閑話~捨てられた娘②~
虐待を思わせる描写があります。
苦手な方はお気を付けください。
母親が居なくなった、というより「自分を捨てて家を出た」という事実を受け止めきれなかったカレンは、この異常な状況の説明を受けるべく、父親のレイモンドの執務室に向かった。
まだ五歳を少し過ぎたばかりの幼児が理解するには、あまりにも衝撃で残酷な出来事で、それらをカレンにわかるように、そして受けた傷を少しでも塞ぐような言葉が欲しかったのだが…
「あれのことは忘れろ」
にべもなく言い捨てたレイモンドの態度に、娘に対する思い遣りは一切なかった。
レイモンドに父親らしい温もりや優しさを求めるのは意味がないと、このときカレンは初めて認識し、同時に母親のイザベラがレイモンドを見限った理由も、ぼんやりとではあるが理解できてしまった。
しかしだからと言って、自分が母親に捨てられたことを納得できるかと言えば、答えは否である。
カレンは自分がイザベラに投げた言葉を覚えていなかった。
それらがイザベラの自尊心を傷つけたことにも思い至らなかったのだが、イザベラがカレンを切り捨てるには十分な言葉だったのだ。
**********
由緒ある侯爵家の次女としてイザベラは大切に育てられた。
元々気が強く負けず嫌いなイザベラと比べ、年子の姉のエレナが凡庸で領地の統治に向かない気弱な性格をしていたため、姉を嫁がせイザベラが侯爵家を継ぐ案が浮上し、そのための教育も数年前から受け始めていた。
そんな矢先のとある貴族の夜会で、エレナが某伯爵家の嫡男に見初められる。
エレナは能力的にはイザベラに及ばなかったが、その容姿だけはイザベラがひそかに歯噛みするほど群を抜いて美しかった。
エレナのすぐそばにイザベラが居たにも関わらず、伯爵家の嫡男はイザベラに見向きもせず、エレナだけに熱の籠った視線を注いだのである。
それだけでもイザベラの面目が潰れたも同然であったが、エレナがその嫡男に嫁げば多少の不満は心の奥に収め、それで終わるはずだった。
それなのにその嫡男は、伯爵の家督を弟に譲り侯爵家に婿入りすることになったのだ。
後から聞いたところによると、弟は後妻の子供で嫡男とは異母兄弟なのだが、その後妻が弟を伯爵家の後継にしようと画策していたため、余計な争いが起きる前に、嫡男が身を引く形を取ったのだという。
そのことを父から告げられ、イザベラは当然反発した。
そんな他家のお家騒動になぜ我が侯爵家が巻き込まれるのか。
自分はどうなるのだ。
侯爵家を継ぐために厳しい教育を受けてきたというのに、その努力を無駄にすると言うのか。
しかし父は「お前も貴族の子女なのだから受け入れろ」と、決定を覆すことはないと無下にあしらう。
その伯爵家には格下と侮れない財力と人脈があるのだと、だから伯爵家に恩を売ることで、侯爵家にとって旨味のある取引ができるのだと、いわばこれは政略結婚なのだとにべもなく告げる。
「本来であれば長女のエレナが侯爵家を継ぐはずだったのだ。これで元に戻る。それでよかろう」
当然のことのようにすげなくあしらう父に、イザベラは怒りを通り越して頭が真っ白になった。
昔から父は儚げで美しいエレナを溺愛していた。
本人に自覚はないのかもしれないが、自分の手元に残せることになった喜びが隠し切れていない。
跡取りでなくなったイザベラなどもはや用済みなのだろう。
そのことに思い至ったとき、すべてがどうでも良くなってしまった。
その後、父がイザベラの嫁ぎ先としてあてがったのは、領地のない新興貴族のカッセルズ家だ。
数代前から徐々に陞爵してきた堅実な家柄ではあるが、実家の侯爵家より、エレナの婿に迎える伯爵家より、出しゃばらない格下の伯爵家を、わざわざ選んだ父の思惑が透けるような、利にも害にもならない、平凡な貴族の家に嫁がされたのだ。
それでも夫となるレイモンドがイザベラを敬い、大切にしてくれるような優しく穏やかな性格であれば、イザベラの心のささくれもいずれは無くなったかもしれない。
