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頭上の猫は今日も口うるさい  作者: 橘 日々季


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12. 猫と宿場②

想像の何倍も洗練された宿の佇まいにソフィアは呆気に取られる。


ソフィアは常日頃から伯爵家を出て、外の世界を見て回りたいと思っていたことから、旅行記や紀行文など旅を題材にした読み物を好んで読んでいて、それらに登場する宿や宿場町をいつか訪れてみたいと想像を膨らませていたのだが、ミランダに「今夜の宿はここよ」と言われ案内された建物が、高位貴族の別邸とそう変わらない規模のものだとはさすがに想定外であった。


「…ねぇフク。念のために訊くけど、ここには一般の旅人なんて絶対に泊まらないわよね?」

『一泊の料金で年単位の稼ぎが余裕で飛ぶだろうな』

「みんなでエール片手に乾杯してソーセージにかぶりつくなんてことは」

『ミランダがやるわけなかろう』


その通りだ。きっと上品に食前酒と前菜のテリーヌを嗜(たしな)むのだろう。

書物に出てくる冒険家や探検家が、現地の人々と和気藹々(わきあいあい)と酒を酌み交わし、名物料理を口いっぱいに頬張るような場面に憧れていたソフィアは、あからさまにがっかりする。


『貴族なんてそんなものだろう』

「わかってるけど…」

『仕方がなかろう。警備の都合上、普通の宿には泊まらんだろう』

「しかも貸し切り…」

『公爵家だからな』


ソフィアは知らなかったが、リュート公国を囲むようにそれぞれの領地を治める四大公爵家は、社交シーズンや領地の視察で中央区と往復する際、他家の領地を横切ることが多いため、挨拶を兼ねてその領主の屋敷を訪問して宿泊することもあるらしい。


しかし今回は急な領地への帰還ということもあり、またミランダとアルノルトが他家での宿泊を好まないため、道中の馴染みの宿館に予め通達し、貸し切ることで警備がしやすいようにして、万全の準備を整えているという。


「貸し切りと聞くと、貴族の横暴のように感じるかもしれないけれど、万が一危険な状況になった場合、他の宿泊客に累を及ぼさないようにするためでもあるのよ。いざとなったら公爵家の護衛は他者を見殺しにしてでも主人であるわたくし達を優先して守るわ。だからこそ他人を巻き込む状況を作らないようにしなければならないの」


二階の一番奥の部屋に案内されたミランダが、その隣の部屋をソフィアにあてがい、侍女達にあれこれ指示を出しながら、ソフィアに説明してくれる。


「この宿館も腕の立つ護衛を雇い入れているし、リュート公国の治安も良いほうだけれど、それでも公爵家に在(あ)る以上、用心しすぎることはないのよ」

「他家の領主邸に泊まらないのはなぜですか?」

「わたくしだけならそうしても良いのだけれど、アルノルトが一緒だから…」

「アルノルト様ですか?」

「そうよ。あの子が一緒だと隙を見て領主が未婚の娘やその親戚筋の娘を紹介しようとしてくるからそれが面倒なの」

「あぁ…」

「わざわざ揉め事を作り出すこともないでしょう?」


正式に縁談を打診されるのであれば、明確な言葉で断ることもできるだろうが、ただ紹介されるだけならば、宿泊させてもらう側として無下にもできない。

晩餐などである程度会話もしなければならないし、例え当たり障りのない会話しかなかったとしても、お互いに良好な関係を維持するのも貴族として当然の務めであるのだが、あのアルノルトのことだ、不機嫌を笑顔で覆い隠して角が立たないように対応するなどできるはずもなく、冷淡にあしらって令嬢方の機嫌を損ねていたに違いない。


「ソフィアちゃんにも不自由をかけてしまうけれど、領地に着くまでは辛抱してちょうだいな」


ミランダの言葉に素直に頷き、ソフィアは割り当てられた部屋で夕食まで少し休むことにした。

ミランダの隣の部屋といっても、侍女達が控える続き部屋を挟んでいるため、お互いの話し声や動作音は一切聞こえてこない。


ちなみにアルノルトの部屋はミランダの向いで、ソフィアを含む全ての部屋のドアの前には、護衛が二人ずつ交代で控えている。

一見すると物々しい態勢に見えてしまうが、緊張感はそこまででもなく、ドアを開けてもらう際にソフィアが「ありがとうございます」とささやくようにお礼を言うと、護衛の一人の口角がわずかに上がったのが見えた。


夕食までの間に、ミランダは湯あみをしてひと眠りする予定だという。

そうなるとしばらくはニノンもお役御免で、『少しの間、暇になるわね。ブルーノで遊ぼうかしら?怯えながらも歯向かってくるのが生意気だけど楽しいのよね』などと愉悦に満ちた笑みを浮かべると、何処かに行ってしまった。


「アンヌはどうするの?」

「少し買い足したいものがあるので、宿場町を一通り見て回ろうと思っております」

「え!?何それ、楽しそう!!わたしも行きたい!!」

「そうおっしゃると思いましたので、ミランダ様には護衛を一人付けていただく許可を得ております」


大きく開いた目を輝かせたソフィアに、アンヌは苦笑しながらも温かい眼差しを向ける。


馬車で移動中、ソフィアはミランダとニノンの素描を描きつつ、時折窓の外を眺めては初めて目にする景色に感動していたのだが、宿場町に入って周囲の賑やかさが増すと、建ち並ぶ様々な商店や行き交う人々の様子が気になり、外を出歩きたいのを我慢してずっとそわそわしていたのだ。


