百四十五・混沌
魔王バフォメットの宣戦布告をきっかけに、世界が動き出した。
ユリウスはそれを受けて、魔王を自ら討つと宣言し、勇者たちは魔族討伐に向けて動き始めた。
その裏で俺は、リリスとミレオナと合流して、次の一手を探っていた。
――で、幻想の森に“敵”が現れた。
しかも、その場所はリリスがかつて封印されていた森。
転移魔法で次々と魔族が送り込まれ、数はすでに二十体近く。
放っておくわけにもいかない、ってことで――俺は先手を打つことにした。
《瞬間転移》を使って、幻想の森に飛ぶ。
本当は、リリスとミレオナも一緒に行く予定だった。
……予定だった。
気づけば俺ひとり、森のど真ん中に降り立っていた。
「まじかよ……」
……もう一度、戻るか?
そう考えかけて、すぐに頭を振った。
(いや、下手に魔力は消費したくない)
この森、何が出てくるか分からない。
魔族はまだ動いてないが、それも時間の問題だ。
《瞬間転移》は便利だけど、消費が地味にデカい。
何度も使えるほど軽くはない。
(リリスとミレオナなら……すぐに来れるだろ)
あいつらのことだ。少なくとも俺よりは冷静に対処してるはず。
はぁ――と、俺は深くため息をついた。
森の空気はひんやりとしていて、妙に静かだった。
こういう静けさが、一番不気味なんだよな。
「……仕方がない」
小さく呟いて、俺は一歩、前へ踏み出した。
呼吸を整える。
意識を沈める。
“俺”という存在の奥に、もう一つの顔を引きずり上げる。
闇が静かに、まとわりついてくる。
足元から立ち上る魔力の感触が、肌を刺すように鋭く変わる。
――“終焉の魔人”。
俺はその姿へと切り替わり、気配を完全に変えた。
もう、ただのモブじゃない。誰の庇護下にもいない、“異質”の存在。
(……こっちか)
森の奥から、濃い魔族の気配がうごめいている。
俺はそちらに向かって、静かに歩き出した。
木々の影に身を潜め、俺は森の斜面から下を見下ろした。
(……ここか)
月明かりの届かない谷の底。
そこに、黒い影がいくつも蠢いていた。
魔族たち。ざっと見て――二十体近く。
気配からして、全員が下級なんてことはない。中には明らかに異質な、濁った魔力を纏った個体も混じってる。
一体何をしている……?
集まっているのに、すぐには動かない。
何かを“待っている”ようにも見える。
(いや……違う。動く“準備”をしてる)
魔力が、密かに集中している気配がある。
あれは――戦闘用の陣? それとも転移の準備か?
(……何やら今にも動きそうな雰囲気だ)
俺は無意識に、手に魔力を溜めていた。
気配を完全に消したまま、息を殺し、目を凝らす。
次の一手を――慎重に、見極める必要がある。
(……先手必勝)
俺は木の陰からそっと身を滑らせた。
だが――
(派手な攻撃はダメだ。これ以上、“終焉の魔人”として目立つわけにはいかない)
ユリウスが動いてる今、余計な注目を集めるのは危険すぎる。
神宮寺たちにもバレてないし、今は“影”に徹するべきだ。
俺は息を潜め、森の下へと滑り降りた。
草も、土も、音を立てさせないように歩幅を調整しながら。
気配の薄い個体を一体、見つける。
距離――三メートル。
俺は《闇縛永鎖》を最小出力で展開。
黒い鎖が、無音で地面を這い、背後から首元へ――
グシャッ。
喉を押し潰す音と同時に、魔族の身体が崩れ落ちる。
一体。
俺はすぐに死体を引きずり、木の根元に隠した。
次。
気づかれてない。完璧だ。
(よし、いける)
このまま――一人ずつ、闇に還していく。
俺の存在に誰も気づかぬまま。
静かに、確実に。影が影のまま、魔を喰らう。
何体目だったか、もう数えていない。
俺は次から次へと、魔族の背後に回り込み、喉を潰し、影に沈めていった。
気配も、音も、血の匂いすら抑えて。
(順調だ……このままいけば)
そう思った、その瞬間だった。
――バッ!
「……!」
真横から、鋭い殺気が突き刺さった。
同時に、魔族の一体がこちらに顔を向け――目が合った。
(バレた……!?)
次の瞬間、その魔族が叫ぶ。
「ギィィィィィィィ!!」
甲高い咆哮が森に響いた。
他の魔族たちが、一斉にこちらを向く。
どいつも目を光らせ、殺意を露わに牙を剥いた。
(……まずい!)