しかしレイモンドは、イザベラの父に輪をかけて、傲慢で高慢で、イザベラの神経を逆なでするような性質の人物だったのだ。
それでも伯爵夫人としての務めを果たそうとした。
家政にも社交にも手を抜かず、実家から引き連れた使用人達を遣い、宮殿勤めのレイモンドが憂いなく働けるよう、伯爵家の内証以上に立派に整えた。
そして女児ではあったが二人も子を産んだ。
それなのに、二人目を産んだ際にあからさまに落胆され、心ない言葉で罵られ、その心と身体の傷が癒えないうちに、よりによって一人目の娘に「汚い、怖い」と言われたのだ。
そんな折、イザベラのもとに侯爵家の父が亡くなったとの知らせがくる。
その跡目を姉のエレナが正式に継いだと知ったとき、イザベラは実家に帰ることを決意する。
侯爵家の後継問題でエレナがイザベラに負い目があることにつけこみ、父親の葬儀の際に自分がいかに不遇でつらい思いをしているかを綿々と訴え、エレナの同情を買い「実家で療養する」許可を得たのだ。
もちろん療養なのだから、妨げになる子供の存在は不要だ。
嫌悪する夫との子供など見ているだけで気分が悪くなる。
ソフィアはまだ赤子だからましだが、カレンの顔立ちは夫とそっくりで厭う感情しかない。
だからイザベラはカレンを要らないものと見做した。
もう母娘ではないと突き放したのだ。
**********
そんなイザベラの過去も感情も知るよしもなく、イザベラに「お前の母親ではない」と言われても、カレンは「わたくしのおかあさまなのに」としか思わないし、「お前など娘ではない」と言われても、「わたくしはおかあさまのむすめだもの」としか考えられない。
母親の言葉を何回も反芻し、必死に考える。
「あの男と同じ髪と瞳の色に虫唾が走る」とは、おとうさまとおなじわたくしがきらいということ?
「あの子だけは迎えに来る」とは、ソフィアだけおかあさまがむかえにくるの?
「わたくしと同じ髪と瞳の色だから」とは、ソフィアはおかあさまとおなじだけど、わたくしはちがうから、わたくしのことはむかえにきてくれないの?
「お前は要らないの」とは、おかあさまにとってわたくしは、「いらないこ」なの?
そこまで考えて、カレンは胸にかかる自分の髪の毛にそっと触れた。
そして目の前のレイモンドの顔をじっと見つめる。
執事のバリーに執務室に招き入れられてから、入口近くにずっと立ち続けていたカレンは、そういえばソファに座れとも言ってもらえず、お茶やお菓子を出してくれることもないのだな、と全然違うことを考え始めた。
この主従はいつもそうだ。
レイモンドはイザベラにもカレンにも労わる素振りを見せたことはないし、バリーも愛想の一つも言ったことがない。
自分の妻とその娘なのに。
仕える主家の夫人と令嬢なのに。
それでも。
この髪と瞳の色は父親と同じだ。
母親の毛嫌いする父親とそっくりな娘がわたくしだ。
お母さまはわたくしが伯爵家を継ぐのだと言った。
ならばこの二人にわたくしを大事に扱わせなくてはいけない。
お母さまと同じ髪と瞳の色のソフィアではなく。
お父さまと同じ髪と瞳の色のわたくしを。
お母さまがわたくしを要らないと言うのなら。
お父さまにソフィアを要らないと言わせよう。
いつかお母さまがソフィアを迎えに来たときに「お母さまが必要としているから」ではなく「この家には要らないから捨てるのよ」と言ってやるのだ。
そしてお母さまが引き取ろうとするソフィアが、いかに無能で無才で無価値なのかを知らしめ、わたくしを置いていったことを後悔させるのだ。
先日まで魔女だの呪いだの、おとぎ話の怖いところだけを拾って、母親の病み衰えた姿に恐怖を覚えていたけれど、思いもよらない現実を突きつけられ、ざっくりと心を抉られた後は、妙に頭が冷静になってきて、およそ五歳児とは思えないほど、豪胆不敵な考えが沸々と湧き上がる。
