実戦
ヴァレリアの弟子になって三日目の朝。
「起きろ、小僧ども」
「……また朝か」
こうきが寝床から身体を起こす。隣では、ひろきがまだ布に包まったままだった。
「ひろき、起きろ」
「……あとちょっと……五分」
その瞬間、ヴァレリアの拳骨がひろきの頭へ落ちた。
「うわっ! 痛ぇ!」
「五分と言ったな」
「言ったけど!」
「なら、五分後に起こしてやったぞ」
「今の一瞬だろ!」
「細かいことを気にするな」
ヴァレリアは平然と紅茶を飲んでいる。ゆきが小さく笑った。
「ひろき、もう諦めようよ」
「俺、この修行が終わるまでに何回殴られるんだ……」
「自分次第だ」
みずきが淡々と答える。
「余計なことを言わなければいい」
「それができたら苦労しないんだよ!」
「その通りだ」
ヴァレリアまで頷いた。
「……味方がいない」
ひろきは肩を落とした。
五人が身支度を整える。昨日までとは違い、身体の動かし方には少しずつ変化が出ていた。歩くときも、走るときも、跳ぶときも、ほんのわずかな動作の中で心気を意識するようになっている。
だが、ヴァレリアはいつもと違う指示を出した。
「今日は走らん」
「え?」
ひろきが顔を上げる。
「じゃあ何するんだ?」
「昨日、心気を身体へ流す練習をしたな」
「うん」
こうきが頷く。
「今日は、その先だ」
ヴァレリアは森の奥へ視線を向けた。
「実戦で使え」
「実戦……」
みずきの手が刀へ伸びる。
「誰と戦うの?」
「この星にいる奴だ。自分たちで探せ」
「また自分たちで?」
「修行だからな」
五人は顔を見合わせた。
「……行こう」
こうきが先頭に立ち、森の奥へ歩き出した。
◇
森の中を進む。昨日まで何度も走った場所だが、今日は目的が違う。ただ身体を動かすのではなく、敵を探さなければならない。
五人は周囲に注意を払いながら、慎重に歩いていた。
「……静かだな」
ひろきが小声で呟く。
「昨日はもっと動物の声がしたのに」
「気配を探せ。目だけに頼るな」
後ろからヴァレリアの声が飛んできた。
こうきは足を止め、耳を澄ませる。風が木々の葉を揺らす音に、鳥の鳴き声、遠くを流れる川の音。その中に、かすかな物音が混じった。
ガサッ。
「……右」
こうきが呟くと、ゆきたちも一斉にそちらを向いた。木々の間、低い位置で草が揺れている。
「来るぞ」
みずきが刀を抜いた。
次の瞬間、ドォン! という轟音とともに、巨大な獣が木々を薙ぎ倒しながら飛び出してきた。
「うわっ!」
ひろきが慌てて飛び退く。
昨日見た獣より一回り小さい。それでも、五人より遥かに大きかった。四本の脚には鋭い爪があり、口からは鋭い牙が覗いている。獣は低く唸りながら、五人を睨みつけた。
「どうする?」
ゆきが身構える。
「倒す」
みずきは迷いなく答えた。
「待て」
ヴァレリアの声が飛ぶ。
「私が手を出すと思うなよ」
「……分かった。自分たちでやる」
みずきが頷いた直後、獣が地面を蹴った。
「来る!」
こうきが叫ぶ。巨体が一気に迫ってきた。速い。
こうきは足へ心気を流し、横へ跳んだ。獣の爪が、ほんの目の前を通り過ぎる。
「今だ!」
こうきの声に合わせ、ひろきが地面を蹴った。
「おおおっ!」
拳へ心気を集め、獣の横腹へ叩き込む。
ドンッ!
「ぐっ!」
しかし、獣の身体はほとんど動かなかった。
「硬っ!」
ひろきが腕を振った、その隙だった。獣の爪が迫る。
「ひろき!」
ゆきの叫びに反応し、ひろきは咄嗟に腕へ心気を集めた。
ガキンッ!
爪を受け止めたものの、衝撃までは防ぎきれない。ひろきの身体は後ろへ吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。
「うわぁっ!」
「ひろき!」
こうきが駆け寄ろうとしたとき、みずきの声が響いた。
「来るぞ!」
獣が今度はこうきへ向かって突進してきた。
こうきは足へ心気を集中させる。避ける。そう思った瞬間、心気が乱れた。
「……!」
足へ意識を集中させすぎたせいで、身体のほかの部分への意識が薄れている。動きが遅れ、獣の巨体が目の前まで迫った。
「こうき!」
サクラが飛び出し、こうきの前に立つ。その手に光が集まった。
ドンッ!
