第二十一話 看板娘の成人式
一月十一日、成人の日。
この日は、高瀬ひよりの成人式だった。
朝からよく晴れ、冬らしい冷たい空気の中に柔らかな日差しが差し込んでいる。
喫茶こもれびの前には、色鮮やかな振袖を着た二人の女性が並んでいた。
ひよりの振袖は、深い赤を基調に白や淡い桃色の花が描かれている。帯は金色で、母が選んだ小さな髪飾りにも同じ色の花が使われていた。
隣に立つ美咲は、紺色の振袖を着ている。白い花と銀色の模様が落ち着いた雰囲気を作っており、普段の明るい印象とは少し違って見えた。
「美咲、意外と似合ってるな」
「意外とは何や。素直にきれいって言い」
「自分で言う?」
「事実やからな」
「朝から自信あるなあ」
「ひよりも似合ってるで。普段より三割くらい大人に見える」
「残り七割は?」
「いつものひより」
「ほとんど変わってへんやん」
二人が言い合っている少し先で、田村がカメラを構えていた。
田村は喫茶こもれびの常連客で、趣味として長年写真を撮っている。商店街の行事や常連客の祝い事があるたびに撮影を頼まれており、今では千鶴から「こもれび専属カメラマン」と呼ばれていた。
「二人とも、もう少し近づいて」
田村に言われ、ひよりと美咲が肩を寄せる。
「ひよりちゃん、緊張してる?」
「少しだけ」
「顔が硬いで。いつも義雄さんと言い合ってるときくらい、自然にして」
「どんな注文ですか」
「ひより、義雄さんが振袖の帯を見て、派手すぎるって言ってたで」
美咲が小声で告げる。
「えっ、本当?」
「うそ」
「美咲!」
ひよりが思わず隣を振り向いた瞬間、カメラのシャッター音が鳴った。
「今の、ええ顔やった」
田村が満足そうに言う。
「撮るためにだましたん?」
「自然な表情を引き出すためや」
「立派な撮影技術やろ?」
美咲は悪びれもせず胸を張った。
「あとで美咲の変な顔も撮ってもらうからな」
「振袖姿で変な顔はせえへんよ」
二人の様子を店先から見ていた千鶴が、楽しそうに笑った。
「でも、成人式の写真なら、ちゃんとした写真屋さんに頼んだらよかったのに。別に、ここで撮らなくてもええやろ?」
「ここが、私にとって一番の場所ですから」
ひよりは迷わず答えた。
子どもの頃から通い続けた喫茶店。
母と一緒にクリームソーダを飲んだ店。
初めてアルバイトを経験し、自分の淹れたコーヒーを客へ出した場所。
成人を迎えた記念を残すなら、ひよりにはここ以外考えられなかった。
「それに、こもれび専属カメラマンの田村さんが一番です」
「任せとき」
田村が誇らしげにカメラを構え直す。
「いつから専属になったんや」
店の中から義雄が口を挟んだ。
「千鶴さんが決めました」
「俺は聞いてへんぞ」
「今、聞いたやろ?」
千鶴が笑顔で返す。
「そういう問題ちゃう」
「義雄さんも一緒に撮りましょう」
ひよりが手招きすると、義雄は露骨に顔をしかめた。
「俺はええ」
「どうしてですか?」
「主役はお前らやろ」
「こもれびの前で撮るんですから、義雄さんと千鶴さんも一緒じゃないと意味ないです」
「千鶴だけでええやろ」
「四人で撮ります!」
「勝手に決めるな」
「もう田村さん、待ってますよ」
田村はすでにカメラを構えていた。
「義雄さん、諦めた方がええで」
美咲にまで言われ、義雄は渋々店の外へ出てきた。
千鶴がひよりの隣に立ち、義雄は少し離れたところに立つ。
「義雄さん、もっと近づいて」
「これで十分やろ」
「家族写真みたいに撮るんやから、隙間を空けたらあかん」
「誰が家族や」
義雄はそう言いながらも、ひよりの隣まで移動した。
「ほら、笑ってください」
「笑ってる」
「全然笑ってません」
「これ以上は無理や」
「義雄さん、ひよりちゃんが成人して、うれしくないん?」
千鶴が尋ねると、義雄は一瞬だけ黙った。
「別に、俺が育てたわけちゃう」
「コーヒーの淹れ方は育ててもらいましたよ」
ひよりが答える。
「それに、子どもの頃からずっと見てもらってました」
「昔は静かにクリームソーダ飲んでたのにな」
「今も静かに飲めます!」
「三分も黙ってへんやろ」
「義雄さん!」
ひよりが抗議した瞬間、再びシャッター音が鳴った。
「今のもええ写真や」
田村が笑う。
「田村さん、私が怒ってる写真ばっかり撮ってません?」
「ひよりちゃんらしくてええやん」
「成人式の記念ですよ?」
「十年後に見たら、一番懐かしく感じる写真やと思うで」
そう言われると、ひよりも強くは反論できなかった。
「美咲ちゃんは、このあと家族と撮るん?」
千鶴が尋ねる。
「はい。私はあとで家でも撮れますし、今はひよりの付き添いです」
