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38.好きなものはなんですか


 週に一度のポイント10倍デー。今回も無事にお目当てをゲットしてご機嫌で帰宅したあたしは、リビングに入った瞬間、ベランダに足をかけているアヴェルさんと目が合った。

 お兄ちゃんじゃあるまいし、見間違いかな? なんて、一回玄関まで戻って振り返ってみる。


 が、やっぱりどう見てもベランダにはアヴェルさんがいた。すごく申し訳なさそうな顔で、窓の前に佇んでいる。

 多分、何かよんどころないような事情があったんだろうな。多分、きっと。そういうことなんだろう。


 特売のトイレットペーパーを置いて、ベランダに続く窓を開ける。カラカラと開く窓の向こう側で、アヴェルさんは所在無さげに小さく謝罪を口にした。

 別に謝んなくても大丈夫なんだけど、とりあえずこれだけ聞かせて。


「えーと……何やってんの、アヴェルさん」

「……少々、逃走を図っておりました」

「何から?」

「一応、恐らく、お客様から」

「…………あー」


 アヴェルさんが駅前のカフェ『アステル』で働き始めてから一週間が経った。

 物腰も柔らかく、仕事を覚えるのも早いアヴェルさんは店長にもバイト仲間にもお客さんにも気に入られて、順調に働いているみたいだ。

 予想通り、女性客が結構増えたとか何だとかいう話も聞いている。主にお兄ちゃんから。

 まあ元々女性客をターゲットにしてるみたいだし、それはそれ、適材適所ってやつでいいんじゃないかな?

 適材が適所すぎて、ベランダから帰る羽目になってるみたいだけど。それは適所といっていいものか。ちょっと迷うね。


「よくお話しさせて頂いているお客様で、悪い方ではないのですが……自宅を突き止めようとされてしまって止むを得ず、通常使わない道を通って帰って来ました」

「つ、通常使わない道」

「電信柱と屋根は通常、道として認められてはいないですよね」

「そうですね」


 多分、非常時にもあんまり道扱いはされないと思います。そっか、電信柱伝って帰ってきたんだ。へー。忍者かな?

 もう最近は色々ととんでもない人に囲まれすぎていて多少のことでは動じなくなってきた気がする。気がするだけだから普通に動じる場合もあるけど。

 若干遠い目になりかけるあたしの耳に、いえでも普段は全く使いませんので、と何やら弁明しているアヴェルさんの声が聞こえた。


 大丈夫大丈夫、分かってるよ。

 そんな熱心なお客さんに家まで突き止められたらあたしやお兄ちゃんにも迷惑がかかるから、全力で撒いてきてくれたんだろうし。

 いきなり魔法でワープしたりしなければ、まあ、いいよ。うちの馬鹿兄のように、いきなり壁やら床やら天井から現れなければそれでいいよ。


 お兄ちゃんは相変わらずファブルヘイムの探索?とバイトを掛け持ちして、なんだか忙しそうにしている。

 今日も、「俺もしかして探査下手になったのかなぁ~」なんてぶつぶつ言いながらファブルヘイムにお出かけ中だ。何やら探しモノをしている、みたいだ。

 帰ってくるかは怪しいけれど、一応ご飯は用意しておこう。


 窓の鍵をかけて、カーテンを閉める。

 今日は麻婆豆腐の予定だったけれど、未だに靴を持ったまま佇むアヴェルさんがなんだかいつもより疲れているように見えたので、励ましを込めて夕飯のリクエストを聞くことにした。


「疲れたでしょ? なんか、好きなものでも作るよ。何がいい?」

「好きなもの、ですか」

「材料があればだけどね」


 なんだかんだ、居候開始からずっと、あたしの腕前の関係で和食や中華ばっかり出していた。

 お兄ちゃんやくるみから話を聞く限り、ファナント国は洋風っぽい雰囲気だし、アヴェルさんの好みからは外れているときもあったかもしれない。

 なんでも美味しいですって食べてくれるの、嬉しいんだけど、アヴェルさんそういうところ絶対に不満言ったりしないし。外国の食生活が合わなくてストレスになる、とかいうのも結構聞くから、祖国の味、みたいなのがあるなら作ってあげたい。

