なのよ」
「先は長いですね」
何やらこそこそと話している二人と一匹を横目に、ソフィアは黙々と朝食を平らげる。(ソーセージうまっ!)
ミランダの侍女にそっと目をやると、心得たようにすぐさまお代わりを持ってきてくれる。もはや好感度が天元突破である。
「話は戻るけれど、婚約者がダメなら、行儀見習いという形で公爵家に滞在するのはどうかしら?」
「それはイレーネ先生に喧嘩を売るということでしょうか?」
ソフィアの言葉にミランダの表情がピシリと固まる。
「わたくしの教育はイレーネ先生に一任されています。寄親でもないのに行儀見習いとしてわたくしを召し上げるということは、『先生の指導が行き届いていないから公爵家が代わりに躾けてあげましょう』と(嫌味や嘲りを込めて)言っているのと同義ですよ?」
イレーネ先生も怖いけれど、ジャガーのザカライアも容赦ないですよ?
『あいつは手加減を知らぬからな』
「たまにフクも吹き飛ばされているしね」
ミランダのクロヒョウのブルーノも強そうだけど、おそらく一撃でやられてしまうだろう。
だってさっきからユキヒョウのニノンをチラチラ盗み見しているけど、全身からナルシストな俺様感が滲み出ているのよね。
そういうタイプって絶対にヘタレじゃない?
『イレーネ女史はもっと手厳しいからな』
「物理的ではなく精神的に打撃を与えにくるしね」
アンヌによると、アカデミーの教員時代のイレーネ先生は、居丈高に振る舞う学生に向かって、「貴方のその行動にどのような正統性があるのか今すぐ明確に述べなさい」と迫り、その稚拙な言い訳を一つ一つ容赦なく粉砕していったという。
公爵家だろうが何だろうが、鉄壁で完璧な論理武装で叩きつぶしにかかるわね、絶対。
「…確かにそれは拙いわね」
「冷気を纏った笑顔で呼び出されて二時間はお説教されますね」
「ではやはりアルノルトとの婚約が妥当ではなくて?」
『どうしても婚約に持ち込みたいのか』
「こちらにも事情があるのよ」
「ソフィアお嬢様のお気持ちが優先ですよ」
「だったらソフィアちゃんは結婚の代わりに何をしたいの?」
「よくぞ聞いてくれました!」
『こら、食事中!!』
ミランダの問い掛けに答えるべく、勢い良く立ち上がったソフィアだったが、フクに頭を叩かれて、慌てて椅子に座り直す。
「…失礼いたしました」
『落ち着きと礼儀を取り戻せ』
「嬉しさのあまりつい」
『気持ちはわかるが此処は公爵家だぞ』
フクに諭され、ソフィアが平静に返る。
姿勢をしっかりと正し、握りしめたフォークをそっと皿に置く。
「今までフクとアンヌにしか話していなかったのですが、じつは公国を巡る旅に出たいのです」
どのように説明したらよいのか逡巡する様子が見えたが、意を決したように切り出すと、今までにない好奇心に満ちた瞳で、ソフィアが自身の夢を語りだす。
「表向きは小国の体を装っておりますが、このリュート公国は帝国に負けない広さと資源の豊富さで知られております。また景観が美しいだけでなく、文化や芸術にも力を入れており、才能の在る者の価値を正当に評価しています」
静かな語り口ながら湧き出る気持ちを押さえるかのように、ソフィアはぐっと両手を胸に当てると、ミランダの斜め後方に視線を合わせる。
「あちらはコルラード・ルッソの連作ですね。緻密な人物画を得意としていますが、初期の頃はあのような淡い色合いの風景画を好んで描いていたと言われています。彼は平民で初めてアカデミーの特待生に選ばれ、在学中に公国の美術クラブのコンクールで最優秀賞を獲得し、近年では最年少で芸術院の理事の一人に選出されたと聞きます」
「テーブル中央の花瓶はペルティエ工房のものですね。おそらくヴァネッサ・エロワの作品でしょう。彼女は大胆な意匠と華やかな色彩との構成を得意としていて、それでいて生ける花をより引き立てる絶妙なデザインが、貴族女性を中心に人気があります。工房では貴賤や年齢、性別を問わず、才能のある者を積極的に雇用していて、伝統を大切にしながら新しい作品をどんどん生み出しています」
