百四十四・魔導帝と終焉 弍
談話室を出たあと、俺は人目を避けるように回廊を抜け、裏庭の古びた倉庫の影へ向かった。
この時間、誰も来ないはずの場所。だが、そこにはもう――先に待っている者たちがいた。
「お疲れ様です、ヒナタ様」
先に声をかけてきたのは、リリスだった。
にこやかに微笑みながらも、彼女の瞳は状況をすべて見透かしているかのように静かだった。
「……だいぶ、遅かったですね」
その隣、壁にもたれていたミレオナが言った。
彼女の口調も穏やかだが、内に熱を秘めているのが分かる。
「悪い。神宮寺たちに呼び出されててな。
……内容は、たぶん、もう聞いてるよな」
「はい。魔王バフォメットによる宣戦布告、王都への進軍、そして――聖王ユリウス様の動きも」
リリスが淡々と告げた。
「ユリウスが“魔王を自分で討つ”なんて言い出したときは、さすがに驚いたけどな」
「……それだけ、本気なのでしょう。
事が事ですし、“聖王”が動けば、それはもはや戦争の号砲と同じです」
リリスの言葉には、重みがあった。
俺は小さく息をつきながら、ふたりを見た。
「リリス、魔王バフォメットって奴……どう思う?」
俺の問いに、リリスはすぐに頷いた。
「えぇ。ヒナタ様の予想通りかと。
これまでの襲撃や、翡翠那聖の件にも――バフォメットが関与している可能性が高いと見ております」
「翡翠那聖に……バフォメットが……!」
ミレオナがわずかに目を見開く。
あの忌まわしい郷の崩壊が、よりによって魔王の手にあったと知って――怒りというより、驚愕が先に立ったのだろう。
そんな彼女の反応を見ながら、俺は静かに口を開いた。
「……やっぱり、繋がってたか。
全部、最初から仕組まれてたってわけだな」
声は落ち着いていたが、内心はざわついていた。
何もかもが繋がっていく。悪意も、策謀も――そして、その果ても。
(……どうしたものか)
魔王バフォメット――そいつに関しては、ユリウスが動くと明言していた。
あの人が本気を出せば、きっと誰よりも強い。俺が出る幕なんて……多分、ない。
(バフォメットはユリウスに任せるとして……)
でも、だからって俺が何もしないでいいのかって言ったら、そうじゃない。
魔族はまだ各地で動いてるし、勇者たちも戦場に向かう。
神宮寺たちは確かに強いけど――
戦いってのは、強さだけじゃどうにもならないときもある。
(魔族と勇者たちの戦い……心配だな)
それに、バフォメットの背後には、何かある。
ミレオナが探してる“真実”だって、そこに繋がってるかもしれない。
(……バフォメットに関われば、ミレオナの知りたいことも分かるだろうし)
「“魔王”如き、このリリス様が一瞬で蹴散らしますよ♡」
自信満々に、しかもにっこり笑いながら言い切るリリス。
……いやいやいや。
(まじかよ……“魔王如き”って)
どんな世界観で生きてんだこの人(竜)……。
普通そこ、もっとこう「気をつけましょうね」とか「侮れませんよ」とか、そういう流れじゃないのか?
でも――たぶん、こいつが言うなら、本気でやりかねないから怖い。
俺は小さくため息をついて、リリスの横顔を見た。
(……頼もしいけど、加減はしてくれよな。いろいろ)
その時だった。
ふっと、リリスの表情が変わった。
目を細め、口元にいつもの笑みを浮かべたまま、だがその雰囲気は一瞬で“戦闘用”に切り替わる。
「ヒナタ様……敵です」
声は穏やかだった。でも、明らかに違っていた。
獣が牙を隠したまま笑うような――そんな声。
「よりにもよって……私が封印されていた場所とは……」
リリスの笑みが、不敵に深まる。
(封印されてた場所……って、幻想の森か!?)
まじかよ。あそこに――
「……こんなにはやく……!?」
言葉が漏れる。まだ準備なんて、何もできてないってのに――
けど、リリスはすぐに続けた。
「……動いてはいません。ですが、確かに“そこ”に存在しています」
視線は遠く。森の向こう、まだ目には見えないその何かを――確かに感じ取っている。
俺は一度深呼吸して、リリスとミレオナを見た。
「少し……様子を見よう」
焦りは禁物。相手の出方を見てからでも、遅くはない。
でも確かに――戦いの火種は、もう目の前にあった。
様子を見ているうちに、空はすっかり夜に染まっていた。
森の向こうから流れてくる空気が、ほんのり濁っている。
あの“気配”はまだ動き出していない――が、問題はそこじゃなかった。
「ヒナタ様、また増えました。転移魔法によるものかと……」
リリスの報告は、徐々に数を増す“敵”の存在だった。
最初は一体、二体だったはずが、今や――二十体近くの魔族が幻想の森にいるらしい。
厄介なのは、そのどれもが中級以上の反応を持っているということ。
おそらくは、統率された部隊だ。つまり、計画的な侵入。
……まじで、洒落になってない。
「ヒナタ様、蹴散らしましょうか?♡」
リリスが楽しげに何度も言ってきたが、
そのたびに俺は首を振って制した。
(この人、本当に一瞬で更地にしかねないからな……)
これ以上、ややこしい事態にはしたくない。
でも、さすがにこのまま放置ってわけにもいかない数だ。
(流石に多いな……)
思考を切り替える。もう、迷ってる時間はない。
「……先手を打とう。俺の《瞬間転移》で、幻想の森に行こう」
俺は手を差し出した。バッチリ決めるつもりだった。
「よし、行くぞ。リリス、ミレオナ、手繋いで――」
――の、前に。
「《瞬間転移》!」
やってしまった。
「あっ」
言った瞬間には、もう遅い。
視界がぐにゃりと歪み、空間がひっくり返る感覚。
ズゥン!と重力が抜けた瞬間、足元から風が駆け上がって――
俺、ワープ完了。
そして――
俺以外、いない。
「……え?」
静かすぎる森。風の音。虫の声。俺の心臓のドクン音。
誰もいない。
「ええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?!?!?!」
森が爆発でもしたかってくらいの勢いで叫んだ。
鳥が飛んだ。木が揺れた。俺の心も崩れた。
(は!?なんで!?なんで!?)
(いやわかってるよ!?発動タイミング早かったの俺だよ!!)
(でもさぁ!?バトル突入前にこんな孤独ソロダンジョンみたいな展開ある!?)
「俺は……何しにここに来たんだ……?」
転移とは、孤独を学ぶ魔法である。
「リリスとミレオナの顔、今頃どんな顔してんだろ……」
「てかあいつら、どうやって来んのこれ!?」
終わった。詰み。ワンチャンない。
「……笑えない」
森の空気が、めっちゃ冷たい。虫の声が妙にうるさい。
俺は心の中で静かに泣きながら、戦地に一人降り立った。




