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第十五話 寝屋川の謎解き娘

 異変に気づいたのは、月曜日の朝だった。


 大学の教室へ入ったひよりは、いつもより多くの視線が自分へ向けられていることに気づいた。


 知っている学生だけではない。


 一度も話したことのない学生まで、ひよりの顔を確かめるように見ている。


 目が合うと、すぐに視線をそらされる。


「何やろ……」


 服に何かついているのかと思い、ひよりは自分の身体を見下ろした。


 シャツのボタンは留まっている。


 靴も左右同じものを履いている。


 寝癖も、家を出る前に直したはずだった。


 不思議に思いながら席へ向かうと、先に来ていた美咲がスマートフォンを見ながら笑っていた。


「おはよう、美咲」


「おはよう、寝屋川の有名人」


「誰が?」


「ひよりが」


「何の話?」


「まだ知らんの?」


 美咲は意外そうに顔を上げ、スマートフォンの画面をひよりへ向けた。


 そこには、見慣れた木製の扉が映っていた。


 扉の横に置かれた立て看板。


 窓から見える古い照明。


 間違いなく、喫茶こもれびだった。


 写真の上には、大きな文字が並んでいる。


『寝屋川一番街商店街で見つけた、昔ながらの喫茶店』


 投稿には、店内の様子やコーヒー、クリームソーダの写真が載せられていた。


 土曜日に投稿されたばかりだというのに、すでに多くの人から反応が寄せられている。


『雰囲気がよさそう』


『昔ながらのクリームソーダがおいしそう』


『寝屋川にこんなお店があったんや』


『今度行ってみたい』


 ここまでは、ひよりにも理解できた。


 最近は、喫茶店を訪れた客が料理や店内の写真をSNSへ投稿することも珍しくない。


 問題は、その先だった。


『この店には、ひよりちゃんという二十歳の看板娘がいます。明るくてよく働くだけでなく、店や商店街で起きた小さな謎を何度も解いてきた、知る人ぞ知る“喫茶の謎解き娘”です』


「……何、これ」


「ひよりの紹介文」


「それは見たら分かる。誰がこんなん書いたん?」


「知らん。でも、結構広まってるで」


 ひよりは美咲からスマートフォンを借り、投稿の続きを読んだ。


『二人分の代金を払いながら、いつも一人で帰る客』


『一つの傘をめぐって現れた、二人の持ち主』


『店から一つずつ消えていった、古いコーヒーカップ』


 これまで、ひよりが関わってきた出来事が、当事者の名前や詳しい事情を伏せたうえで紹介されていた。


 さらに読み進めると、別の一文が目に入る。


『オンライン将棋を通じてつながっていた二人の正体を見抜き、本人同士を引き合わせたこともあります。それをきっかけに二人の距離は縮まり、今では知る人ぞ知る“恋のキューピット”でもあります』