完全に気づかれた。潜入は――ここまでか。
俺はすぐに身を引いた。
草を踏み、木の枝を蹴り上げ、一気に距離を取る。
(逃げるか……いや、まだだ)
ただ逃げるわけにはいかない。
ここで下手に引けば、森の外へ魔族が溢れかねない。
(……仕方ない)
森の枝を蹴り上げ、高く跳躍――闇を裂き、敵の中心へと飛び込む。
バシュッ!
着地と同時に、土が弾け、地面に亀裂が走った。
足元を抑えるように黒い焔が舞い、俺の姿を包む。
その場にいた魔族たちが、動きを止める。
「なっ……!? その姿……そのオーラ……」
一体が、怯えたように声を漏らす。
「まさか……貴様が、終焉の魔人……か……!?」
その言葉に、俺のまぶたがピクリと動く。
(……んな!?)
(終焉の魔人って……結構、もう名前広まってる感じですか……!?)
正体は極秘のつもりだったのに、だいぶバレてる感あるぞコレ。
でも――今は気にしてられない!!
俺はゆっくりと顔を上げた。
闇のなか、赤く光る双眸。
「……だったら、どうした」
言葉と同時に、視線で敵全体を睨みつける。
その眼光は、怯えた魔族たちを一瞬で沈黙させた。
俺の視線に怯えたように見えた魔族――
だが、そいつは突然、口元を歪ませて笑い出した。
「……ふっ。だったら話が早い」
明らかに怯えていたはずの目が、獲物を見据える狩人のものに変わっていた。
空気が一変する。
「俺たちの目的のひとつは――終焉の魔人《おまえ》だ!!」
叫んだ瞬間、魔力が爆ぜた。
黒煙を巻き上げ、周囲の魔族が一斉に動く。
俺めがけて殺到する牙と爪、魔力の弾丸、刃の波。
(っ……来たか!!)
まるで最初から狙っていたかのような、無駄のない連携。
この魔族たちはただの雑魚じゃない。
“終焉の魔人”を明確に標的として動いている――その証拠だ。
(マジかよ……俺、指名手配でもされてんのか!?)
だが、動揺はほんの一瞬。
俺は黒焔を纏った足で地を蹴り、殺到する敵のど真ん中へ――
赤い眼光が、再び森を裂いた。
一体、二体、三体――
俺の【黒焔】が薙ぎ払い、魔族の身体を焼き尽くす。
手応えはある。スピードも、力も、負けてはいない。
だが――
「っ……!」
間合いの外から飛んできた魔力弾が、左腕をかすめる。
(……今の、避けきれなかったか)
数が多い。それに、明らかに連携して動いている。
一体が牽制して、別の一体が狙撃。
こちらの動きを読んで、包囲を狭めてくる。
(こいつら、連携精度が高い……雑魚の動きじゃない)
俺は《闇縛永鎖》で背後から来たやつを縛り上げるが、同時に別方向から襲いかかる影。
「チッ……!」
剣を振るい、距離を取ろうとした瞬間――
地面から“棘”のような魔力の槍が突き上がる。
すんでのところで跳ね退く。だが、動きが鈍る。
(……まずい)
さっきまで確かに有利だったはずなのに、
今はじわじわと、押されている。
動けば動くほど、次の攻撃が待っている。
(なんだよこいつら……“俺”の動きを完全に読んでる……!?)
心の中に、焦りの種が芽を出す。
……これは、長引かせちゃいけない。
(……はぁ、仕方ない)
息を吐き、魔力を集中する。
本当は控えるつもりだった。目立つことは避けたかった。
でも、こんな状況で選んでる余裕なんて――ない。
「――まのいかづ――」
その時。
突如、森の空気が変わった。
魔族たちの動きがピタリと止まり、森に圧が満ちる。
空間が冷え、魔力が抑え込まれるような感覚。
その静寂の中に、柔らかく、しかし響き渡る声が割って入った。
「――こんな物騒な所でパーティとは……楽しそうだね」
声の主は、木々の間からゆっくりと姿を現した。
「ボクも、参加させてもらおうか」
金の法衣を翻し、夜の森に佇むその姿。
笑みは穏やか。けれど、その目には絶対の自信と――“格”があった。
聖王ユリウス=ルミエル。
登場と同時に、魔族たちの全身から汗が噴き出すような沈黙が落ちた。




