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第十話 消えた五十万円【事件編】

 日曜日の朝。


 寝屋川一番街商店街には、普段よりも早い時間から多くの人が集まっていた。


 アーケードには色とりどりの飾りが取りつけられ、商店街の中央には小さな舞台が設置されている。


 この日は、地域の子どもたちを招いた商店街の催しが開かれることになっていた。


 喫茶こもれびも通常営業を休み、休憩所として参加する。


「ひよりちゃん、それ入り口に置いてくれる?」


「はい!」


 高瀬ひよりは、冷たい飲み物が入った箱を持ち上げた。


「重っ……」


「大丈夫?」


 千鶴が心配そうに声をかける。


「大丈夫です。これくらい運べます」


「無理せんでも、誰かに頼んだらええよ」


「もう持ち上げたんで、入り口まで行きます」


 ひよりが箱を抱えて歩き始めると、後ろから別の人物が手を伸ばした。


「半分持つで」


 振り返ると、美咲が立っていた。


「美咲、来てくれたん?」


「手伝ってほしいって頼んだん、ひよりやろ」


「来てくれへんと思ってた」


「何でやねん。約束したやろ」


 二人で箱を持ち、店の入口へ運ぶ。


「それにしても、人多いな」


 美咲が商店街を見渡した。


「子ども向けの催しやからね。くじ引きとか、輪投げとか、いろいろあるみたい」


「私らも遊べる?」


「手伝いに来たんやろ」


「休憩時間くらいええやん」


「仕事終わってからにしてください」


「ひより、店員みたいになったな」


「店員やからね」


 二人が話していると、カウンターの奥から義雄の声が飛んできた。


「しゃべってんと、次運べ」


「はい!」


「まだあるん?」


 美咲が顔をしかめる。


「手伝いに来たんやろ?」


「ほんまに店員みたいなこと言うようになったな」


 午前十時になると、催しが始まった。


 商店街には大勢の家族連れが訪れ、子どもたちの笑い声が響く。


 喫茶こもれびでは、コーヒー、オレンジジュース、卵サンドなどを普段より安い値段で提供した。


 義雄が飲み物を用意し、千鶴とひより、美咲が客席へ運ぶ。


 昼を過ぎる頃には、店の外にまで待っている人の列ができていた。


「ひより、三番さんにオレンジジュース二つ!」


「分かりました! 美咲は四番さんの片づけお願い!」


「はいはい!」


「返事は一回!」


「急に先輩面すんな!」


 忙しいながらも、店内には明るい笑い声が絶えなかった。


 午後四時。


 催しは、大きな問題もなく終了した。


 商店街の人々が飾りを外し、舞台や机の片づけを始める。


 喫茶こもれびにも、イベントの運営を担当した二人の男性が入ってきた。


 一人は、商店街の会計を担当している森本隆夫。


 五十代後半で、商店街の中にある文具店を長年営んでいる。


 もう一人は、パン屋を営む三十一歳の松田翔平。


 今回の催しでは、会場の設営や各店舗への連絡を担当していた。


「岡本さん、ここで集計させてもらってもええですか?」


 森本が千鶴へ尋ねる。


「もちろん。奥のテーブル使ってください」


「ありがとうございます」


 店内の客が全員帰ったあと、二人は複数の箱や封筒をテーブルへ並べた。


 各店舗から集めた売上金。


 催しに寄せられた協賛金。


 くじ引きなどの参加費。


 森本が金額を読み上げ、松田が集計表へ記入していく。


 義雄、千鶴、ひより、美咲も、少し離れた場所で店内の片づけを続けていた。


「十万、二十万……」


 森本が紙幣を数える。


 数え終えた束を、テーブルの中央へ置いた。


「これで全部やな」


「合計、五十万円です」


 松田が電卓の画面を確認する。


「集計表とも合ってます」


「念のため、もう一回確認しよう」


 二人はもう一度現金を数えた。


 金額は、間違いなく五十万円だった。


「銀行、今日は閉まってますよね?」


 千鶴が尋ねる。


「明日の朝一番に入金します」


 森本が答える。


「それまで、ここで預かってもらってもええですか? 商店街の事務所は、今日はもう鍵を返してしもたんです」


「うちは構わへんけど」


「奥の書庫に入れたらええ」


 義雄が店の奥を指さした。


