第十四話 一日早い商店街だより
ひよりの二十歳の誕生日から、二週間が過ぎた。
田村が撮影した写真はきれいに印刷され、喫茶こもれびのカウンター奥に飾られている。
義雄と千鶴の間に立ち、名前の入った黒いエプロンを身につけたひよりが笑っている写真だ。
写真を見つけた常連客たちは、決まって同じようなことを口にした。
「ほんまに家族写真みたいやな」
「真ん中におるひよりちゃんが、一番店主らしく見えるで」
「いや、どう見ても一番頼りないやろ」
最後の一言だけは、いつも義雄だった。
「ひどくないですか?」
「事実や」
「私、もうすぐアルバイトを始めて一年ですよ」
「まだ一年やろ。俺らは四十年や」
「比べる相手がおかしいです」
そんな会話を交わしながら、ひよりは今日もカウンターの中で働いていた。
木曜日の午後になると、寝屋川一番街商店街では、その週の『一番街だより』が配られる。
商店街の催しや各店舗のお知らせ、季節の話題などを載せた、表裏一枚の小さな情報紙だ。
入口近くの棚にも毎週十部ほど置かれ、常連客がコーヒーを飲みながら読んでいる。
午後二時を少し過ぎた頃、木製の扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは、宮田澄子という七十代の女性だった。
澄子は毎週木曜日の午後、決まって窓際の席へ座る。
「宮田さん、こんにちは。今日もカフェオレでいいですか?」
「お願いします」
澄子が席へ着くと、ひよりは新しく届いたばかりの一番街だよりを一部持っていった。
「今週の分です」
「ありがとう」
澄子は老眼鏡をかけ、紙面をゆっくりと読み始めた。
ひよりはカフェオレを作り、テーブルへ運ぶ。
「お待たせしました」
「ありがとう、ひよりちゃん」
澄子はカップへ手を伸ばしかけたが、紙面の中央を見て動きを止めた。
「あら?」
「どうかしました?」
「この記事……昨日も読んだような気がするわ」
「昨日ですか?」
「ほら、今度の日曜日に福引きをするって書いてある記事」
ひよりも紙面をのぞき込んだ。
確かに、週末に行われる福引きについて書かれている。
しかし、この一番街だよりが配られたのは今日だ。店へ届いたのも、ほんの十分ほど前だった。
「先週の分にも載ってたんと違いますか?」
「そうやったかしら」
澄子は首をかしげた。
「最近、同じようなお知らせが多いから、勘違いしたんやろね」
そう言って、カフェオレを一口飲む。
ひよりは少し気になったが、それ以上尋ねることはできなかった。
年齢を重ねれば、似たような記事を以前読んだと感じることもあるのだろう。
ところが翌週の木曜日、同じことが起きた。
いつもの時間にやって来た澄子は、カフェオレを注文し、届いたばかりの一番街だよりを開いた。
紙面には、商店街の花壇を植え替えたことが写真付きで紹介されている。
「あら、ちゃんと直ってる」
澄子が小さくつぶやいた。
「何が直ってるんですか?」
テーブルを拭いていたひよりが尋ねる。
澄子は、しまったという顔をした。
「何でもないよ」
「でも、今、直ってるって」
「写真がきれいになったと思っただけ」
「前の写真を見たんですか?」
「前の写真?」
「きれいになったと分かるってことは、別の写真を見たことがあるんですよね?」
「ひよりちゃんは、細かいところまで気にするんやねえ」
「気になってしまったんです」
「若い人は好奇心があってええね」
澄子は笑って話を終わらせると、紙面へ目を戻した。
しかし、その表情は少し困っているようにも見えた。
ひよりはカウンターへ戻ったものの、疑問は消えない。
「義雄さん」
「何や」
「一番街だよりって、いつ完成するんですか?」
「知らん」
「毎週置いてるのに?」
「商店街の事務所から届いたもんを置いてるだけや」
「千鶴さんは知ってます?」
「木曜日のお昼に配られることしか知らんなあ」
千鶴が答える。
「どうして?」
「宮田さんが、配られる前に記事を読んでるみたいなんです」
「家にも届いてるんと違う?」
「商店街だよりは、店で配る分も家に配る分も木曜日やと思います。それに宮田さん、さっき『ちゃんと直ってる』って言ったんです」
「印刷した人に見せてもろたんやろ」
義雄が何でもないことのように言う。
「誰にですか?」
「俺が知るか」
「そこを考えるのが謎解きじゃないですか」
「仕事中や」
「分かってます」
「手が止まってる」
ひよりは慌てて、拭いていたカップへ視線を戻した。
それでも頭の中では、澄子の言葉が何度も繰り返されていた。
『昨日も読んだような気がする』
『ちゃんと直ってる』
単なる記憶違いなら、「直っている」という言葉は出ないはずだ。
澄子は、一番街だよりの完成前の姿を知っている。
しかし、それを隠そうとしている。
翌週の水曜日。
大学の講義を終えたひよりは、夕方からのアルバイトに入っていた。
午後五時頃になると客足が落ち着き、店内には二人の常連客しか残っていなかった。
