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51. 夜のお散歩

 連絡用


 そう書いたメモ書きと共に箱に入っていた、赤いスマートフォン。

 Blackブラック Maskマスクメンバー、■Lichリッチの指示通り、自身のスマホとデザリングをして、ネット接続状態にしていたが、最初の指示以降はなにも連絡はなく、日付は火曜日から水曜日になった。翡翠もえと夜のお散歩を約束した曜日である。



 2月9日 水曜日

 朝、もえからゼータにメッセージがきていた。散歩の時間と場所についてだ。

 カケルは、しばし迷ったが、午後8時を希望した。7時だと夕飯の時間帯に一階に降りて行かねばならない。引きこもりのカケルが心配していたのは親に自分の行動を知られたくない、だった。

 別に夜中外出することを内緒にしたいわけではない、干渉されたくないのだ……。子供の頃から親、特に父親には自分の行動を干渉され続けた。父親は開業医らしく食事をとる時も、調味料のかけ方、量はどうしたら健康に良いかと、しつこく説明した。ご飯をおかわりすれば、「それ以上は食べ過ぎだ」と言われ、かと思えば「もっと食べないと成長しない、もっと食べろ」と叱られたり……一挙手一投足を干渉され続けたカケルは、もう自分の行動を親に見せたくなかった。


 そして時刻は午後7時40分。

 翡翠もえとは蒼町アオイチョウ蛍池ホタルイケ公園で8時に待ち合わせだ。



「…………ふう、行くか」


 大学の共通テストに向かうかの如く厳しい顔をしたカケルだが、実際は人生をかけたテストではなく、夜のお散歩をするだけだった。

 タンスから黒のダッフルコートを出して着ると、ポケットにスマホを三台突っ込む。一つはライチョウマークの付いた黒スマホ、二つ目は自分のスマホで、最後は、その自分のスマホとデザリングしているリッチの赤スマホだ。


 ……リッチの奴、結局なにがしたいんだ?

 大林美月は人を捜しているから、という理由で、おれ……というかペケゾーに接触してきた。じゃあリッチの奴は……?

 黒々ますく掲示板のほうに、おれの個人情報を晒していく……ってスレッドを建ててたけど、おれの削除依頼でスレッドが消されて以降は、なにもしてこない。おれの住所わかったんだから住所晒してきてもよさそうだけど、無反応だな……。

 カケルはリッチから送られてきた赤いスマホを手に取り眺める。擦り傷が目立つ古いスマートフォン……フリマアプリや中古ショップなら、一万円以下で買えそうな型落ちスマホ。一緒に送られてきた充電器は、ジャンクコーナーでも漁れば、数百円で買えるだろう。


 なんでスマホを送ってきた?

 連絡用とか言っておきながら、なんの音沙汰もない……目的がわからないから、よけい不気味だ……。



 …………とりあえず、このスマホは持っていこう。デザリングしとけって指示だし……指示を破ったら住所晒すって言ってるしな……。



 カケルは時計を見る。7時49分


 やばっ! どうでもいいこと考えてたら時間が……! 蛍池公園まで何分だ?

 慌ててドアを開け、階下を望む……。一階のリビングから、テレビの音が漏れている。そのリビングを通らないと玄関には行けない。


 ……ええい、くそ!


 カケルは悪態をつきながら、足早に階段を下りる……。

 リビングに目を向けると、ソファーに座りながらテレビを観ている父親の姿があった。そのテレビから聞こえてくるのは……


「会社でのパワハラをきっかけに、20年間引きこもった長野県在住のKさん45歳……このままではいけないと……」


 げっ……! 引きこもりの番組見てやがる!


 気まずいどころではない……カケルは、そそくさと玄関に向かうが、リビングの父親はカケルの存在に気づく。


翔琉カケル、出かけるのか……?」


 父親の問いにカケルは応えない。


「テレビ見てみろ、ひきこもりの地域支援センターってのがあってな……。

 お前も今度、行ってみないか?」


 うるせえ、行くわけねえだろ! 引きこもりの番組なんか見んな!


 靴を履き、ドアを開けたカケルは父親に返事をする代わりに、開けたドアを乱暴に閉める。

 昔の父親だったら大声で我が子を呼び止め、走り寄ったのち、なぜそんな態度を取るのかと息子が反省の態度を取るまで問い詰めていたところだが、今の父親にそんな気丈さはなかった。



 外……。

 2月の夜は、寒かった。空気が冷たい……。

 去年の春から引きこもっていたカケル。夏も冬もエアコンという現代文明の恩恵を24時間受けていた為、外の空気がこれほど過酷だとは思ってもいなかった。


 …………手が冷たい。


 手袋を忘れた。

 取りに行こうかと思ったが、玄関を開ければリビングの父親とまた顔を合わせなければならない。引きこもりの番組を見ている父親とだ。



 ………………ポケットに手を入れてれば寒くないだろ。


 そう自分を納得させ、外の世界に足を踏み出すカケル。

 最後に外へと出たのは、いつだったろうか…………。カマリ・橋本から、黒スマホを授かったのは去年の9月……しかしそれは、あくまで玄関先での話だ。完全に家の外へと出たのは、8月……誰にも会わないだろうと思って夜の散歩に出たはいいが、世間では夏休み。バッタリとクラスメイトに会ってしまい、慌てて逃げ帰った……。



