17. 神楽坂翔琉の家庭事情
カケルの父親、神楽坂修55歳は、新潟の米農家に四人兄弟の次男として生まれた。
町でも有数の水田を持つ農家だったが、跡を継ぐのは長男と決まっていた。
その為か神楽坂家の優先順位は、なにをするにしても長男だった。誕生日のお祝いも、入学、卒業の祝いも長男は豪華だった。甘やかされて育った。
父親が亡くなった際には、兄は遺産の遺留分の放棄を兄弟に求めた。神楽坂修は親の遺産など最初からアテにしていなかった為、兄の求めに同意した。兄は、ほくそ笑んでいた。
兄は米を作らず、先祖代々の土地を売って金を得た。戦前より神楽坂家が汗水垂らして耕してきた水田は、アスファルトで固められた駐車場へと変わっていった。
ろくに働かず昼間から酒を飲み、駐車場から得た金でパチンコホールに通う兄。一度は結婚はしたが、離婚した。
そんな兄を幼少の頃から見てきた神楽坂修は、将来子供が生まれたなら絶対に甘やかせず、厳しく育てようと心に決めた。
そして、その子供は………引きこもった。
[あの人はさ…努力厨なんだよ。
努力すれば、なんでもできるってやつ。今時バカだよ。]
日が落ちた暗い子供部屋…外から聞こえ始めた雨音が暗い部屋をより一層、陰鬱な色に変える……。光はと言えば、パソコンのモニターとカケルが手に持つスマートフォンからの光だけ。
モニターには翡翠もえのライブ配信の動画が流れているが、カケルは動画内の翡翠もえにはもう興味を持たず、スマホのPM欄で姉川萌との会話に没頭していた。
[努力すれば夢は叶う]
[努力は裏切らない]
[なにかを達成できないのは、努力が足りないから]
[物心ついた時から、あいつにずっとずっと言われてきたよ]
「うん]
[あの人の言うこと信じて、努力してきた
いや、信じてはおかしいな
子供だったから、言われるがままにやってきた
言われたこと、疑いもしなかった
親が言ってるんだから、正しいんだろうって]
「ああ、分かる
大人が言ってるんだから、そうなんだろうなって]
[そう、だからさ]
[うん]
[社会勉強と言われて外に連れ出された時も、
これは大事なことなんだな…って、思ってた]
「社会勉強って、なに?]
姉川萌から、当り前の質問。
対して、カケルの返答。
[精神科の入院病棟に、見学行くことになった
あの人医者だから、コネがあったんだろうね]
[え、なんで??]
[だから社会勉強だよ
そこで社会の負け組を見る
アルコール依存症の人とか、そういうの
そんで、家に帰ったら感想文を書いて、あの人に提出]
[学校の勉強みたいw]
[うん、そんな感じ それを休みの日にやってた
病院以外にも、刑務所に入ってた人の公演会とか]
[なぜ、この人達はこんな境遇なのか
こうならない為にはどうしたらいいのか、とかさ]
「にゃ~~」
さっき入ってきたナツが、ドアにカリカリと爪を立て、外に出させろアピールをしている。餌の時間だ。
カケルはドアを開けてやろうとゲーミングチェアから立ち上がる。
「翔琉、ナツがそっちに行ってないか?」
餌当番の父親が階下から尋ねる。
カケルはドアを開けるのをためらう…。
このタイミングで開けると、父親の呼びかけに反応したみたいになるからだ。
「にゃ~~お!」
ナツが、なんで開けてくれないの!? とばかりに、さらにドアをひっかく。
「おい、翔琉、ナツ居ないか?」
トン、と父親が階段の一段目に足を踏み出す。
登ってくるな!
カケルはドアを開け、ナツを部屋の外へと追い出し、すぐにドアを閉める。
………ナツの…名前をつける時も、そうだった……。
カケルはPM内の姉川萌に呟く。
[飼い猫の名前をつける時もそう]
[なぜその名前なのか
名前とその理由を紙に書いて、あの人に提出し、
納得させないといけなかった]
[なにそれ?w
猫の名前なんて、適当でいいじゃん]
[あの人は適当に行動することを嫌うんだ
だからこっちは、いっつも緊張してた]
[ねえ、ペケゾー君
確認したいんだけど、君が言ってる
あの人って、お父さんのことでいいんだよね?]
