断章Ⅰ ヴェスペラ・ルシア
王都ルミナリアの中心、王城に隣接する位置にあって広大な敷地に鎮座する司法府。その最奥にある執務室は、真昼だというのに分厚いカーテンで閉ざされ、重苦しい闇に包まれていた。部屋の中央には、巨大なアルカニア大陸の立体地図が置かれている。その西の端、砦都シルヴァリアの位置に、二本の青いピンが突き刺されていた。
「・・・・・・『隻眼』の男と、死から蘇った獣人、か」
闇の中で独りごちたのは、王国全ての法と秩序を司る最高権力者、ルクシオール・セヴェリウス・カシウス卿である。
彼は手元の報告書を、まるで汚物でも扱うかのように指先で弾いた。
そこには、アレリウス男爵の古城で全滅した精鋭強化兵部隊の惨状と、現場に残された異常な魔力残滓の分析結果が記されている。
「アレリウスごとき小物があんな最後を迎えるのは想定内だ。だが、あの『魂喰らいの仮面』の呪いを破り、あまつさえ死者を蘇生させるとはな。この数値は人の身で成しうるものではない。」
ルクシオールは執務室を離れ、地下へ降りた。
そこは、カシウス家当主と認められた者とごく限られた者しか立ち入ることのできない区画となっており、古代遺跡の生命工学の中枢機能を移したものだった。
薄暗い回廊の両側には、大小さまざまな培養槽が並んでいた。
割れたもの。液体だけを残して空になったもの。内側から引っ掻いたような傷を刻んだまま、黒布を掛けられているもの。番号札だけが残され、培養槽そのものが撤去された区画もあった。
03。05。08。そして、廃棄を示す赤い封蝋。
ルクシオールは、それらには目もくれなかった。
最奥。
そこに一基だけ、他とは明らかに扱いの違う培養槽があった。
ガラスは曇り一つなく磨き上げられ、内部には絶えず清浄な聖水が循環しており、緑豊かな水草が繁茂し、聖水の流水に仰向けになって少女が眠っていた。
綺麗な衣服をまとい、胸の前で両手を重ね、まるで水底で祈りながら眠っているようだった。
槽の上部には、古びた数字だけが刻まれている。
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ルクシオールはガラスへ指先を触れた。
「ヴェスペラ・ルシア・・」
亡き妻子の毛髪から採取したDNA。
古代遺跡に残されていた生命工学。数え切れない失敗。その果てに造り出された少女。
だが、その顔には確かに、あの日失ったヴェスペラの面影があった。
「もう少しだ」
ガラス越しの少女は答えない。
「今度こそ、お前を取り戻す」
その言葉を聞く者は誰もいなかった。
ただ、十三と刻まれた数字だけが、薄暗い地下で青白く照らされていた。
「神は沈黙し、王家や貴族は腐敗の極みに達している。この世界に必要なのは、法と正義のみを執行する秩序だ。王国よ、世界よ、法の名のもとに我と同じ苦しみを味わってもらおう。」
そして、その後に必要になる「大事な要素」が欠けていた。
摂理をねじ曲げるほどの、強大な魂のエネルギー。
運命に抗う力。
―――確信した。見つけたぞ。
ルクシオール・カシウスの口元が、また三日月のように裂けた。
アポロが持つ『超常の力』それはおそらく“生命”に関わるスキルだろう。
そして、死の淵から舞い戻ったシルクの特異な魂。
これらを取り込めば、私の女神は本来の光を得ることができるのだ。
◇◇◇
「イグナティウス審問官。大聖女候補のエステルも利用しろ。愛と信仰の板挟みとなっても”神の裁定を人の意志で覆せる証明となりえるか”として観察するのだ。それから先に人造魔獣を使って絶え間なく攻撃を加え彼奴らの力を削ぐのだ。死から舞い戻れたとしても本調子ではないはずだ。」
執務室へ呼びつけておいたイグナティウスに諭すような落ち着いた口調で指示を与えた。
「はっ」
「よいか、イグナティウス。言葉とは、法なのだ。カシウス家の遺跡に残された裁定機構は、条文の命令を意味として認識する。 ”十二体” には、それぞれひとつずつの執行権限を与えた。」
「……は。おっしゃる意味が」
イグナティウスが困惑するのも構わず、ルクシオールは冷たく笑った。
「お前には分らぬか。私の使魔達の根本原則なのだ。法理の執行者となるための、これは言葉で縛る呪いなのだ。」
「イグナティウス。よいか急いで捕らえたりするな。まずアレで疲れさせろ。互いの罪を見せつけ精神的に追い込むのだ。」
闇の中で、淡々と命令が下されていく。
そしてシルヴァリアに刺さった青い二本のピンと黒い一本のピンの周囲に、無数の赤いピン――断罪の軍勢を示す駒が配置されていた。
――アポロ。
ルクシオールは、報告書に記された男の名を心の奥底へ再び呼びかけた。
――お前は、愛する者を取り戻せたのか。




