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頭上の猫は今日も口うるさい  作者: 橘 日々季


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2. 猫と父親

途中で暴力を含む表現が出てきます。

苦手な方は回避してください。

翌朝。


前夜に肉をたらふく食べ、満足して眠りについたソフィアは、スッキリした面持ちで目を覚ました。


頭上のフクはいつもの文鳥サイズに戻っている。

触っても微動だにしないので、まだ夢の中に居るようだ。


例の子豚の丸焼きは馬車の中で余すとこなくペロリと完食し、骨は裏庭に掘った穴に隠滅した。


あとは子豚を乗せていた豪奢で高そうな皿だが、さすがに返さないわけにはいかないため、これは後で方法を考えることにする。(とりあえずベッドの下に隠した)


「ソフィアお嬢様、お目覚めですか?」


ノックの後、侍女のアンヌが静かにドアを開ける。

いつもより起こす時間が遅いのは、夜会で疲労したソフィアを気遣ってのことだろう。


起き上がったソフィアを確認し、アンヌは手早くカーテンと窓を開けて、陽光と新鮮な空気を招き入れる。


ソフィアよりも一回り年上のアンヌは、カッセルズ家で冷遇されているソフィアの唯一の味方であり、ソフィアの突拍子もない言動に動じない稀有な人だ。


ソフィアの母方の遠い縁戚で、子爵家の一人娘であったのだが、当主が事業に失敗して零落したため、伝手を頼りカッセルズ家に来たのがおよそ十年前である。


美麗な顔立ちをしているのに、艶のある黒髪を引っ詰めて、やや重い前髪と縁の太い眼鏡で綺麗な金の瞳を隠しているのは、本人曰く「目をつけられると色々と面倒だから」とのこと。


スタイルの良さも隠して垢抜けない印象を装い、使用人仲間から侮られてものらりくらりかわして、陰ながらソフィアのために立ち振る舞ってくれている本当に有り難い存在だ。


「朝食はこちらにお持ちいたしますか?」


洗顔用の盥に温めの水を入れ、手拭きも新しく整えながら問うアンヌに、ソフィアは首を傾げる。


「お父様とお姉様は?」

「深夜のお帰りでしたので、まだ寝ていらっしゃいます」


だから大丈夫ですよ、とばかりにアンヌはにっこりと笑う。


宮殿の夜会はパートナー同伴が原則だが、ソフィアは成人前のため、家族と一緒であれば参加できる。


成人済みの姉のカレンは父親のエスコートを受け社交という名の婚活に励み、ソフィアは二人から離れて肉料理に舌鼓を打っていた。


ところがあれやこれやと面倒事に巻き込まれそうになり、慌てて伯爵家の馬車で屋敷に戻ってきたのだが。


「うっかりお父様達を置いてきちゃったわ」

「ご安心を。すぐに馬車を戻しました。もちろん御者には特別手当を支給するよう、家令に伝えてあります」

「さすがアンヌ。仕事が早いわ」

「どうという事はございません。それよりもせっかくですからお部屋でゆっくりしましょうか」


アンヌが朝食を乗せたワゴンを運び入れる。


新鮮な牛乳と焼き立てのクロワッサン、バターでこんがり焼いた魚のソテーと、チーズたっぷりのスクランブルエッグに加えて、彩り豊かな野菜サラダと色鮮やかなフルーツの盛り合わせが見た目にも美しい。


「いつもより豪華ね!」

「お二方が朝食にいらっしゃいませんから」

「肉は「ございません」」

「…」

「ございません」


圧を込めたアンヌの笑顔に、ソフィアは黙ってフォークを手に取った。


姉のカレンが減量と美容のためにと数年前に肉断ちを始めてから、伯爵家の食卓から肉料理が消えた。


父親は食にこだわらない性質であったためとやかく言う事はなかったが、カレンに無理矢理付き合わされて、小鳥がついばむような慎ましい料理しか食べられないソフィアはたまったものではない。


しかもカレンは自分の目の前で、自分が決めた量だけをソフィアに食べさせ、自分の目の届かない所でソフィアが食事をするのを許さなかった。


アンヌが機転を利かせ、「美肌になるから」とカレンを言いくるめ、魚介や乳製品を使ったスープやリゾット、木の実やドライフルーツを練り込んだパンや焼菓子、様々な野菜と果物を組み合わせたスムージーなどをメニューに加えたり、料理長を唆して新メニューをどんどん作らせ、試食を口実に事あるごとにソフィアに食べさせたりしていなければ、満足に育つことができなかっただろう。


