6. 猫と茶会④
子供が癇癪を起す様子や虐待を思わせるような描写があります。
苦手または不快に思われる方は回避してください。
「少し言い過ぎましたか?」
蒼白なアルノルトの顔色を見て、ソフィアが苦笑を漏らす。
彼の立場であればもっと上手い手立てがあっただろうと、多少なりとも腹立たしく思う気持ちがあったため、若干強めに指摘しただけのつもりだったが、ソフィアの言いようは思った以上にアルノルトに痛烈な一撃を与えてしまったらしい。
「そうよ。ソフィアちゃん。あまり弟をいじめないであげて」
「そうですわ。さすがに言い方が辛辣すぎます」
『そうじゃ。我もちょっぴり同情したぞ』
「え?全員?」
よく見ると、ミランダのクロヒョウとアンヌのユキヒョウ、そしてアルノルトのラグドール猫も、こくこくと首を縦に振っている。
納得のいかない表情を浮かべるソフィアだったが、全員に同じ視線を向けられて、不承不承受け入れる。
「そうですね。分をわきまえず余計な事まで言ってしまった認識はあります」
『自覚はあるのか』
「令嬢方だけでなく自分もないがしろにされた気がして、ちょっと苛々してしまいました」
『不満だったのか』
「とりあえず謝りますね」
『ぞんざいな態度だな』
「申し訳ございませんでした」
『ふてくされた顔をするな』
「だって」
『言い訳をするな』
「もう!フクがうるさい!!」
唐突にソフィアが癇癪を起こし始めた。
両耳を覆いフクを振り落とす勢いで大きく頭を振る。
「だってわたしに話を聞きたいなら、筋を通してきちんと頼めばいいでしょう。それなのに回りくどいことばかりして。脅したり見下したり、いい大人が寄って集って卑怯だと思わないの?わたしが子供で何もわからないと思っているから?甘い言葉をかければ簡単に丸め込めると?上位者だからと言って下位の者に何をしてもいいの!?」
まるで幼い子供が駄々をこねるように、ソフィアは感情を爆発させる。
先ほどまでの冷静な態度との違いに、アルノルトはどうしたらよいかわからない。
「ソフィア嬢、落ち着いて」
「誰のせいなのよ!」
「私だ!だから、その、頼むから泣かないでくれ」
「泣いてない!」
『いや大泣きしているぞ』
「フク様、空気を読んでくださいませ」
アンヌが呆れたようにつぶやき、すかさずソフィアに駆け寄る。
「…もういや。帰りたい…」
「あと少しだけ辛抱してくださいな」
抱き寄せたソフィアの背中をアンヌがやさしく撫でるのだが、ソフィアは頭を横に振るばかりで泣き止む様子が見られない。
しかも身体が小刻みに震えていて、何かに堪えるように肩を強張らせる姿が余計に痛々しく見える。
「ミランダ様。あちらの長椅子をお借りしてもよろしいでしょうか」
「え…ええ、もちろんよ!」
アンヌがソフィアを抱き上げて長椅子に寝かせると、後を追うようにミランダの侍女が毛皮のブランケットをそっと掛ける。
「もしや腕の痛みが再発したのではないですか?」
「ズキズキする…」
「あとはわたくしに任せてくださいませ」
「ごめんなさい…」
「よろしいのですよ」
「最後まで完璧にできなかった…」
「いいえ、頑張りましたよ」
穏やかに微笑むアンヌに安心したのか、めそめそ泣いていたソフィアの瞼が段々と落ちてくる。
『腹がくちて眠くなっただけではないか?』
「それもございますが、おそらく精神的な負荷がかかり過ぎて許容量を超えたのでしょう。腕の痛みもぶり返したようですし、感情を抑えられなかったのだと思いますわ」
ミランダの侍女が気を利かせて用意してくれたタオルで、アンヌは涙でぐしゃぐしゃになったソフィアの顔をやさしく拭う。
そしてソフィアの身震いと呼吸が落ち着いたのを確認すると、ミランダ達に向き直り深々と一礼する。
「お見苦しいところをお見せしてしまい、誠に申し訳ございませんでした」
「そんな!わたくしたちのほうこそ配慮が足りなかったわ」
「その…ソフィア嬢は大丈夫なのか?」
ミランダとアルノルトが気遣わしげな表情を浮かべる。
特にアルノルトは、あれだけソフィアに手厳しい態度を取られたのに、心配で居ても立っても居られないようだ。
そんな二人の様子を見て、アンヌが表情を緩ませる。
高位貴族の後継に生まれ、気位の高さと気の強さは一級品で、多少尊大なところはあるものの、アカデミー時代のミランダは、身分を笠に下の者を虐げることや、権力を乱用することもなかったため、彼女を慕う者も多かった。