 喫茶こもれびの事務室には、帳簿や大切な書類を保管するための鍵付き書庫がある。


 古いものだが頑丈で、簡単に壊せるようなものではない。


「ほんなら、そうさせてもらいます」


 森本はテーブルの上の現金を集めた。


 そのとき、店の外から声が聞こえた。


「松田さん、ちょっと来てもらえますか!」


 商店街の役員が、店の入口から呼んでいる。


「すみません。すぐ戻ります」


 松田は集計表をテーブルへ置き、店の外へ出た。


 森本は紙幣の束を抱え、カウンターの奥へ移動する。


 そこには、商店街から持ってきた茶色い封筒が何枚か置かれていた。


「森本さん、封筒これでええ?」


 千鶴が一枚を手渡す。


「ありがとうございます」


 森本はカウンターの内側で作業を始めた。


 ひよりからは、森本の背中しか見えない。


 紙幣を封筒へ入れているようだったが、カウンターに遮られ、手元までは確認できなかった。


「ひより、空いた箱を倉庫へ持っていって」


 義雄に言われ、ひよりは重ねた箱を持ち上げた。


「分かりました」


 事務室へ運び、箱を床へ置く。


 店内へ戻ると、森本が茶色い封筒を手にしていた。


「これを書庫へ入れたらええんですね?」


「鍵は、レジの下の引き出しや」


 義雄が答える。


「俺が入れます」


 松田が店へ戻ってきた。


「いや、会計を預かってる俺が入れる。松田君は集計表の確認を頼むわ」


 森本はレジの下から鍵を取り出し、事務室へ向かった。


 千鶴も一緒についていく。


 ひよりは店内から、二人の様子を見ていた。


 森本が書庫の扉を開ける。


 茶色い封筒を中へ入れ、扉を閉める。


 鍵をかけたあと、千鶴が取っ手を引き、施錠されていることを確かめた。


「これで大丈夫やね」


「明日の朝、八時頃に取りに来ます」


 森本は書庫の鍵を、元どおりレジの下の引き出しへ戻した。


 午後六時を過ぎても、片づけは終わらなかった。


 大量のカップや皿を洗い、使わなかった材料を冷蔵庫へ戻す。


 美咲は一足先に帰り、店内には義雄、千鶴、ひより、森本、松田の五人が残っていた。


 松田が集計表を確認していると、突然、店内の照明が消えた。


「え?」


 辺りが真っ暗になる。


「停電?」


 千鶴の声が聞こえた。


 商店街のアーケード内も、一部の照明が消えている。


「動かん方がええ!」


 義雄の声が響いた。


「スマートフォンの明かりをつけます」


 ひよりはエプロンのポケットからスマートフォンを取り出した。


 画面の光で、周囲を照らす。


 森本はカウンターの近くに立ち、松田は奥のテーブル付近にいた。


「商店街全体の停電ですかね?」


 松田が尋ねる。


「外も一部消えてるな」


 森本が答えた。


「ブレーカーを確認してくる」


 義雄は懐中電灯を持ち、店の奥へ向かった。


「ひよりちゃん、そこに置いてある布巾取ってくれる?」


 千鶴が声をかける。


「どこですか?」


「事務室の棚。さっき水こぼしてしもたんよ」


「分かりました」


 ひよりはスマートフォンで足元を照らしながら、事務室へ入った。


 壁際には、現金の入った封筒を保管している書庫がある。


 しかし、ひよりは書庫へ触れず、隣の棚から布巾を取り出した。


 店内へ戻り、千鶴へ渡す。


 およそ十分後。


 店内の照明が戻った。


「戻ったな」


 義雄が懐中電灯を消す。


「原因、何やったんですか?」


「商店街側の設備みたいや。詳しいことは分からん」


 森本が腕時計を見る。


「もうこんな時間か。俺はそろそろ帰ります」


「集計表は、俺が商店街の事務所へ戻しておきます」


 松田が答える。


「頼むわ。現金は明日の朝、取りに来るから」


 森本は肩に掛けていた黒い鞄を持ち、店を出ていった。


 松田も集計表をファイルへ挟み、少し遅れて帰っていく。


 午後七時半。


 義雄と千鶴も、帰る準備を始めた。


「ひよりちゃん、まだ終わらへん?」


「あと床を拭いたら終わります」


「私ら待っとこか?」


「大丈夫です。先に帰ってください」


「でも、一人になるやろ」


「もう慣れてます。それに、十分くらいで終わりますから」


 千鶴は少し迷ったあと、店の鍵をひよりへ渡した。


「ほんなら、戸締まりだけお願いね」