ともかく栄養不足ギリギリのラインで成長期を過ごしたソフィアは、十五歳になっても十二、三歳位にしか見えない。


食事制限を頑張ったご褒美と称して、年中おしゃれなカフェや高級レストランで高カロリーの料理を堪能しているカレンとは比較にならないほど貧弱だ。


「肉を調理したらカレン様にすぐ察知されてしまいますから」

「確かに」


以前、我慢できずに隠れてステーキを焼いたことがあったのだが、匂いで露見してカレンが怒り狂ったことがあった。

罰として一週間も三食が生野菜だけだったのは記憶に新しい。菜食主義者もびっくりだ。


あのときは本気でカレンをどうにかしてやろうと、毎日思っていた。


うん。物理的に。

そう。直接的に。


今思えば空腹で判断力が低下していたのかもしれない。

危うく犯罪者になるところだったわー(棒)


アンヌも同じ気持ちだったようで、「下剤じゃ甘い。いっそのこと毒を盛るか。いや足が付くのはマズイ」など血走った目でずっと呟いていた。怖かった。


その反動か、夜会ではこれでもかと肉料理を爆食してしまったのだが、後悔はしていない。


むしろまだ食べ足りないくらいだったのに、アルノルトが話しかけてきたせいで、鴨肉のコンフィとミートローフとラムチョップとシェパーズパイを食べ損ねた。許すまじ。


昨夜の肉の味を反芻しながら、ふと窓の外を眺めると、爽やかな秋風が木々を揺らし、ついでとばかりにソフィアの頬を撫でていくのが何とも心地よい。


ソフィアの部屋は二階の南東にあり、三階のカレンの部屋に比べれば半分にも満たない広さだが、祖母にあたる先代伯爵夫人の居室だっただけあり陽当たりがよく、大切に手入れされた中庭が見えるのもお気に入りだ。


ソフィアが朝食を食べ終えたのを見計らい、アンヌが丁寧に紅茶を淹れる。


そのタイミングでフクが目覚めたらしい。

ソフィアの頭上から音もなく床に下りると、前足を揃えて真っ直ぐ座る。


『誰か来るぞ』


いつになく緊張したフクの声に、ソフィアは即座に身構える。


荒々しい足音とともにドアが勢いよく開けられ、カッセルズ伯爵家当主のレイモンドが寝衣姿のまま飛び込んできた。


「これはいったいどういうことだ!?」


手に握りしめたものを面前に突き出すと、レイモンドは怒りにあふれた双眸でソフィアを睨み据える。


若い頃は騎士を目指していたというだけあり、筋骨たくましいレイモンドは、目の前に起立しているだけで威圧感がある。


さすがに殴られたことはないが、幼い頃からに視界に入るだけで理不尽に怒鳴られた怖さは今も変わらない。


硬直するソフィアをかばうように咄嗟に一歩踏み出したアンヌだが、いとも簡単にレイモンドに突き飛ばされた。


「アンヌ!」


駆け寄ろうとするソフィアの右腕を乱暴に掴み上げ、レイモンドは手にしていたものをソフィアに叩き付ける。


あまりの手荒な行動に、フクが身体を膨らませ毛を逆立てるが、それを無言の目線で抑える。


腕の痛みに思わず顔をしかめるソフィアだが、それを気に掛けるようなレイモンドではない。


「…ヴァイス家から使いが来た」


レイモンドの凄みのある声音に、ソフィアの髪が逆立つ。


どうやらソフィアの額にぶつかって床に落ちたそれは、ヴァイス家からレイモンドに宛てた手紙らしい。


「昨夜の夜会でお前は一体何をしでかしたのだ?家名を汚すつもりなら容赦はせんぞ!」


一方的に責め立てるレイモンドに、ソフィアの胸に怒りが宿る。

身体中が小刻みに震えるが、それは決して恐怖のせいではない。

熱い塊が腹の奥底からせり上がり、目の前の男を罵倒したい気持ちをぐっと堪える。


「…ご令息にお声がけいただき、お名前をお呼びする栄誉を賜りました」

「なんだと?」

「わたくしの何がアルノルト様の興味を引いたのかは存じませんが、失礼を働いた覚えはございません!」


ソフィアは生まれて初めて父親に対して声を振りしぼった。


跡取りの男子を欲していたのにソフィアが生まれ、失望したレイモンドの気持ちは想像できるし理解もできる。リュート公国では女性も後継になれるとはいえ、未だに男性の当主が多いのは、レイモンドのような保守的な人間が幅を利かせているからだ。