放たれた光の力が獣を弾き飛ばす。獣は地面を転がり、こうきたちから距離を取った。
「大丈夫?」
「サクラ……助かった」
「良かった」
サクラが頷く。その様子を、ヴァレリアは黙って見つめていた。
こうきは拳を握る。
今、自分は心気を足へ集中させた。そのせいで、ほかの場所への意識が遅れた。だが、サクラは違った。必要な瞬間に必要な力を使い、迷いなく動いている。
「サクラ」
「なに?」
「今の動き、どうやった?」
「どう、と言われても……」
サクラは少し考えてから答えた。
「いつも通りかな」
「いつも通り……」
「なるほどな」
ヴァレリアが口を開いた。
「サクラはゼウスを使える。だからこそ、心気をどう使えば自分の力を引き出せるのか、身体で覚えている」
ヴァレリアはこうきたちへ視線を向けた。
「お前たちは今、それを覚えている途中だ」
「……つまり、俺たちも」
「そうだ」
ヴァレリアは獣を見据えた。
「もう一度やれ」
「え?」
「今度は心気を一か所に偏らせるな」
「……分かった」
こうきが立ち上がると、ひろきも身体を起こした。
「俺もやる」
「さっき吹き飛ばされたばかりだろ」
「だからだよ」
ひろきは拳を握りしめた。
「次は負けない」
みずきが刀を構え、ゆきも頷く。
「俺も行く」
「私も」
サクラは少し後ろへ下がった。
「私は援護します」
「頼む」
こうきが頷く。獣が再び唸り声を上げた。
こうきは今度、自分から先に飛び出した。
心気を全身へ薄く巡らせる。足、腰、腕へと意識を向け、必要な場所へすぐに力を移せるようにする。完全に均等ではない。それでも、一か所に偏らせないことを意識した。
獣の爪が迫る。こうきは右足へ心気を集中させ、身体を横へ滑らせた。爪が背後を通り過ぎる。
「そこだ!」
みずきが踏み込んだ。身体の動きに合わせて腕から刀へ心気を伝え、一気に斬りつける。
ザンッ!
刃が獣の脚を捉えた。
「グオオッ!」
獣の身体が傾く。その隙を逃さず、ひろきが突っ込んだ。
「うおおおっ!」
今度は拳だけに力を集めない。足から腰、背中、腕へと全身を連動させ、拳に力を伝える。
「いけぇっ!」
ドンッ!
拳が獣の身体へめり込み、巨体が大きく後ろへ飛んだ。
「効いた!」
ひろきが目を輝かせる。
だが、獣はまだ倒れない。身体を起こし、怒りに満ちた目で五人を睨んだ。
「まだ来るぞ!」
こうきが叫ぶ。
獣は再び地面を蹴り、今度はゆきへ向かって突進した。
「ゆき!」
こうきが動こうとする。しかし、ゆき自身もすでに動いていた。
足へ心気を流し、身体を横へ移動させる。獣の突進を避けたゆきは、驚いたように呟いた。
「……できた」
そのまま手を前へ伸ばし、腕から手、指先へと心気を流す。そして、ゼウスを発動させようとした。
だが、指先に集まりかけた光が一瞬だけ揺らいだ。
「……!」
次の瞬間、力が消える。
「まだ……」
「焦るな」
ヴァレリアの声が響いた。
ゆきが振り返る。
「ゼウスを出そうとするな」
「え?」
「心気を操れ。ゼウスは、その先だ」
ゆきは息を呑んだ。
先にゼウスを出そうとしていた。だが、心気を使いこなしてこそ、ゼウスを思い通りに発動できる。
「……分かった」
ゆきは一瞬だけ目を閉じ、自分の中へ意識を向けた。
心。そして、心気。
それを掴み、腕から手、指先へと流していく。
「今……!」
ゆきが目を開くと、手の前に小さな光が生まれた。
「できた……!」
まだ小さい。それでも、今度は消えなかった。
ゆきは光を獣へ向かって放つ。
ドンッ!
光が獣にぶつかり、その動きを止めた。
「今だ!」
こうきが叫ぶ。
みずきが走り、ひろきも続く。サクラも力を合わせ、四人の攻撃が重なった。
最後に、こうきが地面を蹴る。
心気を全身へ巡らせ、足から腰、腕、そして拳へと力を伝えた。
「これで――!」
ドンッ!
