幕間 気高く咲いた薔薇
辺境の砦都シルヴァリア、真昼の決闘から半月ほどが経った夜、モフモフ亭は静かだった。
夕食は、三人だけだった。
テーブルには、アポロが作った料理が並んでいた。
野生牛の赤ワイン煮込み。香草を効かせた根菜のロースト。蜂蜜とバターを塗って軽くあぶった焼きたての黒パン。そして、シルヴァリアで手に入る最も上等なワイン。
「やけに豪勢だね」
シルクが言った。
「明日に備えて栄養をつけろ」
アポロは素っ気なく答えて、ワインを注いだ。
エステルは黙って自分のグラスを見ていた。
三人とも、先日の真昼の決闘の際、自分たちが死にかけたことを知っていた。
「食べろ」
アポロが言った。
「美味いものを食えるうちに食おうぜ」
シルクが苦笑した。
「お礼参りしに行く前夜に言う台詞にしてはデキが悪いよ」
「事実だ」
そのやりとりを聞いたエステルが小さく笑った。
それを合図のように、三人は黙って食べ始めた。
テーブルには、西部方面全権使 ルクシオ―ル・カシウス卿や王国軍、貴族を含む軍勢二万が明日にも辺境の砦都シルヴァリアを包囲殲滅する布告がなされた事を知らせる手紙が辺境伯から届けられていた。
ワインが、喉を伝った。
煮込みの、濃い香りが鼻に抜けた。
誰も、明日の話をしなかった。
片付けをみんなで終えエステルが二階に上がっていくとき、
シルクがアポロを台所へ引き留める声が聞こえた。
階段の上で、エステルが一度足を止め部屋に戻った。
シルクが、アポロの背中に額を押し当てた。
ティナの細い額が、アポロの広い背中に触れる。
「アタシはさ」
シルクが言った。
「一回死んだんだよ、アポロ。――だから死は怖くない。」
「・・・・・・」
「でも」
シルクの声が、少し変わった。
「あんたが死ぬのは、嫌だ」
アポロはゆっくりと振り返った。
目の前に、シルクがいた。
ティナの身体。しかしその瞳は紛れもなく、シルクのものだった。
獣のように激しく、気高い。しかし今夜は、心が弱々しそうな目。
「シルク」
アポロは、彼女の名を呼んだ。
シルクはアポロの広い背中をきゅっと締め付けた。
灯りは、いつまでも消えなかった。
エステルは二階自室のベッドの上で、膝を抱えて座っていた。
なぜか眠れなかった。
眠ろうとすれば、できたかもしれない。しかし眠ろうとしていなかった。
――明日のことを考えているから
そう自分に言い聞かせていた。
王都のこと。ルクシオール・カシウスのこと。三人で戦い抜けるかどうか。
だから、眠れない。でも、ホントはアポロの傍に居たかった。
その時。
胸が熱くなった。
白銀の薔薇が、脈打った。
それはいつもの鼓動とは違った。
穏やかな繋がりの確認ではなく。
もっと、深いところからの
――あっ
エステルは理解した。
瞬時に、全てを。
白銀の薔薇は魂の繋がりだ。
感情が流れ体温が伝わる。
今この瞬間 階下で、・・・・エステルは膝を抱える腕に力を込めた。
遮断しようとした。できなかった。
白銀の薔薇は、切り離せない。三人で一つだから。
――これが「三人で一つ」ということ
流れ込んでくる。
アポロの体温が。
シルクの溢れ出る感情が。
二人が一緒にいるイメージがフラッシュバックした。
エステルは目を閉じた。
涙が、一筋流れた。
嫉妬、だろうか。違う気がした。悲しみ、だろうか。それも、少し違う。
では何か。
――羨ましい。
そうか。
羨ましかった。
あの二人が持っているものが。
死の淵を共に潜り抜けて、命を賭けて繋ぎ止めて、それでも傍にいることを選んだあの絆が。
自分にはない。
自分が青い薔薇に割り込んだのは、確かだ。
しかしそれは「共犯者」としての繋がりであって。
あの二人が持っているものとは、別の種類の何かかもしれない。
――でも
エステルは、胸の薔薇に触れた。
温かかった。
白銀の薔薇を通じて流れ込んでくるもの全てが、アポロの体温も、シルクの感情も、紛れもなく自分にも届いている。
――三人で一つ、だから
自分だけが部屋にいても。
自分だけが膝を抱えていても。
――繋がっている。
「・・・・・・ずるい」
エステルは、声に出して言った。誰にともなく。涙を拭って、エステルはベッドに横になった。
目を閉じ研ぎ澄まされた感覚から離れようとした。
翌朝、エステルは支度をしていた。
白い法衣を畳み、聖典を包み、杖を壁から外す。
扉にもたれて、シルクが見ていた。
「どうする気だい。王都へ戻り、今回の異端討伐を遅らせようってのかい。」
「そうですと言いたいところですが、違います。」
「どういうこったい。あんたは自分の心が傷つかないところまで逃げると思ったんだが・・・」
「貴女は残酷ですね」
「そうだよ」
シルクは目を逸らさなかった。
「アタシはアポロを愛してる。昨夜のことを、あんたに謝る気もない。あんたが勝手に諦めて、綺麗な聖女様のまま消えるっていうならそいつは気に入らない」
「見くびらないで下さい。残念ながら、これは戦支度です。この罪の闇から目を逸らさないと決めたときから私の愛も、罪も、唇もアポロさんと共にあります。」
「モテモテじゃないか、えぇアポロ」
後ろを振り向いたシルクの視線の先の廊下にいつから話を聞いていたのかわからないアポロが立っていた。
「そこで黙るんじゃないよアポロ」
シルクの狐耳が逆立った。
「アポロ貴方を愛することに躊躇しません。ですが、シルクさんから奪うつもりもありません」
「修羅場という名のハーレムだな」
「貴方にだけは言われたくありません」
シルクが「ぷっ」と吹き出した。




