116. 引きこもった経験は活きる!
カケルと寿美子は手を繋ぎながら、御殿山町の中学校までやって来た。鉄筋コンクリートの校舎……。それ以外につける説明は特にない、平凡な中学校の校舎。今は日曜日……当然ながら生徒は居ない。
……しかし、校門は開いていた。看板が置いてある。
声優 西山剣太郎講演会 ニート、引きこもりの社会復帰について
なんだこれ……。
西山剣太郎…………ああ、深夜アニメのスタッフロールで見かけたことあるな。知名度のある声優さんだろうけど、人気声優っていうほどじゃないだろう……。
看板に書かれた説明を読んでみる。
高校二年生で不登校、引きこもりとなったが、26歳で演劇の道に入り、今は人気声優として第一線で活躍している西山さん。
いや、だから…………声優ではあるが、人気じゃないだろ……。
声優だけじゃ食えないから、引きこもり相手の講演会とかやってんのかな。
[……無料みたいだし、入ってみる?」
寿美子がカケルに聞いてくる。引きこもり当事者であるカケルは、こういった引きこもり関係のイベントへの参加に抵抗感があった。その手のイベントに両親から何度か誘われたこともあったが、全て行かなかった。
心の底では助けを望んでいながら、他人に自分の気持ちなどわかってたまるか! という、自分でもよくわからないプライドがイベントへの参加を拒否続けていた。しかし…………
「……はい、覗いてみます」
謝罪相手の磯貝寿美子が誘ってくれたのだ。断るのは失礼だと思い、カケルは誘いにのった。それに……この手のイベントに抵抗感はあっても、興味がないわけではなかった。
……カケル達は講演が行われている体育館へと向かう。
扉の前にいた案内係に通されて中に入る……。パイプ椅子が並べられた空間には数十人ほどの客、おそらくは引きこもりの親御さんだろう…………しかし数人ほど、引きこもりか不登校児かと思われる者もいた。
カケルと寿美子は空いている席に並んで座る。前を見れば、おそらくは声優の西山だろうか……マイク片手に話していた。
見た目だけなら、30代後半の普通のおじさん。女性ファンからキャーキャー言われるような容姿ではない。しかし……声を商売にしてるだけあってか、トークは軽快で心地よかった。
「はい、今質問ありましたけどね……人生経験!
やっぱ人生経験少ないと社会に出た時、不利ですか? そんな質問。
わかります! 学校に行かず、働かず、家でダラダラ…………なんにもしてない自分が社会に出ても、なんの役にも立たないんじゃないかって思っちゃいますよね」
……うん、思う。
皆がなにかを経験して成長してる時に自分は…………ゲームにインターネット。
他人との差は開くばかりだ。
来て早々に落ち込むカケルだが、そんなカケルをよそに講演台の前では、西山が軽快に喋り続ける。
「いや、結論から言っちゃいますとねえ…………人生経験とか、そんな意味ないですよ」
え、そう……? 意味あるだろ。
「若手の話なんですけどね……声優の新人さん。二十歳そこそこだったかなあ…………女の人。ああ、いや……性別は関係ないですねえ~~あっははは」
西山は軽く笑いながら、講演台の上に用意されたコップの水を一口、大げさな動作で飲む。
声優……役者だからか、いちいち動作が芝居がかっていた。
「で、その子ね……子供の役のオーディションを受けるからって、公園で遊ぶ子供のことをずっと観察してたらしいんですよ…………勉強熱心ですね! わたし、これでも声優歴は10年のキャリアありますからね……
" いや君、頑張ってるね! "と、そこは褒めたいところですけど…………でも、ちょっと変じゃないですか? なんで子供のことを観察してたんでしょう……?
子供の気持ち、行動が知りたい?
