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第十三話 看板娘の二十歳

 季節は巡り、寝屋川一番街商店街にも再び春が訪れていた。


 高瀬ひよりが喫茶こもれびでアルバイトを始めてから、もうすぐ一年が経とうとしている。


 最初は注文を聞き間違えないようにするだけで精いっぱいだった。


 コーヒーカップを運ぶときには両手へ必要以上に力が入り、レジを任されれば何度も金額を確認した。


 義雄からコーヒーの淹れ方を教わったときも、豆の量や湯の温度、蒸らす時間を気にするあまり、肝心の湯を注ぐ手が震えていた。


 それでも今では、一人で店を任されても困らないほど仕事に慣れている。


 常連客の注文も、ほとんど覚えた。


 扉が開く音を聞いただけで、誰が来たのか分かることもある。


 義雄から合格をもらい、客へコーヒーを淹れることも許されていた。


 そして四月十八日。


 その日は、ひよりの二十歳の誕生日だった。


「美咲、遅いなあ」


 午前中の大学の講義が始まる直前、ひよりは隣の空席を見つめた。


 美咲とは、いつも一緒に講義を受けている。


 寝坊して遅れることはあっても、何の連絡もなく休むことは珍しかった。


 ひよりはスマートフォンを開き、美咲へメッセージを送った。


『今日、休み?』


 しばらく待っても、既読はつかない。


「体調でも悪いんかな」


 心配になったが、講師が教室へ入ってきたため、ひよりはスマートフォンを鞄へ戻した。


 昼前に講義が終わってから、もう一度確認してみても返事はなかった。


 電話をかけようかとも考えたが、本当に体調が悪ければ眠っているかもしれない。


『大丈夫? 起きたら連絡して』


 そう送ってから、ひよりは大学を出た。


 午後からは喫茶こもれびのアルバイトが入っている。


 自分の誕生日だからといって、特別に休むつもりはなかった。


 去年までなら、母と食事へ行ったり、美咲と遊びに出かけたりしていた。


 しかし、今年はこもれびで過ごすのも悪くないと思っていた。


 二十歳になった最初の日を、自分の大好きな場所で過ごせる。


 それだけで、十分にうれしかった。


 午後一時過ぎ。


 寝屋川一番街商店街へ入ると、平日の昼間らしい穏やかな時間が流れていた。


 通りを歩く人の数は多くない。


 総菜店から漂う揚げ物の香りに、昼食を食べたばかりのひよりのお腹が少しだけ反応する。


 喫茶こもれびの前まで来ると、ひよりは足を止めた。


「あれ?」


 扉には、営業中の札が掛かっている。


 それなのに、外から店内の話し声がほとんど聞こえなかった。


 普段なら、この時間は昼食後のコーヒーを飲みに来た客が何人かいる。


 今日は誰もいないのだろうか。


 ひよりは木製の扉を開いた。


「こんにちは......」


 パン、パン、パンッ!


