閑話~捨てられた娘③~
一度も使わせたことのない応接室に、ソフィアが居るだけでも腹が立つというのに、そのソフィアの目の前にカレンが見たこともないような豪華で煌びやかな品の数々が、所狭しと並べられている。
最新のデザインと思われるドレスや靴に、たっぷりの毛皮を使ったコートや光沢のあるショール、品質の良い宝石をふんだんに散りばめたアクセサリーの数々に思わず目を奪われる。
そればかりか商人と思われる男性が二人、恭しくソフィアに傅いている。
どちらも見目好く洗練された佇まいで、伯爵家に普段出入りしている商人とまるで違う。
ソフィアに文句の一つも言って商人達をすぐに追い返そうと勢い込んで飛び込んだのはいいが、その勢いが完全に収束してしまい、カレンはその場で棒立ちになってしまった。
ノックもせずにいきなり乱入してきたカレンをちらりと横目で見ただけで、ソフィアは気にする様子も見せない。
そればかりかカレンを完全に無視してそのまま彼らと会話を続ける。
「こちらにある商品はどれも見事なものだと思うけれど、わたくしは公爵家の令嬢ではなく伯爵家の令嬢なの。身分に即した相応しい格好を整えたいのだけれど、それは難しい相談かしら?」
「…!とんでもございません!大変失礼いたしました!」
「構わないわ。ミランダ様に言い含められていたのでしょう?わたくしに失礼のないようにと。その気遣いはとても有難いのだけれど、周囲に勘違いされてしまうのは、わたくしにとっても伯爵家にとっても好ましくないと思うの。ましてや公爵家に出していただく支度金で揃えるのだから、何処からも何も言われないように心掛けたいの。そういう貴族の事情にはもちろん詳しいでしょう?わたくしも学び始めたばかりだから、色々と協力してもらえると助かるわ」
「かしこまりました!すぐにご用意いたします!」
「相応のものを揃え直したら、午後にもう一度来てちょうだい」
「承りました!」
商人達はすぐさま立ち上がると、ソフィアの前に並べていた商品をすべてかき集め、カレンに一瞥もくれることなく、慌ただしく応接室を出て行った。
「…なんなの?」
「びっくりしたわね、アンヌ。一番大きなサファイアの首飾りを見た?同じ職人が作ったイヤリングもあったけど、あんな素晴らしい加工の美しいデザインの宝飾品は初めて見たわ」
「ソフィアお嬢様にお似合いだと思いましたが」
「冗談でしょう?目の保養にはいいかもしれないけれど、たかが伯爵家の令嬢が身に着けていい代物ではないわ」
「…ちょっと」
「ミランダお姉様の後見を受けることになっても、あくまでもわたしはただの伯爵令嬢なのだから、公爵家に出入りするのに失礼のない装い程度に留めるべきよ。いくら支度金をご用意いただけるとはいえ、何でも購入していいわけではないわ。見る人は見ているのよ」
「それでもソフィアお嬢様に必要だと思ったものは躊躇なく購入いたしますよ」
「そこはアンヌに任せるわ。先ほどの商人もこちらの意を汲んだものを持ってきてくれるでしょうから」
「…!だから何なのよ!」
自分を無視して話を進めるソフィアと侍女に苛立ち、カレンは金切り声を上げる。
しかしソフィア達はまったく動じる様子もなく、たった今気付いたと言わんばかりに、小首を傾げながら自分に目を向ける。
「あら、お姉さま。いらっしゃったのですか?」
「何なのその白々しい言い方は!」
「断りもなく部屋に押し入った無作法者を、商人達の目の前で指摘して咎めたほうが良かったですか?」
「はぁ!?」
「彼らはわざとお姉さまを無視したのですよ?礼儀のなっていない伯爵令嬢を居ないものとしてくれたおかげで、お姉さまは恥をかかずに済んだのです。それくらいわかりませんか?」
「なっ!?」
ソフィアの生意気な物言いに、一瞬で頭に血が上る。
自分よりも弱い立場のはずのソフィアが、呆れ顔で見つめてくるのに思わずカッとなった。
「ふざけんじゃないわよ!」
「おやめください!」
振り上げようとしたカレンの右手を、後から追ってきただろうバリーが必死に止める。
「なんで止めるのよ!いつも通り放っておきなさいよ!」
「状況が変わったんです!これ以上はいけません!」
