74. バスケットゴール下の出会い
美月の実の父親は、ヤクザものだった。
美月が産まれて一年が過ぎたころ、父親は刑務所に入った。母親のほうは子育てに関心がなく、赤ん坊だった美月は一人取り残されたが、それを見かねた美月の叔父……父親の弟夫婦が、美月を引き取った。
叔父は兄とは正反対に真面目で誠実だった。役所勤めであり、特に金持ちではなかったが貧乏でもない。叔父の妻も優しい性格で、美月は叔父夫婦のもとで平凡に育っていった。
美月が小学校六年の時、転機が訪れた。実の父親が死んだ。
いつ刑務所を出たのかはわからないが、短気で喧嘩っ早かったヤクザもんの父親は路上で口論となり、ナイフで刺されて死んだ。
叔父はさんざ迷ったようだが、結局は遺体を引き取った。美月は実の父親のことを叔父夫婦から、それとなく聞いていたが、実の父親の死に悲しみも驚きもなかった……。卒乳をし終わる前に居なくなった親の存在など記憶になかったし、どうでもよかったからだ。しかし……美月の実の父親は極道者、というのが学校中に知れ渡った。
友達の家に遊びに行くと、その子の親から追い返されることがあった。
女子生徒から避けられるようになり、男子からは、からかわれた。
ある時、一人の男子生徒が執拗にからかってきた為、美月は我慢ならずにその男子を蹴っ飛ばした。それがさらに美月の評判を悪くした。中学にあがった時には、美月に友達と言える者はいなかった……。
ザクッ……!
まな板の上で、美月はカレーに入れる具材を切っていく。
可憐の兄、酒井陸は大学卒業後、地元若緑市の食品メーカーに就職し、若緑市のアパートで一人暮らしを始めていた。その陸が暮らすアパートの一室で美月は、彼と自分の夕飯を調理している。
「あれ……皮むき器って、なかったっけ?」
棚の引き出しを開けて、調理用具を探す。
「…………あいつ、昔に比べてずい分とズボラになったなあ……引き出しの中、ぐちゃぐちゃじゃんか。……仕事で疲れてるのかな」
二段目の引き出しの中から皮むき器を見つけた美月は、流し台で人参の皮をむき始める。
静かな部屋で一人、作業をしていると自然と昔のことを思い出す……可憐と始めて話をした時のこと…………。
あれは、中学二年になってしばらくの時だったかな。そういや陸の奴が、可憐を馬鹿にしたのがきっかけだったような……。
昼休みの体育館
中学二年に入っても、美月には友達と呼べる人がいなかった。だからといって、いじけるわけでもなく、一人バスケットボールを持ってシュートの練習をしていた。このころから背が高かった美月はバスケ部に入っており、三年生とともにチームの主力メンバーだった。
上は体操着を着ているが下はスカート……ただしスパッツを履いている。ドリブルでゴール近くまで進み、スカートをなびかせてシュートを放つ。綺麗な曲線を描いてボールはゴールへと吸い込まれていった……。
ゴールから落ちたボールを拾うとゴールから離れ、またドリブルでゴールまで………………と思ったら、ゴール近くで女子が一人、不器用そうにシュートを打っている。両腕全体の力を使ってボールを押し出すツーハンドシュート……しかし力が足りないのか、フォームが悪いのか……おそらくはその両方だろう、ボールはゴールの高さに届かずゴール裏へと跳ねていく……。その女子生徒はロングヘアをなびかせて、ボールを追いかけていった。
その場でドリブルをしてゴール前が空くのを待っていた美月は、女子がボールを追いかけてる間に再びゴール前までドリブルし、シュートを放つ。先ほどの女子と違って、利き手でボールを放つワンハンドシュートだ。ゴールから落ちたボールを拾う美月に、ボールを追いかけてた女子が声をかけた。
「大林さん、凄いね! さっきからずっとシュート決めてる! それも男の子と同じフォームで……どうやったらできるの?」
え? この子、なんでわたしの名前知ってんだ……って、たしか同じクラスの…………。