 乾いた音が店内へ響き、色とりどりの紙片がひよりの頭上を舞った。


「うわっ!」


 驚いたひよりは、その場で肩をすくめた。


「ひより、お誕生日おめでとう!」


 最初に聞こえたのは、美咲の声だった。


 目の前には、クラッカーを持った美咲が立っている。


 その隣には母と千鶴がおり、カウンターの中では義雄が小さなクラッカーを握っていた。


 よく見ると、客席には多くの常連客が集まっている。


「おお、今日の主役が来たぞ!」


 一人の常連客が大きな声を上げた。


「こもれびの看板娘、ひよりちゃんの登場や!」


 店内から拍手が起こる。


「おめでとう!」


「二十歳やな!」


「ひよりちゃんも、もう大人かあ」


「まだ十九歳やと思ってたわ」


「今日から二十歳です!」


 ひよりは反射的に答えたものの、何が起きているのか理解が追いついていなかった。


「美咲、何でここにおるん?」


「誕生日会の準備に決まってるやん」


「大学は?」


「今日は休みました」


「何の迷いもなく言うことちゃうやろ!」


「友達の二十歳の誕生日と講義、どっちが大事やと思ってんの?」


「講義!」


「即答すな!真面目か!いや、確かにそうやけど…ひよりの二十歳の誕生日くらいはちゃんと祝わないとやん」


 店内に笑い声が広がった。


 ひよりは頭や肩についた紙片を払いながら、美咲を見つめた。


「連絡しても返事ないから、心配したんやで」


「返事したら、起きてることがばれるやろ」


「せめて体調は大丈夫って言ってよ」


「それやったら、何で休んだんって聞くやん」


「聞くけど」


「ひより、気になったら絶対に理由を探すからな。既読をつけへんのが一番安全やと思って」


「私への対策が進みすぎてへん?」


「高校から4年近く付き合ってたら、そら学習するよ」


 美咲は得意そうに胸を張った。


「それで、お母さんまで何してるん?」


 ひよりが尋ねると、母は笑顔でクラッカーをテーブルへ置いた。


「娘の二十歳の誕生日を祝いに来たんやけど」


「家でもできるやん」


「今日は、ここで祝う方がええと思って」


「どうして?」


「今のひよりにとって、ここはもう一つの家みたいな場所やろ?」


 母にそう言われ、ひよりは店内を見回した。


 子どもの頃から何度も座った窓際の席。


 いつも母と並んでクリームソーダを飲んだテーブル。


 アルバイトを始めてから立つようになったカウンターの内側。


 そこには義雄と千鶴、美咲、母、多くの常連客がいる。


 誰もが、自分のために集まってくれていた。


「ひよりちゃん、こっち座って」


 千鶴が店の中央に用意された席を指した。


「でも、私、今日バイトですよね?」


「今日は休み」


「聞いてませんけど」


「今、言うたやろ」


 義雄がカウンターの中から答えた。


「それ、無断でシフト変えてません?」


「店主の俺が許可してる」


「本人の予定も聞いてください」


「予定あるんか?」


「ないですけど」


「ほんなら問題ない」


「何か納得いかへん……」


 そう言いながらも、ひよりは勧められた席へ座った。


 テーブルの上には、サンドイッチやナポリタン、唐揚げなどが並べられている。どれも喫茶こもれびで普段から出している料理だが、今日は大皿に盛りつけられていた。


 千鶴が事務室から、大きな白い箱を運んでくる。


「まだ主役が揃ってへんよ」


「主役は私ですよね?」


「ひよりちゃんの次に大事な主役」


 箱から出てきたのは、誕生日ケーキだった。


 白い生クリームの上にはイチゴが並び、中央にチョコレートの板が載っている。


『祝 二十歳 こもれびの看板娘 ひよりちゃん』


 その文字を見たひよりは、思わず目を見開いた。


「看板娘って、誰が決めたんですか?」


「俺らや」


 先ほど声を上げた常連客が答えた。


「勝手に決めんといてください」


「嫌なんか?」


「嫌ではないですけど……」


「ほんなら決定やな」