拳が獣へ叩き込まれる。巨体は後ろへ吹き飛び、地面を転がった。
しばらくして、獣は立ち上がった。だが、もう五人へ襲いかかってくることはなかった。低く唸ると、そのまま森の奥へ姿を消していく。
「……逃げた?」
ひろきが呟く。
「そうみたい」
ゆきが息を吐き、みずきも刀を収めた。
「勝ったな」
こうきは自分の拳を見つめた。
「……うん」
だが、ヴァレリアは笑っていた。
「勝った?」
「え?」
「お前たちは何を勘違いしている」
五人がヴァレリアを見る。
「今のは、たまたま追い払えただけだ」
ヴァレリアはこうきを見据えた。
「心気の扱いもまだ雑だ。だが――」
少しだけ口元を上げる。
「昨日よりは遥かにマシになった」
「本当?」
ゆきの表情が明るくなる。
「ああ」
ヴァレリアは頷いた。
「心気を感じるだけだった昨日とは違う。今日は、自分の意思で動かした」
こうきは拳を握った。
「……少しずつ分かってきた」
「それでいい」
ヴァレリアは踵を返した。
「戻るぞ」
「もう終わり?」
ひろきが尋ねる。
「昼飯だ」
「やった!」
「ただし――」
ヴァレリアが振り返った。
「食料は自分たちで探せ」
「やっぱりかよ!」
ひろきの叫び声が森へ響いた。
◇
昼過ぎ。
五人は簡単な食事を終え、再び修行をしていた。今度は戦闘ではない。ヴァレリアは木の枝を一本ずつ地面へ並べると、五人に指示を出した。
「この枝を折らずに持ち上げろ」
「次は何?」
ゆきが尋ねる。
「手で?」
ひろきが枝を見ながら聞いた。
「心気でだ」
「またそれか……」
ひろきは枝を見つめる。
「昨日より簡単そう」
「ならやってみろ」
ひろきが心気を流すと、枝が少し浮いた。
「おおっ!」
しかし、その瞬間――。
バキッ!
枝が折れた。
「……なんで!?」
「力を入れすぎだ」
「加減したつもりなんだけど!」
「つもりでは駄目だ」
ヴァレリアは別の枝を置いた。
「心気を使いこなすというのは、自分の力を正確に扱うことだ」
こうきは枝を見つめた。
昨日は石。今日は枝。戦闘では自分の身体。対象が変わっても、やることは同じだ。必要な力だけを使う。強ければいいというわけではない。
「……なるほど」
こうきは枝へ手を伸ばし、心気を細くする。枝を包むように意識を向け、ゆっくりと力を加えていった。
やがて、枝が地面から浮かび上がる。
「できた」
「よし」
ヴァレリアが頷いた。
ゆきも挑戦し、みずきも続く。一方、ひろきは何度も枝を折っていた。
「なんで俺だけ折れるんだよ!」
「力加減を覚えろ」
「分かってるよ!」
その横では、サクラが静かに枝を浮かせていた。動きには無駄がない。
こうきは、その様子を見つめた。
サクラはすでにゼウスを使える。だからこそ、心気の扱いも自然なのだろう。自分たちとの差は、まだ大きい。
でも――。
「いつか、追いつく」
こうきが呟く。
「何か言った?」
ゆきが聞いた。
「いや」
こうきは笑った。
「なんでもない」
夕方、五人は再び地面へ座っていた。身体は疲れている。それでも、昨日までとは違う感覚があった。
心気が少しだけ、自分たちの意思に応えてくれる。
まだ自由自在ではない。ゼウスも思い通りには発動できない。だが、そこへ至るために必要なものは、少しずつ見えてきていた。
「明日も修行だ」
ヴァレリアが言う。
「もちろん」
こうきが答えた。
「俺、もっと上手く使えるようになりたい」
「私も」
ゆきが頷く。
「俺もだ」
みずきも続いた。
「俺はもっと強くする!」
ひろきが拳を握る。
サクラも微笑んだ。
「私も、もっと磨きたいです」
ヴァレリアは五人を見渡し、頷いた。
「よし。なら、明日からさらに厳しくする」
「……え?」
ひろきの顔が引きつる。
「今より?」
「ああ」
ひろきは空を見上げた。
「帰りたい」
「宇宙船はあるぞ」
「そういう意味じゃない!」
森に、五人の笑い声が響いた。
◇
惑星グリーンガルドでの修行は、まだ始まったばかりだ。
心気を感じ、身体へ巡らせ、必要な場所へ必要な量だけ操る。それができて初めて、ゼウスを思い通りに発動できる。
五人はまだ、その境地には届いていない。
それでも、昨日より今日、今日より明日。少しずつ、確実に前へ進んでいた。