「ちょっと待って!」


 ひよりが大きな声を上げると、教室にいた学生たちが一斉に振り返った。


 慌てて声を小さくする。


「私、恋のキューピットになった覚えないんやけど!」


「二人を引き合わせたんは、ひよりやろ?」


「そうやけど、私は謎を解いただけやん。そのあと仲良くなったんは、二人の力やろ」


「きっかけを作ったんやから、間違ってはないんちゃう?」


「間違ってる!」


 投稿は、最後に次の一文で締めくくられていた。


『運がよければ、あなたの身近な謎を解き、恋の悩みまで解決してくれるかもしれません』


「勝手に相談を募集されてる!」


「謎解きだけやなくて、恋愛相談まで増えたな」


「何で楽しそうなん?」


「面白いから」


「友達が困ってるんやで」


「でも、ひよりらしい紹介やと思う」


「私らしさを勝手に決めんといて」


 投稿には、ひよりの顔が分かる写真は載っていなかった。


 店内の写真にも、黒いエプロンを身につけたひよりの後ろ姿が小さく写っているだけだった。


 それでも、名前と年齢、働いている店まで書かれている。


「これ、大学の人にも見つかったん?」


「見つかるやろ。ひより、前から寝屋川の喫茶店で働いてるって話してたし」


 美咲が教室の入口へ目を向けた。


 そこには、同じ講義を受けている女子学生が二人立っていた。


 二人は少し迷ったあと、ひよりのもとへ近づいてくる。


「あの、高瀬さん」


「はい?」


「この投稿に出てくる謎解き娘って、高瀬さん?」


「違います」


 ひよりは迷わず答えた。


「でも、名前もひよりやし、寝屋川の喫茶店で働いてるって前に言ってたよね?」


「同姓同名の別人です」


「ひよりって名字やなくて名前やろ」


 隣で美咲が冷静に指摘した。


「美咲は黙ってて」


「今度、お店へ行ってもいい?」


「お客さんとして来てくれるなら、もちろん」


「謎を持っていってもいい?」


「持ってこんといて」


「恋愛相談は?」


「もっと持ってこんといて!」


 二人は楽しそうに笑いながら、自分たちの席へ戻っていった。


 午前中の講義が終わるまでに、ひよりは何人もの学生から声をかけられた。


「なくしたイヤリングを捜してほしい」


「冷蔵庫に入れておいたプリンを誰が食べたのか突き止めてほしい」


「好きな人がいるけど、どうやって告白したらいいか教えてほしい」


 中には、謎でもなければ自分に相談する理由も分からないものまであった。


「私、探偵でも恋愛相談員でもないねんけど……」


 昼休みになり、ひよりは机へ突っ伏した。


「有名になるって大変やな」


 美咲は面白そうに弁当を広げている。


「他人事やと思って楽しんでるやろ」


「ちょっとだけ」


「少しは否定してよ」


「でも、悪く書かれてるわけやないやん。店のことも、ひよりのことも褒めてくれてる」


「それは分かってるけど、誰が書いたか分からへんのが気になる」


「やっぱり、そこは放っとかれへんのや」


 美咲が笑う。


「謎解き娘と呼ばれるんは嫌やのに、投稿した人の正体は解きたいんやな」


「勝手に紹介されたんやから、誰が書いたか確認するだけ」


「それを謎解きって言うんちゃう?」


 ひよりは答えられなかった。


 午後一時過ぎ。


 寝屋川一番街商店街へ入ったひよりは、喫茶こもれびの前で足を止めた。


 店の前に、見慣れない客が三組も並んでいる。


「ほんまに増えてる……」


 木製の扉を開けると、普段よりにぎやかな声が聞こえてきた。


「ひよりちゃん、ちょうどよかった。早く手伝って」


 千鶴がカウンターの中から手招きする。


「今日、どうしたんですか?」


「朝から、SNSを見たっていうお客さんが来てくれてるんよ」


「やっぱり、あの投稿ですか?」


「ひよりちゃんも見たん?」


「大学で謎解き娘兼恋のキューピットにされました」


「すごいやん」


「すごくありません!」


 店内には、若い女性の二人組や、小さなカメラを持った男性、スマートフォンでクリームソーダを撮影している客がいた。


 どの客も、普段のこもれびでは見かけない人たちだった。


 義雄は次々と注文されるコーヒーを淹れながら、不機嫌そうに眉を寄せている。


「写真を撮るんはええけど、ほかの客を勝手に写すなよ」


「義雄さん、忙しそうですね」


「見たら分かるやろ。突っ立ってへんで働け」


「今、着いたところです!」


 ひよりは急いで黒いエプロンを身につけた。


 胸元には『喫茶こもれび ひより』という白い刺繍と、二つの赤いサクランボが並んでいる。


 注文を取りに行くと、若い女性客が刺繍へ目を向けた。


「もしかして、謎解き娘のひよりさんですか?」


「その呼び方、もう広まってるんですか?」


「投稿を見て来ました。会えてうれしいです」


「私は普通のアルバイトですよ」


「本当に謎を解いてくれるんですか?」


「いつでも解けるわけではありません。気になったことを調べていたら、たまたま答えが分かっただけです」


「将棋の二人を引き合わせた話も本当なんですか?」


「引き合わせたのは本当ですけど、恋のキューピットではありません」


「でも、二人は仲良くなったんですよね?」


「それは二人がお互いを大切に思っていたからです。私の力やありません」


「すてきですね」


 まっすぐな笑顔で言われると、それ以上強く否定することはできなかった。


「ありがとうございます。ご注文は?」


「クリームソーダを二つお願いします。それから、恋愛相談を一つ」


「注文はクリームソーダだけでお願いします」


 女性客は楽しそうに笑った。


 その後も、ひよりは何度も同じ質問をされた。


 看板娘なのか。


 本当に二十歳なのか。


 どんな謎を解いたのか。


 恋人同士を何組も成立させたことがあるのか。


「一組も成立させてません!」


 ひよりが否定しても、客は楽しそうに笑うだけだった。


 夕方になって客足が落ち着くと、ひよりはカウンターへ両手をついた。


「有名人、疲れたか?」


 義雄が尋ねる。


「誰のせいやと思ってるんですか」


「俺は何もしてへん」


「この店へよく来る誰かが、私のことを投稿したんですよ」


「何で常連やと思うん?」


「投稿には、これまでの出来事がいくつも書かれていました。それも、本人たちが特定されないように詳しい事情だけ伏せてあります。ずっと店へ通っていて、私が何を気にしていたのか知っている人やと思います」