「決め方が強引すぎません?」


「多数決でも全員賛成やで」


 別の常連客が声を上げる。


「ひよりちゃんがおらん日は、店がちょっと静かやからな」


「注文を覚えてくれてるし、話も聞いてくれる」


「たまに推理が始まったら、仕事忘れてるけどな」


「忘れてません!」


 ひよりが否定すると、義雄が口を挟んだ。


「忘れてる」


「義雄さんまで!」


「この前も、客の話を聞きながら同じテーブルを三回拭いてたやろ」


「きれいになったんやから、いいじゃないですか」


「ほかのテーブルを拭け」


 また店内に笑い声が広がった。


 千鶴がケーキへ二本の数字型のろうそくを立てた。


 2と0。


 火が灯されると、店内の照明が消された。


「ほら、ひより。お願い事してから消すんやで」


 母に言われ、ひよりは二つの炎を見つめた。


 願い事。


 すぐに思い浮かんだのは、喫茶こもれびのことだった。


 この店が、これからも続いてほしい。


 義雄と千鶴が元気でいてほしい。


 できることなら、来年も再来年も、ここでみんなと笑っていたい。


 しかし、それを願うことが正しいのか、ひよりには分からなかった。


 義雄と千鶴には、二人の人生がある。


 自分がこの店を好きだからという理由だけで、いつまでも続けてほしいと願うのは、少し身勝手なのかもしれない。


 迷った末、ひよりは別の願いを心に浮かべた。


 これから先も、大切な人たちと笑っていられますように。


 ひよりが息を吹きかけると、二つの炎が同時に消えた。


 照明がつき、拍手が起こる。


「おめでとう、ひより」


 母が優しく言った。


「ありがとう」


「二十歳になった感想は?」


「まだ何も変わってへんよ。朝起きたときも普通やったし」


「急に大人になるわけちゃうからな」


 美咲が笑いながら言う。


「美咲は、まだ十九歳やろ」


「数か月後には追いつくし」


「それまでは年上として敬ってな」


「数時間前まで同い年やった人を敬えるか」


「私、先輩やで」


「何の?」


「人生の」


「二十年ほぼ同じ時代を生きてるやん」


 二人のやり取りを聞いて、千鶴が楽しそうに笑った。


 ケーキが切り分けられ、全員へ配られる。


 ひよりの前には、イチゴが二つ載った少し大きな一切れが置かれた。


「これ、私だけ大きくないですか?」


「主役やからね」


「千鶴さん、こういうときはサービスしてくれるんですね」


「普段もしてるやろ?」


「義雄さんに内緒でアイス一個増やしてくれたり」


「おい」


 義雄がカウンターから千鶴を見る。


「あっ」


「またやってたんか」


「誕生日の日くらい、細かいこと言わんでええやん」


「今日以外の話や」


「時効や、時効」


「店のアイスに時効なんかあるか」


 千鶴は笑いながら、ひよりの前へ背の高いグラスを置いた。


 鮮やかな緑色の炭酸水。


 丸いバニラアイス。


 その上には、真っ赤なサクランボが二つ載っている。


「二十歳になったから、サクランボも二つ」


「そこは二十個じゃないんですか?」


「グラスに入らへんわ」


「一個増えただけでも喜び」


 義雄がぶっきらぼうに言った。


「ありがとうございます」


 ひよりは笑顔で答えた。


「今日は、ひよりちゃんに渡したいものがあるんよ」


 千鶴がカウンターの下から、小さな包みを取り出した。


「私に?」


「みんなからや」


 包みを開くと、中には新しい黒いエプロンが入っていた。


 胸元には、白い糸で小さく文字が刺繍されている。


『喫茶こもれび ひより』


 その下には、小さな赤いサクランボが二つ並んでいた。


「かわいい……」


 ひよりは刺繍を指でなぞった。


「義雄さんが注文してくれたんやで」


 千鶴が教える。


「義雄さんが?」


「千鶴が勝手に決めた」


「お金を出したんは義雄さんやん」


「店の経費や」


「個人名入りのエプロンを経費にして大丈夫なんですか?」


