第十八話 大晦日のチョコレート
クリスマスが過ぎると、寝屋川の町は慌ただしく新年を迎える準備を始めた。
商店街に並んでいた赤や緑の飾りは取り外され、店先にはしめ縄や鏡餅が置かれている。喫茶こもれびの前にあったクリスマスツリーも片づけられ、代わりに千鶴が選んだ小さな門松が飾られていた。
こもれびは十二月二十九日で、年内の営業を終えた。
最終日には多くの常連客が訪れ、義雄と千鶴へ一年の挨拶をして帰っていった。
ひよりも店内の大掃除を手伝い、食器棚の奥やカウンターの下まで念入りに拭いた。
「そこまでせんでもええやろ」
義雄に言われても、ひよりは手を止めなかった。
「一年分の汚れを残したまま、新年を迎えたくないんです」
「昨日も掃除してたやろ」
「昨日の汚れは昨日の汚れです。今日は今日の汚れがあります」
「レジの金を数えるときも、同じこと言うてたな」
「大切なことは何度でも確認するんです」
大掃除を終えたあとは、三人で今年最後のコーヒーを飲んだ。
「今年もお世話になりました」
ひよりが頭を下げると、千鶴も笑顔で応じた。
「こちらこそ。来年もよろしくね、看板娘さん」
「その呼び方、親戚にまで広まってるんですよ」
「ええやん。有名人やね」
「よくないです」
「SNSに顔も名前も出てへんのに、親戚には分かるんやな」
義雄が不思議そうに言う。
「お母さんが話したんです。それが親戚中に広がって、今では会うたびに謎を解いてるんかって聞かれます」
「人気者やん」
「見せ物みたいになってます」
義雄はコーヒーを飲みながら、わずかに笑った。
「お前が気にせんかったらええだけや」
「気になりますよ」
「そこが謎解き娘たるゆえんやな」
「義雄さんまで、その呼び方やめてください!」
十二月三十一日。
ひよりは自宅の居間で、母と一緒にこたつへ入っていた。
テレビでは年末の特別番組が流れている。母はミカンを食べながら、ときどき台所の鍋を確認し、ひよりはスマートフォンを眺めながら、常連客から届いた年末のメッセージへ返事をしていた。
向かい側では、父が新聞を広げている。
ひよりの父は、ごく普通の会社員だった。
優しくおおらかな性格で、多少のことでは怒らない。ひよりが子どもの頃、牛乳をこぼして泣きそうになったときも、「机が喉渇いてたんやろ」と笑いながら拭いてくれた。
ただし、おおらかすぎるせいで、自分がどこへ物を置いたのか分からなくなることも多い。
「お父さん、眼鏡は?」
新聞へ顔を近づけている父へ、ひよりが尋ねた。
「さっきから捜してる」
「頭の上」
父が手を伸ばすと、そこには眼鏡があった。
「こんなところにおったんか」
「眼鏡が勝手に移動したみたいに言わんといて」
「お父さんの眼鏡、元気やからなあ」
「お母さんまで何言うてるん」
父の隣で母が笑う。
ひよりの性格は、どちらかといえば母親に似ていた。
思ったことがすぐ顔に出るところも、誰とでも自然に話せるところも、納得できないことがあれば遠慮なく口にするところもよく似ている。
しかし、気になることを放っておけない性格だけは、父にも母にも似ていなかった。
幼い頃から、閉まっている扉があれば中に何があるのか尋ね、見慣れない道を見つければどこへ続いているのか確かめたがった。
親戚からは、何度も同じことを言われている。
『その好奇心、誰に似たんやろな』
『ほんまに、どこの子や』
もっとも、ひよりの顔には両親の特徴がよく表れていた。目元は母親に似ており、笑ったときの口元は父親によく似ている。
「顔を見たら、間違いなく二人の子やな」
それが親戚たちの結論だった。
高瀬家では、親戚が集まるのは元日ではなく、大晦日と決まっていた。
昔は新年になってから集まっていたが、親戚の中には初売りへ出かけたい者もいれば、仕事や友人との予定が入る者もいる。子どもが増えるにつれて、それぞれの家で過ごしたいという意見も出るようになった。
それなら、全員の予定が比較的合わせやすい大晦日に集まればいい。
誰かがそう提案したことをきっかけに、今では大晦日の昼から夜にかけて集まるのが、高瀬家の恒例行事になっていた。
夕食を囲み、年越しそばを食べ、早く帰る者は除夜の鐘を待たずに帰る。残った者だけで新年を迎えるという、少し自由な集まりだった。