アンヌに対しても下位貴族と侮ることなく、能力と努力を認め、心から慕い尊び、ときにはこちらが引くほど崇め奉る勢いである。
アルノルトも貴族令息にありがちな軽薄さや横柄さは微塵もなく、経験の浅さからまだ世慣れていないだけで、思ったより優しい心根の持ち主のようだ。
「ずいぶんと生意気で可愛げのない子だとお思いになったでしょう?」
率直なアンヌの言葉に、ミランダとアルノルトは返答に困ったように顔を見合わせる。
「イレーネ先生から深く指導を受け、往々にして大人顔負けの物言いをすることがございますが、本来のソフィアお嬢様が、じきに十四歳になるにしては肉体的にも精神的にもだいぶ幼いのは、実際にご覧になっておわかりだと思います。それはあの愚劣で幼稚な家族のせいで一番大切な幼少期を、愛情も教育もすべて足りない状況で過ごしたからで、そのせいか未だに心身の調和が取れないときがございます。それでも何とか人らしく成長できたのは、こちらにいらっしゃるフク様のおかげなのです」
『え?我の話までするのか?』
「もちろんです」
しれっと返答するアンヌに、フクがむむっと黙り込む。
「と言っても、できればフク様の情報は小出しにしたいところですが…」
「あら。お姉さままで厳しいことをおっしゃるの?」
言い淀む素振りを見せるアンヌに、ミランダが口を尖らせて不満を漏らす。
「ですがミランダ様は、両翼の天使に持ち札を隠していらっしゃいますよね?」
「まあ。千里眼をお持ちとは怖いこと。何をどこまでご存じなのかしら?」
婉曲な言い回しで火花を散らす二人だが、どちらの目元にも笑みが零れていて、アルノルトにはそれこそ猫同士がじゃれ合っているようにしか見えない。
「それはともかくとして、ご迷惑をお掛けしたお詫びに、わたくしがお伝えできる範囲でよろしければフク様について申し上げますわ」
「それはこちらとしてもありがたいが…フク様とは、その、ソフィア嬢の猫のことか?そこにいる三色の毛の」
「ええ。わたくしには見えませんが、アルノルト様には見えてらっしゃいますよね?それはこちらの猫の姿ではないですか?」
言いながらアンヌが鞄から少し不揃いな紙の束を取り出すと、その内の一枚をアルノルトの目の前に差し出す。
そこには少し小太りで、折れ曲がったしっぽまで白・黒・茶の模様の猫が、滑稽な仕草で描かれていて、確かにソフィアの胸の上でうずくまり、アンヌの話に耳を傾けるようにじっと目を閉じている猫とほぼ同じに見える。
「ソフィアお嬢様が描かれたものです。わたくしのユキヒョウもミランダ様のクロヒョウもございます」
アルノルトが三毛猫の絵を受け取ると、アンヌは残りの猫の絵をテーブルに一枚一枚丁寧に並べていく。
そのどれもがとても写実的で、しかも生き生きと描写されていて、アルノルトの目にも才能の片鱗を感じさせるものがある。
もっとよく見ようと何枚か手にして、ふと裏にも文字や絵があるのに気付く。
書き取りの練習だろうか、何列も同じ文字が並んでいたり、人物や猫の姿がそれぞれ違った表情で描かれたりしている。
そして色や手触りから感じる紙の種類も様々で、そのどれもが古びていて絵画に適したそれではない。
「きちんとした画材で描かれたものでないことはお気付きでしょうか?」
「これらは古紙だろうか?」
「ええ。いわゆる書き損じの反古紙や、年数が経ち劣化した紙屑の類いです。伯爵家の蔵にあったものや、屑箱に捨てられたものなど、当主が不要と判断したものを、焼却される前にかき集めたものが大半で、まっさらなものはほとんどございません」
紙の感触を確かめるため、少し強めに擦ると、鉛筆の墨が指に付いてしまう。
「お気を付けください。あまり質の良くない顔料も使っておりますので、服に付くとなかなか取れません」
「伯爵家はそんなに困窮していただろうか?」
「ソフィアお嬢様だけです。このような扱いをされているのは。姉のカレン様は贅沢が許されていて、欲しい物は何でも与えられております。しかしソフィアお嬢様は紙一枚、鉛筆一本購入するのでさえ、慎重にならざるを得ません」
なぜならば、当主のレイモンドがソフィアに無関心で、姉のカレンがソフィアに何をしても一切咎めることがないからである。
そして執事のバリーも、当主を煩わせるとわかっている事は、一切レイモンドに報告しない。