カレンの両手を後ろに回し、拘束するかのようにしっかり掴むと、バリーが僅かに顔を歪ませる。
「レイモンド様とカッセルズ家のためです。公爵家の支援をいただくには、ソフィア様が健やかでなくてはなりません。それが条件に含まれているのです」
意味が分からなかった。
ソフィアを公爵家の領地に連れて行く見返りに、レイモンドの昇進の内定とカレンの縁組の斡旋があると聞いたが、そのことと「ソフィアをいつも通りに好きに扱う」のを止めなければならないのと、何の関係があるのか。
「当然でしょう?わたくしは公爵家に望まれて彼の領地に赴くのですよ?それも次期当主の叔父上の研究助手として、支度金まで用意していただくという破格の厚遇ですよ?そして優秀なわたくしを引き抜く代わりに、お父様の出世とお姉さまの良縁が約束されているのですよ?それなのにわたくしがお姉さまによって傷付けられ、公爵家のお供ができなかったら?約定が反故になるだけで済むとでも?」
畳みかけるようにソフィアに詰め寄られるが、その内容をカレンは呑み込むことができない。
理屈として理解はできるが、ソフィアから言われると、納得するより先に痛めつけたくなる気持ちを抑えることができないのだ。
「…だったらお前の代わりにわたくしが行くわ」
「は?」
「わたくしのほうがお前より公爵家に相応しいわ。これからアカデミーに入学する未成年のお前よりも、成人してアカデミーを卒業しているわたくしのほうが、よほど公爵家の役に立つわ」
「…本気でおっしゃってますか?」
「当たり前でしょう!」
「なら余計に質が悪いです。正確な状況判断もできない、視野狭窄な人物を公爵家に近づけるわけにいきません」
「何なのそれ!」
「大局的な視点に欠けるという意味です。カッセルズ家を貴族社会から隔絶するつもりですか?下手したらお父さまは出世どころか免職になりますよ?」
話にならないとソフィアは眉間に皺を寄せて溜息をつく。
その行動がまたカレンの癪に障るのだが、バリーに両腕をしっかり固定されて何もできない。
「お姉さまは解ってないようですが、バリーは解っているわよね?先祖代々の功績で徐々に陞爵されたとはいえ、領地がないため税収もなく、お祖父さまの代で商会も手放しているから、伯爵家の収入は所有している中央区の土地や建物の賃料が主でしょう?今は景気が良くてかなりの不労所得になってはいるけれど、いずれそれらを売却してしまえば、あとはお父さまの給与と貯蓄頼みになってしまうわ。お姉さまの婿に来てくださる方が商才に長けていればいいけれど、そうでなければどうやって伯爵家を維持するの?」
「何を言って…」
「わたくしではなくお姉さまが伯爵家を継ぐのでしょう?なのに婿入り希望の釣り書きが全然届かないことに危機感を抱かないのはどうしてですか?アカデミーを卒業して二年も経つというのに、ずいぶんと悠長ですね。同級生だった令嬢方は、ほとんどご結婚されているのに、彼女達からの紹介すらありませんよね」
「それは…」
「他家と相互利益をもたらす事業を展開するわけでもない、領地持ちでない新興貴族に何の旨味があると?しかも当主はたいした能力もないのに威張り散らすばかりで出世の見込みがなく、長年妹を虐げているという噂のある我儘な令嬢が跡取りだなんて、そんな地雷しかない伯爵家に婿にきたところで何の得があると?貴族の次男や三男がどこでもいいから婿に入りたいと言っていた時代はもう過ぎたのですよ」
きっぱりと言い切るソフィアに、カレンは二の句が継げなくなる。
バリーを振り仰ぐと、あからさまに顔をしかめていて、ソフィアに反論したくとも、それが事実であるが故に何も言えないことが嫌でも察せられた。
「お父さまはあの通りの方ですから、職場では人望もなく閑職にまわされています。そんなお父さまにやっと出世の機会が訪れたのですよ?社交界での評判が芳しくないお姉さまにも、カッセルズ家を盛り立てる能力のある相手を紹介してくださるのですよ?そのどちらもヴァイス家の口利きだというのに、そのきっかけを作って差し上げたわたくしに対して、今までと同様の扱いをしていいわけがないでしょう?しかもそのわたくしの代わりを自分が務めようとはどういう了見ですか?結婚相手を勝手にすり替えるようなものですよ?そんな不遜極まりない行いを公爵家が許すとでも?どこまで自分の能力を過信しているのか知りませんが、馬鹿げたことをさも正しいことのように堂々と並べたてるのはやめてください」