そのとき、扉が開き、若い男性が入ってきた。
年齢は三十歳前後だろうか。
片手には、茶色い封筒を持っている。
「いらっしゃいませ」
「すみません。宮田澄子、今日は来てませんか?」
「宮田さんなら、木曜日に来られることが多いですけど」
「やっぱり明日か」
男性は小さく息を吐いた。
「何かご用ですか?」
「これを渡そうと思ってたんです」
男性が持っている封筒には、赤い文字で『確認用』と書かれている。
さらに、その下には『一番街だより』という文字が見えた。
ひよりの視線に気づいた男性は、慌てて封筒を裏返した。
「あの、それ……明日配られる一番街だよりですか?」
「え?」
「確認用って書いてありました」
「見えました?」
「はい」
男性は困ったように頭をかいた。
「まだ印刷前のものなんで、内容は内緒にしてください」
「もしかして、宮田さんのお孫さんですか?」
「そうです。孫の健太です」
その一言で、ひよりの中にあった疑問がつながった。
「宮田さんが毎週、明日配られる一番街だよりを先に読んでいたのは、健太さんが見せていたからなんですね」
「ばあちゃん、何か言うてました?」
「木曜日に読んで、『昨日も読んだ気がする』って」
「ああ……」
健太は額へ手を当てた。
「前の日に見せてるんやから、そらそうなるか」
「でも、どうして宮田さんに確認してもらってるんですか?」
ひよりの問いに、健太はすぐには答えなかった。
少し迷ったあと、窓際の席へ目を向ける。
「ばあちゃん、昔は商店街の店を手伝いながら、この一番街だよりの原稿も見てたんです」
「原稿を?」
「じいちゃんと二人で小さな洋品店をやってました。じいちゃんが商店街の役員をしてて、ばあちゃんは店の帳簿をつけたり、催しの案内を書いたりしてたんです」
健太は手にした封筒を見つめた。
「店を閉めてからも、しばらくは商店街の手伝いをしてました。でも、じいちゃんが亡くなってから、ほとんど関わらんようになって」
「それで、健太さんが原稿を見せるようになったんですか?」
「僕が商店街の事務所で働き始めて、一番街だよりを担当することになったんです。最初の頃、誤字ばっかりで、店の名前まで間違えてしもて」
「それは怒られますね」
「めちゃくちゃ怒られました」
健太は苦笑した。
「そのとき、母に『おばあちゃんに見てもらったら』って言われたんです。昔から細かいところによく気づく人やったから」
「実際、間違いを見つけてくれたんですね」
「最初の一枚で七か所」
「七か所も?」
「『あんた、ようこれで事務所に雇ってもろたな』って言われました」
「宮田さんらしいですね」
「それから毎週水曜日、印刷前の原稿を見てもらってます。誤字だけやなくて、説明が分かりにくいところや、文字が小さすぎるところも教えてくれるんです」
つまり澄子は、完成前の紙面を読んでいただけではない。
内容を確認し、必要な部分を直していたのだ。
「でも、宮田さんは、どうしてそれを隠してるんですか?」
「印刷前の情報は、ほかの人に話したらあかんって僕が言ったからです」
「それで昨日読んだことも言えなかったんですね」
「たぶん、そうやと思います」
健太は少し申し訳なさそうに笑った。
「ばあちゃん、約束だけは妙にきっちり守るから」
「でも、毎週木曜日に同じ紙面を読むことは分かってますよね?」
「水曜日に見せてるんは普通のコピー用紙で、まだ写真や配置も完成してへん原稿なんです。木曜日に出来上がったものを見るのが楽しみやって言うてました」
ひよりは、先週の澄子の言葉を思い出した。
『ちゃんと直ってる』
あれは写真がきれいになったという意味ではない。
自分が指摘した部分が、完成した紙面で直されていることを確認していたのだ。
「今週も、宮田さんに確認してもらうんですよね?」
「そのつもりです。ただ、家に行ったら留守やったんで、ここにおるかと思って」
「今日はまだ来られてません」
「ほんなら、家に戻るまで待ちます」
健太が帰ろうとしたとき、店の扉が開いた。
「こんばんは」
入ってきたのは澄子だった。
「あれ、健太。何でここにおるの?」
「ばあちゃんを探してたんや。今日の原稿、見てもらおうと思って」
健太が封筒を見せると、澄子の表情が引き締まった。
「今週は遅かったな」
「商店街の人から原稿が届くのが遅かってん」
「木曜日の朝には印刷するんやろ? こんな時間から間に合うん?」
「間に合わせます」
「ほんなら、早う見せて」
澄子は窓際の席へ座り、鞄から老眼鏡と赤いボールペンを取り出した。
その動きには迷いがない。
「宮田さん、今日もカフェオレでいいですか?」
「お願いします。ちょっと長居するかもしれへんけど」
「大丈夫です。今日は特別に、編集室として使ってください」
「編集室?」
澄子が不思議そうに顔を上げる。
「毎週、一番街だよりを確認してるんですよね?」
ひよりが尋ねると、澄子は健太を見た。
「話したん?」