「カレン様はソフィアお嬢様より五歳上ですが、お母上がご実家に戻られたのをソフィアお嬢様のせいだとずっと恨みを抱いていて、ソフィアお嬢様には何をしても許されると、その権利が自分にあると思っていらっしゃいます。そしてソフィアお嬢様が喜ぶこと、嫌がることにとても敏感で、どうやって苛めるかを毎日考えている、非常に努力家で向上心のある、上昇志向の高いご令嬢です」
「棘のある皮肉が素敵です、お姉さま」
「いつか同程度かそれ以上に痛い目に合わせたいと思っております」
「毒のある口撃も最高です、お姉さま」
「・・・二人とも発言が怖いです」
「失礼。つい本音が」
不敵に微笑むアンヌと、そのアンヌを煌々しい瞳で見つめるミランダに、アルノルトが引き気味に指摘する。
「ともかくカレン様の妨害で、わたくしが伯爵家に来る前からソフィアお嬢様の環境はあまりよくありませんでした。当時のカレン様もまだ子供で、幼稚だからこそ残酷な行為に愉悦を覚え、無知だからこそ人を傷付ける行為に罪悪感を覚えなかったのだと思います。ソフィアお嬢様が欲しいと言ったものややりたいと言ったことは、すべてカレン様の一言で無いものとなっていたと、後々フク様からお聞きしました」
「”聞いた”ということは、あなたも、その猫、いやフク様と会話ができるのか?」
「ええ。わたくしは、”聴こえる者”です。アルノルト様は、”視える者”でいらっしゃいますね?」
「視えるだけで、声を聴くことはできないが」
「わたくしもそうです。声は聴こえますが、姿は視えません」
「ではソフィア嬢は」
「ソフィアお嬢様は、”視聴できる者”であり、そして”触知できる者”です」
「そんなはずは」
「ないとわたくしも思っておりました。実際にソフィアお嬢様にお会いするまでは」
思いがけないアンヌの発言に、アルノルトは驚愕する。
リュート公国の猫の精霊達は気まぐれだ。
普段は公国に点在している森を住み家にしているのだが、たまに街や村にやってきて、人間を手助けしたり、いたずらを仕掛けたりすると言われている。
そのくせ各々が気に入った人間に加護を与えるときは、なぜか決まって頭上を居場所にして、人間に猫をかぶせてその変化を一緒に楽しむのだ。
もちろん精霊猫の姿は人間には見えない。
自分の頭上の猫でさえ、居るのかどうかわからない。
それはかの女神が掛けた術法のせいだと考えられている。
しかし数百年も経つと、稀に彼らの存在を感知する者が出てくる。
最初はおぼろげな影だったり、ささやき声だったりと、どれも不確かなものでしか無かったが、そのうちはっきり知覚する者が出始めたと、密かに口の端に上るようになる。
公表されないのは、精霊の加護の有無やその存在の認知が、特に貴族家にとって強みにも弱みにもなるからである。
そのため、”視える者””聴こえる者”ともに、他人や他家に知られないよう慎重に対応することが多く、家族間だけで情報を共有する場合もあれば、家族にすら打ち明けないで完全に秘匿する場合もあると聞く。
「ソフィアお嬢様は後者です。あのろくでもない父親に知られた日には、どう利用されるかわかりませんし、最悪の事態として帝国に売り飛ばされるかもしれませんから」
「しかし今まで我々が集めた情報によると、普通は、視えるか聴こえるかのどちらかで、その両方を兼ね備えた者は居ないはずだ。しかも精霊に直に触れられる者など聞いたことがない。私も頭上に猫が居るのは見えるが、触れらたことは一度もない」
「ですがおそらく、アルノルト様はご覧になったはずです。ソフィアお嬢様の頭か顔をフク様がしっぽで叩いているところを。わたくしはお二人の会話から、フク様とのいつものやり取りだとあまり気にしておりませんでしたが、ソフィアお嬢様は、「何か当たっていると感じるだけ」とお答えになったと思います」
「そういえば…」
あのときは、「そうなのか」とうっかり納得してしまったが、精霊に触れないはずと考えれば、「当たっている」との答えは確かにおかしい。
「ソフィア嬢が触れられるのは、その、フク殿だけなのか?」
「いいえ。たまにわたくしのユキヒョウの肉球に鼻を押し当てて、小一時間匂いを嗅いでおられます」
「え?」
「イレーネ先生に叱られるときは、たいてい先生のジャガーに頭をかじられています」
「は?」
『嘘ではないぞ。毎回我が目撃しておるからな』
ユキヒョウは良いとして、ジャガーは止めるべきでは?