「ミランダ様がお召しになっているドレスは、クラリッサ・カペルがオーナーを務めるアトリエ”ブルーメ”のものですよね。極上の絹糸を高密度に撚って織られたサテン地が使われていますが、その手法はアトリエと提携している織物工房で開発されたばかりの新技術かと。従来のものと質感と光沢がまるで違います。オーナーが独立してまだ日が浅いため、アトリエの名はそれほど知られていませんが、その新たな絹織物のおかげで今後は注目を集めるはずです」
よどみなくすらすらと公国の芸術家達について語るソフィアに、アルノルトもミランダも驚嘆を通り越して驚愕の表情を浮かべる。
そんな二人の変化をよそに、公爵家が所蔵する芸術品や工芸品の数々は、言うまでもなくどれも一級品で、まるで美術館の中に居るようだとソフィアは息を弾ませる。
アルノルトは日常に溶け込んでいた屋敷内の調度品や収蔵品の価値を改めて見直すことになったのだが、ミランダに至っては自身のドレスの機密を看破され、カップを持つ手の震えが止まらない。
「わたくしは芸術の分野で身を立てたいのです。貴族女性としては異端でしょう。ですがカッセルズ家のために犠牲になるつもりはないのです」
貴族の義務として政略結婚があることは理解しているが、家族の義務を果たしていない父親と姉のために、自分が責任を担う謂れはない。
「成人したらあの家を出たいのです。そのためには伯爵家からの除籍も厭いませんが、まず先立つものがなければ意味がありません。そこで図々しくもヴァイス家に後援をお願いした次第です」
自分に割り振られるはずの予算が姉のカレンに横領され、教育に関わるものでさえ、アンヌやイレーネ先生の協力がなければ揃えることは叶わない。
それほどソフィアの立場は弱いのだ。
公国の貴族の子息子女は、跡取りやそのスペアであれば相応の教育を施され、見合った立場に就くことができるが、ソフィアのように当主に目を掛けてもらえず、じつの姉妹にも疎まれている場合、自力で何とかするには限界がある。
そのため、現在の状況から脱却するため、また自身に価値を持たせるため、アンヌと策を練って公爵家の庇護を得ることを選んだのである。
よもや超優良&人気物件のアルノルトとの婚約を提案されるとは思っていなかったのだが…とりあえず婚約の件は脇に置こう。うん、そうしよう。
「まずはアカデミーに入学して、経済学と経営学をみっちり学び、在学中に商会を立ち上げます。売り物は、じゃーん!!ずばり猫です!!」
効果音を口走りながら、ソフィアがフクを手のひらに乗せ、ミランダとアルノルトの前に突き出した。
「見てください。この可愛らしさ。やわらかくてしなやかな毛並みの美しさに感動しませんか?人を見下したような生意気な目と、人を馬鹿にしたような小賢しい口元も含めて、短い足が埋没しそうな丸みを帯びた身体を、すべて忠実に再現したフクのぬいぐるみや雑貨を作りたいのです」
『それ絶対に褒めていないだろう!』
「でもアンヌが庶民はともかく貴族に受け入れられるかどうかわからないと言うので、高貴な方々向けにもっと上品な猫をモデルにするのもアリかな?とは思っています」
『我に対する敬意をどこへやった!』
「絵本もいいですよね。父親を残虐な魔王に姉を凶悪な魔女に見立てて、徹底的にボコボコにするのはどうでしょうか?最後は勇者のフクが二人を丸飲みする場面にしたら最高ですよね」
『怖い創作意欲を膨らませるな!』
「やはり火炙りのほうが良いかしら」
『余計に悪いわ!』
メッタ斬りにするよりマシじゃないかしら?と思ったので、フクの抗議は黙殺した。
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※次回の投稿は、7月13日(月)20時の予定です。




