閑話~捨てられた娘①~
母娘がお互いに向ける言葉にきついものがあります。
苦手な方はお気を付けください。
カレンはカッセルズ伯爵家の長女だ。
幼い頃は、父親のレイモンド譲りの暗い焦げ茶色の髪と灰色の瞳の色ではなく、母親のイザベラと同じ明るい榛色の髪と鳶色の瞳が良かったと、密かにがっかりしていたくらい、母親のことが好きで懐いていた。
由緒ある侯爵家の次女であった母は、気位と自尊心が高く、カレンに対しても父に対しても、終ぞやわらかな笑みを向けることはなかったが、それでもカレンはどんな場面でも気高く気品あふれる母を心から慕っていた。
その母が妹のソフィアを生んでから身体を壊した。
寝たきりになり、赤子のソフィアはもちろんカレンでさえ、会うことも見舞うことも許されなかった。
このままでは遠からず儚くなってしまうのではと心配になったカレンは、ある日侍女の目を掻い潜り隙を見て母親の寝室に忍び込む。
そこにはカレンの記憶にある、美しい母親は居なかった。
長らく病臥に伏しているためか、艶やかだった髪も滑らかだった肌も、すべてに生気がなく潤いの欠片もない。
出産時の出血が多かったせいで重度の貧血と眩暈が続き、また骨盤や腰の痛みでベッドから起き上がれない状況が続いていたからなのだが、病人特有のひなびた臭いや下血の鉄さびの臭いなど、嗅いだことのない独特の臭気が、カレンの恐怖を刺激し、それが病み衰えた母親の姿への嫌悪にすり替わる。
自然と浅くなる呼吸と言葉にならないか細い声に母が気付き、カレンの居る方向に目線を漂わせた。
どんよりとした暗い目が自分の姿を捉えたと分かった瞬間、カレンの全身が怖ぞ気立つ。
「…カレン?」
「やだ!!」
枯れたようなしゃがれた声が余計にカレンの恐怖心と嫌悪感を煽り、目の前のものをすべて撥ね付けるようにカレンは叫んだ。
「奥様、どうされましたか?」
カレンの発した声を聞きつけたのか、イザベラ付きの侍女が慌てたように続き部屋の扉から顔を出す。
「カレンお嬢様!?どうしてここへ…」
困惑する侍女の問い掛けに答えることなくカレンは彼女に駆け寄り、飛び込むようにお仕着せの前掛けに顔を埋める。
「奥様のお見舞いにいらしたのですか?」
「…」
「せっかくですから、奥様のそばに」
「いや!!」
「ですが」
「あんなのおかあさまじゃない!!」
カレンの金切り声に、侍女もイザベラも目を丸くする。
起き上がろうとしていたイザベラだったが、衰えた腕で自身を支えられるはずもなく、再びベッドに身体を沈み込ませると、そのはずみでむせてしまう。
「ごふっ」
「奥様!」
咄嗟に侍女が駆け寄ろうとするが、カレンにしがみつかれていたため間に合わず、その間にイザベラは激しくせき込み、口を押えた手から嘔吐したものが零れてしまう。
鼻を突くようなすえた臭いが一気に漂い、侍女に引き剝がされるようにその場に取り残されたカレンは、鼻を摘まんで後ずさりする。
わたくしのおかあさまはうつくしいひとなのに
おばあさんみたいにしわくちゃじゃないのに
えほんにでてくるまじょみたいでこわい
きたない
くさい
きもちわるい
あんなのぜったいにおかあさまじゃない!!
カレンは心の中だけで呟いたつもりだったが、無意識に声に出していたようで、甲高い子供の声は思ったよりも部屋に響き、イザベラの耳にも届いてしまった。
「…出ていかせて」
「…かしこまりました」
押し殺したような低い声がカレンの耳をすり抜ける。
矜持を傷つけられたイザベラが必死に感情を抑え込んでいることに、目の前の母親の存在を否定するのに忙しいカレンは気付いていない。
逃げるように部屋から飛び出たカレンは、そのまま自室に逃げ込み、ベッドに潜り込むと必死で身体を丸める。
あんなみにくいひとはおかあさまじゃない
そうよ
あれはまじょなんだわ
のろいをかけておかあさまといれかわったのよ
かくれなきゃ
わるいまじょからかくれなきゃ
でないとわたしものろわれてしまう!!
その日からカレンは母親のことを口にしなくなり、ほぼ自室に籠るようになってしまう。
それまでは母親に会えない苛立ちから、際限なく我儘を言い募り、癇癪を起して周囲を困らせていたのに、別人になったかのように大人しくしているカレンに、使用人達は戸惑いながらもどこかほっとしていた。
数か月が経った頃、やたらに階下が騒がしいことに気付き、カレンは恐る恐る部屋を出て、階段から階下の様子をそっと覗いてみた。
するとそこにはカレンの記憶にある、美しい母親が立っていた。
「おかあさま!!」
カレンの叫び声と同時に、そこに立つ女性の肩が揺れた。
にもかかわらず彼女は階段に立つカレンに少しの視線も向けない。
おかあさまだ
きれいなおかあさまだ
まじょののろいがとけたのだ!!
喜びの感情が身体中を駆け巡る。
カレンは急いで階段を下り、そのままの勢いで母親に飛びつこうとした。
「さわらないで!!」
激しい怒声を浴び、カレンの足が止まる。
「わたくしはお前のお母さまなどではないわ」
「え…?」
「お前が言ったのよ?絶対に違うと。だからこの世にお前の母親は居ないの」
叩きつけるかのような言葉とともに鋭く睨み付けられ、カレンはその場に立ち竦み、唖然とした表情でイザベラを見上げる。
まだ少しやつれているが、毅然とした態度でカレンを見下ろすその姿は母親に間違いないはずなのに、自身の娘を冷たく切り捨てようとする言動に、カレンの思考と感情が追い付かない。
「お前などわたくしの娘ではないわ」
イザベラは言葉を変えて再度吐き捨てる。
その言葉にも目つきにも温もりや愛情は欠片も見えず、ただただ憎々しげにカレンを睨み据えていた。
「あの男と同じその髪とその瞳に虫唾が走るわ。あのときわたくしを拒絶したときの身勝手な言動もそう。二人続けて娘を産んだことを責め立てるあの男と言い方がそっくりだったわ。姿形が似ると性格も似るのね。ソフィアはわたくしと同じ髪と瞳の色だからそうはならないでしょう。だからあの子だけはそのうち迎えに来るわ。でもお前は要らないの」
決して幼子に向ける言葉ではないのに、その場に居る侍女も誰もイザベラを止める様子がない。
他の使用人達は、イザベラのものと思われる荷物を屋敷から運び出すのに忙しいらしく、カレンに目を向ける者も気遣う者も一人もいない。
「わたくしは実家の侯爵家に帰るの。でも離縁はしないわ。わたくしが伯爵夫人でいる限りあの男は継室を迎えることはできない。だからお前がこの伯爵家を継ぐことになるわ。それだけは娘だったお前に残してあげる」
そう言い切ると、これで終わったとばかりにイザベラはカレンに背を向け、さっさと玄関を出ていく。
カレンが母親に捨てられたと気付いたときには、イザベラも彼女の身の回りのものも専属の使用人も、何も彼もがすべて屋敷から消え去っていた。
母親を思い出させるもので残されたのは、妹のソフィアだけであり、離縁はしないと言いながら、二度と戻るつもりがないとわかったのは、ずっと後のことだった。
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※次回の投稿は、9月14日(月)20時の予定です。




