投げつけられた白い手袋
一晩ぐっすり眠ったあと、目を開けた。いつも通りの平凡な朝だ。だるい目で部屋を見回す。起きたくない。とにかく眠り続けたい。まったく笑える話だ――快適なベッドと自分専用の部屋を持っているくせに、それでも早起きしたがるなんて。
もう一度目を閉じて二度寝を試みる。だが五分と経たないうちに、ドアの方から足音が近づいてくるのが聞こえた。ちっ、どうやらもうすぐ起こされそうだ。
ドアが勢いよく開いた。
「イヴァン様、起きてください」
ベティだった。ドアの前に立っている。
「イヴァン様、これが最後の警告です。起きてください」
……起きなかった。眠っているふりを完璧に演じきった。前世で数少ない特技の一つ――死んだふり、寝たふり。父さん相手には毎回これで通用していた。ベティに一点、俺に零点、といったところか。
薄目を開けて、こっそり様子を伺う。ベティは俺を睨みつけたまま立っていた。まるで今にも殺しに来そうな目つきだった……怖すぎる。それからベティは部屋を出て、ドアを閉めた。
よし、助かった。こんなに早く諦めるとは思わなかったな。まあいい、もう少しだけ休ませてもらおう。
心の中でガッツポーズを決めて、枕を抱きしめた。三分ほど経って、また眠りに落ちかけたその時――
ドアが激しく開く音がした。次の瞬間、体が凍りついた感覚がした。服とベッドがびしょ濡れになっている。
(な、何が起きたんだ?!)
慌ててベッドから飛び起きた拍子に足がもつれ、床に転がり落ちた。感電したような痛みが全身を走る。頭を押さえながら大声を出した。
「い、痛いだろ!」
自分の服を見下ろすと、ぐっしょり濡れている。ベッドの方に目を向けると、ベティが空になったバケツを手に持って立っていた。
……冷たさと衝撃で、事態をようやく理解した。俺は勢いよく立ち上がり、子供っぽい怒りで指を突きつけながら叫んだ。
「ベティ、一体何してくれてんだよ!?」
彼女は間の抜けた顔でこちらを見て言った。
「何をおっしゃっているのですか、イヴァン様? わたくしは坊っちゃまを起こしに参っただけですが」「それで冷水をぶっかける奴があるかよ!」
バケツを床に投げつけながら怒鳴ると、ベティは涼しい顔で答えた。
「わたくし、イヴァン様に水をかけてなど――」「はぁ?! 手にバケツ持ってるだろ! 嘘つくのはやめろ、バレバレだぞ!」
彼女は嘘くさい声色で続けた。
「イヴァン様、わたくしはたった今参ったばかりでございますよ。何もしておりません」「嘘つくな。お前、三分前にもここに来て、俺を起こそうとしただろ」
ベティは俺をゾッとするような目つきで見つめた。……しまった、自分でボロを出してしまった。
「……ということは、イヴァン様。わたくしの声、しっかり聞こえていたのですね?」「あ……いや、その……違う、聞こえてなかった、寝てたんだ」「まあ、どうでもいいですわね」
「もう起きたよ!」
俺はそう言い残して急いで寝室を飛び出し、浴室へと向かった。中に入り、鍵をかけてドアに背中を預けたまま、ずるずると座り込んだ。
……こ、怖すぎる。あいつ、本当にメイドなのか? それとも暗殺者か何かなのか? もはやどっちが主人でどっちが使用人なのか分からなくなってきた。
その時、ドアの外からノックの音がした。
「イヴァン様、大丈夫ですか? 朝食のご用意ができておりますが」「だ、大丈夫だから! 歯を磨いて風呂に入るから、ちょっと放っておいてくれ!」
ドアの向こうから声が返ってきた。
「あまり遅れませぬよう、坊っちゃま」
そう言って彼女は去っていった。