お年玉だけは新年に渡す方が自然だろうという意見もあったが、そのためだけに翌日もう一度集まるのも大変だった。
そのため、高瀬家では大晦日にお年玉を渡す。
「まだ年明けてへんけど、お年玉やで」
毎年そう言いながら渡すのが、いつの間にか決まり文句になっていた。
「それ、お年玉やなくて年末手当ちゃうん?」
ひよりが子どもの頃に尋ねたこともあるが、親戚からは「細かいことは気にせんでええ」と返された。
昼を過ぎると、親戚が次々と高瀬家へ集まってきた。
叔父や叔母、いとこたちが持ってきた料理や菓子をテーブルへ並べ、小さな子どもたちは挨拶を済ませるなり隣の部屋へ走っていく。
「まだ年明けてへんけど、お年玉やで」
叔父が赤い袋を差し出すと、子どもたちは待ってましたとばかりに集まった。
「ありがとう!」
「開けてもいい?」
「家に帰ってからにし」
「何で?」
「金額を比べ始めるからや」
「去年、誰が多いとか言うて騒いでたもんな」
大人たちが笑う中、子どもたちは渡された袋を大切そうに鞄へ入れた。
「ひよりには、もういらんな」
叔父が言う。
「二十歳ですけど、もらえるなら拒みませんよ」
「働いてるやろ」
「アルバイトです」
「自分で稼いでるなら卒業や」
「そうやって大人は都合のいいところだけ、二十歳扱いするんですよ」
「謎解き娘は、講演料でももらったらええやん」
「講演することなんかありません!」
その言葉をきっかけに、親戚たちの視線が一斉にひよりへ向いた。
「この子が、噂の謎解き娘やな」
「普通の大学生です」
「SNSで有名になってるんやろ?」
「有名なのは店です。私は関係ありません」
「北河内一の名探偵って聞いたで」
「話が大きくなりすぎてます!」
別の叔母も、スマートフォンを取り出した。
「これ、ひよりちゃんの店やろ?」
画面には、喫茶こもれびを紹介する投稿が表示されている。
『寝屋川の隠れた名店。おいしいコーヒーと、身近な謎を解く看板娘が迎えてくれます』
写真には店の外観と、窓際に置かれたクリームソーダが写っていた。
「石田さん……」
ひよりは低い声で名前をつぶやいた。
「この人、何者なん?」
「こもれびの常連客です。勝手に私を広めてる人です」
「写真の謎も解いたんやって?」
「写真の裏の文字に気づいただけです」
「五十年前の相手を見つけたんやろ?」
「見つけたのはSNSの人たちです」
「謙虚な名探偵やな」
「名探偵やないです!」
ひよりが何度否定しても、親戚たちは楽しそうに笑うだけだった。
やがて全員が集まり、少し早い夕食が始まった。
テーブルには鍋や煮物、刺身、巻き寿司が所狭しと並んでいる。
「ほんまに、見ただけで何でも分かるんか?」
向かい側の叔父が尋ねた。
「分かりません」
「ほんなら、俺が昨日何食べたか当ててみ」
「それは謎解きやなくて超能力です」
「うどんや」
叔母が横から答える。
「何で言うねん。今から当ててもらうところやったのに」
「自分で答えを知ってる問題を出して、何がしたいんですか」
親戚たちから笑い声が上がった。
父はその様子を眺めながら、穏やかにお茶を飲んでいる。
「お父さんも笑ってんと助けてよ」
「人気者でええやないか」
「見せ物にされてるんです」
「ひよりが楽しそうに働いてることは、お父さんもうれしいで」
父にそう言われ、ひよりは返す言葉を失った。少し恥ずかしくなり、黙って巻き寿司を口へ運ぶ。
しばらくすると、隣の部屋から子どもの泣き声が聞こえてきた。
見ると、五歳になるいとこの男の子が、赤い菓子袋を手にして立っている。
「どうしたん?」
母が尋ねた。
「僕のチョコ、なくなった」
「全部食べたんちゃうの?」
「一個しか食べてへん」
袋には、個別に包装されたチョコレートが十個入っていたという。
男の子は一つだけ食べ、残りを袋へ戻して低い机の上に置いた。そのあと居間へジュースをもらいに来て、数分後に戻ると、袋だけが残されていたらしい。
「誰かが食べたんやろ」
叔父が言う。
「包み紙は落ちてへんかった」
「持っていったんちゃう?」
「ほら、謎解き娘の出番や」
別の叔父が楽しそうにひよりを見る。
「何でそうなるんですか」
「九個のチョコレートが、誰にも気づかれず消えた。立派な事件や」
