115. 16歳の少年と46歳の女性
寿美子は足を止める……それに合わせてカケルも歩くのをやめる。
……寿美子は前を見ているが、前方には誰もいないし、なにもない。人口一万にも満たない、田舎町の光景が広がってるだけだ。
なにかを考え込むように寿美子はその場に佇むが、やがてカケルのほうに振り向き口を開く……。
「……ねえ、神楽坂君」
「は、はい……」
……寿美子がそっとカケルに手を差し出す。
「わたしに謝罪してくれるなら……わたしと手を繋いでくれない?」
「え…………? あ、はい」
カケルはよくわからないまま、差し出された寿美子の手を握る。二人は手を繋ぎ、道路を並びながら再び歩き出す……。
最初に口を開いたのは、寿美子だった。
「……神楽坂君は女の子と手を繋いだこと、あるのかしら?」
「…………はい、あります」
カケルは、もえと手を繋ぎながら夜の蛍池公園を歩いたことを思い出していた。
「そう…………。わたしは、ないんだ……男の子と手を繋いだこと。
それこそ、学校のフォークダンスで繋いだくらい……」
「…………ラーメン男さんもスレに書いてましたけど、フォークダンスってなんですか?」
「ええ!?」
寿美子は驚きの声をあげながら、カケルを見る。
「あ……ひょっとして今、学校でフォークダンスってやらないの?」
「中学の時、文化祭でダンス部がアニメの曲に合わせて踊ってたけど……それはフォークダンスじゃないですよね?」
「違うわね……男女がペアになって、手を繋いで踊るのよ。
男子と代わる代わる手を繋ぐのが嫌だったわ……だからやらなくなったのかしら。
わたしの時に、とっとと廃止してくれればよかったのに……」
「…………嫌だったんですか? 男子と手を繋ぐの……」
カケルは寿美子と繋いでいる手を見ながら問いかける。寿美子のほうから繋いでほしい、と言った手だ。
「嫌だったわ……当時はね。
…………神楽坂君、さっき見たでしょ? わたしの兄」
「は、はい……」
「子供の頃から、ずっとあんな感じ。だらしない……!
父親もそう。家の中をパンツ一枚で平気でうろつくし、家のことはなにもしないし…………。身近にいた男性がそうだったからか……男の子と付き合いたいなんて、思わなかった。むしろ、付き合いたくなかったわ……」
…………カケルは黙って寿美子の話を聞いている。その寿美子が前を指差す。
「神楽坂君、そこの瓦屋根の家の間から校舎が見えてるの、わかる?」
「あ、はい…………小学校?」
「いえ、中学よ……わたし、あそこに通ってたの。この道を通ってね」
道路をよく見れば、だいぶ剥がれてはいるが、通学路と路面標示がされている。
寿美子は少し悩んだのち、再び話し始めた……。
去年、" 邪悪な魔法使い "にコテンパンにされてから人と話すのが恐くなり、ずっと塞ぎ込んでいた。その反動か、誰かに自分の話を聞いて欲しかった……まさか、その相手が…………殺したいほど憎んでいた魔法使いペケゾーになるとは、思いもよらなかったが……。
「毎朝、通学する時ね……」
寿美子がゆっくりと……しかし、段々と軽やかに話し出す。
「付き合ってるのか、手を繋いで登校している生徒がいたのよ。それを見てわたし、バカじゃないの……って思ってた。
クラスの女子がアイドルの話題でキャーキャー騒いでる時も、冷ややかな目で見てた。なにがいいのかわからない……カッコ良くたって、どうせ家ではだらしない恰好して、家の手伝いもしないんでしょ? って、勝手に想像してた」
「………………」
「結局、一人でカッコつけてただけなのよね、わたし……。
男になんか頼らない、男のためになんて生きない……わたしはわたしのために生きるんだ、それがかっこいいんだ! って思ってた……。周りの友達が結婚して苗字が変わった時も、自分を捨ててバカみたい……って、心の中で見下してたわ…………」
寿美子の歩みが止まる……うつむきながら、独り言のように呟く寿美子。
「バカだったのは、わたし…………気がついたら、一人だった」
