第六章 哀天使Ⅰ
翌日、第二陣の先頭は、王国軍一万五千人の兵士たちと十二体のアンジュだった。
先の”真昼の決闘”で破壊された法典は、新しいものになっていた。
だが、今度は法典だけではない。
身体の背中から異様に伸びた発光している管が、彼女たちの後方へ延びている。
砂塵や爆炎の向こうへ。
その先は見えない。
その時、アポロたちは一団となって第二陣の左側面から攻勢をかけ始めており、哀しくも強敵であるアンジュたちの様子を視認していた。
戦域が拡大し、シルヴァリアの城壁から放たれた砲弾が中央部に集中し被害が甚大となったところで、
イグナティウス審問官が杖を振った。
「第零条――神を護る盾となり、光の道を啓開せよ!」
十二冊の法典が、一斉に開いた。
だが、そこに第零条の条文は書かれてはいなかった。
“ルミナスチューブ”が強烈に発光し四体のアンジュたちが、そのチューブの命令に従い空へ舞い上がる。
火を噴いた城壁からの砲弾が黒い影を引きながら中央へ飛来する。
その軌道へ。
抗えないようにコントロールされた四体のアンジュが、まるで中央部の何かを守る盾のように砲弾の進行方向に自ら飛び込み、爆炎が空を覆った。
白銀の光が空いっぱいに散った。
白い羽根にも似た魔力粒子が、真昼の空をゆっくり落ちていく。
同時に四本の光の鎖が切れた。
「なっ……管が光って」
シルクが息を呑み歯ぎしりしながら叫んだ。
「こいつら……盾にされてやがる!」
エステルの魔力が、触れれば火傷しそうなほど熱く膨れ上がるのではなく、氷点下を下回り周囲の空気すら凍らせ始めた。
「命を…命を何だと思っているんですか!こんな人々の陣営に属していたなど吐き気しか覚えません。」
「・・」
アポロは終始無言だった。こんな行為を平然と行うことに全く躊躇しない奴を脅威に感じ始めていた。
シルヴァリアの城壁から第二射が放たれた。
残ったアンジュが空を見上げる。
金色の瞳に、恐怖が浮かんだが、それでも身体は勝手に動いた。
「やめろ!」
アポロが叫ぶと加速を展開させ、サンダーボルトで早撃ちした。
アポロの弾丸は、その背中から伸びる光の鎖だけを撃ち抜いたはずだった。
一体。
シルクが駆け、双剣が光の鎖を切り裂いたはずだった。
二体。
エステルの杖から放たれた光が、残るアンジュを包み込む。
「神聖拘束!」
身体が止まったはずだった。
だが。
どの鎖も切れなかった。むしろ強く輝いた。
その時、
ゴォォォン……。
戦場の東から鐘が鳴った。
教会の鐘ではない。
残響が完全に消えてから、また一つ。
ゴォン……。
一音ごとに、死者を一人ずつ数えるような鐘だった。乾いて間の長い鐘だった。
誰に捧ぐ葬列なのか、判然としなかった。
想像もしないことが起こった。
そこで王国軍が左右へ割れ、その不可思議な鐘の音が聞こえる数キロ範囲に結界が生じていたのだった。それによりシルヴァリアの城壁から放たれた第二射は有効だとはなっていなかった。
続けて、
『第一条 神罰に服すべき者は、その場に跪くべし』
アンジュの鈴の音のような綺麗な声が、再び響き、結界内にいるアポロたち傭兵もシルヴァリア守備兵たちも動けなくなった。
「畜生またやりやがったな!」
シルクが怒り狂い双剣を振り回す。
「なんで毎回毎回こうなりますの! しかもなぜか前回よりもさらに強力です。」
「こいつも修羅場ってやつだな」
「あきらめるな!!」
「”諦観の境地”に入らないでください!!」
荒野の向こうから、黒い馬車が現れた。
その後ろに、もう一台。
さらに、その後ろにもう一台。
三台の馬車が、一本の葬列のように繋がっている。
先頭は漆黒の法廷馬車。
六頭立ての黒馬。