予定日をかなり過ぎ大きく産まれたソフィアのせいで、身体を損ねたと言われている母親は、実家の侯爵家で療養していてソフィアは一度も会ったことがない。


離縁は成立していないため、仮に父親が別の女性との間に男子をもうけたとしても、一夫一婦制の公国で、その子が跡継ぎと認められる可能性は限りなく低い。

そのためカッセルズ家は、カレンかソフィアが後を継ぐか、煩雑な手続きを経て分家から養子を迎えるしかないのである。


にもかかわらず頼りの父親はソフィアを疎み、姉は何かにつけてソフィアを虐げる。


赤子のうちから家族に放っておかれたソフィアは、臨時で雇われた乳母と数人のメイドに養育されたが、それはあくまでも最低限の育児であり、生命の保全はできても心身のバランスを整えるまでに至らない。


雇い主はあくまでも当主のレイモンドなのだ。

彼の意向に反して、使用人の立場で分を超えたことはできない。


しかも父方の祖父母はすでに亡くなっており、母方の実家は伯爵家と完全に没交渉で、身内の味方は誰もいないのである。


せめて屋敷を監督する家令が、ソフィアに寄り添う手立てを講じてくれていれば違っていたかもしれないが、彼は良くも悪くも伯爵家に忠実で、当主に逆らうことは決してしない。


フクの存在がなかったら、性格が破綻していたかもしれない。

まぁ、今も多少は性格が歪んでいる自覚はあるが。


物事がわかり出す頃になると、ソフィアは自分が置かれている状況に疑問を持つようになる。


「どうしてソフィアには、おかあさまがいないの?」

「おとうさまと、おねえさまは、どうしてソフィアにつめたいの?」

など答えに窮する質問で使用人を困らせてしまうことが度々あった。


しかし同じ問いかけでもフクにかかれば

『父親が馬鹿だからだ』

『どちらも阿呆だからだ』

と一刀両断である。


『痴れ者などどうでもよいわ。お前はとにかくよく食べ、よく寝て、よく育て』

というフクの持論のもと、とりあえず疑問は脇に置き、家族の枠から疎外されても、めげずに毎日を過ごすことにする。


そしてアンヌがカッセルズ家に来てから、ソフィアを取り巻く環境はだいぶ改善する。


ソフィアの状況に当初は愕然としたアンヌだったが、衣食住の保障以外は関知されていない割に、ソフィアがまともに育っていたことに安堵する。(まぁ情緒は多少アレだが)


あとは教育だと見通したアンヌは、良家の子女の礼儀作法の大切さを家令に説き、教育係の雇用許可をレイモンドからもぎ取ることに成功する。


教養は裏切らない。


どんな立場になろうとも、自らの力で立てる強さを身に着ける。

それがアンヌの狙いで、やがてソフィアの目標になった。


当時アンヌは十七歳、ソフィアは五歳。

家族に邪険に扱われている子供を、若くて未熟な使用人の立場で表立ってどうにかできるわけはなく、陰でどれだけ苦労してきたか容易に想像ができる。


そんなアンヌの熱意を無駄にするほどソフィアは愚かではない。


厳格な先生の容赦のない指導に懸命にしがみつき、アンヌの前では決して弱音を吐かなかった。(フクにはよく泣き言を漏らして慰めてもらっていたが)


フクのおかげで投げやりにならず、アンヌおかげで愛情を実感し、教育係のイレーネ先生のおかげで学ぶ楽しさを知った。


今のソフィアを作り上げたのは、父親ではない。


たまに目に付いたソフィアを苦々しげに瞥見することはあっても、温かい言葉一つ掛けたことがない男が、今更なんだと言うのか。


昨日の夜会も、家族全員で参加することは前々から決まっていたはずなのに、ソフィアに通達されたのは二日前である。


ほとんどの貴族が参加する宮殿の夜会だ。どの洋装店も手一杯で急な注文に対応できるはずもない。それなのにこんな直前でどうやって格式にかなう正装を用意するというのか。


場にそぐわないドレスで参加したら、恥をかくのは未成年のソフィアではなく当主と伯爵家だというのに、アンヌが家令に嘆願しても、「忙しい。自分でどうにかしろ」とのレイモンドの言葉を伝えるだけ。


必要最低限のドレスしか持っていないソフィアのために、アンヌがカレンに頭を下げて、彼女の子供の頃のドレスを手直しして何とか間に合わせたのである。(当日カレンに言われた嫌味は絶対に忘れない)