「……………」
[うん、そうだよ
わかりにくくてごめんね
おれ、あいつを父親って呼びたくないから]
「うん、わかった
わたしも母親のこと、アレって呼んでるから]
[はははw アレww]
[おかしい?
ペケゾー君の、あの人ってのもなんか変だよw]
[いいじゃん、別にw]
[wwwwwwww]
親から正常な愛を分けて貰えなかった男女。
二人の会話は、まるで放課後の高校生のように軽やかに進むが、その内容は………平凡な家庭で育った人が聞けば、どこで笑っていいのかよく分からない会話だった。
[最初はさ、ソウセキって名前で提出したんだ]
[吾輩は猫である
どう、合ってるっしょ?]
[もえさん、正解!
夏目漱石からとりました]
[よっしゃあ~~♪]
なんか……ずいぶんと地が出てきた?
普段のもえさんって、こんななんだ…。
18歳か……高校の先輩って感じだな。
[でも、その猫は雌だったんだ
だからボツになった]
[あらら]
[だから今度は、とん子にした
吾輩は猫であるの主人公の娘の名前で、漱石の実の娘がモデルなんだ
当時、小学生だったけど、いろいろ調べたんだ]
[とん子ちゃん
うん、いいんじゃない?
それに決まったの?]
[いや、今度は母親が反対した
とん子って、なんか豚みたいって]
[なかなか決まらないねw
っていうか、ずっとペケゾー君が名前考えて提出してたの?
両親はただ評価するだけ?]
[そうだよ、おれがずっと考えて紙に書いて提出してた
で、最終的に名前はナツになった
夏目漱石からとって、ナツ]
[なんかさ…
一所懸命考えたペケゾー君には悪いけど
とってつけたような名前じゃない?]
[そんなもんだよ
あの人、最初はあれこれ理論ぶったこと言ってくんだけど、
最後は、もうこれでいいや、みたいになって収まる]
[会社で上司に企画書提出してるみたいw]
[そんな感じだね
いやおれ、会社勤めしたことないけど]
[欲しい物ねだる時もそうなんだ
その企画書を上司のあいつに見せて、許可取らなきゃ買って貰えない]
[ゲームソフトねだった時は、これは友情をテーマにした作品なのでプレイすることで友情を学べると思います、って書いたからね ほんとバカみたい]
[だけどさ…]と、カケル
[ん?]と、もえ
[子供の時は、それが当たり前だと思ってた
よその家でも似たようなことやってるだろうって思ってたし、
よその父親も同じようなもんだろう…って]
「あ~わかる~~!
仲の良い家族とか、それ、テレビドラマの中だけだろう~って思ってたから、
学校で友達が、「ママと公園で遊んで楽しかった~♪」とか言うと
はあ~~? ってなったw]
[毒親家庭あるあるww]
[アハハハハww]
『な~~にがおかしいんだか、この二人…』
スピットファイアの組み立てを再開したベルが、呆れながら呟く。
外では、雨音が徐々に強くなっていく……ぽつりぽつりが、ざぁーざぁーへと変わっていく…。
[父親に初めて不信感を抱いたのは…中学生の時だったかな]
カケルが、ぽつりと呟く…そして……窓に外に目をやる…。
カーテンの隙間から見える窓には、雨粒がいくつも窓に" 足跡 "を残していた。
「お父さん、ごめんなさい…ごめんなさい!」
カケルの脳裏に、あの雨の日の出来事が浮かび上がる…
鼻水を垂らし、家の前で泣きじゃくっていた、あの日…。数か月前も思い出してた気がするけど……それはいつだったか…。黒い魔術師、カマリ・橋本と出会った時だっただろうか……。
雨の中泣きじゃくるカケルの目の前にある玄関の扉は、無情にも閉められたままだった。泣いても叫んでも助けはこず…少年カケルは、ただ冷たい雨に打たれていた。