「お前に何がわかるのよ!」
「わかりますよ?お父さまとバリーがお姉さまの婿を早急に決めなかったのは、いずれお母さまのご実家の侯爵家から持参金付きで養子を貰おうとしていたからだ、ということくらいは」
「…え?」
「お母さまの姉のエレナ叔母さまとご夫君の間には、息子が三人もいるのです。そのうちの一人を養子にしてカッセルズ家を継がせる話が水面下で進んでいたのです。もちろんお姉さまの婿ではなく、正式に養子に迎える方向で」
「嘘よ!お母さまはわたくしに伯爵家を継がせるとおっしゃっていたわ!」
「そんな何年も前の口約束が今でも有効だと思いますか?しかもそのお母さまが率先して養子の話を持ってきたのですよ?お母さまにしてみれば、わたくしもお姉さまも憎んでやまないお父さまの娘です。お父さまの血筋ではない、自分の血筋の者に伯爵家を継がせようと考えるのは、少しもおかしなことではありません」
「おかしいに決まってるでしょう!?実の娘が二人も居るのよ!?なんで養子を迎えなきゃいけないのよ!」
お母さまは確かに言った、わたしくしが伯爵家を継ぐことになると。
それだけは娘だったわたくしに残してあげると。
「…お姉さまがわたくしを虐げたからです」
「え?」
「先ほども言いましたが、お姉さまの評判は芳しくありません。アカデミーではうまく立ち回っていたかもしれませんが、伯爵家を辞めさせられたかつての使用人や、現在の使用人の口から、わたくしへの虐待の話が年月をかけて少しずつ社交界に広まったのです。もちろんお姉さまだけではありません。そのことに対してお姉さまを諫めるわけでもなく放置しているお父さまのことも、悪い意味で噂されています。そんなお二人が伯爵という高位貴族の当主に相応しいと思いますか?しかもわたくしのことは将来的に子供を望めないほど病弱だと、事あるごとに同級生に広めましたよね?そのせいでお母さまに付け込まれたのです」
「そんなこと…」
「あるのですよ、それが。お母さまがわたくしを引き取るつもりなら、とっくの昔に迎えに来ています。わたくしがお姉さまのせいで死にかけたことは、乳母だった女性から聞いていたはずです。それでもお母さまは何の行動も起こさなかった。わたくしのことも、お姉さまのことも救わなかった。お姉さまは自分だけがお母さまに捨てられて、わたくしだけがそのうち拾われると思っていたかもしれませんが、最初からわたくしも捨てられていたのです」
「そんなことないわ!だってお前だけはそのうち迎えに来ると言っていたもの!」
「そんなのただの意趣返しですよ。実の娘の心にわざと傷を残して溜飲を下げるなんて、子供相手に本当に大人げない」
嫌悪感もあらわに、ソフィアが忌々し気に顔を歪める。
「お母さまの思い通りにはさせません。離婚もせずに実家に戻っておきながら、伯爵家も手に入れようだなんて図々しいにもほどがあります。公爵家の力を借りることになりましたが、カッセルズ家はお姉さまに継いでいただきます。そうでなければどんな条件の家に嫁がされるかわからないですよ?侯爵家の持参金目当てに養子を迎える算段をつけるくらいですから、お父さまもバリーもカッセルズ家に利益をもたらしてくれるなら、わたくしだけでなくお姉さまも不幸になろうがどうだっていいのですから」
ソフィアの言葉に反射的にバリーを見上げると、気まずそうに顔を逸らされる。
「ソフィアの話は本当なの?」
「…」
「お母さまに言われて、侯爵家から養子を迎える話を進めていたの?」
「…そうです」
「わたくしが居るのに?」
「…」
さすがのカレンもこれほどの状況を突きつけられては納得せざるを得ない。
父親も執事も自分の味方ではなかった。
ソフィアへの振る舞いを見て見ぬ振りをしていたのも、ただどちらの娘にも関心も愛情もなかったからだけでなく、その状況が養子を迎える下地を作るのに都合が良かったからだ。
通常であれば実の娘のどちらかが伯爵家を継ぐのが本筋だが、そのどちらも不適合と見做された場合、縁戚から養子を迎えて後継とすることは認められている。