『甘噛み程度だから痛くはないぞ?たまに涎まみれになることはあるが』
「そういう問題では・・・」
「わたくしもそう申し上げたことがあるのですが、神や精霊の感覚は人と違うので・・・」
フクの言う事をアンヌが通訳してくれるのだが、そのどれもがアルノルトからすると不思議でならない。
「話は戻るが、なぜソフィア嬢は、”視る聴く触る”のすべてを満たしているのだ?」
「フク様いわく、確実ではないそうですが、一応心当たりはあるそうです」
フクの話によると、発端は十五年前に遡るという。
ソフィアが生まれる五年前にソフィアの姉のカレンが誕生し、次こそは跡取りの男子と期待されたものの、生まれたのはまたもや女子で、性別を聞いて失望した父親のレイモンドはソフィアを見ることもしなかった。
予定日よりだいぶ遅く産気付いた母親は、ソフィアを産み落とすと同時に気を失い、医師も使用人も母親に掛かりきりで、ほんの一時ではあるが、ソフィアは一人で放っておかれた。
そこに偶然通りかかったのが、後にソフィアがかぶることになる三毛猫のフクである。
生まれたての赤子に初めて遭遇したフクは、好奇心に負けてソフィアの顔を覗き込む。
泣くこともせずぐったりしている赤子が気になったのか、しっぽを揺らして肌に触れてみると、いきなりソフィアに掴まれた。
『にゃっ!?』
驚いて声をあげると、今度はソフィアの瞼が開きフクの姿をその目に映した。
精霊になった猫達は、たまに気に入った人間に憑き、気まぐれに加護を与えたり、猫をかぶるのを手伝ったりしているのだが、その姿は人間には見えないはずだった。
しかしソフィアはフクから視線を逸らさず、手からしっぽを離さず、なぜか声にも反応する。
するとどういうわけかしっぽを伝い、己の神力がソフィアに流れ出ている感覚に気付く。
焦ったフクがソフィアの手を振り払おうとするが、ソフィアの力が強く、なかなか振り解くことができない。
ようやくソフィアがしっぽから手を離したときには、フクの身体に内包する神力の四分の一を持って行かれてしまったのである。
『おそらくあのとき、ソフィアは死にかけておったのだろう。生命の危機を感じたがために、生への執着が無意識に我の力を欲したのかもしれぬ』
そして、一度他者に譲渡された神力は、その者が死なない限り元に戻せない。
ただ生きている限りソフィアは、フクの持つ能力の一部を使えると考えられた。
『我は小神であるからな。すべての精霊と会話ができるし、触れ合うこともできる。そのためソフィアも我と同じことができるのであろうよ』
「待ってください。小神とは?フク殿は精霊ではないのですか?」
『何を言っておる。こんなに神々しい精霊が他に居るわけがなかろう』
偉そうに胸を張るフクに、アルノルトが呆気にとられる。
「そんな大事な情報を後で出されても」
『訊かなかったではないか』
「てっきり普通の精霊猫だと」
『どこから見ても気品あふれる神であろうが』
「(ただの小太りな三毛猫にしか見えないのだが)」
『お前も大概失礼な奴だな!!』
うっかり本音が漏れてフクに叱られた気がしたが、黙殺した。
お読みいただきありがとうございます。
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何卒よろしくお願いいたします。
※次回の投稿は、7月6日(月)20時の予定です。