艶やかな毛並みと引き締まった脚。
六頭の蹄が、弔鐘に合わせるように寸分違わず荒野を踏んでいた。
一台目だけには豪奢に見える金で装飾された窓が正面と側面に装備され、扉には天秤と剣が同じく金を用いて刻まれていた。
二台目の漆黒の車体には目立った装飾はないが、中央に、大きな光球が脈動するように鎮座していた。
さらに、ときおり黒くしつらえられた表面の奥から、金色の文字が二つずつ、脈打つように真っすぐや斜めに浮かび上がった。
――告発
――審理
――判決
――執行
文字は光球に呼応するかのように脈動し、形容しがたい音を発すると、また漆黒の中へ沈んだ。
そして。
三台目が砂塵から姿を現した。
アポロが目を細めた。
シルクの狐耳がゆっくり伏せられた。
エステルは言葉を失った。
聖水を満たした硝子の棺。
漆黒の薔薇がモチーフとなった硝子の棺を固定するための枠としてデザインがなされていた。
透明な棺だった。
精緻な絵画のように美しい新緑の水草や白い花、水仙などが美しく配置されていた。
その中央に、一人の神秘的な少女が仰向けに眠っていた。
あまりに美しかった。
戦場にあることそのものが、間違いに思えるほど。
長い髪が聖水の中をそよいでいた。
閉じた瞼。
白い肌が艶めかしく、赤い薔薇を手にしていた。
静かな唇。
まるで、死というものだけが彼女を避けているようだった。
そして。
残されたアンジュたちの背中から伸びる光の管は――
すべて、その硝子の棺へ繋がっていた。
「……そういうことか」
アポロが呟いた。
アンジュたちは兵士ではなかった。
法を執行する者ですらなかった。
この少女を守るために配置された、十二枚の盾だった。
第十二条のアンジュが、初めて法典から目を離した。
硝子の棺を見た。
そして、小さく言った。
「死にたく……ありません」
イグナティウスが怒鳴った。
「黙れ! 兵器が命を語るな!」
杖が振り上げられる。
その杖を一本の矢が弾き飛ばした。
「子供いじめは許さない。」フィンだった。
続けてブルーが放った鉤縄で馬上からイグナティウスを引きずり落とすと、
「あとでたっぷりお仕置だね。」ブルーの皮肉な言葉だった。
さらに転がったイグナティウスの鼻先すれすれへ、ジョーが一発撃ち込んだ。
バンッ!
鼻先で砂が爆ぜ、鼻から血がにじむ。
「ひぃっ――」
イグナティウスは白目を剥いて、そのまま気を失った。
ジョーが呆れたように長銃を下ろす。
「まぁ生きてたら法の裁きを受けな。・・・ていうか畜生、なんでおれたちまで跪かされてんだぁ」
先頭の黒い馬車が止まった。
扉が開く。
王国首席判事。
国王直属王宮筆頭顧問。
王宮法務総監。
異端審問局最高監察官。
そして西部方面全権使。
ルクシオール・セヴェリウス・カシウス卿が降りた。
紙片のような光が足元へ敷かれ、道を作ったことで黒い法衣は砂に触れることはなかった。
ルクシオールは倒れたイグナティウスを一瞥した。
助けようとはしなかった。
次に王国軍を俯瞰した。
第一王子を見た。
貴族たちを見た。
商会の旗を見た。
豪奢な馬車の中で戦況を眺めていた政商たちを見た。
その時、
『第一条 神罰に服すべき者は、その場に跪くべし』
アンジュの鈴の音のような綺麗な声が、王国軍へ牙をむき数キロ四方に再び響いた。
そのため結界内にいた寄せ手であった全ての王国側の者がその場に跪いた。
そしてルクシオール・セヴェリウス・カシウス卿が静かに言い放った。
「二十七年だ」
誰も動けなかった。
次のアンジュが
『第二条 神前に立つ者は、本性を偽ることを許されない』
それが数キロ四方に再び語られると関係者だった誰もが隠していた事実を暴露し始め悶絶した。
