百四十七・襲撃者 壱
(なんなんだ……この人……)
さっきまで殺す気満々だったのに、今はにこにこと笑ってる。
けど、その笑顔の裏にある“本気”は、まだ消えてないのが分かる。
(……ペースを飲まれるわけにはいかない)
ここで下手に挑発したら、絶対に潰される。
そういう“格の違い”を、本能が理解してる。
(……勝てる気がしない)
だからこそ、言葉を選ぶ。終焉の魔人として――冷静に。
「……妙な奴だな。だが、お前がこれ以上手を出す気がないというのなら――」
俺は黒焔刀をゆっくりと解きながら、目だけは逸らさずに言った。
「オレから斬る理由も無い」
言い方は抑えても、目は威圧を保ったまま。
“対等以上”を崩さないこと、それが唯一の防衛だった。
パチンッ、と軽やかに手を叩く音が森に響いた。
「さて! 和解したところで……君に“提案”があるんだが」
急に楽しそうなテンションで話しかけてくるユリウス。
さっきまでの空気どこ行った!?
(……聖王直々に“提案”?)
俺は表情を崩さず、冷静に返す。
「……聞こうか」
するとユリウスは、特に隠す様子もなく、
現在の各国の動向や、魔族の侵攻状況、バフォメットの動き――そのすべてを俺に語ってくれた。
(……うん、全部知ってる)
俺が談話室で気配を殺して盗み聞きしてたあの情報。
内容に驚きはなかったけど、“聖王がここまで喋る”こと自体が驚きだった。
そして――
「そこで、終焉の魔人。君に“協力”してほしい」
……聖王、正式にスカウトかよ。
(ちょっと待て。
これってつまり、“世界を終焉に導く者”に、世界の代表が協力依頼してる構図じゃないか!?)
なにこの矛盾フルコンボ。
でも――面白くなってきた。
ユリウスの瞳は真っ直ぐに俺を射抜いていた。
その笑顔の裏にある底知れぬものを感じながらも、俺は黒焔の気配を纏ったまま、ゆっくりと口を開く。
「……オレが、なぜ――オマエに協力すると?」
低く、静かに。
けれどその一言は、森の闇をさらに濃くするような重さを持って響いた。
挑発ではない。ただの真実の問い。
終焉の魔人としての威厳を崩さぬまま、ユリウスに向ける“拒絶の圧”。
焔の揺らめきが、赤い眼光をより鋭く照らし出した。
「キミには――」
ユリウスが言いかけた、その瞬間。
……空気が変わった。
(……なんだ?)
森が、急に静まり返った。
風も、虫の音も、枝の軋みさえも――すべて消えた。
張り詰めた空気に、背筋がぞわりと粟立つ。
まるで、何か“見えないもの”に喉を掴まれたみたいだ。
その沈黙を破るように、森の奥から声が響いた。
「あれぇ……」
その声は、愉快そうでありながら、背筋に冷たいものを走らせる響きだった。
「先に送った奴らが全滅してると思ったら……聖王様がいるとはねぇ」
暗がりの向こうで、影が蠢いた。
歩み出てくるその気配は、ただの魔族じゃない。
格が違う。
(なんだ……こいつは……!?)
空気そのものが重くなる。
胸の奥が、強制的に押し潰されるような圧力を感じる。
ユリウスが目を細め、微笑を消した。
俺の視線も、その影の正体を見極めるために鋭くなる。
森の奥から歩み出てきたのは、一人の男だった。
長身にして痩せた体躯。
全身を覆う黒い布のような外套をまとい、顔には――不気味な仮面。
仮面には裂けた口を模した文様が描かれ、笑っているのか怒っているのか判別できない。
その異様な姿は、森の闇に溶け込んでいるようで、逆に目を逸らせなくなる。
ユリウスが一歩進み、静かに問う。
「……キミは、一体何者だい?」
仮面の男は、低く笑った。
「俺が何者かは――知らなくていい」
言葉を吐き捨てるように、乾いた声が響く。
そして――ふいに、仮面の奥の視線が俺に突き刺さった。
「ん……お前は……」
数秒の間。
何かを測るように俺を見据える。
「……まぁ、いい」
その声音には、含みのある響きがあった。
(……俺を“知っている”? いや、それとも……?)
「悪いが…この“計画”にお前達は邪魔だ。死んでくれ――」
仮面男がそう言い終わるか終わらないかの瞬間、空気が裂けた。
次の瞬間、何かが俺の背中を強烈に叩きつけるような衝撃が走り、体がふわりと浮いた。足元が消えた感覚のまま、視界がぐるりと回る。
「う゛ぁっ!」
木の幹に叩きつけられ、息が抜ける。砂が口に入ったのを吐き出しながら、必死で地面に手をつく。全身に電気が走ったみたいに痛い。ふと顔を上げると、仮面男の姿はもう見えない。いや、正確には“いたはずの場所にいない”——移動が早すぎる。
けれどすぐに、森の奥から一つの声がはっきりと聞こえた。
「――それ以上は許さんよ」
ユリウスだ。声だけで圧が違う。立ち上がろうと体をねじると、ちょうど二人の姿が視界に入った。ユリウスは法衣の裾をなびかせ、仮面男は不気味に静かに浮遊している。二人の間に、見えない線が引かれたように張り詰めている。
仮面男が軽く身をひねると、影の刃が周囲に飛び散った。それはまるで鞭のように軌道を変えて襲いかかる。ユリウスは片手を軽く掲げただけで、まるで画布に描くように線を引く――すると空間がやわらかく歪み、刃の軌道が水をすり抜けるように滑って消えた。次の瞬間、ユリウスの周囲に幾重もの淡い光の輪が展開し、森の闇を白く塗りつぶしていく。
ぶつかり合う“個性”と“格”。仮面男は瞬間移動のように場を飛び回り、どこからでも斬りかかる。対してユリウスは、詠唱も構えもほとんど見せずに術を組み、動きごとに世界の重力を微妙に書き換える。刃は光の壁に当たり、火花ではなく“秩序の破片”みたいな粒子を撒いて砕け散る。
俺は痛む体をこらえて這いずり、木陰に身を隠した。見せつけられる力の差に吐き気がする。ユリウスが一歩踏み出すたびに、地面に古いルーンが浮かび上がり、森の木々が短くざわめく——まるで自然そのものが彼の指先に従っているようだ。
仮面男が不意に偽りの笑い声を上げると、空間の一点が裂け、黒い触手の束が飛び出した。ユリウスはそれを手のひらで掬い上げるように受け止め、軽く振ると触手は瓦礫のように固まって崩れ落ちた。音もなく、残骸だけが地面にへばりついている。
「強い……」と、心の中で呟く。ユリウスの力は尋常じゃない。聖王という枠を超えた“存在感”が、そこにある。仮面男もまた只者ではないが、今は明らかに押されている。だが、押されていながらも笑っている仮面男の眼が、こちらをふと捉えたような気がした。まるで「お前も面白い」とでも言いたげな、その視線。
咳払いをして体を起こす。血の味がする。選択肢は二つしかない。ここで何もしないで見ているか、出て行って足手まといになるか。ユリウスとあの男の殺し合いを、影から見守るしかないのか——その時、胸の奥で何かが騒いだ。決定的瞬間を、ただの傍観者で終わりたくない自分の声が。