なるほど……! たしかに演技するうえで、それは知っておきたい。
だけどね、ちょっと待って下さいよ……あなた、子供だった時あったでしょうと。その女性声優だけじゃない、わたしも、あなたも……!」
そう言って西山は、マイクを握っていない左手を前に伸ばし、会場全体を指差す……。コンサート会場のミュージシャンのように、前に伸ばした腕を左右に動かし会場全体を指差す。
「子供時代を経験してるはずなのにねえ……18歳未満を子供としたって、10年以上、子供だったわけです。子供を経験してるんですよ……! 子供としての人生経験を積んでます。
だけど大人になった今、子供の心理、行動がわからない…………。
変だな……って、皆さん思いませんか?」
「………………」
カケルは……妙に納得しながら、西山の話に耳を傾ける……。
「人生経験なんてね……そんなもんです。どれだけ経験しても、上書きされ……忘れられる。
今、ここで僕の話を聞いてくれている、引きこもりの親御さん達……自身が子供だった時のこと、憶えてますか? どんな気持ちで学校に通ってたんだろう……親に対して、どう思ってました?
怒られた時、褒められた時、悩みを聞いてほしかったのに、あとにしろと言われて結局聞いてもらえなかった時…………子供の時の感情、憶えてます? 僕は憶えてないです。きっと……この会場にいる大人達全員、憶えてないと思います。
なぜか……? それは最初に述べたように、上書きされちゃうんですよ、成長という名の上書き。
未熟だった子供時代は成長し大人になるにつれ、どんどん上書きされていく……ゲームでいうところのセーブデータみたいなもんです」
……カケルの付き添いで講演を聞きに来た寿美子だったが、話し上手の西山の言葉に自然と聞き入る。
「会場を見渡すと、引きこもり当事者と思われる方達も何人かおりますね……。
ここまで来るのに、大変ご苦労だったでしょう」
カケルの脳裏に、今朝の状況が浮かぶ…………。
逃げたいという思いと闘いながら、玄関の扉を開けた朝。子供でもできる電車の乗り降り。しかし…………! 悪戦苦闘した。泣きたくなった……当たり前のことができなくなっている自分。
電車内でそうであったように今もまた、うなだれるカケル。そのカケルの耳に西山のトークが入ってくる。
「かつての僕もそうでした…………高校の時です、学校に行けなくなったんですよ。
しぐさが、いちいち芝居がかってる……キモい、なんて言われちゃってね……!
いや、実際キモいんですよ、自分……。たしかに昔っから動作が大げさだったんすよねえ~~僕。でも改めて言われるとショックでねえ……その時以来、学校に行けなくなっちゃいました♪」
講演台の前を歩きながら喋る西山の動きは……まさに舞台役者のようだった。
「学校まで行ってもね……教室の扉を開けることができなかったんです…………恐くて。
学校に行く、教室の扉を開ける……そんな当たり前のことができなかったんです」
カケルは再び今朝の電車での自分を思い出し、うなだれていた。
そんなカケルに……いや、会場全体に西山が声をかける。
「今この会場を見渡すと、登校拒否児や引きこもりの方々と思われる人達も、それなりに居ますね。ここに来るまで、大変ご苦労があったと思います。
外に出るという、当り前のことすらできない…………だけど、ここまで来てくれた……ありがとう! まずは、お礼を言わせて下さい! そして、もう一つ…………。
その時の気持ち、忘れないで下さい! 外に出るという、皆ができて当り前のことができずに部屋に引きこもり……だけれでも、このままじゃ駄目だと勇気を出してドアを開けたその時の気持ち……!!」
西山の言葉に熱がこもる。
カケルは、引き込まれるように西山の話を聞く。
「今こうして外に出れたあなたは、しばらく経てば、外に出ることになんのストレスも感じなくなるでしょう。
しかし…………絶対に忘れないで下さい……上書きしないで下さい! あなたが、できて当り前だと言われたことに悪戦苦闘した気持ちです!!」
「………………」
「将来……あなたの前に、かつてのあなたと同様に当り前のことができずに苦悩する子供が現れるでしょう。
玄関の扉を開けられない子、校門をくぐれない子、教室の扉を開けられず、泣いている子…………。
" なんでそんなこともできないんだ! "
" みんなはできるのに、なんであなたはできないの? "
周りの大人達は、そんなことを言うかもしれません。皆が当たり前にできることができずに、怒られバカにされる子供……。
なにか言おうにも、その反論は言い訳と罵られ、ただ悔しくて泣いている子。
そんな子の傍に立って、その子の気持ちに寄り添えるのは……あなただけ、あなただけなんです!」
…………カケルの目に、自然と涙が溜まった……。
一年前のカケルは、当り前のことが当たり前にできた。いや……当り前以上にできていた、勝ち組……。勝ち誇り、笑っていた自分。
しかし…………惨めな引きこもりに成り下がった。
「もう一度言います……!