深いシワが刻まれた寿美子の口から、小さな……しかし重いため息が出る。カケルは……どうすればいいのかわからず、手を握ったまま中年女性の顔を見つめている……。その寿美子が寂しそうに微笑みながら、カケルの方を見る。
「ねえ、神楽坂君…………わたしとこのまま手を繋いで……学校まで歩いてくれないかしら。
一度、経験してみたいわ……男の子と手を繋いで、登校するの」
「は、はい……おれでよければ……!」
カケルは寿美子の手を握りながら、エスコートするように歩き出す。寿美子がそれに続く……。
大して車も通らない、寂しい一車線の道路。目に入る光景といえば、木造の家屋に古びた自販機、水張りされ泥色になった田んぼ……。そんな殺風景な田舎の景色を眺めながら、16歳と46歳の男女は手を繋ぎながら歩いて行く…………。
寿美子の脳裏に、中学生だった頃の記憶が蘇る……。もはや、思い出すことすらしなくなっていた、遠い昔の自分。
セーラー服を着ていた……セーラー服は嫌だった。髪を切りに行った床屋……寿美子は中学を卒業するまで、美容院ではなく地元の床屋で髪を切っていた。そこの床屋には漫画雑誌と並んで、大人が読む週刊誌も置いてあった。セーラー服を着て、乳房を出している写真……その服が性の対象になっていることを知って以来、その服が嫌だった。その服を着て一人で通っていた通学路……男子と女子、手を繋いで登校しているクラスメイトを見かけた。寿美子は軽蔑の目で見ていた。
いやらしい…………!
兄の部屋で偶然見かけた、エロ本。あんなことを恋人達はするのか……気持ち悪い!
恋に、はしゃぐ女子を見てはバカにしていた自分…………。その十数年後……恋をしなかった自分を激しく後悔した。
寿美子は少年の手を握りしめる……握りしめられた男の子は、どうしたの? という顔で、46歳の顔を見つめる……。
見つめたカケルの顔には、染みもシワもなかった。人生の苦労も老いも、まだ経験していない綺麗な肌……。
16歳、若さという光を彼は放っていた。数十年前の寿美子にもあった、その光…………。寿美子だけではない、全ての者が10代の時に等しく持っていた光。
しかし、その光は…………時と共に失われる。金持ちも貧乏人も関係ない、時がくれば全ての人間が平等に失っていく……。そして失った" それ "は、どれだけ大金を積んでも、どれだけ努力しても……二度と手に入れることはできないのだ。
「……寿美子さんの手って、あったかいですね」
黙ったままの寿美子にフォローを入れるように、カケルが話しかける。
何気ない一言であったが、自分を気遣ってくれる男子の言葉が嬉しかった。
ああ……これが恋愛なのかな。
寿美子はそう思いながらも、恋愛経験がないため、男子の言葉にどう返していいのかわからない……。
そんな中年女性の心情を察してかどうかは、わからないが……カケルがさらに話しかける。
「磯貝さん……中学の時、部活やってました? おれは卓球部でした」
「……バレー部だったわ。先輩のしごきが辛かったわね」
「はは。おれもっす! 楽しく卓球できるかと思ってたら、勝つことに必死で……なんか後半は、つまんなかったです」
沈黙していた自分を助けるかのように、笑って話しかけてくれる16歳の男の子……神楽坂カケル。
女の子と手を繋いだことがあると言っていた。恋愛経験があるのかな…………。
彼は、わたしが退屈しないようにか、常に話しかけてくれた……寿美子も、そんな彼のために彼が不快にならないように返事を返した。
……ああ、そうか…………きっとこれが、恋なんだ……。
いやらしくなんかない…………互いが互いを喜ばせようとしている……。
なんで自分は……恋をしなかったんだろう…………。
磯貝寿美子の胸の内に押し寄せる、激しい後悔と絶望……。
しかし、それを挽回する機会は、もう二度と訪れない。なぜなら磯貝寿美子は、歳を取り過ぎた。失った時は…………もう二度と戻らない。
そしてそれは、磯貝寿美子自身が一番わかっていた……。




