69. あの日の指切り
「まもなく、3番線に急行、高崎行きがまいります……。
危ないですから黄色い点字ブロックまで、お下がりください」
埼玉県若緑駅のホームに、ゆっくりと電車が入ってきた。
2月10日午前9時ちょうど。電車が停まりドアが開く。
本日は木曜日……平日ではあるが出勤時間帯のピークは過ぎており、乗客達の乗り降りはスムーズに行われる。
その乗客達の中にひときわ目立つ美人が一人……。背は高く、何人もの乗客が歩く駅のホームにあっても、その美しくも凛々しい顔は埋もれて見えなくなることはない。
ベージュのコートにキャスケットのニット帽、すらりと伸びた長い足にはジーンズを履いている。背筋を伸ばし堂々と歩くその姿は、どこのファッションモデルが来たんだ? と見惚れるところだが、実際大林美月は大学生活のかたわら、ファッション雑誌のモデルのバイトをしていた。
美月は一ヶ月に一度、必ず若緑駅に下車する。形見となった酒井可憐のスマホのコンビニ決済をする為であり、その可憐の墓に祈りを捧げる為だ。
美月は駅を抜けると、その駅のすぐ隣……コンビニに入った。
若緑駅前のコンビニには白い生花が売られていた。バスに乗ってしばし行ったところに、カトリック若緑霊園があるからである。
美月は花を一本買いながらスマホのコンビニ決済を済ませ、外に出る。顔に冷たさを感じる……。雨か……? いや、雪だった。雪を降らす雲が辺りを暗くし、美月の身体に冬の寒さを届ける。
雲に覆われた薄暗い空を見上げながら美月は思い出す……可憐が飛び降りた12月28日…………あの時も、こんな天気だった……。
2X23年12月28日 午後1時20分
大林美月の家
それは突然の来訪者だった……。
天気予報では、午後から雪がちらつき始め、深夜になる頃には大雪になるだろうとの予測だった。そんな悪天候が予想されるなか、酒井可憐が訪ねて来た。
白い帽子に白いコート……可憐の可愛さも手伝って、その姿は雪の妖精のようだった。
「どうした、可憐。なにか用か?……というか、なんだその恰好。どこか出かけるのか?」
トレーナーにジャンパーというラフな格好で自宅から出てきた美月が尋ねる」
「うん……これから藤色市に行こうと思って……。
それでその前に、ツッキーに渡したい物があってね、来ちゃった」
「ええええ!? これから藤色市に行くの? 夜から本格的に雪が降るって、テレビで言ってたよ。帰り大丈夫か、おい。
……っていうか、なにしに行くんだよ」
「映画観たいんだ、怪物の王子様」
「映画館なら若緑市にもあるじゃん!」
「……他にも寄りたいところあるんだよ。
藤色市って、ツッキーとよく遊んだよね……だから、もう一度行きたいんだ」
「今日じゃなくたっていいだろ……。
今はパラパラだけど、夜になったら積もるぞ……帰りほんとに大丈夫か?」
「…………帰りは大丈夫だよ、心配しないで。
それより、これ……」
そう言って可憐は、コートのポケットより一台のスマホと充電器を美月の前に差し出す。花柄のカバーケースがはめられたスマホには、ハート型のリングストラップが付けられていた。
「ん……? これ、可憐のスマホじゃん」
「うん…………わたし、機種変更するからさ……これ、ツッキーにあげるよ」
「え……? あげるって……どういうこと?
わたし、自分のスマホ持ってるし……」
「うん、もちろん知ってる。だけど……持ってて、これ。いらないなら捨ててもいいけど……でも今は受け取ってほしい」
可憐は自身のスマホを差し出し、親友であるツッキーこと大林美月の顔を見つめる。美月は訳がわからなかったが、可憐の真剣な表情を見て、とりあえずスマホとその充電器を受け取る。スマホと充電器の間には、一枚のメモが挟んであった。
「……これは?」
「スマホの暗証番号。あと、決済方法はコンビニ決済だから、使いたい場合は来月から払ってね」
雪がちらほらと降り始めた大林家の玄関前……。美月は怪訝な表情で、渡されたスマホ一式を見つめる。なんでこんなことをするんだろう……可憐は昨日からどこか様子がおかしかった。
そう、昨日の夜中11時過ぎ……あんな時間帯に可憐が電話をかけてきたのは今までなかった。なにか辛いことがあったみたいだけど、2時間以上話して、結局なにも教えてくれなかった…………。
「可憐……なんか困ったことがあるなら、いつでも相談にのるよ?
わたし達、友達だろ」
「うん! ツッキーは、わたしの一番の友達!
…………ねえ、美月」
「え……」
「将来……わたしがどこか遠い場所に行っても、わたしの友達でいてね」
その時、美月は、高校卒業後の進路のことを言ったのだろうと思った。
敬虔なクリスチャンだった可憐は、将来は英語を学んでヨーロッパの教会で働いてみたい……そんなことをいつだか話してたのを思い出したからだ。
「うん、もちろん! わたし達は、ずっと友達だ!」
「…………じゃあ、指切りしよう」
「え……ゆ、指切り?」
「いや?」
「……いやじゃないよ、しよう」
美月は少し照れながらも、可憐の可愛らしい小指に自身の小指を絡ませる。
可憐はじっと美月を見つめていた。そして美月も、可憐の顔を見つめる……。
「わたしと可憐は、ずっと友達だ」
「うん……! わたしとツッキーは…………ずっと友達!」
雪が降り始めた若緑市で、二人は指切りを交わした……。
その時、美月は……可憐がずっと涙を堪えているように見えたのを忘れなかった。