 ひよりが尋ねると、義雄は少し考えた。


「制服やから問題ない」


「本当ですか?」


「細かいこと気にすんな」


「義雄さんがそれ言います?」


 ひよりは笑いながら、今まで身につけていたエプロンを外した。


 新しいエプロンへ腕を通す。


 サイズはぴったりだった。


「似合ってるで、看板娘」


 美咲が言った。


「美咲まで言うん?」


「もう全員一致で決まったから、諦め」


 常連客たちから、再び拍手が起こる。


 ひよりは少し恥ずかしくなりながらも、胸元に刺繍された自分の名前を見つめた。


 一年前、自分はこの店の常連客だった。


 子どもの頃から通い続け、義雄と千鶴にかわいがってもらっていた。


 アルバイトを始めてからも、しばらくは客だった頃の気持ちが抜けなかった。


 しかし、今は違う。


 この店で働き、客を迎え、コーヒーを運び、時には小さな謎へ首を突っ込む。


 いつの間にか、自分も喫茶こもれびを作る一人になっていた。


「ひより」


 義雄が呼びかける。


「はい?」


「せっかくエプロン着けたんや。コーヒー淹れてみろ」


「今から働かせるんですか?」


「嫌ならええ」


「嫌とは言ってません」


 ひよりは席を立ち、カウンターの中へ入った。


 豆を量り、ミルで挽く。


 湯の温度を確認し、ペーパーフィルターへ粉を入れる。


 最初に少量の湯を注ぎ、香りが立つのを待つ。


 一年前には義雄の手元を眺めているだけだった。


 今では、その一つひとつの意味が分かる。


 ひよりはゆっくりと円を描くように湯を注いだ。


「義雄さん、どうですか?」


「俺に聞くな。自分で考えろ」


「意地悪ですね」


「客に出すんは、お前やろ」


 ひよりは抽出されたコーヒーをカップへ注いだ。


 最初の一杯を、義雄の前へ置く。


「どうぞ」


「何で俺や」


「私にコーヒーを教えてくれた人ですから」


 義雄は何も言わず、カップへ口をつけた。


 店内にいた全員が、その反応を見守る。


「どうですか?」


「……悪くない」


「本当ですか?」


「誕生日やから、少し甘めに言うてる」


「コーヒーは甘くないのに?」


「うまいこと言うたつもりか」


「ちょっとだけ」


 義雄は呆れたように息を吐いたが、もう一度コーヒーを飲んだ。


「来年は、もう少しましな一杯を淹れろ」


「来年も飲んでくれるんですか?」


「店におったらな」


「絶対にいてください」


 ひよりは迷わず答えた。


 義雄は一瞬だけ黙り、カップへ目を落とした。


「……努力はする」


 それは約束と呼ぶには、少し曖昧な言葉だった。


 それでも、ひよりには十分だった。


「ひより、クリームソーダのアイス溶けてるで」


 美咲の声が聞こえる。


「あっ!」


 慌てて席へ戻ると、丸かったアイスは少しずつ緑色の炭酸水へ溶け始めていた。


「主役が自分の飲み物を忘れてどうすんねん」


「義雄さんが働かせるからやろ」


「自分からカウンター入ったんちゃうん?」


「それはそうやけど」


 ひよりは席へ座り、クリームソーダを一口飲んだ。


 二十歳になっても、味は変わらない。


 子どもの頃から大好きだった、甘くて懐かしい味だった。


「サクランボ、二つとも最後まで残すん?」


 美咲が尋ねる。


「もちろん。一番好きなものは最後に食べたいから」


「二十歳になっても変わらんなあ」


「変わらんでいいところもあるねん」


 ひよりはグラスの上に並んだ二つのサクランボを見つめた。


 二十歳になったからといって、急に大人になれるわけではない。


 分からないことも、不安なことも、まだたくさんある。


 それでも、一年前とは違う。


 自分を待ってくれる人がいる。


 名前の入ったエプロンがある。


 そして、自分の淹れたコーヒーを飲んでくれる人がいる。


「ひよりちゃん、ほんまにおめでとう」


 千鶴が優しく言った。


「ありがとうございます」