そこまでソフィアに無関心なくせに、家名に関わると思い込んだ途端に手荒い行動に出るなど、どれだけ独善的なのか。


非力な子供の腕を力任せに掴み、いきなり怒鳴りつける浅ましさ。

こんな身勝手な男に、断じて屈するわけにはいかない。


「手を離していただけませんか?」

「なに?」

「痛いです。腕が折れます」


怒りを押し殺して、ソフィアは冷然と言葉を返す。


「ヴァイス家に招かれているのでしょう?わたくしに痛々しい怪我を負わせてどんな釈明をするおつもりですか?」

「は?」

「先ほども申し上げましたが、わたくしはアルノルト様をお名前でお呼びする許可をいただいております。たかが伯爵令嬢が勝手に名前呼びできるほど四大公爵のご令息は軽い相手ではございません。それを許すということは、わたくしを『親しい友人』として扱うということなのですよ?これがどういう意味を持つのか、賢明なお父様でしたらおわかりでしょう?」


ソフィアの流れるような言葉にレイモンドが一瞬たじろぎ、その隙をついて腕を引く。


「明日にはお父様の指の痕がそのまま痣になるかもしれませんね?」


ひけらかすように赤くなった手首を見せつけ、口元に薄い笑みを浮かべるソフィアに、レイモンドが唖然とする。


今までまともに話すらしたことがなかった娘。

どんな容貌かも注視したことがなかった。


妻と同じ色の髪の隙間から、妻と同じ色の瞳が冷ややかに揺れている。


昨夜宮殿に向かう際、一緒に馬車に乗っていたはずだが、とにかく大人しくしておけと、言い放った後は頭から抜けていた。

確か長女よりニ、三歳下で、来年成人を迎えると聞いたような気がするが、それだけである。

帰宅して家令から、先に戻っていると聞いても、そういえば見かけなかったな、としか思わなかった。


そんないても居なくても同じような娘が、悠然とした態度で相対してくる状況に、レイモンドの理解が追い付かない。


思考が止まってしまったレイモンドを尻目に、ソフィアはヴァイス家からの手紙を拾い上げ目を通す。


そこには、三日後にヴァイス家で茶会を開くこと。当日は迎えの馬車をよこすこと。ソフィアのみの招待で、専属侍女を一人伴うのを認めること。最後にアルノルトではなく、彼の姉ミランダ・ヴァイスの署名があった。


なるほど。この内容であれば、茶会の名を借りた召喚状と勘違いしてもおかしくない。


付き合いのない伯爵家の、しかも社交界デビューがまだの少女が、公爵家の次期当主に招かれたのだ。他責思考のレイモンドの性格から考えて、自分の与り知らぬところでソフィアが何か粗相をし、その叱責のために呼びつけられたと早合点したに違いない。


ただ未成年者の場合は保護者同伴が一般的だ。

わざわざ「ソフィアのみ」と指定しているからにはそこに理由があるからで、それがわからないからレイモンドが更に苛立つのだ。


しかし先触れの使者が来ているということは、すぐさま返答をしなければならない。

そんなこともこの男はわからないのだろうか?


ちらりとレイモンドの背後を窺うと、扉のすぐ外に家令が待機しているのが見える。

さすがに主家の令嬢の部屋に、断りなく足を踏み入れることはしないらしい。


「バリー。使者様にお待たせしたことをお詫びして、承知いたしましたと伝えてちょうだい」


ソフィアに名を呼ばれた家令が目を見張る。


「それから公爵家を訪問するのに相応しいドレスと装飾品の用意を。オーダーが間に合わなければ、お前が責任を持って揃えなさい」


「付き添いにはアンヌを。彼女の装いも整えなさい。異論は認めないわ」


「お姉さまには知られないように。わたくしが茶会に出席できなければ、公爵家の不興を買うと思いなさい」


矢継ぎ早に指示を出すソフィアに、バリーもまた言葉を失う。


姉君の名を借り、ソフィアを茶会に招いたアルノルトの腹積もりはわからない。

しかしせっかくの機会だ。ここは上手く利用させてもらう。


自力で父親に対峙するには何もかもが足りないが、公爵家の助力を仰げれば、伯爵家を離れて独り立ちする策を前倒しで実行に移せるかもしれない。

どうやって交渉を進めるか、茶会までに考えなければ。


アンヌに視線を向けると、その調子です、と言いたげに頷いてくれた。

良かった。とりあえず公爵家への手土産を考えなくちゃね。


「(ここはやはり肉かしら?)」

『やめておけ!』

フクに心の声を読まれてしまったが、黙殺した。




お読みいただきありがとうございます。

少しでも面白いと感じていただけたら、お気に入りやブックマーク、★★★★★評価で応援していただけると執筆の支えになります。

何卒よろしくお願いいたします。


※次回の投稿は、6月8日(月)20時の予定です。


※また趣の違う世界の短編を同時に投稿しました。

タイトル『転生課異世界係の日常~とりあえずざまぁされちゃってください』

神様の代わりに異世界転生をアシストする新人スタッフの日常です。

https://ncode.syosetu.com/n6058mg/

良ければそちらもぜひお読みください!!

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