 ……半年ぶりだろうか。


 ゆっくりと、夜の蒼町に向かって歩き出す。

 風が吹く……冷たい風…………。

 カケルはダッフルコートのフードを被る。小柄なカケルに対してそのコートは一回り大きく、顔は完全にフードで隠れてしまう。顔を黒いフードで覆われ、静寂な夜の町を歩くその姿は、ファンタジー世界に登場する魔法使いのようだった。



 あ……ここ、空き地になってるのか。


 カケルが子供の時からあった酒屋さん……去年の夏に散歩に出た時もあったが、今は更地になっている。高齢の店主が切り盛りしていたが、病気になったとかで長いこと店を閉めていたと、リビングから聞こえる両親の会話で知った。


 そういや去年の暮れ……解体工事の音が聞こえてきてたな。


 工事の音……昼夜逆転の引きこもりにとって、難敵の一つ。

 朝になり、さあ寝ようかな……とベッドに入ると聞こえてくる「ズガガガガッ!!」「バキバキバキ……!」「ドォーーン! ドーーン!」という騒音……もとい工事の音。

「うるせええええ! よそでやれ!!」と、イライラしながら浅い眠りについていたのをカケルは思い出す。


 ……よく見るとこの空き地、地縄が張ってあるぞ……家が建つのか。

 ということは昼間トンカントンカン、まあ~~た、うるさくなるのかあ~やだなあ……。

 他人がカケルの心を覗いたなら、だったら朝起きて夜寝ればいいだろ! と突っ込みたくなるところだが、当のカケルは、いつ寝ようが自分の勝手……といった感じだ。


 空き地を眺めていてもしょうがないので、カケルは歩き出す。すると……



 プルルルル!


 スマホが鳴る。カケルは今、三台のスマホを両のポケットに入れている……鳴っているのはカケル自身のスマホだ。発信者は大林美月。


 ……なんだよ?

 カケルは歩きながら電話に出る。リッチの赤スマホと接続ケーブルでデザリングしているので、そっちも一緒に出して通話を行う。

 翡翠もえと美月からの電話には、苦も無く出れるようになっていた。



「もしもし、なに?」


「カケルか? 今、家か?」


「いや、ちょっと外に出てるけど……」

 ……昨日は君付けだったのに、呼び捨てになってる…………ちょっと悲しい。


「外? 引きこもりって言ってなかったか?」


「散歩だよ……夜なら、まあ……一応、外に出れるし…………

 美月さんは、なんの用?」


 [用ってほどじゃないが……リッチの件はどうなったかと思ってさ

 あれからなにも言ってこなかったから」


 なんだ、心配してくれてたのか?

 恐い人かと思ってたけど、優しいところもあるんだな……。


「なにもないよ。

 リッチの赤いスマホ、インストールされたアプリとか見てみたけど、カレンダーとか電卓とかで怪しそうなアプリもない。

 ゼータのアプリを除けば、おそらく初期設定のままなんだろう」


「……そうか

 いや実は、監視カメラのアプリとか入ってるんじゃないかと思って電話したんだが……はは、さすがはペケゾー君だな。調べるところは調べてるな」


「それほどでも……。

 で、調べるといえばさ、黒々ますく掲示板のほうも見てみたけど……リッチが書き込みしたのって、ここ最近なんだな……去年の書き込みは見つからなかったぞ。ひょっとして新人のハッカーなのか?」


「ますく掲示板では新入りの部類だが、ネギバナのほうでは、かなり前から見かけてたな」


「ネギバナ?」


「ダークウェブにある掲示板」


 ダークウェブって……闇サイトのこと? 犯罪のニュースの時に、よく耳にするけど…………。

 どんどん話が、きな臭くなってかないか? 面倒に巻き込まれるなんて、絶対イヤだからな!


「魔法使いさんもおいでよ、闇の世界に」


「いかないよ!」


「あらら、そうか……残念」


 ふん、なにが残念なんだか…………って、あそこに見えるのは……。



 美月と話しながら歩いていたら、蛍池公園に着いていた。公園脇の道路には黄色の薄汚れた軽自動車……三日前、カケルの家の前にも停まっていた車だ。

 運転席の窓越しに、タバコを吸っている富田林の姿が見えた。


「ああ……美月さん、ごめん。外で人と会う約束をしてたんだ、もう切るね」



 公園にやって来たカケルの存在に気付いた富田林が、ドアを開けて手を振り……助手席から出てきた翡翠もえが、笑顔でカケルを出迎えた。

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