この家に必要なのはわたくしだけでいい。
お母さまもソフィアも要らない。
わたくしが二人を捨てる側になるのだ。
その考えに至ったとき、妙に頭がスッキリした。
後からよく考えれば、多少なりとも現実逃避をしていた部分もあったのだが、そのときのカレンは自分を価値あるものに押し上げ、代わりにソフィアを引き下げることしか頭になかった。
それからというもの、カレンはソフィアを家族の枠組みから徹底的に排除することに注力するようになる。
元々カレンにもあまり関心のない父親がソフィアを溺愛する可能性はほぼゼロであるが、それでも何かのはずみで注目するようにならないとは限らない。
そこで最大限に猫をかぶり、レイモンドやバリーの満足のいく「伯爵令嬢」として振る舞い、彼らの前では淑女然としながら、ときには幼児らしいあどけなさも醸しつつ、面倒だと思われるような素振りは決して見せなかった。
その代わり、幼いながら思いつく限り、陰でソフィアを虐めた。
自分でソフィアを叩いたら手が痛くなったので、メイド長のポリーに命じて代わりに打たせた。
痛がり怖がり泣き叫ぶソフィアを可哀そうに思う気持ちはどこにもない。
姉として妹を慈しむような、温かい感情も湧いてこない。
むしろ目にするだけで苛々してどんどん心が波立ってくる。
時々、誰も居ないところでブツブツ呟くソフィアが気味が悪くて、口が利けなくなるまで叩かせたことも、お祓いと称して水を浴びせ、粗相をした罰として冬の寒空に一晩放置したこともある。
少しでもソフィアの味方になりそうな使用人は、それとなくバリーに悪口を吹き込み辞めさせた。
カレンが八歳、ソフィアが三歳になったとき、母親の遠縁の没落した子爵家から来た侍女が、なぜかソフィアの専属になったのだが、愚鈍で野暮ったい田舎娘だったので、自分のそばに置きたくなくて放任した。
その田舎娘の伝手で、侯爵家のイレーネ先生が教育係として伯爵家に来たのは計算外だったし、自分も一緒に授業を受けることを拒絶されたのは頭にきたが、ソフィアのアカデミー中等部への入学を阻止することで、鬱憤を晴らすことができてすっとした。
イレーネ先生から教わること以外の教育も、教材も服飾品もおやつも、カレンが余剰と思うものはソフィアに何も与えず、殺風景で簡素な部屋と持ち物で過ごさせた。
外出も一切させず、何の社会経験もさせず、茶会や夜会にも連れて行かず、友人も作らせなかった。
他にも食事中、肉料理のときだけソフィアの表情に動きが出るのに気付き、肉を禁止して野菜だけにしてあげた。
痩せっぽちで可愛い気がなく、淡々とした表情しか浮かべないソフィアを横目に、カレンはアカデミーで順当に人脈を広げ、伯爵令嬢として社交を楽しんでいた。
あとは高位貴族の優良な子息を婿に迎え、カッセルズ家を継ぐだけだ。
母親がソフィアを迎えに来る気配は今のところないが、そのときが来る前に確実に伯爵家を掌握しよう。
今はまだ父親の意向が優先されてしまうが、自分が女伯爵となった日には、ソフィアを生かすも殺すも自分の裁量でできる。
そう思っていたのに。
ある日、四大公爵家のヴァイス家の次期当主が、ソフィアを自領に連れて行くと言い出した。
バリーに問い質すと、もう決定事項だと。
その見返りに、レイモンドの昇進の内定とカレンの縁組の斡旋があるのだと。
しかもソフィアはすでにアカデミー高等部の推薦入学の資格を得ていて、そのソフィアの優秀さを見込んだヴァイス家当主の実弟が、自身の研究助手としてソフィアを強く望んだのだという。
そして、ソフィアのために公爵家が支度金を用意し、公爵家に出入りの商人が伯爵家に来ていると聞いたカレンが、制止するバリーを振り切り応接室に雪崩れ込むと、そこには沢山の服飾品が溢れていたのである。
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※次回の投稿は、9月21日(月)20時の予定です。