「家で食べ物が移動しただけです」
そう答えながらも、ひよりは男の子の前へしゃがんだ。
「チョコを置いたとき、部屋には誰がおった?」
「お姉ちゃんと、優斗くんと、真央ちゃん」
隣の部屋では、小学生の子どもたち三人が折り紙や絵を描いて遊んでいたという。
ひよりは三人へ話を聞いた。
「チョコ、触った人おる?」
三人とも首を横へ振る。
「男の子が部屋を出てから、誰かここを出た?」
「誰も出てへん」
一番年上で十歳になる女の子が答えた。
「ずっと?」
「うん。優斗は折り紙してたし、真央は絵を描いてた。私は本を読んでた」
部屋にはもう一つ出入口があるものの、襖の先は物置で、廊下へはつながっていない。窓も閉まったままだった。
「密室や!」
後ろから見ていた叔父が声を上げる。
「窓にも鍵が掛かってるで!」
「大声出さんといてください」
ひよりは空の袋を受け取った。
袋の上部は、まっすぐに切られている。
「これ、最初は誰が開けたん?」
「僕」
「手で開けた?」
「開かへんかったから、はさみで切った」
机の上には子ども用の工作ばさみが置かれていた。
ひよりは袋の内側を確認した。底の角には、金色の細い糸が一本引っかかっている。
「このチョコ、どんな包装やった?」
「金色。四角いやつ」
袋の近くには、折り紙や色鉛筆に混じって、白い画用紙が何枚か置かれていた。
その一枚には、家の中らしい簡単な地図が描かれている。
最初の場所には机の絵があり、そこから矢印が伸び、テレビ、冷蔵庫、時計の順に進んでいる。最後には大きな星が描かれていた。
「これ、誰が描いたん?」
「知らん」
三人はまた同時に首を横へ振った。
ひよりは画用紙を持ち上げた。
地図の隅には、鉛筆で小さく数字が書かれている。
『三、二、四』
合計すると九になる。
なくなったチョコレートと同じ数だった。
「三、二、四……」
叔母たちも地図をのぞき込む。
「暗号か?」
「謎解き娘のために、誰かが用意したんちゃう?」
ひよりは地図を裏返した。
裏面にはセロハンテープを剥がしたような跡があり、そこにも金色の糸が一本残っている。
「これ、チョコを隠した場所を描いた地図やと思います」
「宝の地図?」
「たぶん、三個、二個、四個に分けて隠したんです。合計九個になります」
「誰がそんなことしたん?」
ひよりは三人の子どもを見た。
優斗は折り紙を続け、真央は不安そうに周囲を見回している。
一番年上の女の子だけが、ひよりではなく地図を見つめていた。
「さっき、本を読んでたって言ったよね?」
「うん」
「何の本?」
「向こうにある本」
女の子が指したのは、部屋の隅に置かれた児童向けの推理小説だった。
しかし、本には細かなほこりが積もっており、表紙に触れた跡がない。
「その本、今日は誰も触ってへんと思う」
ひよりが言うと、女の子は黙り込んだ。
「どうして?」
叔父が尋ねる。
「表紙にほこりが残ってるから。持ち上げたら、指の跡がつくはずです」
「ほかの本を読んでたんかもしれへんやろ?」
「それに、この地図に使われている青い色鉛筆だけ、芯の先が丸くなってます。ほかの子が描いていた絵には、この色が使われてません」
ひよりは女の子の前にある色鉛筆を指した。
「地図を描いたんは、君やね?」
女の子はしばらく黙っていたが、やがて小さくうなずいた。
「でも、盗んでへんで」
「分かってる。盗むつもりなら、地図なんて残さへんもん」
「じゃあ、何で隠したん?」
男の子が尋ねる。
「宝探しにしようと思ってん」
女の子は申し訳なさそうに答えた。
「さっき、謎解き娘の話をみんながしてたやろ。だから、ひよりお姉ちゃんみたいに謎を作って、みんなで遊ぼうと思った」
「それで、チョコを使ったん?」
「うん。三か所に隠してから、この地図を渡すつもりやった。でも、途中でご飯やって呼ばれて、言うのを忘れてしもた」
「何で袋だけ机に戻したん?」
「チョコがなくなったことに気づいたら、地図を探してくれると思って」
「先に説明せえへんかったら、取られたと思うやろ」
ひよりが言うと、女の子はうつむいた。
「ごめんなさい」
チョコが無くて泣きそうだった男の子は、地図をもう一度見た。
「チョコ、あるん?」