「二十七年前。王都ルミナリアで熱病が広がった」
一枚の紙が、彼の前へ浮かび上がる。あの時、命の価値を証明した許可状だった。
「薬はあった」
二枚目。
「運ぶ馬車もあった」
三枚目。
「倉庫には十分な量があった」
ルクシオールの声には怒りがなかった。
それが、かえって恐ろしかった。
「私はクスリを買い占めた」
と老商人の口が勝手に動き告解した。
「私は死者数を書き換えた」
別の高官が、自らの罪を口にする。
次のアンジュが、
『第九条 他者へ負わせた苦痛は、その原因を作った者へ返される』
鈴の音のような綺麗な声で、三度目が響くと、全員に熱病の症状が急速に発症し、病から逃げようと転げまわり気が狂いそうになっていた。
「だが、お前たちはさらに三日も時間をかけた。」
一人の老貴族の顔からさらに血の気が引いた。
「薬価を決めるために」
老政商が逃げることもかなわず、失禁しながらもだえ苦しんでいた。
「輸送権を競売するために」
別の男が嗚咽とともに胃の内容物を吐いた。
「王家への上納率を決めるために」
第一王子のアレキサンド・ルミナリウスも頭をあげることもかなわず突っ伏し、涎を垂れ流していた。
さらに一枚。
「死者数を書き換えた者」
歴代の法務大臣を務めた家系の利益をむさぼった若き英才も全く動けず気絶していた。
「薬を買い占めた者」
また一人。
「貧民街を封鎖し、感染者ごと焼こうと進言した者」
また一人。
「そして、その三日で二万九千人が死んだ」
沈黙。
ルクシオールはヴェスペラ・ルシアが横たわる硝子の棺を見た。
ほんの一瞬だけ。
ルクシオール・セヴェリウス・カシウス卿の顔が崩れた。
「その中に――私の妻と娘がいた」
風が吹いた。
棺の中で、聖水の中の少女の髪が揺れた。
「私は忘れなかった」
黒い法典がひとりでに開く。
「お前たちが忘れても」
ページがめくれた。
「王が忘れても」
金色の文字が空へ浮かぶ。
「歴史から名前が消えても」
文字が王国軍の中へ飛んだ。
だが。
兵士たちの身体を素通りした。
若い徴募兵も。
名もない騎兵も。
負傷兵も。
文字は彼らを選ばなかった。
狙ったのは。
貴族
高官
政商
二十七年前の記録に名を残した者。
また、その子孫のうち、利権を受け継ぎ、今なお同じ搾取を続けている者。
「告発する」
ルクシオールが言った。
「判決する」
黒い文字が彼らの身体へ巻きついた。
「執行する」
最後のアンジュが
『第十一条 全ての権利を失った者は、王国及び神の記録から全てを失う』
鈴の音のような綺麗な声が、二度響いた。
悲鳴。
爵位を示す紋章が砕けた。
契約書から名前が消えた。
商会の印章が割れた。
土地証文の文字が白紙へ戻る。
墓碑に刻まれた家名が崩れる。
家系図から一族の名が抜け落ちる。
「全財産没収」
一人が倒れた。
「爵位、市民権の剝奪」
また一人。
「婚姻、契約、相続権――失効」
政商が這って逃げる。
「墓碑、記録、家名――抹消」
黒い文字がその足を捕らえた。
ルクシオールは最後まで声を荒らげなかった。
告発され、判決され、執行された命が消えた。
全てを失い戦場に倒れ伏した者たちを見て、残った兵士たちはようやく理解した。
この遠征は、シルヴァリアを討つために仕組まれたものではなかった。
だが、その列の中には最初から――被告人が混ぜられていたのだ。
ルクシオールは長い間、倒れた者たちを見ていた。
やがて、小さく息を吐いた。
「……終わった」
アポロが銃口を下げる。
ルクシオールは首を振った。
「違う、アポロ」
その目が初めてアポロの瞳を見つめた。
「復讐が終わっただけだ」
アポロが銃口をふたたび上げる。