もちろんそばで見ていたアンヌはそれを十分承知しており、安全にソフィアと物見に出かけるべく、予めその許可と手筈を整えていたのである。


アンヌに手伝ってもらい、ソフィアは町歩きをしてもいいような簡素なワンピースに着替えると、髪飾りを外してリボンだけで髪を纏めてもらう。

イレーネ先生に徹底的に高位貴族の所作を仕込まれたため、ドレスを着ていなくてもソフィアの所作は平民には見えない。

そのためアンヌの提案で、わざと公爵家の護衛を周囲にそれとわかるようにそばに付け、あえて貴族のお忍びに見えるようにするという。


「この場合、町の者に公爵家縁の者だと周知したほうが安全ですからね。さすがに護衛も居るのによからぬことをしてくるような馬鹿は居ないと思います。夕食までに宿に戻ることを考えると、ほんの数時間のそぞろ歩きになりますが、町の賑わいを楽しむには十分だと思います」


そう言ってソフィアのやや斜め後ろについて歩くのは、護衛の中でも古参のユベール卿だ。

ソフィアと同じ年頃の娘がいるという、柔和な雰囲気の四十代のオジサマだが、剣よりも拳のほうが強そうながっしりとした身体つきをしている。


公爵家において、主人と直に接する立場である家令や執事、侍女や上級メイドは、自身の派閥の有力貴族の出自が多く、中には中産階級の良家出身者も登用されているが、同じ平民でも労働階級出身者は主人と直に接する必要のない、下働きや下級メイドに留まっている。


それは上位貴族と下位貴族の身に着ける知識や礼儀作法が異なるのと同じように、貴族と平民も取り巻く環境や生活が違っているからで、識字能力の有無だけでなく、社交や管理能力の有無、家事や実務能力の有無などの決定的な格差から、双方の役割の境界線がはっきりと引かれているのである。


護衛騎士も同様で、そのほとんどが貴族で占められているのだが、使用人と違い平民出身の護衛騎士がほぼ居ないのは、主人に付いて他家の貴族と顔を合わせる機会が多く、剣の腕だけでなく貴族として相応のマナーと教養を求められる場面が多いからで、決して平民だからと一括りにして実力を見ずに差別をしているわけではない。


現に護衛以外の騎士で、例えば領地を守る騎士団の諸部隊の中には、叩き上げの平民出身の部隊長や団員も数多く在籍していて、副団長は平民出身ながらその功績を認められ、数年前に男爵位を叙爵されたという。


「私は子爵家の生まれではありますが、父方の祖母が伯爵家出身だった縁で、幼少期より高位貴族のマナーを厳しく仕込まれました。そのおかげで公爵家の護衛騎士の末席に連なることを許されております」

「初めから護衛騎士を目指しておられたのですか?」

「いいえ。生家の子爵家はヴァイス公爵家の寄子で、代々公爵領を守る騎士団に所属しておりました。将来的に部隊長になれればと考えていたのですが、妻がミランダ様の専属侍女を務めさせていただいている縁で騎士爵を賜り、ミランダ様の護衛騎士に抜擢していただいたのです」

「ミランダ様の専属侍女というと、もしかして…」


視線を向けただけで肉料理のおかわりを用意してくれた、有能すぎて私の好感度が限界突破寸前の、あの完璧無比な侍女のことですか?


「そこまで評価していただけるとは…ありがとうございます」


妻を褒められて、照れくさそうに表情を緩ませるの姿がなんとも微笑ましい。


「妻は…クロエは、口数は少ないですが、相手の心情を汲み取るのが得意で、私も随分と助かっております」

「わかります!クロエさんは本当に素晴らしいです!侍女の鑑です!」


ソフィアが全力で称えると、まるでそこにクロエ本人が居るかのように、ユベール卿の目元が愛おしそうに和らぐ。


「娘のリリベルも妻に憧れていて、将来は公爵家の侍女になりたいと張り切っております。ただ活発で落ち着きのない子なので、淑女教育がなかなか身に付かないのが悩みどころなのです」

「娘さんはわたくしと同じ年頃とお聞きいたしましたが…」

「はい。じつは来月、十四歳の誕生日を迎えるのです。今年は何を贈ればいいのか決めかねておりまして…よろしければ何かご助言をいただけないでしょうか?」

「わたくしが、ですか?」

「もしご迷惑でなければぜひ。恥ずかしながら私の見立ては妻からまったく信用されていないのです」


困ったように眉を下げつつも、ユベール騎士の瞳には娘への温かい愛情が滲み出ている。

それはレイモンドからは一度も向けられることのなかった、慈愛に満ちた笑みであった。


娘が喜ぶものを選びたいという気持ちが伝わってきて、世の中の父親というものは、本来であればこんな風に娘を慈しみ愛するのだと知って、ソフィアはどうしようもなく切なくなった。





お読みいただきありがとうございます。

少しでも面白いと感じていただけたら、お気に入りやブックマーク、リアクションや★★★★★評価で応援していただけると執筆の支えになります。

何卒よろしくお願いいたします。


※次回の投稿は、10月19日(月)20時の予定です。

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