「はい」


「書庫の鍵は?」


 義雄が確認する。


「レジの下にあるで」


 千鶴が引き出しを開け、鍵が入っていることを見せた。


「ちゃんとあるな」


 義雄と千鶴は店を出ていった。


 残ったひよりは床を拭き、ゴミ袋をまとめる。


 最後に窓と事務室を確認し、店内の照明を消した。


 事務室へ入ったとき、書庫の扉は閉まっていた。


 取っ手を引いたが、鍵もかかっている。


 ひよりは店の外へ出ると、木製扉に鍵をかけた。


 時刻は、午後七時四十五分。


 誰もいなくなった喫茶こもれびをあとにし、家へ帰った。


 翌朝。


 ひよりが店へ到着すると、入口の前に数人の人が集まっていた。


 森本と松田。


 商店街の役員。


 そして、制服を着た警察官。


「何かあったんですか?」


 ひよりが尋ねる。


 千鶴が不安そうな表情で近づいてくる。


「ひよりちゃん……」


「千鶴さん?」


「昨日預かったお金が、なくなってるの」


「え?」


 店内へ入る。


 事務室の書庫は開いていた。


 扉や鍵が壊された様子はない。


 書庫の中には、昨日森本が入れた茶色い封筒が残されている。


 しかし、中身は空だった。


「現金は、確かにこの封筒へ入れました」


 森本が警察官へ説明している。


「五十万円です。千鶴さんにも、書庫へ入れるところを確認してもらいました」


「はい。森本さんが封筒を書庫へ入れて、私が鍵を確認しました」


 千鶴が答える。


「書庫の鍵は、どこに保管していたんですか?」


「レジの下の引き出しです」


「その場所を知っている人は?」


 義雄が答える。


「昨日、店に残ってた人間は、みんな知ってる」


「店の入口に壊された形跡はありません。窓も施錠されていました」


 警察官は手帳へ書き込んだ。


「店の鍵を持っている方は?」


「俺と千鶴。それから、アルバイトのひよりです」


 義雄が答える。


 警察官の視線が、ひよりへ向く。


「高瀬ひよりさんですね?」


「はい」


「昨日、最後にこの店を出たのは、あなたで間違いありませんか?」


「……はい」


「何時頃でしたか?」


「七時四十五分くらいです」


「そのとき、店内には誰もいなかった?」


「私一人でした」


「書庫の鍵の場所も知っていましたね?」


「はい。でも、私は取ってません」


 自分でも分かるほど、声が震えていた。


 警察官は表情を変えず、質問を続ける。


「停電中、事務室へ入ったという証言があります」


「布巾を取りに行っただけです」


「一人で?」


「はい」


「閉店前にも、事務室へ入っていますね?」


「戸締まりを確認するためです。書庫には触ってません」


 店内にいる人々の視線が、ひよりへ集まる。


 商店街の役員たちが、小声で何かを話していた。


「最後まで一人で残ってたんやろ?」


「鍵の場所も知ってたみたいやな」


「でも、あの子がそんなこと……」


 途切れ途切れの声が、ひよりの耳へ届く。


「ひよりは取ってへん」


 義雄の低い声が店内へ響いた。


 全員が義雄を見る。


「この子は、そんなことする人間ちゃう」


「義雄さん……」


「感情だけで決めつけるつもりはありません」


 警察官が静かに答える。


「ただ、可能性を一つずつ確認する必要があります」


 ひよりは、空になった茶色い封筒を見つめた。


 五十万円は、確かに数えられていた。


 森本が封筒を持って書庫へ向かい、千鶴が施錠を確認した。


 入口や窓は壊されていない。


 書庫の鍵も、店内の決められた場所へ戻されていた。


 そして、最後に店へ残ったのは自分だった。


「高瀬さん」


 警察官から名前を呼ばれる。


「もう一度、昨日の出来事を最初から詳しく聞かせてもらえますか?」


 ひよりは震える手を握り締めた。


 これまで、他人が残した小さな違和感から、いくつもの謎を解いてきた。


 しかし今度は、自分自身が事件の中心に立たされている。


 消えた五十万円。


 鍵のかかった書庫。


 そして、自分へ向けられた疑い。


 ひよりは空の封筒を見つめながら、昨日の出来事を一つずつ思い返し始めた。


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