 ひよりは投稿に載っていた写真を思い出した。


 コーヒーカップの位置。


 クリームソーダのグラス越しに見える窓際の席。


 撮影した人物は、カウンターの一番奥に座っていたはずだった。


 さらに、投稿には決め手となる言葉があった。


『知る人ぞ知る、喫茶の謎解き娘』


 以前、同じような呼び方をした人物を、ひよりは覚えている。


「石田さんです」


 ひよりが断言した直後、店の扉が開いた。


「こんばんは」


 入ってきたのは、会社帰りの石田だった。


 四十代の男性で、週に二、三度は仕事帰りにこもれびへ立ち寄る常連客だ。


 いつもカウンターの一番奥へ座り、ブレンドコーヒーを飲みながらスマートフォンを眺めている。


 石田は店へ入るなり、ひよりの顔を見て足を止めた。


「何で、そんな怖い顔してるん?」


「石田さん」


「はい」


「あの投稿、石田さんですよね?」


「何のこと?」


「喫茶こもれびの看板娘を、謎解き娘兼恋のキューピットとして紹介した投稿です」


 石田の視線が、わずかに泳いだ。


「証拠は?」


「今、自分から証拠を求めましたね」


「いや、普通に確認しただけや」


「写真は、いつも石田さんが座っているカウンターの奥から撮られていました。それに前に、私が店の謎を調べていたとき、『こもれびの謎解き娘やな』って言いましたよね」


「そんな昔の言葉まで覚えてるん?」


「覚えてます」


「やっぱりすごいな、謎解き娘は」


「認めましたね」


 石田は諦めたように両手を上げた。


「俺が投稿しました。ごめん」


「どうして私に言わなかったんですか?」


「店内と料理の写真を載せてもええかは、千鶴さんに聞いたんやで」


 ひよりが千鶴を見ると、彼女は気まずそうに笑った。


「宣伝になると思ってな」


「私のことを書くとは聞いてました?」


「看板娘を紹介するとは聞いたけど、恋のキューピットになるとは思ってへんかった」


「石田さん!」


「悪かったって。でも、嘘は書いてへんやろ? 将棋の二人が出会えたんは、ひよりちゃんのおかげや」


「私は二人の関係に気づいただけです」


「それでも、ひよりちゃんがおらんかったら、二人はお互いの正体を知らんままやったかもしれへん」


「だからって、恋愛相談まで解決できるみたいに書かんといてください」


「そこは少し話を盛った」


「少しやありません!」


 千鶴がこらえきれずに笑い出した。


 義雄も呆れたように息を吐いている。


「投稿、消した方がええか?」


 石田が真面目な顔で尋ねた。


 ひよりは、すぐには答えなかった。


 今日一日、確かに大変だった。


 知らない人から次々と声をかけられ、勝手につけられた呼び名で呼ばれた。


 恋愛相談まで持ち込まれそうになった。


 それでも、投稿を見て訪れた客たちは、義雄のコーヒーや千鶴の料理を楽しんでいた。


 店の古い雰囲気を懐かしいと言ってくれた。


 また来たいと言ってくれた人もいる。


 自分が話題になるのは恥ずかしいが、それをきっかけに誰かが寝屋川一番街商店街を訪れ、喫茶こもれびの扉を開いてくれるのは、少しうれしかった。


「消さなくていいです」


「ええの?」


「ただし、文章を直してください」


「どこを?」


「恋の悩みまで解決してくれるという部分を消してください。あと、謎も必ず解けるわけではないと書いてください」


「ほんなら、最後はどうする?」


 ひよりは少し考えた。


「『運がよければ、看板娘があなたの話を聞いてくれるかもしれません』くらいにしてください」


「それだけでええん?」


「私は探偵でも占い師でもありません。ただの喫茶店のアルバイトですから」


「分かった。すぐに直す」


「それから、次に私のことを書くときは、先に確認してください」


「はい。申し訳ありませんでした」


 石田が素直に頭を下げたため、ひよりもそれ以上は責めなかった。


「ところで、今日のおすすめは?」


「反省した人向けの、ものすごく苦いコーヒーです」


「そんなメニューあるん?」


「今、できました」


「義雄さん、助けてください」


「自分でまいた種や。黙って飲め」


 義雄は容赦なく答えた。


 数日後、石田の投稿は、ひよりに言われたとおり修正された。


 ところが、事情を知った常連客が面白がって話を広めたため、ひよりの呼び名が消えることはなかった。


『寝屋川一番街商店街に、謎解き娘がいるらしい』


『しかも、将棋がきっかけの恋を後押しした恋のキューピット』


『昔ながらのクリームソーダもおすすめ』


 そんな口コミとともに、喫茶こもれびの名前は寝屋川のSNSで知られるようになっていった。


 大学でも、ひよりを見かけるたびに「謎解き娘」と呼ぶ学生が増えた。


 中には「恋のキューピット」と呼ぶ者までいる。


「もう諦めたら?」


 美咲が笑いながら言った。


「絶対に嫌や」


「でも、こもれびにお客さんが増えたんは、うれしいんやろ?」


「それとこれとは別」


「顔、笑ってるで」


「笑ってへん」


 そう答えながらも、ひよりの口元は少しだけ緩んでいた。


 自分が有名になりたいと思ったことはない。


 謎解き娘と呼ばれるのも、恋のキューピットと呼ばれるのも、やはり恥ずかしい。


 それでも、自分をきっかけに誰かが商店街を訪れ、喫茶こもれびを好きになってくれるのなら、悪いことばかりではないのかもしれない。


 その日の午後、ひよりが店へ入ると、見知らぬ女性がカウンター席で待っていた。


 テーブルの上には、一枚の古い写真が置かれている。


「あなたが、ここの謎解き娘さんですか?」


「違います」


 ひよりは反射的に否定した。


 しかし、古い写真の中に写っている喫茶こもれびを見た瞬間、その目はすでに新しい謎を追い始めていた。


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