それを伯爵家の当主夫妻が両方とも望んでいて、しかも夫人の実家であり、より高位の侯爵家から養嗣子を迎えるのであれば、問題なく承認が下りるだろう。
母親に捨てられたと思っていたが、父親にも捨てられる寸前だったと気付き、自分の足元が大きく揺らぐのを感じる。
奇しくもそれをカレンにわからせたのは、今までずっと疎んじて冷遇してきた妹のソフィアである。
さすがのカレンも何度もソフィアを理不尽に痛めつけてきた自覚はあるが、だからと言ってそれらを反省する気も罪悪感を覚える気持ちは微塵もない。
それくらいソフィアに対する感情は根の深いものがあるのだ。
「…どうしてお前がお父さまやお母さまの動きに詳しいのよ」
「…引っかかるところはそこですか?まぁいいですけど。先ほども言いましたが、お姉さまに虐げられたからですよ。一度でも命の危険に晒されて、そんな劣悪な環境をそのままずっと受け入れるわけないじゃないですか。お母さまを頼ることができるかどうか、そのような環境にあるかどうか、侯爵家のことを調べたのです」
実家の侯爵家に戻ったイザベラは、最初の頃は大人しくしていたそうだ。
しかし、カッセルズ家から連れ戻った使用人達(元々侯爵家の使用人でイザベラ付だったメイドなど)と現在の侯爵家の使用人達とでいざこざが起き始め、それに乗じてイザベラも侯爵家の家政に口を出すようになると、さすがの姉夫婦も「侯爵家の者ではないのだから、不満があるなら伯爵家に戻れ」と言い含め、侯爵家の別邸に使用人共々押し込めたという。
「そんな微妙な立場で、娘を引き取れるわけがないですよね?でも本気でやろうと思えばできたはずです。自分が実家に戻ったせいで、二人の娘の関係が悪くなったのなら、まだ離縁していないのだから、母親として伯爵夫人として責任を取れたはずなのです。でもお母さまは動かなかった。だからわたくしも頼らなかった。それだけです」
それでも万が一にも可能性があるかもしれないと、最近まで侯爵家の動向に注視していたという。
「実家で療養するという名目で伯爵家に戻らないのですから、もちろん社交をするわけにもいかず、侯爵家の情けで別邸でひっそりと、しかし何の不足もなく過ごしていたお母さまですが、さすがに侯爵家が代替わりしたらご自分の立場が危ういことはわかっていたのでしょう。今までと同じ生活を続けるために、侯爵家に恩を売るために、伯爵家を差し出そうとしたのです」
これにはさすがに驚いたと、ソフィアが乾いた笑いを漏らす。
「まさかそんな話を受けるはずがないと思ったら、お父さまもバリーも前向きに検討し始めるのだもの。これは早めに伯爵家を出ないと自分の身が危ないと思いました。だって後継になれないとわかったお姉さまにどんな八つ当たりを受けるかわからないですから」
だから何としてでもアカデミーに入学するため、引いては伯爵家を出るために、必死に勉強したという。
「とにかく伯爵家の後継問題は元に戻しました。ミランダ様が手を打ってくださったので、侯爵家から横槍が入ることはないでしょう。お父さまにとって、カッセルズ家に利があればどちらに転んでも良かったのでしょうけど、両家からの利を天秤にかけ、念願だった自身の出世を叶えてくれるほうに大きく傾いたのでしょうね。そうやって侯爵家より公爵家との縁を選んだのですから、これ以上、お母さまに付け入る隙を与えないよう、公爵家からの支援を受けられなくなる事態を引き起こさないよう、ご自分達の言動に気を付けてください。特に今後はわたくしと関わることは少なくなると思いますが、それでも今までと同じようにはいかないと自覚してください」
それだけ言うと、ソフィアは侍女を伴い、さっさと応接室を出て行った。
それを見てバリーもカレンの腕をつかんでいた手をあっさり離し、同じように部屋をあとにする。
残されたカレンは、自分が信じてきたものを根底から壊されて、放心するようにただ立ち尽くすしかなかった。
お読みいただきありがとうございます。
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※次回の投稿は、9月28日(月)20時の予定です。