「これからも、こもれびの看板娘としてよろしくな」


 ひよりは店内を見回した。


 母、美咲、義雄、千鶴。


 自分を祝うために集まってくれた常連客たち。


 胸の奥が、温かなもので満たされていく。


「はい。これからも、よろしくお願いします」


 その言葉に、店内から大きな拍手が起こった。


 四月十八日。


 高瀬ひよりは二十歳になった。


 同時に、自分が喫茶こもれびの看板娘になっていたことを、ようやく知った。


 誕生日会が終わる頃には、窓から差し込む春の日差しが少しだけ傾いていた。


 大皿に盛られていた料理はほとんどなくなり、誕生日ケーキもきれいに切り分けられている。


 常連客たちは帰る準備を始めていたが、誰もすぐには席を立とうとしなかった。


「ほな、最後に写真を撮ろか」


 そう言って立ち上がったのは、田村だった。


 首からは、いつものカメラが下げられている。


「そういえば田村さん、今日もずっと写真を撮ってましたね」


 ひよりが言う。


「せっかくの二十歳の誕生日やからな。クラッカーに驚いた顔も、ろうそくを消してるところも、全部撮ったで」


「最初の写真、絶対に変な顔してるやないですか」


「ええ写真やったで」


「ええ写真と、かわいく写ってる写真は別ですよね?」


「それは別やな」


「消してください」


「断る」


 田村がカメラを守るように抱えると、店内に笑い声が広がった。


「店の中やと全員入らへんな。外で撮ろか」


 田村に促され、全員が喫茶こもれびの前へ移動した。


 寝屋川一番街商店街を通りかかった人々が、何事かとこちらを見ている。


 店の前には、義雄と千鶴、ひよりの母、美咲、常連客たちが並んだ。


「ひよりちゃんは真ん中や」


 千鶴が言う。


「主役やからな!」


 常連客の一人も声を上げる。


 ひよりは少し恥ずかしくなりながら、列の中央へ移動した。


「田村さんも入ってくださいね」


「俺は撮る側やから」


「前にも言いましたよね。田村さんがおらへんかったら、全体写真になりません」


「今日は三脚を持ってきてるから大丈夫や」


 田村は店の前へ三脚を立て、カメラを固定した。


 全員が画面へ入っていることを確認すると、タイマーを設定して急いで列へ加わる。


「十秒で撮れるで!」


「田村さん、もっと真ん中!」


「義雄さん、もうちょっと笑って!」


「笑ってる」


「それ、いつもの顔です!」


「ひより、前向いて!」


「お母さんが話しかけるからやろ!」


 それぞれが好き勝手なことを言っているうちに、カメラのランプが点滅を始めた。


「撮れるで! 三、二、一!」


 シャッター音が響いた。


 撮影された写真を確認すると、全員が笑っていた。


 美咲はひよりの肩に腕を回し、母と千鶴は楽しそうに顔を寄せている。


 義雄は笑顔と呼べるか微妙な表情だったが、普段より少しだけ目元が柔らかい。


 田村も、列の端でしっかりと写真に収まっていた。


「ええ写真やな」


 田村が満足そうにうなずく。


「田村さんも、ちゃんと写ってますね」


「今度は忘れてへんで」


「忘れてたんやなくて、いつも自分から撮る側に回ってたんでしょう」


「写真を撮る方が好きやからな」


「でも、今日は一緒に写ってくれてよかったです」


 ひよりが笑うと、田村は少し照れたようにカメラへ目を落とした。


「もう一枚、撮らせてもらってもええか?」


「また全員で?」


「いや、今度は三人でや」


 田村が指したのは、義雄と千鶴、それからひよりだった。


「私もですか?」


「喫茶こもれびの店主二人と、看板娘やろ」


「看板娘は、今日勝手に決まったんですけど」


「もうエプロンに名前まで入ってるんやから、諦めえ」


 田村に言われ、ひよりは胸元の刺繍を見た。


『喫茶こもれび ひより』


 その下には、二つの赤いサクランボが並んでいる。


「ほら、三人とも店の前に立って」


 田村に促され、義雄と千鶴が店の前へ並んだ。