「あるで。一緒に探す?」
「探す!」
男の子の表情が、すぐに明るくなる。
子どもたちは地図を持ち、全員で宝探しを始めた。
テレビの裏から三個。
冷蔵庫の横に置かれた空の菓子箱から二個。
最後の四個は、古い柱時計の下に置かれた小箱から見つかった。
すべて金色の包装に包まれたままで、数も九個揃っている。
「ほんまに全部見つかった!」
「事件解決や!」
叔父が大きな声を上げると、親戚たちから拍手が起こった。
「盗まれたんやなくて、宝物に変わってたんやな」
父が穏やかに言う。
「勝手に隠したらあかんけど、せっかく考えてくれたんやから、みんなで分けて食べようか」
男の子は少し考え、チョコレートを隠した女の子へ一つ差し出した。
「これ、あげる」
「ええの?」
「宝探し、おもしろかったから」
「ありがとう」
二人が笑うと、周囲の大人たちも安心したように笑った。
「さすが謎解き娘やな」
叔父が感心したように言う。
「袋の糸と、地図の数字を見ただけです」
「本を読んでへんことも見抜いたやろ」
「それは、ほこりが残ってたからです」
「十分すごいやん」
「でも、最初から宝探しやって言ってくれたら、謎にもならなかったんですよ」
「それを言うたら、今までの事件も大抵そうなんちゃう?」
母が笑いながら言う。
「みんなが最初から本当のことを話してくれたら、謎は生まれへんのかもしれへんな」
父が続ける。
ひよりは少し考えた。
人は、知っていることをすべて話すとは限らない。
驚かせたいこと。
恥ずかしくて言えないこと。
自分でも大切だと気づかず、胸の奥へしまっていること。
そうした小さな秘密が、誰かにとっての謎になるのかもしれない。
「ひよりの好奇心は、ほんまに誰に似たんやろな」
叔母が笑う。
「お母さんでもないし、お父さんでもないな」
「ほんまに、どこの子や」
「顔は二人にそっくりやから、間違いなくうちの子やで」
父は笑いながらひよりを見た。
「それに、誰にも似てへんところがあってもええやろ。それがひよりなんやから」
何でもないことのように言われた言葉だったが、ひよりの胸には温かく残った。
母親に似たところ。
父親に似たところ。
どちらにも似ていないところ。
そのすべてが合わさって、今の自分ができている。
「お父さん、たまにはいいこと言うな」
「たまには余計やろ」
「さっき眼鏡を頭に載せたまま捜してた人ですから」
「それと今の話は関係ないやん」
親戚たちの笑い声が、居間へ広がった。
夜が深まる頃、ひよりのスマートフォンに千鶴からメッセージが届いた。
『今年一年ありがとう。来年も、こもれびをよろしくね』
その下には、義雄が書いたらしい短い言葉も添えられている。
『正月くらい、謎を探さんとゆっくり休め』
ひよりは思わず笑った。
『探してませんけど、今日も一つ解決しました』
そう返信すると、すぐに千鶴から笑っている顔の絵文字が送られてきた。
「また店の人?」
母が隣から画面をのぞく。
「うん。来年もよろしくって」
「ええ場所を見つけたな」
「子どもの頃から知ってる場所やで」
「知ってる場所でも、自分の居場所になるとは限らへんやろ」
ひよりは少し考えてから、うなずいた。
家族と過ごすこの家も、義雄や千鶴と働く喫茶こもれびも、どちらも今のひよりにとって大切な居場所だった。
年越しの時刻が近づき、全員分のそばが運ばれてくる。
「ひよりちゃん、来年はどんな謎を解くん?」
叔父が尋ねた。
「来年も謎を解くとは決めてません」
「でも、気になったら調べるんやろ?」
「それは……気になる内容によります」
「ほんなら、来年も変わらへんな」
親戚たちが笑う。
ひよりは反論しようとしたが、やめておいた。
気になることを放っておけない性格は、きっと来年になっても変わらない。
父にも母にも似ていないと言われる部分だが、今ではそれも悪くないと思える。
窓の外から、遠くで鳴り始めた除夜の鐘が聞こえてきた。
喫茶こもれびで過ごした一年が終わり、新しい一年が始まろうとしている。
来年は、どんな人と出会い、どんな不思議に出会うのだろう。
そう考えた瞬間、ひよりの胸が少しだけ弾んだ。
どうやら彼女の好奇心だけは、新しい年を待ちきれないようだった。