「一緒に成人式へ行くんやろ?」
「それも付き添いです」
「何で美咲が保護者みたいになってるん」
「ひより、放っといたら知らん人の落とし物とか気にして、式に遅れそうやから」
「そんなことせえへんよ」
「去年までの実績があるから信用できへん」
「実績って何?」
「数え始めたら成人式終わるで」
美咲が笑い、千鶴も声を上げて笑った。
最後に、ひよりと美咲はこもれびの看板を挟んで並んだ。
田村が何度かシャッターを切る。
古い木製の扉。
小さな門松。
開店から四十年を超えた喫茶店の看板。
その前に立つ、成人を迎えた二人。
「撮れたで」
田村がカメラの画面を見せる。
写真の中で、ひよりと美咲は肩を寄せ、自然な笑顔を浮かべていた。
「きれい……」
ひよりが小さくつぶやく。
「田村さん、ありがとうございます」
「現像したら、店にも一枚持ってくるわ」
「一番目立つところに飾りましょう」
「勝手に店へ飾るな」
義雄が反対する。
「ほんなら、義雄さんが写ってない写真にします」
「それやったらええ」
「やっぱり四人の写真にします」
「何でや」
「その方がおもしろいからです」
「店の飾りをおもしろさで決めるな」
成人式は、寝屋川市民会館で行われた。
会場の周辺には、華やかな振袖姿の女性やスーツ姿の男性が集まっている。
久しぶりに会う友人を見つけ、驚いた声を上げる人。何人もの仲間と写真を撮る人。成長した子どもの姿を、少し離れた場所から見守る家族。
ひよりと美咲も、大学の知り合いや高校時代の友人と挨拶を交わした。
「ひより、振袖似合ってるやん」
「ありがとう。そっちもきれいやで」
「二人とも朝から一緒やったん?」
「うん。こもれびで写真撮ってきた」
「成人式の日まで喫茶店に行ったん?」
「ひよりにとって、あそこは第二の家やからな」
美咲が説明すると、ひよりも否定しなかった。
式典は滞りなく進み、祝いの言葉や新成人の代表挨拶が行われた。
ひよりは話を聞きながら、自分が二十歳になったことを改めて実感していた。
誕生日を迎えた日には、それまでと何も変わっていないと思った。
成人式へ出たからといって、急に立派な大人になれるわけでもない。
それでも、振袖を着て同じ年に生まれた人たちと席を並べていると、これまでとは違う場所へ一歩進んだように感じられた。
式を終えると、ひよりは両親と一緒に自宅へ戻った。
玄関前や居間で、今度は父と母が写真を撮る。
「お父さん、ちゃんと撮れてる?」
「撮れてるで」
「指、レンズにかかってへん?」
「かかってへんよ」
「前に旅行先で、半分くらいお父さんの指やったやん」
「あれは指も景色を見たかったんやろ」
「写真に参加させんでいいです」
父が撮った写真を確認すると、今度はきちんと全身が収まっていた。
「お父さん、上手やん」
「田村さんには負けるけどな」
「比べる相手が悪いよ」
母と並んだ写真では、二人の似ている目元がよく分かった。父も加わって三人で撮ると、ひよりの口元が父によく似ていることも分かる。
「やっぱり二人の子やな」
ひよりが言う。
「今さら疑ってたん?」
母が笑った。
「親戚から、好奇心だけは誰にも似てへんって言われるから」
「誰にも似てへんところくらい、あって当然やろ」
「お父さんも大晦日に同じこと言ってた」
「夫婦やから考えることも似てきたんかな」
「でも、お母さんの方が先に思いついたことにしといて」
「そこ張り合うん?」
家での撮影を終えると、美咲は一度自分の家へ戻った。
夜には、それぞれ中学校の同窓会が予定されている。
残念ながら、ひよりと美咲は中学校が違うため、一緒には行けなかった。
『何かあったら連絡してな』
美咲から届いたメッセージへ、ひよりはすぐに返した。
『同窓会で何があるん?』
『元彼と再会するとか』
『元彼おらんやろ』
『今年できる予定や』
『それは元彼とは言わへん』
ひよりは笑いながらスマートフォンを鞄へ入れた。
夜の同窓会には、振袖から普段着へ着替えて参加した。
会場へ入ると、懐かしい顔がいくつも並んでいる。
「ひより!」
「久しぶり!」
「全然変わってへんな!」
「それ、褒めてる?」
中学校を卒業してから五年近くが過ぎている。
髪型や服装が大きく変わった人もいれば、当時の面影をそのまま残している人もいた。久しぶりに会う担任の先生もおり、ひよりはうれしくなって何度も頭を下げた。
「高瀬、大学生活はどうや?」
「楽しいです。アルバイトも続けてます」
「昔から好きやった喫茶店やったな」
「覚えてくれてたんですか?」
「中学の頃から、よく話してたやろ。クリームソーダがおいしいって」