このままじゃ駄目だと勇気を出してドアを開けたその時の気持ち……絶対に忘れないで下さい!! 上書きしないで下さい!!
ちょっと前、質問を受けました。
" 人生経験少ないと社会に出た時、不利ですか? " と。
いえ、あなた達は立派な人生経験を積んでいます! なぜなら引きこもった人達の気持ちに寄り添えるのは、あなた達だけなんです!!
だから……外に出ようと決意した、その時の気持ち……絶対に上書きしないで下さい! それは、貴重な人生経験です!!」
カケルの目から、涙が溢れた……。隣には磯貝寿美子が居る。
恥ずかしいな…………泣きたくない……そう思いながらも、涙は溢れて止まらない……。
外に出る……電車に乗る…………。
そんな当たり前の行動に悪戦苦闘していた自分……傍から見れば、バカそのものだった。
泣きたかった……死にたかった…………。実際カケルは、電車内で衝動的に自殺しようかとまで思っていた。
そんな惨めな自分を肯定してくれる人が一人いた…………いや、二人……。
カケルの隣にいる寿美子は、泣いている少年をじっと見つめていた。
泣いている男子は嫌いだった……情けないから。
しかし………………寿美子は、そっとカケルの肩を抱き寄せた……。
この子は前に進もうとしているのだ……。
外に出ること……それがどれだけ困難かは、引きこもりではない寿美子にはわからない。しかし、この子が懸命に歩き出そうとしているのはわかっていた。
その一歩を踏み出し……自分に会いに来た。謝るために…………。
外にも出れなかった弱い子……だけど、とても優しい子。
寿美子は目の前で泣きじゃくる少年が、愛おしく思えた……。この子の成長を見守りたい…………それを母性と呼ぶのかは、寿美子自身にもわからない。
寿美子に肩を抱かれたカケルは少しびっくりする。そんなカケルに寿美子がささやく。
「神楽坂君……あなたは、いい子だよ。こんなわたしに、わざわざ謝りに来てくれた。よく頑張ったね、偉いよ」
「でも、おれ……磯貝さんに酷いことを…………」ぐすっ……
「そうだね……だけど、悪いのわたし。掲示板で、引きこもり達の悪口を言い過ぎた…………。
人生の喜びを知らないまま年を取るとね……他人に優しくすることができなっちゃうの。そして他人に嫌われ……もっともっと嫌な人間になる……」
「……磯貝さんは、優しいです。おれのこと、許してくれた」
「…………ありがとう」
寿美子の目に涙が溜まった……。自分のために涙が出るなど、いつ以来だろう…………とっくに枯れたと思っていた、自分への涙。
その涙がこぼれ落ちないよう、そっと指で拭きながら寿美子はささやく……。
「神楽坂君……あなたは幸せになりなよ。
あなたはまだ若い、未来があるわ…………幸せな人生をきっと作れる……!」
この先、老いていくだけの未来を待つ寿美子……。しかし彼女は未来ある若者にエールを贈った。
「ありがとうございます…………でも、おれは……磯貝さんにも幸せになってほしいです」
泣きじゃくりながらカケルは答えた。
……寿美子の目から涙が一筋、頬を伝った…………。