「見つかってしもた」
「印刷前のことは秘密やって言うたん、あんたやろ」
「秘密にするんは記事の内容だけや。ばあちゃんが手伝ってることまで隠さんでええ」
「そうなん?」
「そうや」
澄子は、どこか気恥ずかしそうに老眼鏡を直した。
「別に大したことはしてへんよ。間違いを見つけてるだけやから」
「それが大事なんじゃないですか?」
ひよりが言う。
「宮田さんが見てくれてるから、毎週きちんとした一番街だよりが配られてるんですよね」
「私がおらんでも、誰かが確認するやろ」
「ばあちゃんがおらんかったら、先月は福引きの日付を間違えたまま出してたで」
健太が原稿を取り出しながら答えた。
「今月は?」
「先週は花壇の写真を間違えてた」
「去年の写真を使ってたな。植えてある花が違うから、すぐ分かったわ」
「宮田さんが言ってた『ちゃんと直ってる』って、写真のことだったんですね」
ひよりの言葉に、澄子は驚いた顔をした。
「聞こえてたん?」
「聞こえてました。それで、ずっと気になってたんです」
「ひよりちゃんの前では、うかつなこと言われへんなあ」
「よく言われます」
ひよりが笑うと、義雄がカウンターの奥から口を挟んだ。
「褒められてへんぞ」
「分かってます」
ひよりは澄子の前へカフェオレを置いた。
澄子は原稿を一枚ずつ確認し、赤いボールペンで印をつけていく。
「健太、ここ」
「何?」
「五月十二日の土曜日って書いてあるけど、十二日は日曜日やろ」
「あっ」
「それから、この店の営業時間。午後六時までやのに、午後七時になってる」
「ほんまや……」
「あと、『どなたでもご参加できます』やなくて、『どなたでもご参加いただけます』の方がええんと違う?」
「はい、直します」
その姿は、単に孫の仕事を手伝う祖母には見えなかった。
長年、商店街を見続けてきた人が、今も変わらず自分の仕事をしているようだった。
「宮田さん、すごいですね」
「長いこと商店街におったから、店の定休日や営業時間を覚えてるだけやよ」
「それを覚えてる人が確認するから、意味があるんや」
健太が言った。
「これからも頼むで、ばあちゃん」
澄子の赤いボールペンが止まった。
「私でええの?」
「ばあちゃんがええんや。ほかの人やったら、こんなに間違いを見つけられへん」
「そら、あんたが間違えすぎなんよ」
「そこは否定できへんけど」
澄子は呆れたように笑い、再び原稿へ目を落とした。
「ほんなら、もうしばらく見たるわ」
「もうしばらくやなくて、ずっとお願いします」
「調子のええこと言うて」
そう答える澄子の表情は、どこかうれしそうだった。
翌日の木曜日。
完成した一番街だよりが、喫茶こもれびへ届けられた。
窓際の席へ座った澄子は、紙面を隅から隅まで確認する。
「今週も、ちゃんと直ってますか?」
ひよりが尋ねた。
「ええ。全部直ってる」
「昨日も読んだ気がします?」
「昨日、読んだよ」
澄子は今度こそ、はっきりと答えた。
「印刷前の原稿をね」
「秘密じゃなかったんですか?」
「私が手伝ってることは、隠さんでもええらしいわ。ただし、記事の内容は木曜日まで秘密」
「分かりました。私も守ります」
「ひよりちゃんに守れる?」
「どういう意味ですか?」
「顔に出そうやから」
以前、義雄と千鶴にも同じことを言われた。
「そんなに分かりやすいですか、私」
「素直でええってことやよ」
「それなら褒め言葉として受け取ります」
澄子は笑いながら、完成した一番街だよりを丁寧に折りたたんだ。
その紙面の一番下には、小さな文字で一行だけ、新しい記載が加えられていた。
『編集協力 宮田澄子』
「宮田さん、名前が載ってますよ」
「健太が勝手に入れたんよ」
「嫌でした?」
「まさか」
澄子は自分の名前を指でそっとなぞった。
「こんな年になって、また商店街の仕事をするとは思わんかったわ」
「まだまだ引退できませんね」
「ほんまやね。来週も、あの子の間違いを直さなあかんから」
そう言って笑う澄子の前に、ひよりは温かなカフェオレを置いた。
一日早く商店街だよりを読んでいたのは、澄子が未来を知っていたからでも、記憶を間違えていたからでもなかった。
彼女は今も、商店街を支える一人だった。
完成前の一枚に赤い印をつけ、誰にも気づかれない場所から、長年過ごしてきた商店街を守っていたのだ。
来週の水曜日も、喫茶こもれびは、数時間だけ小さな編集室になる。
そのことを知っているのは、義雄と千鶴、ひより、健太、そして澄子だけだった。
【あとがき】
今回は「商店街だより」を題材にしたお話を書きました。
物語に登場する「一番街だより」は架空のものですが、実際の寝屋川一番街商店街にも、このような商店街だよりがあるのでしょうか?
身近な商店街を舞台に書いているのに、まだまだ知らないことがたくさんあります。今度、実際に商店街を歩きながら調べてみたいと思います!
もし本当にあったら、ぜひ読んでみたいですね。