先生の言葉に、ひよりは少し恥ずかしくなった。
同級生たちとは、大学や仕事、昔の先生や部活動の話で盛り上がった。
ところが、ひよりと同じ大学へ通う同級生が、突然大きな声を上げた。
「そういえば、ひよりって最近、有名人になってるよな」
周囲の会話が止まった。
「有名人?」
「どういうこと?」
ひよりは嫌な予感を覚え、その同級生を見た。
「何の話?」
「喫茶こもれびの謎解き娘やろ?」
一瞬の沈黙が落ちた。
「えっ?」
「あの店の看板娘って、ひよりなん?」
「SNSで見たことある!」
「寝屋川一番街商店街の店やろ?」
「写真の謎を解いた子?」
「恋のキューピッドって書かれてた子も?」
質問が一斉に飛んできた。
「ちょっと待って! 一人ずつ話して!」
「ほんまに謎を解いてるん?」
「探偵のアルバイトしてるん?」
「喫茶店で事件が起きるん?」
「SNSに顔出してへんかったから、全然分からんかった!」
「どうして今まで黙ってたん?」
「黙ってたんやなくて、言う必要がなかっただけです!」
ひよりは話を広めた同級生へ顔を向けた。
「何してくれとんじゃー!」
「何で怒るん! 間違ったこと言ってへんやん!」
「同じ大学なんやから、私がそういう扱いを嫌がってるの知ってるやろ!」
「でも、みんな喜んでるで」
「私は困ってるねん!」
周囲では、同級生たちが目を輝かせている。
「今度、こもれび行ってもいい?」
「もちろん、それは来て」
「急に歓迎するやん」
「お店のお客さんは大切です」
「謎を持っていかなあかん?」
「普通にコーヒーを飲みに来てください!」
「何か事件がないと入られへん店かと思ってた」
「どんな喫茶店やねん!」
ひよりは、秘密を明かした同級生を指さした。
「罰として、今度こもれびに来て、売り上げに貢献すること!」
「それ、罰になってるん?」
誰かが尋ねると、全員が笑い始めた。
「おいしいコーヒー飲めるんやろ?」
「罰どころか、ご褒美やん」
「クリームソーダもあるで」
「ナポリタンもおいしいです!」
「完全に宣伝し始めた」
「看板娘やからな」
「もう、その呼び方やめて!」
ひよりが抗議しても、笑い声は収まらなかった。
喫茶こもれび自体は、多くの同級生が知っていた。
SNSで紹介されるようになってから名前を見た人もいれば、寝屋川に住んでいるため以前から店の存在を知っていた人もいる。
しかし、投稿に登場する謎解きの看板娘が、自分たちの同級生である高瀬ひよりだと知っていた者はいなかった。
「中学の頃から、気になることがあったら調べてたもんな」
一人の同級生が言う。
「そうそう。教室の時計が毎日少しずつ遅れてたときも、原因調べてたやろ」
「そんなことあった?」
「先生が放課後に時間を直してるところまで見つけてたやん」
「完全に昔から謎解き娘やったんや」
「違います。時計がずれてたら気になるでしょ!」
「普通は、遅れてるなって思って終わりやで」
大晦日に親戚から言われた言葉を、ひよりは思い出した。
この好奇心は、一体誰に似たのか。
どうやら自分では覚えていない頃から、今とほとんど変わっていなかったらしい。
「今度、みんなでこもれび行こうや」
「席、そんなに多くないから、一度に来たらあかんで」
「有名店やのに?」
「隠れた名店ですから」
「有名なのか隠れてるのか、どっちなん?」
「私にも分かりません!」
また笑い声が広がった。
質問攻めにされたことは少し恥ずかしかったが、懐かしい友人たちが自分の働く店を知ってくれていたことは、素直にうれしかった。
成人式を迎えたこの日、ひよりは多くの写真を撮った。
振袖姿で美咲と並んだ写真。
父や母と撮った写真。
義雄や千鶴と、喫茶こもれびの前に立った写真。
久しぶりに会った同級生や先生たちと笑う写真。
それらはすべて、二十歳の自分がどこで、誰と過ごしていたのかを残す大切な記録になる。
同窓会が終わる頃、ひよりのスマートフォンには田村から一枚の写真が届いた。
こもれびの前で、義雄や千鶴、美咲と一緒に笑っている写真だった。
『成人おめでとう。これからも、こもれびの看板娘として頑張って』
ひよりは、その文章を見て少しだけ頬を膨らませた。
『写真はありがとうございます。でも、看板娘は認めてません』
そう返してから、もう一度写真を見る。
その中の自分は、誰よりも楽しそうに笑っていた。
「まあ、今日だけはええか」
ひよりは小さくつぶやき、写真を大切に保存した。
二十歳になった実感は、まだそれほどない。
それでも、支えてくれる人たちに囲まれながら、ひよりは少しずつ大人になっていく。
その中心にはやはり、喫茶こもれびがあった。