 作り方聞いても分からないような料理とかはお手上げにしても、それ以外はなんとか作ろう。


 そう思って聞いてみたあたしに、アヴェルさんはどこか呆けたような顔で瞬いて、それからぽつりと呟いた。


「特には、ないです。なんでもいいですよ」

「……思ってたけど、別にそういうとこ遠慮しなくてもいいよ?」

「あ、いえ、遠慮ではなく……本当に」


 本当です、と繰り返したアヴェルさんはどことなく困惑の滲む顔に笑みを浮かべて、玄関まで靴を置きに向かった。

 靴を並べて、振り返って、数歩歩いて、立ち止まる。

 しばらく、記憶を探るように黙り込んだアヴェルさんは、何かから逃げるように目線を少し落として、口を開いた。


「好きなもの、と言われると全く思い当たらないです。なので、サツキさんの予定していたもので大丈夫です」

「思い当たらないの? 全く?」


 美味しいって言って食べてるときの顔を見るに、そんなことないと思うんだけど。あれももしかして遠慮して言ってた? そんな馬鹿な。

 アヴェルさんは、丼物を出すとわかりやすく嬉しそうに食べる。二週間そこそこの付き合いでもはっきり分かるくらいだ。

 そんな人が『好きな食べ物がない』なんてことはない。絶対にない。


「元々、あまり食事を楽しんだ記憶がないので……サツキさんの作るものはなんでも美味しいですから、あえていうなら全部好きなものでしょうか」

「アヴェルさん」

「はい」

「チンジャオロース好き?」

「はい? ええ、まあ、好きです」

「肉じゃがは?」

「好きです」

「チャーハンは?」

「ええと、好きです」

「開化丼は?」

「美味しいです」

「味噌煮込みうどんは?」

「好きですね」

「鶏そぼろ丼は?」

「美味しいです」

「よし分かった」

「えーと……何がでしょう?」


 唐突に始めた一問一答に首を傾げたアヴェルさんはきっと、自分がどう答えたかなんて全く意識してないんだろう。

 自分の好きな食べ物が分からない、ってのと、食事を楽しんだことがないってのはきっと何か関係してるに違いない。

 でも、とりあえず好きなものがない、なんてことはなかった。なんだかほっとした気持ちで息を吐く。


「断言します」

「はい?」

「アヴェルさんは、丼が好きです」

「どんぶり」

「証明してみせるから、とりあえず手を洗ってきてください」

「ええと、はい。よろしくお願いします?」


 首を傾げつつも、素直に手を洗いに向かったアヴェルさんの背中を見送り、よし、と気合を入れる。

 

 アヴェルさんに出したことがある中で、ひときわ美味しそうに食べてたものはなんだったろう。

 記憶を辿りつつ、冷蔵庫の中身を確認する。パーシャルまで一通り確認して、見つけたそれを取り出した。

 うん、今夜はしらす丼に変更です。




「…………私、丼が好きだったんですね」


 小ネギをちらして卵を乗せたしらす丼。出汁醤油だけのシンプルな味付けだったけれど、アヴェルさんはいつもより四割増しに輝いた顔をしていた。

 なんとなく緊張した面持ちで食べ始めて、半分ほどに減ったあたりでしみじみと呟いている。

 どこがいいんでしょうか……ご飯と具の割合ですかね……なんて、真面目に考察を始めているアヴェルさんを眺めつつ、あたしもしらす丼を食べる。


「あと、多分しらすも好きなんじゃない?」

「そうなんですか?」

「たぶんね?」


 本当に好きかどうかは、アヴェルさん本人にしか分からない。でも多分当たってるんじゃないかと思う。

 麻婆豆腐にする予定だった賞味期限ギリギリの豆腐は半分は味噌汁に入れて、もう半分は凍らせておいた。明日、豆腐炒めにでも使おう。


「ファブルヘイムにもこういう料理あるの?」

「いえ。向こうは米自体あまり使わないので、見た覚えも聞いた覚えもないですね」

「じゃあアヴェルさんの舌がこっち寄りってことなのかなぁ」

「かもしれませんね」

 

 不思議そうにしつつもなんだか嬉しそうなアヴェルさんが少しいつもよりも幼く見えて、妙に微笑ましい気持ちになる。

 作るのも楽だし、洗い物も減るし、こんなに喜んでくれるならちょくちょく作っても良いかもしれない。

 くるみのことで色々巻き込んでもいるし、お礼も込めてってことで。


 一袋買って小分けに冷凍かな。買い物リストに加えておこう。





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