俺は立ち上がり、急いで歯を磨き始め、それから湯浴みをした。湯に浸かりながら、この世界について改めて考えを巡らせる。明日、俺はついに七歳になる。自分の力を知ることになるし、魔法も使えるようになる。だが、この世界に来てからというもの、俺がしていたのはただひたすら、魔法や世界の歴史についての本を読むことばかりだった。
なぜか知らないが、この世界の知識は驚くほどすんなりと頭に入り、まるで水を飲むかのように簡単に記憶できてしまう。……これも、あの神様の仕業なんだろうか。
俺が知る限り、この世界の魔法は「マナ」と呼ばれる力を使う。マナは体内にある魔法の「門」に蓄えられている。誰もが腹部にこの魔法の門を持っていて、それは特定の呪文――いわゆる詠唱によって開かれる。
シャンプーを手に取り、髪をこすり洗いする。湯を流し終えて風呂から上がり、食堂へ向かった。
食堂に着くと、テーブルの上に食事が並び、ベティを含む数人のメイドがその周りに控えていた。だが、テーブルについていたのはルディとアクセルの二人だけだった。
「母上と父上はどこに?」ベティに尋ねると、答えが返ってきた。
「旦那様と奥様は、今日は町へお出かけになりました。旦那様に大事な用事があるそうです」
なるほど。俺は席に着いた。ルディが声をかけてくる。
「おはよう、イヴァン」「あ……おはよう、兄上」
ルディは微笑んで言った。
「よく眠れたか?」「うん、よく眠れたよ」「よし、今日はちゃんと寝ておけよ。明日は七歳の誕生日だ。お前の職業とお前の加護が分かる日だからな」「うん、ちょっと楽しみだよ」「お前は賢い子だ。父上もお前に期待をかけてる。将来、きっとすごい人物になるさ。世辞じゃないぞ」
ルディに褒められて、正直悪くない気分になった。少し顔が赤くなる。
「お、なんだ、照れると本当に可愛いな、イヴィ」
俺は思わず立ち上がって軽くテーブルを叩いた。
「兄上ってば! イヴィって呼ぶのやめてよ!」
さらに顔が赤くなる。
「いいじゃないか、イヴィ。可愛い呼び方だろ?」「よくないから!」「もーっ、ベティも言ってよ、イヴィって呼び名がいいって」
ベティが澄まし顔で答えた。
「良い呼び名だと思いますよ、坊っちゃま。ルディ様もそう思いませんか?」「よし、じゃあこれから、みんなでイヴィって呼ぶことにしよう」「やめろって言ってるだろ!」
そう言うと、ルディが盛大に笑い出した。しばらく笑い続けたあと、ふいに笑いが止まった。
全員が一斉に音のした方を振り向く。それはアクセルの立てた音だった。その表情は明らかに不機嫌そうだった。
ルディが尋ねる。「何か言ったか?」
アクセルは同じ言葉を繰り返し、そのまま立ち上がった。
「聞けよ、弱虫。末っ子だからって、みんなに甘やかされていいわけじゃないんだぞ。父上は俺とルディ兄さんに、幼い頃から剣術を仕込んでくれた。それなのにお前ときたら、遊んでばかり、ぶらぶらしてばかり、しょうもない本を読んでるだけだ」
さらに続けた。
「お前なんか何の役にも立たない。ただのお荷物だ」「アクセル、それは違うだろう」
ルディが席を立って言い返す。
「イヴィは真面目な子だ。甘やかされてるわけじゃない。それに、本は魔法を学ぶために役立つものだろう」「魔法だと? 弱い奴が使ったところで、何の意味がある」「アクセル、どういうつもりだ」
アクセルはこちらに詰め寄ると、俺のシャツの襟を掴んだ。
「聞けよ、ルディ兄さんは優秀な魔法使いで、剣の腕も一流だ。俺は剣術の達人で、〈剣聖〉の加護を持ってる。だがお前は――ただの恥さらしだ」
そう言うと俺を後ろへ突き飛ばし、白い手袋を投げつけてきた。
「訓練場で待ってるからな」
そう言い残し、アクセルは食堂を出て、闘技場の方へと向かっていった。