 ひよりは二人の横へ立とうとしたが、千鶴に腕を引かれた。


「ひよりちゃんは真ん中」


「でも、店主は二人ですよね?」


「今日はひよりちゃんが主役やから」


「それに、看板娘がおらんかったら締まらへんやろ」


 田村が笑う。


「ほら、早くせえ」


 義雄にも言われ、ひよりは二人の間へ立った。


 右には義雄。


 左には千鶴。


 背後には、子どもの頃から何度もくぐってきた喫茶こもれびの木製扉がある。


「もう少し寄って」


 田村がカメラを構えながら言った。


 千鶴がひよりの肩を抱き寄せる。


 反対側にいる義雄は、少しだけ困ったような顔をしていた。


「義雄さんも、ひよりちゃんの方へ寄ってください」


「これで十分やろ」


「まだ隙間があります」


「男がそんな簡単に若い女の子へ近づけるか」


「今さら何を言うてるんですか。ひよりちゃんが子どもの頃、膝に乗せてたやないですか」


「何年前の話や」


「義雄さん、早くしてください。みんな待ってますよ」


 ひよりが笑いながら言うと、義雄は諦めたように一歩近づいた。


 三人の肩が触れ合う。


「ええ感じや。そのまま笑って」


 田村がカメラを構える。


「義雄さん、ちゃんと笑ってくださいね」


「笑ってる」


「さっきも聞きました」


「これ以上は無理や」


「誕生日なんですから、頑張ってください」


「お前の誕生日と俺の笑顔に何の関係がある」


「私がうれしくなります」


 ひよりがそう答えると、義雄は何も言い返さなかった。


 ただ、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「今や!」


 田村がシャッターを切った。


 撮影された写真には、喫茶こもれびの前に並ぶ三人が写っていた。


 中央には、新しい黒いエプロンを身につけたひより。


 その両側には、義雄と千鶴。


 千鶴は満面の笑みを浮かべ、義雄もわずかに笑っている。


「ほんまに、家族写真みたいやな」


 ひよりの母が、田村のカメラをのぞきながら言った。


「ちょっと、お母さん」


「ええやん。義雄さんと千鶴さんには、昔から孫娘みたいにかわいがってもらってたんやから」


「孫娘というには、もう大きなりすぎたけどね」


 千鶴が、ひよりの頭を優しくなでた。


「二十歳になりましたから」


「二十歳になっても、ひよりちゃんはひよりちゃんやよ」


「子ども扱いしてません?」


「かわいがるんに、年齢は関係ないやろ」


 ひよりは言い返そうとしたが、何も言葉が出てこなかった。


 写真の中にいる三人を見つめる。


 一年前には、義雄と千鶴の間に自分が立つことなど想像もしていなかった。


 自分はこの店が好きな、ただの常連客だった。


 それが今では、名前の入ったエプロンを身につけ、二人の間で笑っている。


「田村さん、その写真、私も欲しいです」


「もちろん。きれいに印刷して持ってくるわ」


「店にも飾ろうや」


 千鶴が言う。


「店にですか?」


「看板娘の写真やからね」


「一人で写ってるわけじゃないですけど」


「三人で写ってるから、ええんやろ」


 千鶴の言葉に、ひよりはもう一度写真を見た。


 義雄と千鶴。


 そして、その真ん中にいる自分。


「そうですね」


 ひよりは静かにうなずいた。


「三人だから、いいですね」


 後日、その写真は少し大きく印刷され、喫茶こもれびの店内へ飾られることになった。


 場所は、カウンターの奥にある壁。


 義雄が毎日コーヒーを淹れ、ひよりが店内を見渡すとき、必ず目に入る場所だった。


 写真の中では、三人が肩を並べて笑っている。


 喫茶こもれびの店主夫婦と、その真ん中に立つ看板娘。


 それは、ひよりが二十歳になった日の記念写真であると同時に、彼女がこの店の一員になったことを残す、何よりの一枚になった。


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