「あ、ごめんなさい。わたし、酒井可憐です。あの、大林さん……だよね?」
ああ、酒井さんか……。可愛いし、人気者だよな、この子。
「……大林美月、バスケ部だよ。ワンハンドシュートは筋力つけないと無理だし、見よう見真似のフォームで素人ができるなら、ウチらバスケ部は毎日練習しないよ」
「そっかあ、そうだよね……そんなすぐにはできないよね………。
ね、ねえ大林さん! 今度、フォームの仕方、教えてくれないかな?」
「は、はあ~? なんで?」
「う、うん……お兄ちゃんにさ、可憐は運動神経なくって鈍くさいってバカにされて……それが悔しくて……! どうしてもバスケでゴールを決めたいの!」
…………お兄ちゃんにバカにされたからって、そんな理由……? 変な奴。
「別にいいけどさ……そっちこそいいの?」
美月はボールを何度も床につきながら話しかける。
「え……? なにが?」
「…………わたしの実の父親、" ムショ帰り "だから。もう死んでるけどさ。
わたしと付き合ってると、あんたまでイジメられるよ」
「……それで大林さん、いつも一人でいるの?」
なんて答えていいのかわからず、美月はただバスケットボールをついている……。
「……別に、なんだっていいだろ」
「じゃあ……わたし大林さんの友達になる!」
「え……?」
" 友達になる! "
その言葉に美月は、驚きと同時に、どうしていいのかわからず戸惑った。
「い、いいよ! やめろよ、同情なんて……!」
そう言いながら美月はドリブルで走り出し、シュートを放つ…………が、ゴールにバウンドして外れた。
床の上を音を立てて跳ねているボールを拾いながら美月は可憐のほうに振り返り、
「フォームは教えてやるよ……でも、友達とかどうかは、その……やめろよ」
「うん、ありがとう! 大林さんと仲良くお話できたらいいな!」
酒井可憐は、満面の笑みで答えた。
次の日から、美月は可憐にワンハンドシュートの仕方を教えた。ボールを両手で持ち、利き手と逆の手は横に添えるだけ……腕力に頼らず、下半身の力を使ってボールを飛ばす。口頭での説明も難しく聞こえるが、実際やってみても素人がすぐできるものではない。
しかし可憐は美月の説明に耳を傾け、何度も練習をする。ずっと友達がいなかった美月は、人になにかを教えるのが上手いとは、とても言えなかった。つい舌打ちをしてしまうこともあったが可憐は嫌な顔を一つせず、美月との練習に精を出した。
1日目
2日目
3日目
日が経つにつれ、二人の間に会話がいくつも生まれた。そして可憐が見事にシュートを決めた時は、二人は抱き合って喜んだ。
可憐の兄、酒井陸が一人暮らしをしているアパートの一室。
カレーを煮込んでる間、美月はリビングでテレビを見ながら、一休みしていた。テレビの横には陸の妹、可憐の写真がマリア像と共に飾られている。
小学校以来、友達がいなかった美月に初めてできた友達……皆が腫れ物でも見るかのように避けていた美月に声をかけてきた女の子。
可憐と出会う前の美月は、部活が終わると日が落ち始めた通学路を一人で帰っていた。夕暮れの通学路……家までの距離はいつも遠く感じられた。
しかしあの体育館での出会い以降、美月は吹奏楽部だった可憐と帰るようになった。二人でお喋りしながら帰るその道は……楽しく、短い距離に感じられた。もっともっと道が続いていれば、この仲の良い友達と別れることなく楽しくお喋りすることができるのに……そう思った帰り道。
楽しかった時間……ずっと続くと思っていたその時間は……凍りつき動くことは、もはやない。
「………………」
美月はテレビを消すとリビングへと戻り、カレーの煮込み具合をみる。
「……いい感じだな。ブラマスの会議は、7時からか……もうちょっと遅くてもよかったかな。まあいい、早めの夕飯にしよう。
陸の奴、定時で帰ってこれるかな……電話してみるか」




